私が日本共産党に入ったわけ (original) (raw)
小さい頃から、戦争を憎んでいました。
私が生まれたのは、北海道の小さな町で、東京のように激しい空襲に見舞われることはなかったのですが、祖父の兄弟は戦病死していました。
軍服を来た遺影を思い出します。
実家は近くに図書館があり、そこで、反戦漫画シリーズを読んだり、テレビ番組で原爆投下のことを知りました。
まだ小学校に上がる前に、自分の町に原爆が落とされるという恐ろしい夢を見て、うなされて目覚めたのを覚えています。
9歳頃には、夏休みの自由研究の課題に原子爆弾を選び、図書館で調べて、人間が蒸発する、という威力にショックを受けました。
戦争だけはしてはいけないと、子供心に刻みつけられたと思います。
人間が殺し合う、戦争をする、という事実は、私の世界観、人間観に、深い影響を与えました。
過去の、歴史上の一事件というよりは、いつでも、また戦争が起こりうる、自分たちが戦争をするんだという受け取り方をしていました。
悲観的な子供だったかもしれないし、思春期には、人間に絶望するような思いにも囚われました。
やがて私は近代文学をよく読むようになり、マルクスを知ったのは、高専生の頃に読んだ批評家の柄谷行人の著作から、でした。
世界を変える。
そんな大それた夢を、人間は本当に抱いて、実践できるものだと知り、自分の人生観は変わっていきました。
当時は、『賃労働と資本』や、『賃金・価格および利潤』くらいしか読んでいませんでしたが、学習院に入り、社会と自分の関係を考えるようになりました。
こんな世界で、おれは生きられるのか。
おれは、生きていて良いのか。
そんなふうに悩んでいました。
そこに、2001年9月11日の同時多発テロの映像。
リアルタイムで見ていました。
私は、直観的に、このビルは崩落する、と思いました。
私は、悩みながら豊かな都市でのうのうと暮らしている自分自身に、航空機が直撃したように感じました。
おまえは、何をやっているんだ?
そんな問いかけ、叱責のように感じました。
私は、市民団体のデモなどに参加するようになりました。世界の最貧国であるアフガニスタンに、何百発というミサイルを打ち込む、世界一裕福なアメリカ。
その構図は、私の怒りの琴線に触れました。
世界は、こうであってはならない。
社会人になる一歩手前で、私なりの社会参加の仕方は、社会を変えて行く事だと、そんなふうに決意しました。
それから、マルクスの著作をもっと読むようになり、自分の甘えた世界観を正される思いがしました。
子供の頃から抱えていた、社会に対する違和感や絶望感の理由を、論理的に説明してくれるように感じました。
その後、経緯があり、私はヘーゲルという哲学者(マルクスはヘーゲル研究から始めました)の著作にふれ、プロテスタントの教会に通うようになりましたが、洗礼を受けてまもなく、日本共産党の町議さんに誘われて、日本共産党に入党しました。
32歳頃だったと思います。
貧困も、戦争も、差別も、政治の腐敗も、全ては繋がっている。
人々の苦難の原因に、資本主義というシステムがある。
それが分かっている以上、少しずつでも、世の中を変えて行けるはずだ。
そんな思いだったと思います。