父を看取りました (original) (raw)

今月14日に母から父が緊急入院したと知らされ、即座に航空券を手配して16日早朝に家を経ちました。

『どうせなら、楽しく生きよう』をお読みになった方はご存知かと思いますが、父とはいろいろなことがありました。

私にとって実家に戻るのはほぼ10年ぶりです。ちょっとしたことで立腹した父に「戻ってきても会わない」と言われ、数年前に父の病で娘を連れて帰省したときには実際に会ってもらえなかったのです。

今回は入院中でしたから、前触れなく病室を訪問したところ、一瞬驚いていましたがすぐに何もなかったかのように携帯電話を私に手渡し、「ここにメールアドレス入れといて」と頼みます。それに応じると、その日のうちに5通もメールが来ました。やはり、過去のことにはまったく触れず、病院へのクレームとか、「あれをしてくれ」「これをしてくれ」リクエストです。

でも、すでに心に距離を置いていた私は、ごく平穏にすべてのクレームを耳にすることができ、それらに疲れきっている母の防波堤になることができました。

22日の夜ようやく就寝できたのが午前0時で、その後午前2時半に父からの携帯電話で起こされました。朝病院に着くとそれまでけっこう元気だった父の容態が急変したところでした。でも、午後に状態が安定したために自宅に戻ったところで、病院からの呼び出しがあり「今夜は家族が付き添ったほうがいい」ということで全員がかけつけました。

けれども状態が悪いなりに安定して長期戦になりそうだったため、姉がひとりで付き添い、その間ほかの家族は近くのホテルで仮眠を取ることにしました。

私は午前2時くらいからすっかり目が覚めてしまったので4時に姉と交代しました。そのときにはバイタルサインが安定していたので、姉と「長期戦になりそうだね」と語り合っていたのですが、5時ぐらいから呼吸のパターンが変わり、6時半すぎに永眠しました。

早朝の暗い病室で、意識がなくなっている父に「お母さんにはたくさん迷惑をかけたのだから、あちらに渡ったら、これからのお母さんの人生を守る人になってね。それがお父さんの役割よ」と話しました。

息をひきとったのは、その1時間後でした。

父の最期を看取ったのが、家族の誰よりも父によく逆らった私だったというのも、不思議なものです。