月はひとり 星は二人で見上げたい - 人生は第四コーナーから (original) (raw)

🔖 秋が暮れて美味しくなってくる秋刀魚

2021年 10月 21日

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秋を迎えている

この季節の思い出といえば 寒々とし始めた下宿に 山栗がたくさん詰めてある小荷物が父から届いたのを思い出す

鉛筆書きの手紙が添えてあり 文面こそ覚えていないが つまりは「しっかり勉強しなさい」ということが 決して小言っぽくなく書かれていたのだろう

そういうことが貴重なものだったと気づくのは 何年も歳月が過ぎてからのことである

同じ思いの人も多かろうから 余計な説明は要らないだろう

年が明ければ (この世から)父が消えてしまって二十四年目を迎える

「24」という数字は 野球をしていた頃の背番号を24番としたことでも それにちょっとした理由があったことを振り返ることができる

生まれてから二十四歳になるまで学校に通い のほほんと暮らした大ばか者であったが 社会人になれた時は自分なりに嬉しかったわけで それが二十四歳だったから24番としたのではなかったか

当時(昭和五十年代なか頃) そんな年齢まで ぐうたらな学生生活を送るような奴は とびきり優秀で学問好きで何かに秀でているか 全くその逆でどうしようもない怠け者で愚図であったろう

中流には決して及びもしない山村の農家の倅であったのだから どれだけ身の回りの人に苦労をかけてきたのかは語るまでもなかろう

教授のおかげで就職はできるものの その後の三十八年を見れば 人生はそう簡単にはいかないのだということもわかる

二十四年・・という年月には 当てつけてやれば ちょっとした意味があったのだった

さて

その程度の人間であったのだと 匙を投げるわけにもいかないのが 最終コーナーを回ってからの生き方である

人生はレースでも競技でもないのだから 何も最終コーナーの姿がとびきり美しく華やかな必要はない

まして その姿に拍手や歓声を投げるような誰かが居る場面もシナリオもない

(同い年で)まだ教師をしている友だちが 秋の体育祭の練習中の校庭の様子をFacebook に写し「木枯らし1号」だ と書いていたので てっきり木枯らしが吹いたのかと思ったら 賑やかに騒いでいるだけだった

「霜降」が過ぎてから吹く一番の北風を言うらしい

まあ何であっても一番乗りを制覇するのは嬉しいもので そのお祭りの精神は掛け替えのないものだと思う

そんなわけで

栗を食っても サンマを食っても 秋を染み染みと感じ とーちゃんを思い出して秋刀魚の味を噛みしめるのであった

🔖 秋刀魚食う おとやんの箸の癖思い出す


📍 午前の部 つぶやきから

。。

のんびり木曜日

毎朝朝寝

ゆうべは サンマ9号でした

🔖 秋が暮れて美味しくなってくる秋刀魚

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