人生は何気ない日常にこそ、意味がある (original) (raw)
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- 1.『自灯明』と『法灯明』
- ーお釈迦様と第一弟子のアーナンダとのお話
- 2.「たて糸」と「よこ糸」がなければ布は完成しない
- 3.人生は何気ない日常にこそ、意味がある
- ースピ的なワーク(座禅、ヨガ、瞑想、お遍路・・・)は魂の休憩
1.『自灯明』と『法灯明』
ーお釈迦様と第一弟子のアーナンダとのお話
お釈迦様が死の床にあるとき、アーナンダに言いました。
「アーナンダよ、私の肉体が存在することに依存してはならない。私が生きていることに依存してはならない。
自らをよりどころにして生きなさい。【自灯明】
私が今まであなたに説いた法(教え)を闇の中の光として生きていきなさい。【法灯明】
私の肉体に依存するのではなく、私が教え説いた理法を糧として生きていきなさい。」
お釈迦様
「あなたにとって、あなたが、あなたの人生を生きていくんだから、
あなた自身に自尊心を持ち、
あなた自身に知恵をつけ、
あなたが、あなたの命を、あなたの責任をもって、全うできる人間になりなさい。【自灯明の確立】
・・・そのために、教え、羅針盤【法灯明】を身につけなさい。」
2.「たて糸」と「よこ糸」がなければ布は完成しない
『お経』の「経」は、「たて糸」という意味です。【法灯明】
しかし、それに伴う「実践」(「よこ糸」)【自灯明】がなければ布は完成しない。
地球上で位置を表示するときには、
緯度(よこ)、経度(たて)を使います。
つまり、「経」と「緯」でワンセットです。
3.人生は何気ない日常にこそ、意味がある
ースピ的なワーク(座禅、ヨガ、瞑想、お遍路・・・)は魂の休憩
人生で重要なことは、スピリチュアル的な特別なこと(座禅、滝行、ヨガ、瞑想、パワースポット巡り、お遍路・・・)をする時ではなくて、
われわれの魂にとって、最も大切な時間は『ふだんの何気ない日常』ではないでしょうか!?
人生は、同じことを繰り返す忙しい日常にこそ意味がある。(毎日の家事、子育て、仕事・・・)
日々の毎日をただ淡々と過ごすだけでも、スピリチュアルに生きることになるのではないでしょうか?
我々がこの世に生まれてきたのは、
①人生を楽しむため
②幸せになるため
幸せになるのに、特別なことをする必要はない。
同じことを繰り返す日常が大切!
神社、パワースポット巡り、瞑想、座禅等で、自分の魂が磨かれて、自分の精神性が上がるわけではありません。
(例)
・毎朝、瞑想している人が、毎晩旦那と夫婦喧嘩をしていると、瞑想は何の意味もない。
・毎朝、神棚でお祈りをしている人が、毎日会社でイライラしたり、部下を怒鳴り散らしていたら何の意味もない。
→神社に行く、瞑想、座禅等は、魂の浄化(魂のリラクゼーション、癒し)のためにやることであって、
魂のレベルが上がることではない。
悟りに近づくことではない。
→それよりも、普段の日常の方がはるかに重要!
→「あなたは、毎日の日常を繰り返すだけで、いかに幸せになれますか!?」・・・ということ。
(例)
・音楽を聴きながら、楽しく料理を作る、家事をする。
・道端に咲いている可愛い花を見つけて、「あ~きれいだな~ぁ」と感謝して、自分の心を幸せにもっていく。
→日々の何気ない日常をいかに楽しく生きる工夫ができるか!?・・・だと思います。
→ふだんから人は、こういった幸せを感じる思考をすることによって、魂を成長させることができます。
スピリチュアル上級者、魂レベルの高い人とは、
スピ系の知識がある人のことではなくて、
日々、同じような日常を繰り返すことで、
いかに幸福感を得られる志向ができる人のことではないでしょうか!?
→淡々と生きる日常の中にも、ささいなことに感謝ができて、
自分を幸せにすることのできる人のことではないでしょうか!?
①目の前にいる人にちゃんと挨拶ができる
②日ごろから人の悪口を言ったり、自分の人生の文句を言わない
③まわりの人に親切にする
・・・こういう行動が、はるかにスピリチュアルな活動をしていると言えるのではないでしょうか!?
→●日々のツラい日常を送りながらも、笑顔を絶やさない人
●ツラいことがあっても愚痴や文句を言わない人
・・・として
ただ淡々と小さな幸せを感じて、日々に感謝して生きていく人の方が魂レベルが高いと思います。
・・・私も、そんな人になりたい。