静嘉堂「眼福」とお稽古記録 (original) (raw)

9月19日、静嘉堂の特別展「眼福」を見てから

先生宅のお稽古に行った。

茶道具の伝来について勉強したくなった。

ある道具を好んだ人、作った人、売り買い譲渡取り返し、破壊修復などなど。

茶人、大名家やその他近現代の名家、茶道具屋などについて知りたいと素直に思った。

「眼福」の会期は9月10日から11月4日でまだ始まったばかりだけど先生も既に行かれたようで、

(展示品があまりに豪華で)「酒でも飲みながらじゃないと見てられん」とか。

確かにそんな感じで、現実味薄いくらいの品々だった。

静嘉堂文庫【大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋】

[CHAPTER1 茶碗]

〈唐物茶碗〉

・油滴天目

油滴は曜変に次いで高く格付けされた。

・灰被天目

黒釉地に灰釉が掛かったもので、珠光によって見出された。

「埋火」という灰被天目があった。

埋火について先生から以前伺ったこと。

むかしの人は火をおこすのも一苦労なので、炉で火のついた炭を灰に埋めて翌日まで持たせ、それを火種として翌日改めて炭を足して湯を沸かしていた、その火のことを埋火という。

表千家堀内家に伝わる歳末の習慣として、年末の稽古納めの時に「うずみ豆腐」をいただくという。豆腐とそれを覆うようにしてお米が入った椀物で、豆腐を炭に、米を灰に見立てられる。

晦日から元日にかけても灰をかけて炭の火を絶やさずもたせるが、それと同じように、茶道に取り組む気持ちも翌年へと繋ぎたい、そういう旨があるという先生のご説明が私は好き。

(私は裏千家ですが先生はうずみ豆腐をご用意してくださります)

これに関して気になって裏千家の歳末の習慣について調べると、お家元では大晦日に六畳出炉逆勝手の溜精軒で除夜釜をかけるという記述を見つけた。

自分も今年の終わりには、部活の茶室で溜精棚を出してきて逆勝手をしたり、家でうずみ豆腐を作ったりしよう。

〈高麗茶碗〉

井戸茶碗という名前の由来が、見込みの深さにあるという説を初めて知った。

井戸(などの高麗茶碗?)に出る赤い斑点のことを「御本」と呼ぶそう。御本茶碗が出てからのネーミングなのかどうか。

白磁の高麗茶碗に使用痕としての染みが出来ているのは「雨漏」という。

[CHAPTER2 大名物、中興名物]

輝かしい伝来がズラリと書かれた2つの大名物。

・大名物 付藻茄子

・大名物 松本茄子(紹鴎茄子)

付藻は足利義満が愛蔵し、戦国時代には松永久秀が信長に献上して大和一国の地を安堵された。

松本は松本珠報が所持したことからの名前。

付藻、松本は、富士とあわせて三茄子として知られており、いずれも紹鴎が所持した。

その後付藻と松本は秀吉が手に入れるも大坂夏の陣で大破し、藤重親子が見事に修復した。

〈大名物の肩衝茶入〉

次第の豪華なことに驚く。茶入を仕覆に入れてさらにそれを入れる箱があるのだが、それを挽家と呼ぶのが好き。

〈中興名物〉

遠州の所持あるいは審美眼にかなった道具を、松平不昧が中興名物と名付けた。

・瀬戸芋子茶入 雨宿

藤重作の挽家があるのだが、19世紀にこの挽家からとった意匠でつくられた香合が隣に飾られていて可愛かった。

・瀬戸肩衝 玉津島

黄土釉がすごく幅広。

凡手(およそで)と呼ばれる撫肩衝の形状。凡手の本歌を所持していた遠州がおよそ世に類のないものと大切に思い、そのことばにちなんで「凡」と名付けたそう。

「凡手(ぼんしゅ)」だと平凡でつまらない腕前という意味なのに敢えて、なのがいかにも茶道。

(ちょっと話ずれるけど、「肩」のカーブがゆるやかな肩衝を撫肩衝って言うの好き)

膳所瓢箪茶入 白雲

膳所遠州七窯の一つである。

ただし遠州七窯について遠州流の公式サイトを見たところ、

幕末の美術商田内梅軒の『陶器考』で初めて出てくる言葉で、一般に挙げられる七窯のうちには遠州の没後200年程の頃に出来た窯も含まれるという。(古曽部窯、赤膚窯)

https://www.enshuryu.com/小堀遠州/遠州公の愛した茶入れ「凡」/

〈棗〉

・黒塗大棗 千利休

利休の花押を「ケラ判」と言うのを初めて知った。

オケラの姿に似ているかららしい。

「ケラ判」でググってみると急にオケラの画像が出てきて気持ち悪かった。

・黒塗小棗 藤重

藤重は中次の創始者でもあるらしい。

ちなみに覚える用として……

中次:蓋の甲と底が平らで全体が筒型

面中次:蓋の上縁のみ面取りした中次

雪吹:上下両方面取りした中次

[CHAPTER3 大名家の名宝]

・堆朱三聖人香合

三聖人とは老子・釈迦・老子

佐久間将監が茶室・寸松庵に所蔵したという。

「寸松庵」について調べてみたこと。

▶︎茶室・寸松庵

『箒のあと』高橋義勇(を現代に読みやすく書き換えたサイト)参照

https://dasdasdas.blog.jp/archives/53132594.html

「寸松庵開き」の章より

佐久間将監が江戸時代初期に大徳寺龍光院に建立した。三畳台目の茶室の他、二畳敷や中二階式の袴付席がある。(茶室についてはまた別で図とともに書きたい)

明治初期に維持困難となって新宿御苑に移築され、新宿御苑に住んでいた由利公正から箒庵に譲渡された。

実業家・高橋義勇(茶人・高橋箒庵)の著書の「大正名器鑑」、何年か前に根津美で特集した展示を見たような。

ぜひ著書を読んで勉強したい。

▶︎寸松庵色紙(伝紀貫之)

「三色紙」……平安時代を代表する名筆

寸松庵色紙、継色紙(伝小野道風)、升色紙(藤原行成)

寸松庵で検索するとこちらの方がよくヒットした。

下の寸松庵の寸松庵開きの茶会ではこの色紙のコレクションのひとつがかけられたとある。

掛物についてまだあまり興味が持てていないのが現状(だって読めないもん……)

青磁鯱耳花入

「砧青磁」の初源。形が砧に似ていることが名前の理由とはよく聞くが、

加えて、本作に大きく入るヒビを利休が「響き」にかけて「砧」と命名したという話も伝わっている。

・猿曳棚

戸がある棚っていいよなあ。徒然棚スキ。

・仁清数茶入 十八口揃

今、六本木の泉屋博古館でもちょこっと茶道具の展示があってそこでも十九口ほどみられるらしい。かぶっていない形もわりとあるとか。

・三島俵形花入

「三島」とは一説に、細かな象眼模様が三嶋大社の暦の文字構成に似るゆえという。

三嶋暦は仮名文字で印刷された暦としては日本最古らしい。

暦や天文などに関する趣向の茶会で三島のなにかお道具を取り入れるとかやってみたい。

[CHAPTER4 稲葉天目など]

・大名物 稲葉瓢箪

挽家の文様がオリエンタル風味があってよかった。

彌之助、大名物茶入を七つも購入してるってヤバイよな~

大名物って全部でいくつあるんだろう。調べてもパッとは出てこない

・竹平水指 竹水指

竹節の断面が美しいとキャプションにあったが、私はむしろ集合体恐怖症を発動して寝る前も瞼に浮かんで寝つきが悪くなった。

竹の水指なんて水が染みて大変だろうと思ったが、先生に図録を見せてもらうと、内側はしっかりと漆塗りが施されていた。

・国宝 曜変天目「稲葉天目」

去年は尼崎台や箱とあわせての展示で目にした。

藤田美術館と、あと茶の湯展のおかげで、おそらく三つ全部見られているはず。

静嘉堂ミュージアムショップは稲葉天目関連のグッズがやたらと充実しててウケる。

【先生宅稽古】

お軸は正岡子規の絶筆三句。9月19日は正岡子規の命日なのである。

軸装がもみ紙で侘びていてかっこいい。

掛花入が備前のちんまりとしたものでかわいらしかった。

本郷三原堂の「月うさぎ」があまりに可愛くて、食べるときは皆さん、胸をいためていた。

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今月は先生は竹台子を出されていた。私は何気に初めて。

以下、お点前に関する記録

・唐物

茶入をまず清めてから総礼があるし、

茶入を色々と扱う際の所作が今まで知っているのと逆になっている。というより茶道の歴史ではまず先に唐物があって、唐物との格の違いをあらわすために和物茶入の扱い方を逆にしたらしい。

その他唐物茶入を特別扱いする所作……

回し出しをしない

抹茶で汚れた茶筅を茶入の横に置くことはない

拝見に出す時に茶杓の位置が茶入から遠ざかって古帛紗と重なる

などなど。

【貴人点】

「台無し」という言葉は、元は貴人点前の天目台が無いことを表すらしい。

筑附におわします某やんごとなき男の子がもしうちの茶道部にお見えになった際には、

やはり貴人点で一服差し上げるのだろうか(?

茶杓の拝見の際、亭主は茶杓の下に袱紗をしいてお出しするのに、貴人は袱紗から茶杓を下ろして緣内に取り込むのが面白い。

また、貴人清次だと拝見にお出しする時に袱紗しかないらしいのも面白い。

貴人がお茶を飲む時、もちろん天目台からとって茶碗だけで飲むことになっているけど、実際のところ貴人だから飲み方なんてご自由にというところだし、実際に台ごと掴みあげて飲んでる男性の写真なんかもどこかの雑誌に載っていたそうで、それがまた格好いいらしい。豪胆な御貴人様である。

【重ね茶碗】

道具を持ち帰る際に、茶碗を重ねるというのが違和感が凄くて、茶碗を重ねることをしばらく思いつかなかった。汚れた茶碗の上に茶碗を重ねるのである。貴重なお茶碗でこの点前をすることはないだろうね、と話した。

【大津袋】

大津袋を実際に茶会ですることってあるのか、もしするならどんな理由だろうかという話をした。

ひとつは単に、披露したい棗がある時。

もうひとつ、披露したい茶入があるがあまりに貴重で点前に使うのがはばかられるので床に飾っておき、替わりに棗に濃茶を入れて使うという時。

加えて、大津袋と帛紗包みはどういう使い分けかという話もした。帛紗包みの方がより侘びた点前ではないかということだった。大津袋はわざわざ仕立てているが、帛紗包みは持ち合わせの帛紗を使っているからである。

大津袋はそもそも京都から大津に米を送る袋が元になっている。そして、小田原攻めの際に中棗を送ってもらうのを利休が妻に頼み、その時に使われた袋から大津袋が考案されたらしい。

今回は静嘉堂の展示が豪華で写真記録もできたので書くことが多かった。

ただ今は東京でほかにはあまり茶道系の展示がないのが残念。

とりあえず来月の東京美術倶楽部には絶対に足を運ぶつもりだ。(8500万円の中興名物が出品されるとか!)

やりたいことリスト……

・高橋義勇について勉強する(著書を読む?)

・寸松庵図面を見る

農林水産省のサイトに載ってる、先生の懐石レシピをやってみる