wakasan1214の日記 (original) (raw)

「これじゃあ 相談したくても連絡出来ないじゃない」。僕の名刺には、チラシにも 連絡先がないのです。

10年くらい前、ケアマネ事業所を立ち上げようと ”事業計画書”を作りました。 利用者数を40~50人/月と計画しないと事業として成立しない。でも しっかり向き合ってケアマネ(ケアプラン)しようと思うと10人が精いっぱい。 ”薄利多売”したくなかったので(他にも理由 ありましたが)事業化 諦めました。

で 個人ボラ 始めました。 今は 脱力してできる 「朝Ma9」に 注力してます!

「良いことやってるね! 多くのひとに知ってもらうと いいね!」と。・増やすこと・前向きなこと・右肩上がりの考えからすれば、チラシ配りに後ろ向きの僕のやり方は、・物足りなく・不甲斐なく・やる気がなく見えて 「じゃあ 何のためにやるの?」と 言われちゃいます。

僕は、諸所にチラシを置いてもらって 多くの人に知ってもらおうとか 相談者を増やしたいとか 思ってないのです。 顔を合わせて・ チラシを手渡して・しっかり向き合って お会いするなかで 話が介護に繋がっていけば 「相談しようかな」と思ってくれる人が居てくれれば 良いと思ってます。 なかなか分かってもらえません。 今は 力こぶ入れて 分かってもらおうとも してませんが。(あまいかなぁ)

僕の住んでるマンションの集会室をお借りして、「マンションDe介護」 始めました。

介護について「無料相談」に応じて、今まで読んだ「介護の本」から情報の提供、出来ることを持ち寄って「ご縁交換」することで住民同士の交流を、ひいては災害時の手助けに繋がることを願ったものです。

この思いは、14年前の「東京都認知症対策推進会議」都民委員公募、テーマ「認知症の人や家族が地域で安心して生活するために必要な支援とは」の応募に際して考えたものです。(結果は不採用でした)

私達団塊世代は、自分の親を含め「認知症」を身近に見聞きしているが、「認知症」を知る程にマイナスのイメージが募り、また「認知症」を自分には関係ないものとして否定的に捉える節がある。ましてや他の世代の人達が、私達以上に「認知症」に疎い事は容易に考えられることであり、このバリアを超えた先に「認知症の人に必要な支援」があると考える。そして「必要な支援」とは、認知症の人が普通に他の人々と接する場が、自然に用意されるものと考える。(中略)

私が住むマンションは、経年とともに居住者の高齢化が進む。一方で子供を持つ若い世代の居住もあり、多世代の人達による「認知症の人を支える環境」が潜在していると考え、日常的な子供を含めた住民の安全と、近い将来発生するであろう地震を含めた災害に備えることから関心を呼び起こし、誰もが共感できるユニバーサルなマンションとする事で、「認知症の人に必要な支援」を得る場としたいと考えている。(中略)

認知症の人が外に出て 他の人々と接するきっかけとして、居住者の無意識化での緩やかな「見守り」、(中略)日常的なお隣さんとのお付合いの中から「お年寄りの存在」を、ひいては「認知症」を認識して頂くことが「認知症の人や家族が地域で安心して生活するために必要」な関係が築いていけるものと考えている。

うつ病家族サポートセンター 川田泰輔 https://www.utu-sapo.jp

以下 抜き書きですが 原文をそのまま 書き写します。 認知症介護に通ずるものを感じました。

「私だって、そんなことはわかってるの・・・・。頭ではわかってる。でも・・・・。みんな、病気を治すことばかり考えて、私のことを考えてくれないじゃない・・・・。それが・・・・つらいのよ」。自分では、24時間365日、いつも妻のことを考えていると思っていました。 私は妻の明るい未来を願うのではなく、ただ回復だけを願っていたのです。一見同じことのようですが、別のことだったのです。 薬と治療=病気を治すもの 介護=患者を思いやること。

ときおり具合がよくなるときはあるものの、妻のうつ病は全体的に悪化の一途をたどりました。最後は閉鎖病棟の入院になって、電気けいれん療法まで試みるという最悪のところまでいきましたが、それは介護する私にとっても地獄の日々でした。出口の見えない病気と闘わなければならないだけでなく、満足に働けないことが、気持ちを重くさせました。何度「いっそ死んでしまおうか・・・」と考えたかわかりません。うつ病の妻と、24時間ひとつ屋根の下で暮らしていると、ストレスに押しつぶされそうになって、本当に苦しくなるときがあります。 うつ病の妻を看ている私のとって、負けないことも、投げ出さないことも、逃げ出さないことも、信じ抜くのも、みんな大切なのは重々わかっています。わかっていてもできないことだって、たくさんあるんです。 うつ病患者の家族として暮らしていると、ひとりになれる時間というものは、ほとんどありません。 閉鎖病棟に入院しても、電気けいれん療法を試しても、妻のうつ病に回復の気配が見えなかったときの絶望感は、いま思い出しても背中が冷たくなります。「もう、これしかない!」という最後の望みが敗れ去ると、人には先が見えなくなります。 妻の病気は最悪で、苦しむ彼女に何もしてあげられない無力感に苛まれて、途方に暮れる一方でした。様々な不満がつのり、爆発寸前という精神状態だったのです。

多くのうつ病患者の家族と同じく、彼女も妹さんのケアに親身になるあまり、自分の心身への配慮が後回しになってしまい、彼女自身も「うつ状態」になりかけてしまう。いわゆる「もらいうつ」です。自分をないがしろにして献身に没入してしまい、精神的にも身体的にもボロボロになっていたのです。「まず、あなたの健康と幸福を、第一に考えて下さいね。自分を犠牲にしてがんばっても、あなたが倒れたら・・・・終わりになってしまうんですから」。 もちろん介護生活は、ガマンの連続です。ひたすら耐えなければならない時期もあるでしょう。しかし「家族がうつ病になった」というだけで、ひとりの人間の人生すべてを投げ打って、減私なる生活を続けてよいのでしょうか。 自分の人生を捨てて、頑張りすぎる介護は、決して患者さんとその家族のためになりません。人生や命を捨ててよいのは、子どものためだけ、と私は信じています。 がんばりすぎる介護は失敗する。 家族には、うつ病を「治す」ことはできません。しかし、うつ病が「治る」ための環境づくりは、家族にしかできません。

この世の中を生きていくには、辛いことがたくさんあります。病気のこと、生活のこと、お金のこと、仕事のこと、人間関係のこと・・・・数え上げたら切りがないほど、心配事に囲まれて、私たちは生きていかなければなりません。ときには、その不幸に負けて「死んでしまいたい」と思うこともあるでしょう。しかし、不幸の中には、必ず幸福につながる意味があるのです。 いま見失ってしまっていることの中に、きっと「生きる希望」があるはずです。

家で死ぬということ 石川結貴

「在宅死は本当に幸せなのか?」。「家で死ぬ」には、終末期医療や看取り、他の医療スタッフとの連携を含めて対応できる訪問診療が必要。 それで 家族の”荷”が軽くなることはない。 看取る覚悟 ありますか?

住み慣れた家で幸せに逝く在宅死。 在宅医療や在宅介護を利用すれば、ひとり暮らしでも自宅で死ねるという「おひとり様の在宅死」を 勧める声がある。 家で死ぬ。 それは自分ひとりでは叶わない。多くの人の優しさを得て、そこに気づける謙虚さと感謝を持って、はじめて成り立つものだ。 でも その結果は 必ずしも安らかに眠るような死 ばかりではないことも・・・。

「ヘルパーがいないときは、娘さんがインセン(陰部洗浄)するんですよ!」「年寄りのお尻はシワも寄ってるし、ウンチがシワの隙間に入ってる。チンチンだってびろーんと垂れ下がっているから、チンチンをつかんで持ち上げて、タマタマの裏側もよく洗って、肛門に残っているウンチを指まで入れて掻き出すことも、そういうこと全部やらなければいけない。父親だからってやらないわけにはいかない」

「家で死にたいという人は家で寝ていればいいんです。でもそれを支えるのは家族なんです。肉体的な大変さもあるけど、精神的にきつい。不安もストレスも全部自分だけで背負わなければならない。ヘルパーや訪看はずっといないわけだし、食事に着替え、排泄の処理、急変時の対応までやる必要があります。そういうことを全部やって、しかも苦しんだり痛がったりする、呼吸がいつ止まるか分からない人のそばにいなければならない。家族の気持ちの方が(在宅で看取るか否かの)肝なんです」「最後は苦しむよ、家族は見ていられない、死を前にした人の壮絶な苦しみ(言葉にならない声。藁をもつかまんばかりにもがき苦しむ)は 到底正視できず、その場から逃げ出したい気持ちになる」。

自宅で亡くなった場合、24時間以内にかかりつけ医の死亡確認、死亡診断書の発行が必要。かかりつけ医の確認が出来ない場合は、「不審死」扱いで警察案件になる。自宅で亡くなっているのが発見された場合、救急隊から警察に連絡が行って、警察が自宅に来る。救急車は死亡している人は搬送しない。

「もし明日、親が倒れても仕事を辞めずに済む方法」川内潤

介護が始まるタイミングは、50代が多い。 勤め人なら 自分のゴールラインがそろそろ見えてくる。体力気力の衰えを自覚する。親が介護状態になると「この先、自分もこうなるのか」ということが見えてくる。

親の介護と仕事を天秤にかけない。 「大事な親だから」「育ててもらった恩返し」「オムツを替えてあげたい」と 天秤にかけたら、どうしたって「親の介護」を取ってしまう。その気持ちは美しい。でも それを 5年10年続けられか? 介護のために仕事を辞めることは、必ずしも良い結果には つながらない。

介護離職する人。 働いていても 介護に関わらなければならない状況になることがある。 仮に介護のために45歳で離職して、10年後、親が亡くなり再就職をと考えても 年齢がネックになり、再就職は厳しい。 更に親の年金収入も無くなるため 困窮状態に陥ることもありえる。

会社への上手な伝え方。 早い段階で会社に相談した方が、迷惑の度合いは小さく、対応の幅も広がる。①話しやすい人に早めに状態を伝える。②人事や総務に会社の制度について問い合わせる。

・自分で介護を始めると、どんなに能力のある方でも、もう現状に対応するだけで、いっぱいいっぱいになります。「介護は子どもがテレワークしながらでもやれるもの」という社会的理解があるが、軒並みうまくいってない。目の前に認知症の親がいて、ウェブ会議、やれないですよ。パフォーマンス出来ないですよ。

介護の心がまえ。 ①「全部自分でやななければ」とう思い込みを捨てる。 ②”下の世話”はプロに任せる。 家族にしかできないこと、親に愛情を注ぐことに集中する。 ③介護に成長は求めない。 どんなにリハビリをしても 80代の親は60代の頃には戻れない。 ④家族だけで最後まで面倒を看るのは難しい。どう送り出したら親はうれしいのか、自分は親の死をどう受け止めるのか。

・介護休暇や休職で、自分で親御さんの介護を始めてしまうと、相互に依存関係が生じて、ヘルパーさんなどを後から入れることに、介護される親も、介護する本人も、抵抗を感じるようになってしまいます。介護は撤退戦、「治る」ことは基本的にない、終わりが見えない。でも本人は「治らない」という事実になかなか向き合えず、「まだ自分の努力が足りないんだ」と考えてしまう。「親のために、会社を辞めて、介護に全力を投じよう」となってしまう。

老人ホームは姥捨て山じゃない。 親子が適切な距離を取り合うことでお互いが気持ちを整理し、最期に向かっていく日々を安らかに過ごすことが出来る場所。

わたしたちの親不孝介護 川内潤

「親孝行の呪いから自由になろう」という副題のもと、『親不孝介護』の考え方を、川内順氏が、8人の介護予備軍、経験者、専門家と、分かりやすく具体的に、不安や疑問が消えるまで語りつくしたもの。

・介護は「なんで、うちの親が認知症に?」とかの、納得できないところから始まり、医者に連れて行っても、リハビリをさせても、現状の進行が止まらない。立派だった親の言動が意味不明になり、突然警察を読んだり、介護で苦労している自分が「泥棒」呼ばわりされることがある。努力→成果、失敗→自己責任の仕事なら当然の考え方でやっていたら、あまりの整合性のなさにへとへとになってしまう。努力と結果が一致しないことが普通なわけだから、気持ちがキツくなる。親の介護は、会社に殉じて身につけてきた「成果主義」「自己責任」といった価値観から、引きはがされる。誰のせいでもないのに、逃げ場のない理不尽なトラブルに突然巻き込まれて逃げだせない、みたいな。「組織で合理的に生きてきた人たちが、介護に向き合うために価値転換をすることになる」。

・「介護」も「在宅医療」も、基本的には、”撤退戦”であり、”軟着陸”を目指さないといけない。できるだけ犠牲を少なくしつつ最期の日まで戦う。どんなに頑張ったってそのときは来るし、そのときが来るまでにいくつもの障害が起きます。「介護」という「人が死に向かっていく」という状況に向かい合うのは怖いけど、急いで行く必要もない、回り道をしてもいい、気持ちにゆとりを持ってやる方がいい。

・「いつかは親も死ぬ」ということを、子どもが認めることで、ようやく「親が本当に望んでいること」も認めてあげることが出来ると思います。治療を優先すると、親の残りの生活の質の低下についながるかもしれません。「何もできなくなっても、親には一分一秒でも長く生きてほしい」と願うのは、子どもなら当然だ、くらいに思っていましたが、「いつかは親も死ぬ」そこを認めていれば「何が何でも治してほしい」という考え方にはいかないかもしれません。そうすれば「医療」が「介護」より優先だ、と思わなくなるかも。「病気だからちゃんと治療しなければダメですよ」「なんで出した薬を飲まないんですか」というアプローチを高齢者に対してしてもダメ。「ちゃんとやったって、そう変わらんよ」って、医者が言わなければいけない。

・「介護」を社会化するはずが、現状は、「親孝行」とうイメージや社会的な圧力から、何となく中途半端に家族が関わっている。家族が中途半端に影響力を行使し、そのため中途半端に負担もかかる。介護離職もたくさんあるし、介護にまつわる虐待とか悲しい事件も起こっている。ちゃんと割り切って「一人の他人」として家族も関われるといい。家族の立ち位置が不明確だから「親孝行の呪い」もなくならない。

「親不孝介護」山中浩之 川内潤

「親と距離を取るからうまくいく」の副題がついた『親不孝介護』、なかなか刺激的なタイトル。 「なるほど!」「ほんまかいな?」と思いながら 気になったことを抜き書きします。

介護は「親」という役を降りた個人の幸せをどう守っていくかであって「この人」を幸せにすることが介護の目的。「親孝行」という思い込みに縛られない、「親不孝介護」のアプローチの方が正しいと考える。

子どもは、元気なときの親を知っている。「行動の背景」を理解できても「でも なんでこんなことになるの?」という感情は抑えられない。 頭で分かったとしても、気持ちが納得できない。そこで家族は苦しむ。 それを避けるには、距離を取って、会う時間を減らして、離れた場所にいるようにする。「そばにいることが親孝行」「常に見守りたい 心配してあげたい」という気もちを 「必要なら公的支援を使う」「ケアマネと打合せする」という方に向ける。

いつでも帰れる安全な基地。 親が老化したり認知症になることで、安全な基地が崩れてしまう。これに直面する子供は 気持ちがかき乱される。親に対して「客観的に」「冷静に」と思っても 非常に難しい。自分の絶対安全ゾーンだ!と思っていた場所(親)が崩れていくのを見て「きちんとしてくれないと ”俺が” 困るんだよ」というような悲鳴をあげている。 ってことは、親じゃなくて ”自分の問題”。

疎遠だったのに、介護になると会いに行く不思議。 それまで疎遠だったのに 介護が必要となると、親元に行く頻度を上げようとする。 親のことが心配で、関わろうとする姿勢は正しい。 ただ「親のそばで暮らして”自分で”介護しよう」としてはいけない。いやでも衰えた姿が、振る舞いが目に入る。 不安、怒りが我慢できなくなる。 自分は「マネジメント」に徹して、おむつ交換などには関わらないことが基本。

最初から外部の支援を仰ぐべき。 「ちょっとでも心配があったらすぐ包括に」。親の介護を、家族が直接、自分たちだけで始めると、親は 家族に”依存”する。 家族も「自分が面倒をみないと」と思う。すると「外部の力に頼ること」自体に心理的な抵抗が生じる。 外部サービスの導入が後手後手になる。体力の限界まで介護を続けていたら、ストレスに苦しみ、穏やかな態度を取れず、親にきつく当たるようになる。家族関係が崩壊しかねない。 「親孝行」が「親孝行の呪い」になってしまう。

どこまでやっても「起きる時は起きる」。 施設に入っていようが、病院に入っていようが、急変を予知することは 無理。 親が、突然亡くなったという連絡があるということを 覚悟しておく。