たぬきのためふんば (original) (raw)

Mrs. GREEN APPLE // The White Lounge in CINEMA』を観た。3回観た。

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この映画は、Mrs.GREEN APPLEが昨年12月から行った舞台劇というかライブというかに一部撮り直しを加えて映画化したものだ。

Mrs.GREEN APPLEは今、日本のトップをひた走るバンドと言って間違いないだろう。直近のニュースでは、Billboard JAPANストリーミング・ソング集計にて『ライラック』が15週連続で首位を獲得したうえに、6曲がトップ10入りを果たしていることが報じられている。

【先ヨミ・デジタル】Mrs. GREEN APPLE「ライラック」ストリーミング首位走行中 このまま16連覇なるか(Billboard JAPAN) - Yahoo!ニュース

これだけの人気だからライブの方も異次元で、ちょうど今、Kアリーナで10日間に及ぶライブを開催している。

Kアリーナは2万人の規模でチケット代は12,800円から。したがって、Mrs.GREEN APPLE10日で少なくとも25億6000万円稼げるグループだというわけである。(やろうと思えば日産スタジアム3日間で同じだけ稼げるだろう。)

が!

「The White Lounge」は全国で22公演が行われ、会場の一つである東京国際フォーラムホールAのキャパは5,000人、チケット代8,900円。単純計算で計9億7900万円。おそらく公演数が多い上に全国を転々としているからコスト効率も悪いに違いない。

しかも、上に書いたように、これは劇の要素があって、彼らが通常行っているライブとはかなり様相を異にするものである。ということは、パフォーマンスの面でも、さらにいえば観客の受け止め方の面でも、多分にリスクを孕むものであったことは容易に想像できる。

つまり、経済合理性の観点から見れば、Mrs.GREEN APPLEが「The White Lounge」公演を行う理由は皆無だったわけだ。にもかかわらず彼らは挑戦した。国内トップクラスの人気にあぐらをかくことなく、だ。

何よりも私を感動させたのは、このMrs.GREEN APPLEの精神である。

さて、映画の話をしよう。ここからはあくまで映画として語る。

Mrs.GREEN APPLEのボーカル大森元貴はおそらく日本で一番歌唱力のあるアーティストの一人だろう。断言していいと思うが、ハリウッドのどの俳優よりも歌が上手い。それも圧倒的に。そんな彼が主演を務めるのだ。歌わせまくるしかない。

というわけで、上映時間89分のうち68分*1が歌に当てられている。さらに映画のために書き下ろされた楽曲は1曲のみで、ほかは既存の楽曲。観客もそれを望んでいるだろう。

この条件で具体的で分厚いストーリーを展開するのは難しい。ゆえに、謎の白い部屋という抽象的な舞台設定がまず提示され、その中でいくつかの短編が繰り広げられるという構成になっている。

言い換えれば、ストーリー単体で勝負することはできない。この映画の成否を決定するのは、やはり楽曲なのだ。

では、楽曲の魅力を最大限に引き出すためにできることはなんだろうか?

この映画では次のことが行われている。

まず、楽曲自体に工夫をすることが考えられる。Mrs.GREEN APPLEはロックバンドだから、ライブではやはりギター、ドラム、ベース、キーボードが音の主役なのだと思うが、『ホワイトラウンジ』では管楽器や弦楽器が主体のアレンジがなされているように感じる。

次に、ダンスパフォーマンス。音楽を身体で表現するのが良いよねとかそういう話ではない(もちろんそういう要素もあるのだが、ここではあえて触れない)。大事なのは、歌うために万全な状態からあえて離れることだ。

上に書いたように、この映画における肝は大森元貴の歌だ。であれば、普通に考えれば、大森元貴が歌うためにベストな状況を維持するべきではないだろうか?

踊りながら歌を歌うことは極めて困難だ。(試しにやってみるとよく分かる。)大森元貴が踊ることは、この映画の最大の魅力を損なうことに繋がりかねない。

だが、それは歌のクオリティが下がったときの話だ。踊っているにもかかわらず通常時と同様に歌えれば、むしろ歌唱力の高さが一層浮き彫りになる。

果たして、大森元貴は踊りながらどれだけ歌えるのか? ぜひ映画館の音響で確かめてほしい。

最後に、楽曲に文脈を与えること。通常、CDでもライブでも、歌はただ歌われるだけで、その歌の主人公がどういう状況にあるのかということは観客に対して明らかにされない。聴衆は各々想像したり想像しなかったり、自分の経験に照らし合わせたり合わせなかったりして自由に楽しむのが主流だ。逆に言えば、音楽の楽しみ方には、個々の聴衆(の能力または志向)というリミッターが存在する。

ということは、楽曲が歌われる背景を設定すれば、聴衆という制限が外れて楽曲の新しい一面を提示することができるというわけだ。もちろんミュージカル映画では当たり前にというか必然的に行われていることなのだが、『ホワイトラウンジ』は音楽ライブとミュージカルの狭間がどのようなものかを提示している。

そういうわけで非常に良いミュージカル映画だった。上に書いていることは結局ミュージカル映画がやっていることなのだが、Mrs.GREEN APPLEが演じるとちょっと意味合いが変わってくる。日本にフレッド・アステアはいないが、大森元貴はいる。そんな感じ。

何はともあれ、ぜひMrs.GREEN APPLEのチャレンジャースピリットを摂取してほしい。日本の頂点にいるバンドがこんなに面白いことをしているという事実は、この国にとってとても幸せなことだと思う。

*1:サントラの収録時間より

『ストーリーとしての競争戦略』という本を読んだ。

ストーリーとしての競争戦略 Hitotsubashi Business Review Books

まず前提として、企業が生き残るために何をしてきたかについて書かれた本は往々にして面白い。人の心を引き付けるのは、死・性・金だ。企業に関する物語は、死と金についてこの上ないリアリティをもって詳細に描いている。面白くて当たり前だ。

スティーブ・ジョブズ』みたいな伝記が長編小説だとすれば、『ストーリーとしての競争戦略』みたいな戦略論は短編集に当たる。それぞれに違った面白さがある。

『ストーリーとしての競争戦略』は、マイケル・ポーターの議論を踏まえつつ、さらにその先を行こうという試みだ。要旨としては次のようなものが挙げられる。

まあこれだけ読んでもよく分からないだろうから、ぜひ本を買って読んでほしい。「企業の競争戦略」なんていうと難しそうな感じがするが、この本は全編が丁寧語で書かれており口当たりが柔らかい。非常に読みやすい本だ。

ちなみに、登場する会社は、マブチモーターサウスウエスト航空スターバックスガリバーあたり。サウスウエスト航空はこの分野では頻出だが、にもかかわらず個人的には新しい発見があった。それからスターバックスに関する部分は、「喫茶店で勉強することは許されるか問題」に興味がある方は必読。

で、こういう本を読むと自分でも企業の戦略について考えたくなる。というわけで、乃木坂46の競争戦略について考えてみたい。

握手券商法×選抜制が柱か?

まず、乃木坂46の目指すゴールはなんだろうか?

利益 = WTP*1 - コスト

であるから、「WTPの向上」か「コストの削減」かの二択となる。

乃木坂46が多人数グループであることを考えると、コストの削減ではなさそうに思える。チケット代やCD代が安いわけでもない。

となると、WTPの向上こそが乃木坂46が目指すゴールであるはずだ。では、いかにして乃木坂46WTPを向上させようとしているのか?

まず思い浮かぶのが、ミート&グリート(握手券)商法だ。一人のファンが何枚もCDを買うという通常ではありえないことがこれにより発生する。

さらに、ミート&グリートの売れ行きは選抜に強い影響を及ぼす。これにより、ファンはアイドルに会うためではなく、応援するためにCDを買うこととなり、購買意欲を一層刺激する。乃木坂46は、ファンに応援する対象を売っているのだ。

つまり、握手券商法×選抜制こそが乃木坂46の戦略の要となる。

……という説明は微妙だ。

たったそれだけのことなら他のグループでも簡単に模倣できてしまう。競争によって顧客がCDを何枚も買うことになるという論理も弱い。必然性が薄い。ほかの様々な打ち手との繋がりを説明できない。面白みもない。

女性アイドルグループを運営するということ

ここで一旦、女性アイドルをプロデュースするとはどういうことかを考えよう。

女性アイドルの最大の特徴は、寿命が短いことだ。通常のアーティストは、賞味期限が訪れない限り、生物として死ぬまで芸能活動を続けることが少なくない。これは男性アイドルも同様の傾向にある。郷ひろみは今日も元気だ。それに対して、女性アイドルの活動期間はだいたい10年ぐらいなものだろう(統計的な根拠はなく個人的な感覚的なものだが)。

となると、個々のアイドルに対して付くファンの寿命も、およそ10年程度ということになる。

ここで一女性アイドルあたりの売上を伸ばすために取れる戦略は二つに絞られる。その10年の間に搾り取れるだけ搾り取るか、アイドルの寿命を伸ばすか、だ。いずれの戦略にも限界があることは容易に想像できる。アイドルという娯楽に可処分所得のすべてを費やさせることの難しさ、アイドルをアーティストの域に踏み込ませる難しさがそれぞれにある。

だが、アイドルを個として捉えるのではなく、グループとして捉えるのであればどうか?

ファンがアイドル個人に付くのではなく、グループに対して付くのであればどうか?

ファンの寿命を伸ばすことは(アイドル個人の寿命を伸ばすのに比べれば)容易になる。

そう、乃木坂46の戦略の要諦はここにある。個の力で売るのではなく、グループを売る。乃木坂46というシステムを売る。「白石麻衣がいるから乃木坂46を推す」ではなく、「乃木坂46にいる白石麻衣を推す」。これが乃木坂46の目指すところだ。

乃木坂46の戦略の中心は卒業

ここから導き出される結論は、**乃木坂46の戦略の中心には「卒業」がある**、ということだ。

ファンがアイドル個人に付くのではなく、グループに付くということは、一人のスターに依存しない、させないということだ。選ばれたメンバーの中からスターが誕生しても、そのスターをいつでも辞めさせることができなければならない。そして、程よいタイミングで実際に辞めてもらわなければならない。そうでなければ新陳代謝は起こらないからだ。

さらに、ただ辞めさせればいいわけでもない。可能な限り円満に辞めてもらうこと、これも非常に重要だ。それによって「乃木坂46って良いグループだなあ」と思わせることができる。

乃木坂46のあらゆる打ち手は、この二つの観点から説明ができる。以下では、乃木坂の様々な打ち手が「一人のスターに依存しない・させない」「可能な限り円満に辞めてもらう」に繋がっていくことを説明していく。

多人数

乃木坂46の特徴の一つに、人数が多いということがある。これには個の力の劣位を数で補うという側面もあるが、乃木坂46にとってそれ以上に重要なのが、パワーの分散だ。

グループの人数が少なければ当然、一人ひとりの重要性が増す。それは、それぞれのメンバーへの依存度が高いことを意味する。こうなると、いつでも卒業させることができる状態を作るのは極めて難しくなる。

逆に言えば、人数が多ければ必然的に各メンバーへの依存度は減少する。西野七瀬齋藤飛鳥の存在がどれだけ大きくても、所詮は35人前後いるメンバーの一人に過ぎない。

研修生制度なしの選抜制

乃木坂46は選抜制を採用していて、しかも研修生制度を取っていない。

これはメンバーとしての活動開始の早さを意味する。スター性があれば即座に抜擢し、それが足らなくてもアンダーメンバー(又は◯期生)として露出させる。スピーディーに新しいスターを生むためのシステムであり、活発な新陳代謝の中でなるべく長い活動期間を確保するためのシステムでもある。

早めに活動させるということは、トレーニングに時間をかけないということでもある。かといって、最初からダンスや歌に長けた人材を採用するわけでもない。実力不足かもしれない人材を早くから登用することになるが、これは個の力を重視しないからこそ可能な打ち手となる。

メンバーがパフォーマンスのエリートでないことも乃木坂にとっては重要だ。一人のスターに依存しないためには、新人はすべてスター候補でなければならない。そのような人材を獲得するためには、オーディションの応募総数を増やす必要がある。歌やダンスのトレーニングを受けたことのない人材からの応募を募るには、メンバーのスキルが高すぎない方が良い。

乃木坂46の6期生オーディションのスローガンは「世界は、ほんの一歩で変わる。」だ。乃木坂46が採用しようとしているのは、昨日まで普通の女の子だったような少女であって、ボーカルやダンスの激しいトレーニングを積んできた女の子ではないのだ。

(ほかにもパフォーマンスを重視しないからこそK-POPと競合しづらいのではとか、活動が見えて稼げるのが早いほうが親御さんも安心なのではとか、色々メリットがあるように思ったりもする。)

新人のセンター抜擢

乃木坂46では、加入直後の新人からセンターを選ぶのが定番となっている。2期生では堀未央奈、3期生では与田祐希大園桃子、4期生では遠藤さくら、5期生では中西アルノといった具合だ。これもまた新たなスター候補を早く生み出すための取組の一環だ。

加えて、実力の伴わない新人を先輩に支えさせることによって、先輩と後輩の間に絆を生むことも意図されているのではないだろうか。選抜制の下ではメンバー間に対立関係が生じるはずだが、今の乃木坂46では対立が表面化することはなく、パートナーシップの方が強調されている。

人間には多面性があり、それは様々な人間関係の中で引き出されることになる。ソロでは引き出しきれないアイドルの魅力を引き出す効果が、グループにはある。だからこそ、ファンはアイドル個人ではなく、グループに付く。円満な卒業も良好な人間関係なくしてはありえない。

ただし、新人の登用には、メンバー間の関係が険悪になるリスクもある。乃木坂においても、堀がセンターに選ばれた時、1期生は必ずしも歓迎ムードではなかった。それを乗り越えられたから今の乃木坂がある。逆に言えば、ほかのグループが真似をしても上手くいかない可能性があるわけだ。新人抜擢がすでに文化として根付いていることは乃木坂にとって大いなる武器かもしれない。

期別楽曲&期別冠番組

研修生制度は導入していないが、かといって新人の多くはすぐ選抜制に組み込まれるわけでもない。

新人たちには期別楽曲が与えられ、同期グループでパフォーマンスをする期間がある。5期生に至っては『新・乃木坂スター誕生!』という冠番組まで用意された。もともと4期生が出演していた『乃木坂スター誕生!』を5期生が引き継いだ形だ。

これもまた新しいスターを早期に生み出すためのシステムの一つだ。選抜メンバーを中心に出演する『乃木坂工事中』ではなかなか一人ひとり、特に新人にスポットライトが当たることが少ない。新人だけが出演する番組を作ることで、新人への注目を増やす。番組の内容を歌に取り組むものにさせることでパフォーマンス力の向上も同時に図る。また、期別に活動させることで同期の絆を育むことも意図されているだろう。

同じ扱いを3期生、4期生に対してもしてしまうと、在職年数の長いメンバーへの依存度が高まってしまうから、彼女たちには期別楽曲も番組も与えられない。

アンダーライブ

乃木坂は選抜制を導入しているが、選抜されなかったメンバーを冷遇するだけでは円満な卒業などありえないだろう。

そこでアンダーメンバーにはアンダーライブが用意されている。アンダーメンバーはそこでファンにアピールすることができるし、新人の修行の場にもなるし、儲けることもできる。一石三鳥だ。

ミート&グリート免除

乃木坂46に関する噂として、ミート&グリートを400部完売させたメンバーはミート&グリートへの参加を免除されるという話がある。

これはファンとの接点を人気メンバーから新しいメンバーに移行させることを企図した制度だと理解することができる。ファンの人気メンバーへの依存度を下げる取組だ。

これは人気メンバーの側にとってもメリットのある話で、ほかの活動に割ける時間が増えるため卒業後の進路の幅を広げることができる。

なお、ミート&グリート自体にシングルごとのWTPを最大化させる効果があるのはすでに述べたとおり。

卒業センター・卒業コンサート

円満な卒業の象徴が、特に功績の大きい卒業予定者をシングルのセンターに選んだり卒業コンサートを開いたりすることだ。

もちろん円満な卒業とは、それ自体に意味があるわけではない。円満な卒業をすることによってファンが乃木坂から離れずに済んで初めて意味を保つ。

だから、卒業コンサートは功労者への御褒美として行われる催しではない。これは譲位の儀式なのだ。山下美月のファンを乃木坂へ引き継ぐための儀式。

それでも離れるファンがいる可能性はもちろんあるが、そういうファンから支払いを引き出す最後のチャンスでもある。

バースデーライブ

乃木坂46のライブには大きく、アンダーライブ、全国ツアー、バースデーライブの三つがある。

このうち特にバースデーライブでは、乃木坂46の歴史を重んじた演出がなされる。メンバーが卒業しても、今のメンバーが卒業したメンバーの後継者であることをファンに示す儀式なのだ。

冠番組(乃木坂工事中)

メンバーが変わってもグループとしてのアイデンティティを保ち続けるために最も重要な施策が冠番組だ。

『乃木坂工事中』という番組が続き、そこにバナナマンという司会者が居続けることによって、乃木坂46は初期メンバーが全員いなくなっても乃木坂46であり続けられる。極端な話、『乃木坂工事中』に出演することでメンバーは乃木坂46の一員になれる。もしデビューしてから一度も『乃木坂工事中』に出演しなかったら、そのメンバーは乃木坂46として認知されうるだろうか?

乃木坂46アイデンティティは『乃木坂工事中』にあると言っても過言ではない。だからこそ、乃木坂46は個人に依存せず、スターを円満に辞めさせることができる。

だとすれば、『乃木坂工事中』は継続することがかなり重要だ。もし『乃木坂工事中』を日本テレビのゴールデンタイムで放送しようとすると状況はかなり不安定になる。テレビ東京系列の深夜帯で放送されていることにも意味があるのだ。

乃木坂46の現在地

このように「一人のスターに依存しない・させない」「可能な限り円満に辞めてもらう」を軸にして考えると、乃木坂46の打つ様々な施策の意図が見えてくる。瞬間最大風速を最大化させることではなく、常に風が吹いている状態を維持することが乃木坂46の目指すところなのだ。

今のところはこの戦略が上手くいっているように見える。13周年を迎えた今もなおアイドル業界のトップクラスをひた走っている。

業績

乃木坂46合同会社の簡単な財務状況は株式会社KeyHolderの有価証券報告書に記載されている。

有価証券報告書|財務情報・IRライブラリー|IR情報|株式会社KeyHolder

抜粋すると、2023年12月期決算は以下のとおり。

流動資産 110億円

流動資産 8億円

流動負債 14億円

非流動負債 なし

資本 104億円

売上 146億円

包括利益 27億円

はわわ……。しゅ、しゅごい。

ちなみに、エイベックスの音楽事業の売上は1132億円、利益は19億円*2アミューズの売上は365億円で利益は13億円*3

乃木坂46合同会社の利益率は異常だ。(音楽業界の構造が複雑すぎて理解しきれていないので、もしかしたらエイベックスとアミューズは比較対象として不適かもしれないけど……。)上場企業じゃないからかもしれないが、自己資本比率乃木坂46合同会社はかなり高い。ROEも20%を超えている。超優良企業だ。

エイベックスやアミューズのIRを精査できていないので雰囲気で書くが(そもそもここまでの話はすべて妄想です)、両社は売れないアーティストを多数抱えているであろうのに対し、乃木坂は超売れっ子単品で勝負できているというのが大きいのではないか。これは乃木坂がたまたま売れてラッキーという話ではない。乃木坂46というビジネスモデルは、言うなれば売れないアーティストも乃木坂46というシステムの中の一要素として取り込むものなのだから、乃木坂46の作戦勝ちなのだ。

ちなみに、JYPエンターテインメントの2023年度決算は売上5665億ウォンで純利益1050億ウォン。1ウォン=0.11円とすると、売上623億円、純利益116億円。ほえぇ……もっとしゅごい。

乃木坂46と三英傑

瞬間最大風速を最大化させる方法としては、テレビの活用が考えられる。ここでいうテレビとは、『乃木坂工事中』のような低視聴率で細々と続けていくものではなく、高視聴率を志向しているものだ。この手法は手っ取り早く爆発的な人気を得られるが、番組との縁が切れるとグループの衰退が始まる。

テレビに依存せずに圧倒的な人気を獲得したのがAKB48だ。乃木坂もAKBの戦略を多分に踏襲しているし、なんなら「AKB48公式ライバル」という肩書きで人気に便乗までさせてもらった恩義もある偉大な先人である。

が、センターの一覧を見る限りAKBは世代交代への意識が乏しいように見える。前田敦子のセンター率がかなり高いし、今に至るまで新人のセンター起用はないっぽい。AKBは乃木坂と組織体制がかなり違うので、それ自体に良い悪いとは言えないし、私のAKBの知識が乏しいので詳しいことも分からないが。

そもそもAKBの衰退(ここでは仮に衰退しているとする。)は世代交代によるものなのか?という疑問が生じる方もいるだろうからそこらへんかなり雑に一応検討してみたい。たしかにCD売上ではコロナ前までAKBが乃木坂を上回っている。この時点ではAKBも神7が全員卒業しているわけで、その状況で乃木坂より強いならAKBも世代交代には成功していたんじゃないか?と思わずにはいられない。だが、2017年のライブ会場のキャパシティを見てみると、少し違った景色が見えてくる。乃木坂がさいたまスーパーアリーナ(以下「SSA」という。)3日+明治神宮2日+東京ドーム2日をやっているのに対し、AKBはSSAで1日まゆゆの卒コンをやったぐらいしかでかい会場*4でのライブがない。実はこの時点で乃木坂は下剋上を果たしていたのではないだろうか。

そこで遡って見てみると、以下のとおり。

2012:SSA3日+東京ドーム3日 ※前田敦子卒業

2013:日産スタジアム1日+ドームツアー ※篠田麻里子&板野友美卒業

2014:味の素スタジアム1日+東京ドーム3日 ※大島優子卒業

2015:SSA4日

2016:ハマスタ2日+SSA1日 ※高橋みなみ卒業

2017:SSA1日 ※小嶋陽菜渡辺麻友卒業

2018:SSA1日

やはり人気メンバーの卒業に伴って縮小していっているように見える。

これを考えると、全盛期を築き上げた1期生が全員抜けた後もSSA4日+東京ドーム2日+京セラドーム2日+ナゴド2日+明治神宮3日をやっている乃木坂46は、日本の多人数アイドルグループとして前人未到の領域に入ろうとしていると言っても大きく間違ってはいないのではなかろうか。

これらの流れは三英傑になぞらえることができるかもしれない。モーニング娘。は全国統一に大きく前進したがキープレーヤーに裏切られて倒れた織田信長。AKBは全国統一を成し遂げたが目の黒いうちに王位継承できなかった豊臣秀吉。乃木坂は秀吉の築いたものを奪い取ったらすぐ息子に譲位して江戸幕府というシステムを構築した徳川家康だ(モー娘。もAKBもまだ元気に活動中だけど)。乃木坂46江戸幕府なのだ。

乃木坂46の牙城は崩れるか

それだけ乃木坂46が売れているなら模倣を試みようとするグループがあってもおかしくない。が、乃木坂46姉妹グループである櫻坂46と日向坂46を除けば、私の認識している範囲内だと僕が見たかった青空ぐらいしかそのようなグループは存在しない。(そもそも私が坂道グループにしか関心がないのでこれらのグループ以外の情報が入ってきていないだけの可能性は十分にある。)

ちなみに、櫻坂46と日向坂46でさえ、当初から乃木坂46を模倣しようとしていたわけではない。櫻坂46の前身である欅坂46平手友梨奈のグループだったし、日向坂46の前身であるけやき坂46は長濱ねるのために作られたグループだった。個に対する依存への反省や反感を抱く経緯があったうえで、ようやく乃木坂46と同じ道を歩むことになったのだ。

なぜ乃木坂46を真似することができないのか? あるいは真似しようとしないのか?

素人目線では、まず多人数アイドルグループを作ること自体にかなり高い壁があるように思える。人を雇用するのにはコストがかかるわけだから、金になりそうな人材だけを集めたい。そのような人材はそう多くないし、仮にそれをある程度集められたとしたらせっかくの人材は最大限活用したいから、グループの人数はそれぞれが目立てる10人前後にしたい。これが合理的な判断だ。それ以上の人数を確保しようとするのはリソースの無駄遣い。不合理だ。したがって、合理的な経営者は乃木坂46っぽいグループを作ろうとすることすらできない。

「最大で10人前後のグループを作る。売りはパフォーマンス力の高さ。どれが当たるか分からないからそんなグループをいくつか作る。補充要員は研修生としてどこのグループにも属させず抱える。」これが合理的な戦略に見えるし、JYPなどはそれで乃木坂以上の規模と乃木坂並みの経営効率を達成しているわけだから実際に合理的なのだ。

そんなんだから乃木坂46と競合しようと思う組織がほぼ存在しない。思った組織があったとしてやはり独自色を出したくなるもので、一人のスターを前面に押し出すみたいな乃木坂の戦略の真逆を行ってしまいがちだったり選抜制を忌避しがちなのは欅坂46を見れば分かる。だが、それでは乃木坂46の戦略を模倣したことにはならない。上に書いた一連の打ち手全てを合わせて乃木坂46の戦略だからだ。

というわけで、乃木坂46を模倣して乃木坂46を崩せるのかを考えるための材料が非常に少ない。この事実自体が乃木坂46の盤石さを物語っている。

その点、僕が見たかった青空が今後どうなっていくのかは非常に興味深いところだ。個人的には宮腰友里亜ちゃんと安納蒼衣ちゃんは可愛いと思うが、やはり良い人材は乃木坂に吸い取られてしまっているように私には見える。13年の歴史が乃木坂をさらに強くしている。

今週のお題「お米買えた?」

今朝の毎日新聞の記事が面白かった。

mainichi.jp

内容を簡単にまとめると、

という話。

上の記事は有料会員しか読めないが、下のページは同じインタビュイーが書いたもので、似たようなことが書いてある。

cigs.canon

私は素人なので真偽は分からないが、本当だとしたら非常に面白い話だ。

一つの問題がある。それに対する通説的な解答がある。しかし、その解答では辻褄が合わない。真の答えは別のところにある。そして、その真の答えに基づいて問題を解消する方向に働きかけていけば、今の問題が解消されるだけじゃなくて、色々と良いことがありますよ……というストーリー。ミステリー小説に近いものがある。

民主党が政権を取った頃、埋蔵金がどうたらこうたら言われていたが、あれも同じような話だったのではないだろうか。よく知らんけど。

通説となる解答は底が浅い。着眼点も平凡だし、問題と解答が直結している。たとえば、「不祥事が相次ぐのは自民党の風土に原因がある」みたいな。成否は分からないが、誰でも思いつくことだし、なんの深みもない。これは面白くない。

とはいえ、上記のような形式の面白い話は難しい。まず真の答えに辿り着くには一定程度の知識やらなんやらと名探偵のような閃きが必要な気がする。仮に真の答えに辿り着いたとしても、一連のストーリーを民衆に分かりやすく伝えることはさらに困難だ。

この困難に対して活路を見出したのが石丸伸二である。ミステリー小説のクライマックスを書くのが難しいのならば、ミステリー小説の書き出しだけ提示すればよい。名探偵になれなくても、事件の第一発見者には誰もがなれる。既存の問題にアプローチするのではなく、問題のないところに問題を起こす。その上で、彼は「日本の未来はみなさんにかかってます」と訴える。つまり、「名探偵は君だ」と言っているのだ。今流行りのイマーシブなんちゃらというやつである。彼が凄いのは、この手法を彼の強みだと言えてしまうところにある。

今、国内政治的に一番ホットな話題といえば、自民党総裁選だ。岸田総理の次に総理大臣になるのは誰か。小泉は若いし、石破は人望がないし、河野はXでブロックするし、ほかの人だと刷新感が薄いし……みたいな侃々諤々が巻き起こっている。

それに対して、立憲民主党代表選は全く盛り上がっていない。枝野が出る、野田が出る……といった話題はあるが、新聞での扱いは非常に小さい。なぜか? 物語には権力の移動が伴うものだからである。権力なきところに物語は生まれない。野党の代表が誰だろうがはっきり言ってどうでもいいのである。立憲民主党の代表選に誰が出ようが、立憲民主党の党首になんの権力もないのだから盛り上がりようがない。一言で言えば、面白くない。今まさに権力を握っている自民党とは前提が全く違うということを立憲民主党員は理解しなければならない。

立憲民主党の代表選を盛り上げるには、立憲民主党の党首が権力を行使する以外に道はない。つまり、泉健太が野田と枝野に対して強権を発揮して出馬を妨害する。こうすることで立憲民主党の党首の権力性が顕在化し、ドラマが生まれる。考えてみてほしい。選挙以外の場面において、ツイッター上で共産党が話題になるのはどういうときか? 共産党共産党批判をした党員を除名したときではなかったか? そういうことである。

物語には権力の移動が伴う。顕在化した権力は移動させねばならない。泉健太が強権を発揮して、それでもなお野田に代表が替わる。野田が泉に言う。

ノーサイドにしましょう」

ここにドラマが生まれる。

小沢一郎が「泉じゃダメだぁ」って言ったから替わるのでは全く面白くない。この物語の主役はお前なんだ、泉健太

私は今年の春まで、米は近所のドラッグストアで買っていた。なんせ5キロの無洗米が1,500円程度で買えたのだ。これは私の生息する商圏では圧倒的激安である。それが今年の春ぐらいから、品不足だかなんだかで米を売らなくなった。仕方ないから、今は普段利用しているスーパーで2,500円ぐらいの無洗米を買っている。もしそれすら買えなくなったら涙の素パスタ派になるしかない。でも心の中ではいつまでも米のことを思っている……。生まれた時から米を食べて生きてきたんだから……。これもまた一種のドラマ……。

シェーン! カムバーック!

『ひまてん!』という漫画を御存知だろうか。

現在、週刊少年ジャンプで連載中のラブコメ漫画だ。現在は5話目。

主人公は家守殿一(いえもりてんいち。「ひまてん!」の「てん」担当だ。)。16歳の高校2年生。家政夫のアルバイトを週一で2件やっていて、一年間で67万8千円貯めている。(ということは678,000円÷104/件≒6,520円/件となる。かなり割の良いバイトだ。)彼は下に双子の弟妹がいて、学費を稼ぐためにこのような貯蓄に勤しんでいる……が、別に片親とかではない。親は共働きで、父は単身赴任中。家事は殿一が一手に担っている。

彼のクラスに転校生がやってくる。名は美野妃眞理(よしのひまり。「ひまてん!」の「ひま」担当)。彼女は有名な女子高生社長兼モデル。

案の定、美野は家守の隣の席に座るし、案の定、家守は美野の家でアルバイトを始める。美野は外ではイケてる女子を演じているが、実は家事が全くできないズボラ人間というあれである。

絵がきれいだし、内容もそんなに悪くはないので今のところ連載順位も上位を維持している。

が、私はこの漫画は早めに終わると考えている。設定がことごとく中途半端だからだ。

ブコメ漫画で大事なことは「くっつきそうでくっつかない」ではないだろうか。主人公とヒロインが関係を縮めていくが、恋人にまではならない。というか、なれない。これがラブコメの基本構造だ。

恋愛映画は「最悪の関係からカップル成立」か「一気に燃え上がって破滅するカップル」のどちらかが描かれることが多い。漫画でもそこは同じで、ラブコメは前者に当たる。ただし、2時間が基本の映画はジェットコースターのようなスピードで物語が展開するのに対し、漫画の場合は長期連載を前提としてじっくりと関係性の変化が描かれるのが通常に違いない。

問題は、なぜ「くっつきそう」なのに「くっつかない」のかだ。その理由となるのが「最悪の関係性」だ。要するに、本来はカップルになって当然な二人なのに、容易にはカップルになれない関係性にある。だから読者は持続的にキュンキュンしていられる=物語は面白くなるという仕組みである。

たとえば、『いちご100%』で考えてみよう。主人公の真中は学校の屋上で出会ったいちごパンツの女の子で映画を撮りたくて、学年のアイドル西野つかさに告白し恋人になる。ところが、いちごパンツの女の子は東城綾という別の女子で、クリエイターという共通項もあり真中と東城は共鳴し合うのであった……というのが基本設定だ。真中は東城とくっつきそうでくっつけない。西野と付き合っているからだ。そして、真中と西野は付き合っているが、まだ本当には理解し合っていなくて、いつ破局してもおかしくない緊張感がある。真中と西野ではスクールカーストが違うし、真中には東城というより相性の良い存在がいるからだ。ここには二重の「くっつきそうでくっつかない」がある。

たとえば、『青い花』で考えてみよう。主人公のふみは初恋の人あきらと再会をするが、先輩の杉本と付き合うことになってしまう。だが、杉本には本当は別に好きな人がいて……というのが基本設定。ここにも二重の「くっつきそうでくっつかない」がある。あーちゃんとくっつこうにも杉本と付き合ってしまっているし、杉本と添い遂げようにもその関係はフェイクに近い。しかも、こいつらは全員女子である。

たとえば、『聲の形』で考えてみよう。主人公の石田は、ヒロインの西宮との関係に赦しを見出している。が、石田には西宮をいじめた過去がある。さらに、同じく西宮をいじめていた女子であり、石田のことを好きな植野をはじめとした登場人物たちが(一言で言えば、石田と西宮の過去が)二人の関係を邪魔してくる……というのが基本設定のラブコメという見方もできる。

とらドラ!』なら、主人公とヒロインはそれぞれに別に好きな人がいて、互いの恋を応援し合うという関係性。『かぐや様は告らせたい』なら互いに相手に好きと言わせたい(=絶対に自分から好きとは言わない)関係性。『めぞん一刻』なら音無響子はいつまでも死んだ夫のことを思っている(&五代よりずっと魅力的な三鷹がいる)のが「くっつかない」を生み出している。『恋は雨上がりのように』も年齢差、『五等分の花嫁』も恋人候補が五つ子といった壁がある。

挙げるときりがないが、ともかくこんな感じで名作には、設定の段階で「くっつきそうでくっつかない」が組み込まれているのである。作者の匙加減ではなく、構造的に「くっつきそうでくっつかない」。これが面白いラブコメである。

では『ひまてん!』はどうかといえば、「くっつかない」要素が皆無だ。

「ヒロインは有名人なので主人公との関係を知られたくない」という論理で二人の間にかろうじて壁を作っているが、これは脆い。ヒロインの気分次第で簡単に崩れる壁だ。

これまたかろうじてライバルの幼馴染女子を登場させているが、主人公の気分次第で簡単になかったことになる程度の障害だ。

主人公はヒロインの自宅(しかも一人暮らし!)に定期的に通うし、お互いに魅力を感じているのだから、設定上「くっつきそうでくっつく」しかありえない。なかなかくっつかないとしたら、これは作者の匙加減でしかない。

設定のあり方が各話の作りにも反映されている。各話のゴールにまっすぐ向かうだけで、紆余曲折がない。

1話:主人公がヒロインの家で働くことになりました。

2話:主人公はヒロインの家で働きました。

3話:主人公はヒロインの弁当も作ることになりました。

4話:主人公とヒロインは家電を買いにいきました。

5話:主人公は幼馴染にヒロインといるところを目撃されたのでたまたま会ったことにしました。

といった感じ。あまりにも起伏がなさすぎる。ピンチがなさすぎる。これで「悪くはない」と感じている自分がいるのが不思議なくらいだ。

とはいえ、素人に見えているものがプロの漫画家と編集者に見えていないわけがない。逆に、山場を作らずともラブコメは成立するという実証実験を我々は目撃しているのかもしれない。あるいは、私が読んでいないか記憶していないだけで、「くっつきそうなのにくっつかない」のセオリーの外にある漫画が最近のトレンドなのか。

果たして、これで長期連載を続けることができるのだろうか? しかも週刊少年ジャンプで。いったい作者は何を目論んでいるのだろうか? これからが非常に楽しみな作品だ。

ちなみに、『ひまてん!』を雇用契約から始まるラブストーリーと捉えれば、『プリティ・ウーマン』パターンが考えられる。契約を打ち切ることで、契約によらない関係に変化させるパターンだ。ただ、『プリティ・ウーマン』にせよ『マイ・フェア・レディ』にせよ、あれの根底には身分違いの恋がある。そもそも元ネタはシンデレラなのだから。

『ひまてん!』には、そうした身分差はない。ヒロインは社長でモデルでインフルエンサーだが、これが上流階級かと問われると微妙なところだ。上流階級ならば家政夫はバイトではなくてプロを雇うだろうし、炊飯器を買うから掃除機は安くするなんて選択もありえない。主人公も少なくとも貧困層ではない。

ついでなので今後の展開を予想しよう。

――俺は洗濯物を畳みながら考えていた。

(E……か)

Eカップ……それは「そこそこ大きいが決して大きすぎはせずちょうど良い」とされがちなサイズ。だが、本当にそうだろうか? 「巨乳好きだと思われたくない」という虚栄心が男共にそう言わせているだけではないのか? Eカップは上位25%に入るサイズ。十分に大きくはないだろうか? 「Eがいい」と言うことは「巨乳がいい」と宣言するも同然。にもかかわらず、巨乳好きだと思われたくないとは矛盾。いっそのこと、胸は大きければ大きいほうがいいとはっきり言ったほうが良いのではないか? EよりF。FよりGだ。それにしても、一昔前は巨乳といえばFカップだった。Hカップもあればスイカップなどと呼ばれ大変なことになっていた。ところが最近はどうだろう。AV界を見渡せばGカップはありふれているし、Hだって決して珍しくない。今となってはAV女優でFカップだと小ぶりにさえ思えるぐらいだ。いったい、日本に何が起きているんだ?

「ちょっとあんた! 何してるのよ!」

「何って……洗濯物を畳んでいるだけだが?」

「同級生の下着の匂いを嗅いで興奮してんでしょ! この変態!」

「は……!? 俺はお前に依頼された仕事をこなしているだけだろ!」

「じゃあなんで嗅いでたのよ!」

「あのなあ、洗濯ってのは洗濯機にかければそれで終わりじゃないんだ。ちゃんと臭いが取れてるか確認する必要があるんだよ」

「私が臭いっていうの!?」

「美野が臭いんじゃない。生き物はみんな臭いんだ。でも安心しろ! 殿一柔軟剤のおかげで香しいぐらいだ!」

そんなやり取りをしている間に洗濯物はほぼ畳み終えた。最後に残ったタオルを差し出すと、美野は「本当だ」と呟いていた。

「臭いといえば、ゴミをまとめて出さないとだな」

「ゴミ……!? ゴミの臭いは嗅がないでよ!」

「捨てるだけなんだから嗅がねーよ。あと、見られたくないもんがあるなら自分で捨てろよな」

女子高生、それも同級生の家事を代行するのは面倒なことが多い。

仕事を終えた後、マンションのゴミ捨て場に寄ってゴミ袋を捨てる。曜日にも時間帯にも縛られないとは、なんて便利なんだ。

帰り道、ふらっと足がカフェの方に向かう。叶さんと仕事終わりの時間がかち合って、一緒に帰宅できたら……そんな淡い期待。もし万が一鉢合わせて、「なんぜこの時間にこんなところに?」って聞かれたらどうしよう。美野の家にいたとは言えない。なにか言い訳を考えておかないと。美野といえば、叶さんは何カップなんだろう。いかんいかん、そんなことより言い訳だ。何カップだろうと、俺は叶さんのことが好きなんだから。Gはなさそうだ。Fだとしたら、相当着痩せするタイプだな。はっ、また胸のことを考えている。そんなことより言い訳を考えないと……。

万が一と言いつつ使うはずもない言い訳を考える俺。見る予定も触る予定もないのに叶さんの胸のサイズについて考える俺。笑っちまうくらいポジティブだ。

カフェから叶さんが出てくるのが見えた。

嘘だろ!? 奇跡みたいだ。胸が一気に高鳴る。

叶さんの後から背の高い男が出てきた。ものすごい美男子だ。談笑する二人がこちらに近付いてくる。叶さんは男を笑顔で見つめていて、俺には気付いていない。とっさに回れ右をして身を隠す。二人が通り過ぎていく。

男が叶さんの肩に手を置き、道路側にポジションを移す。叶さんは男の手を振り払うでもなく受け入れている。

俺は人波の中に立ち尽くし、やがて二人は街の中に消えていった。

叶さんに彼氏がいる可能性を考えなかった俺。彼氏ができる可能性を考えなかった俺。「クラスが同じになれたから新学期楽しい」なんて言葉に可能性を感じていた俺。笑っちまうくらいポジティブだった。

朝日に目が覚めると、気分は少しスッキリしていた。

冷静に考えたら、叶さんより美野の方が可愛いし、胸も大きいし、仕事人として尊敬もできる。しかも万が一結婚できたら逆玉だ。

俺は美野狙いに切り替える。

「家守、ごめん。今週で仕事は終わりにさせて」

「え?」

いつもどおり図書室で弁当を美野に渡そうとした時のことだった。

「今週でって……昨日で終わりってことか? 俺、なんかやっちゃった?」

「ううん……そうじゃないの……」

「ならなんで……。いや、そりゃそうだよな。男に家の中いじられるのなんて年頃の女の子には気持ち悪いに決まってる」

「お母さんがね、昨日、家に来たの」

美野のお母さん……どんな人なんだろう。そういえば美野ってなんで一人暮らししてんだ?

「家がきれいだからびっくりしててね。叔母さんに家政夫がどんな人か聞いたんだって。それで同級生の男の子だって知ったら、男は狼なのよ!気をつけなさい!って怒っちゃって。代わりにプロの家政婦さんが来ることになっちゃった」

胸が痛んだ。会ったこともない母親に心を見透かされた。

「そっか……なら、しかたないな……」

「本当にごめんね!」

俺は何も学んじゃいなかった。相変わらず、笑っちまうくらいポジティブだった。なんで美野との間に可能性を感じてしまったんだ? そもそも俺と美野とじゃ釣り合わないし。俺は本当に馬鹿だ。

つくづく自分のことを馬鹿だと思ったのは、「あれは本当に叶さんの彼氏だったのだろうか?」と考えている自分に気付いたときだった。性欲に溺れた猿が興奮のあまり叶さんの肩を抱いて、優しい叶さんはそれをどうすることもできなかっただけなのではないか。だとしたら許せない。俺が叶さんを守ってやらないと。

「家守くん、どうしたの? 顔色悪いよ?」

考え込む俺の顔を叶さんが覗き込む。やっぱり可愛い……。そして俺のことを心配してくれている。好きでもない男のことをこれほど気にかけてくれるものだろうか。やっぱり叶さんは俺のことがすきなんじゃないだろうか。

叶さんの首から見たことのないペンダントがぶら下がっていた。ハート型のペンダントトップ。そこには何か重大な意味がある気がした。

「ありがとう。なんでもないよ」

好きでもない男に愛想を振りまくな。尻軽が。

翌日の昼休み。美野が弁当を食べている。

「家政婦さんに作ってもらったのか?」

「うん。さすがプロだね。美味しいし、栄養バランスも完璧」

そりゃそうだよな。美野にとっては、俺なんかよりちゃんとした家政婦さんの方が良いに決まってる。

「でも、家守のお弁当ほどではない……かな」

美野の目が、俺の心臓を握りつぶした。

「美野。俺、考えたんだけどさ」

「なに?」

「家政夫としてじゃなくて、夫としてなら、美野の家を支えられないかな……」

そして俺達ふたりは婚約し、翌年に結婚した。すでに美野の姓で仕事をしている妃眞理よりも俺が改姓する方が負担は少ないから、俺は美野殿一になった。夫婦別姓を選べれば、家守のままでいられたのにな……。

女子高生社長兼モデルの結婚、そして妊娠はニュースになりそこそこ世間を賑わせた。その機に乗じ、俺は起業。数多くのメディアに露出した結果、殿一グッズは大ヒット。数々の本を上梓し、洛陽の紙価を高めた。

子どもは「ひまてん!」と名付けた。妃眞理は「相変わらずネーミングセンスなさすぎ」とぼやいていたが、俺は「X Æ A-12よりはマシだろ」と答えた。

そして、その後も俺たちは子作りに励んだ。少子高齢社会に対して俺たちにできる唯一の抵抗。それが子作りだと当時の俺は思っていたのだ。8人目の子どもが生まれた時、「俺たちを育ててくれた日本社会への恩返し」とXにポストしたら大炎上した。「子どもを育てられない人は日本に貢献していないというのですか?」「あなたたちはお金があるからいいですね」「恩返しで産まれさせられる子どもが可哀想」「お盛んなだけだろ。性欲に溺れた猿が」などと心無い言葉を投げかけられた。

俺は深く傷ついた。だがしかし、彼らの言葉に耳を傾けた結果、俺は新たなビジョンを得た。子作りだけが少子化対策じゃない。俺には会社がある。それまで俺は、自分の会社が提供している価値は快適な住環境だと思っていた。だが、違った。我々が真に提供しているのは、家事のアウトソーシングそのものではなく、その結果として生まれる、家事に悩まされることのない平和な家庭。結婚しても家事の分担で喧嘩することがなければ、離婚率は下がるのではないか。子どもがいても家事の負担がないのであれば、出生率は上がるのではないか。事業拡大もまた、俺にできる少子化対策だったのかもしれない。「家事に悩まされる家庭の一掃」をコンセプトに掲げてリスタートした我が社は急成長し、東証プライムに上場するに至った。

そんな折、高校の同窓会が開かれた。子どもたちも大きくなり、珍しくスケジュールが空いていた俺は久々に出席した。妃眞理は仕事で来られなかった。校舎が建て替えられるというので、最後に思い出を作ろうということで高校が会場だった。

久々に会った叶さんは相変わらず美しかった。いや、社会に出て、様々な女性と出会ったことで俺は高校生の頃以上に叶さんの美しさを理解できた。こんなに綺麗な人はそうそういるもんじゃない。

だが、叶さんはもう叶さんではなかった。結婚して姓が変わったのだ。相手はあの時の男だろうか。

「家守くん、大活躍だね!」

「いや、まだまだだよ。俺が目指しているのは少子化を食い止めることだからね。叶さん……じゃない。穂乃花さんもよければ、うちのサービスを利用してよ」

「使ってるよ」

「本当に?」

「うん。カタログとかで家守くんの顔を見ると、考えちゃうことがあるんだ」

指輪のない叶さんの左手が俺の手を包む。

「え」

「あなたの隣にいるのが私だった可能性はなかったのかなって」

叶さんの首元で質素なネックレスがキラリと光る。

「私、家守くんのこと、好きだったんだよ?」

叶さんは何カップだろう。高校生の俺の声がした。

週刊誌に不倫を報じられて、妃眞理は別居を提案した。笑顔なのがかえって恐ろしく、俺は従うしかなかった。

家族のいない部屋はあまりにも静かだった。

「そういや俺って、一人暮らししたことないんだな……」

高校生の妃眞理も、俺が帰った後にはこんな孤独を味わっていたのだろうか。それとも、仕事が忙しくて孤独なんて感じている暇なかったか。

自分のために作る料理は味が薄く、自分のためにかける掃除機の音は虚しく響いた。

妃眞理と出会ってから、俺はずっと妃眞理と一緒だったんだ。なんで俺は今さら高校時代の幻影に……。

スマートウォッチが震えた。

「え?」

スマートフォンを取り出してメールを見ると、それは取締役会の招集通知だった。招集の目的は、代表取締役、つまり俺の解任決議。我が社の取締役会は9人で構成されている。代表取締役の俺は出席できないから、正味8人。このうちの過半数である5人が賛成すると、俺は解任される。そのうち一人は妃眞理だ。

俺は妃眞理を除く取締役たちに電話を掛けていく。説得しようとしたが、返事はつれないものだった。

取締役会当日。俺には祈ることしかできなかった。

会議室の扉が開く。一人が俺に近付いてきて言った。

「議案は否決されました。奥さんに感謝ですな」

「妃眞理に……?」

「奥さんが取締役たちを説得して回ったのですよ」

会議室から出てきた妃眞理に俺は駆け寄る。

「妃眞理、なんで? 俺、あんな酷いことしたのに」

「いや、あんたが退いて会社が傾いたら損するの私だし。この会社の株式の26%は私が持ってんのよ?」

「それはそうだけど」

「それに……私も一回浮気してるし」

「えぇっ!」

「ほかの家政婦さんにね」

「……ん? 高校の頃クビにされたときの話か?」

妃眞理は答えなかった。

「次やったらその首を切るから」

俺は何度も妃眞理に謝った。家に帰っても謝った。妃眞理は子どもたちの前でその話をしたらやっぱりクビだと言った。

ごめん、妃眞理。俺はもう絶対に妃眞理を裏切らない。初めて一人暮らしして分かったんだ。俺には妃眞理が、家族が必要だって。妃眞理に寂しい思いを二度とさせちゃいけないって。

もしかしたら俺に少子化を食い止めることはできないかもしれない。でも、せめて足元にある、俺たちの温かい家庭だけは守りたい。この超高齢社会を、俺は妃眞理といっしょに年老いていきたいんだ。

~完~

なんだこれ。

今月、乃木坂46の36thシングル『チートデイ』のアンダーフォーメーションを予想した。日向坂46についても調べてみた。

weatheredwithyou.hatenablog.com

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昨日、乃木坂46の36枚目シングルアンダー楽曲『落とし物』のフォーメーションと日向坂46の12枚目シングル『絶対的第六感』のフォーメーションが発表されたので、どこがポイントなのかを考えてみたい。

『落とし物』

予想はこうだった。

岡本 吉田 伊藤 中村 佐藤璃 矢久保

奥田 林 向井 佐藤楓

黒見 柴田 松尾

結果はこう。

吉田 岡本 佐藤璃 佐藤楓 矢久保 中村

松尾 向井 伊藤 柴田

林 奥田 黒見

いやけっこう良い線いってるんじゃないか?

てのはどうでもいいとして、今回のフォーメーションのポイントを書いていく。

奥田がセンターに抜擢

今回最大のサプライズが奥田がセンターになったこと。

奥田の人気が急上昇している気配はあったものの、とはいえ今までアンダー3列目からアンダーセンターに抜擢されたのは1例しかない。しかも、その1例は和田まあやのラストシングルだから、シチュエーションとしては特殊だ。

これまでの傾向からいけば、奥田がセンターに選ばれたのは異例中の異例で、大抜擢と言っても過言ではなかろう。運営が方針を変えただけの可能性もあるが、奥田の人気の上がり方がいまだかつてないものだということかもしれない。選抜入りの気配も濃厚だし、選抜の5期生率がますます高まりそうだ。

奥田が注目されたのは『ロミオとジュリエット』の好演からだと思われる。武器を磨いていけば、アンダー3列目常連だろうがチャンスを掴める(こともある)というのを奥田が示してくれた。

林のフロント入り

今回、3期生がフロントから外れたのは予想どおり。やはり4,5期生にパワーを移譲していくフェーズに入っているのかもしれない。

問題は、4期生の誰をフロントに選ぶのかだ。これまで、柴田>黒見>松尾の順で強いポジションにいたので、黒見がフロント入りするのは予想どおり。奥田が抜擢されたので、3番手の松尾が2列目になったのも驚きはない。

意外だったのは、柴田を押しのけて林がフロント入りしたことだ。

これまで、3列目からセンター横に入ったのは、伊藤理々杏(30th)、中村(23rd、28th)、伊藤純奈(27th)、寺田(13th)、北野(12th)、中元・樋口(6th)、深川・若月(2nd)といった面々。激レアというほどでもないが、多くもない。これらのメンバーはおおむね、次回で選抜入りをしたり、アンダーのフロントか2列目に入ったりしている。林もまた運営から期待が寄せられていると見てよさそう。

林の2度目の選抜入りへ期待が高まる。逆に、柴田は今回フロントに上がれなかったことで、アンダーに定着してしまいそうな雰囲気が出てきた。

『絶対的第六感』

日向坂46の12枚めシングル『絶対的第六感』の選抜フォーメーションは次のとおり。

佐々木久 富田 上村 河田 高橋 小西

松田 東村 佐々木美 丹生 金村

加藤 正源司 藤嶌 小坂

日向坂46の選抜に関しては、材料が少なかったので前回の記事で詳しいことは書かなかった。だが、一応、予想を試みてはいたので、ポイントは分かるつもりだ。

以下がポイント。

選抜枠1減

まず驚いたのが選抜が15人だったこと。前回は16人で、抜けたのは高本だけ。16人を維持しても、アンダーは11人確保できる。乃木坂ではアンダーが10人だったこともあるので、16-11の可能性が高いと考えていたが予想は外れた。

乃木坂だと、ダブルセンターではフロント4人、2列目奇数のパターンが多いようだが、3列目はわりと自由に見える。ダンス的な都合で15人にしたのでなければ、アンダーに12人は確保したかったということになりそうだ。

もしそうだとすると、23人で臨む次回のシングルは再び全員選抜になるのだろうか?

藤嶌と正源司のダブルセンター

藤嶌果歩がセンターに選ばれたのは、あまり驚きはない。運営が藤嶌を推そうとしている雰囲気はあったからだ。

まず、前回のシングルで4期生の中から2列目に入ったのが藤嶌と宮地だった。それから4期生の冠番組『日向坂ミュージックパレード』はおそらく藤嶌ありきの番組……と言ったら過言か。メンバーがカラオケを披露するバラエティ番組なのだが、藤嶌の歌唱力が頭どころか体一個分ぐらい抜けている。初回でソロを務めたのも藤嶌。最近で始球式を任されたのも藤嶌だし、それが色々記事にもなっていたし(たまたま日ハムが指名した可能性もゼロじゃないけど)。4期生から選ぶなら藤嶌一択という状況だったように思う。

驚きは正源司とのダブルセンターということだ。小坂がセンターに選ばれなくなってから2連続センターはなくなっていた。『希望と絶望』を見る限りセンターの負担はかなり大きいらしく、それに配慮してのものだと推測される。てなわけで、正源司のセンターの可能性はあまり考えていなかった。

だが、たしかにダブルセンターであれば、負担は分散されそうな気はする。「正源司をグループの柱に据えたいなあ」と「藤嶌にセンターをやらせてみたいなあ」がぶつかりあった結果、ちょうどいい落とし所が見つかったという感じだろうか。

とりあえず、正源司への期待が相当に大きいことは間違いない。次回の注目ポイントは、センターが正源司なのかそうじゃないのか、かもしれない。

宮地の選抜落ち&小西の選抜入り

藤嶌と同じく前回で2列目に入った4期生が宮地すみれだった。私はてっきり彼女も選抜入りするものかとおもっていたのだが、意外にも選抜落ち。宮地だけでなく、前回選抜入りした山下と平尾も選抜落ち。

代わりに選抜入りしたのが小西夏菜実。ミートアンドグリートから見える人気度では上位に入るものの、今回落ちた面子を上回るほどではない。

正源司と藤嶌以外の4期生に関しては、まだ上位メンバーをぐるぐる回して試していきたいフェーズのようだ。となると、次の選抜入りは平岡、清水、石塚あたりなのか。それとも、小西が最低ラインなのか。やはり次回は全員選抜か……。

高橋の選抜入り

前回のアンダーでセンターを務めた高橋が選抜入り。やはりアンダーで上位に入ると選抜へ道がつながっているようだ。

上村以外の日向坂3期生は不遇というかなんというか、全員選抜時代はずっと3列目で選抜制が導入されたらアンダーという状況だったので、高橋の選抜入りは報われた感がある気がする。3期生にもまだまだチャンスはある。

日向坂46は卒業予定者を優遇しない

これは予想どおりなのだが、今回のシングルで卒業する加藤・東村・丹生・濱岸に対する配慮のようなものは見られない。加藤がフロントなのはいつものことだし、東村と丹生が2列目なのもわりとよくあるし、濱岸はアンダーのまま。

齊藤京子が卒業するときも2列目だったし、日向坂46はシングルに関して卒業予定者の待遇を手厚くすることはしない方針なのかもしれない。功労者には手厚く、センターにしてあげたりする乃木坂46とは若干方向性の差異が見られる。

個人的には、日向坂スタイルの方が好き。退職手当的な選抜をするとほかのメンバーが割りを食うので。

やはり予想はした方が面白い

というわけで、今回、初めてフォーメーション予想をしてみたわけだが、やってみて良かった。

まともな予想をするためにはグループ内のパワーバランスを把握する必要がある。パワーバランスを把握すると、発表されたフォーメーションは変化したパワーバランスを表すものになる。

あらゆる物語は、パワーバランスの変化を描いている。パワーバランスの変化にこそドラマがある。坂道グループのフォーメーション発表には数々のドラマが隠されている。

『殺戮にいたる病』を読んだ。

この小説は一応ミステリーに分類されるのではなかろうか。Amazonに記載されている講談社文庫の紹介文?では「ホラー」という言葉があるが、講談社BOOK倶楽部には「ミステリ」と記載されている。

以下ではミステリーという体で話を進めていく。ネタバレはしまくる。

新装版 殺戮にいたる病 (講談社文庫)

まず、ミステリーにおいて重要な三つの要素がある。

さらに、犯人と探偵の距離は極端であればあるほどよい。近ければ近いほど、遠ければ遠いほどよい。

というのが、これまで私がミステリーを読んできて得た知見である。ミステリーマニアではないから今後修正する可能性はある。

さて、『殺戮にいたる病』は倒叙ミステリーだ。犯人は稔という男だと読者に対して最初から明らかにされていて、探偵が犯人を追う様子が描かれる。

ただし、普通の倒叙とは少し趣が違う。だいたい『青の炎』にせよ『深夜の告白』にせよ、犯人は自分が探偵に追い詰められる様を観察してハラハラするものである。少なくとも、犯人は自分の犯行を隠そうと工作するし、工作に穴があるために身バレしてしまうのが普通だ。

ところが、『殺戮にいたる病』の犯人は隠蔽工作らしい隠蔽工作をする気がない。彼は性的衝動に基づいて行動していて計画性などあったもんではない。したがって、隠蔽工作の失敗のために犯人が特定されるという筋書きにならない。

『殺戮にいたる病』の探偵役は、被害者の妹と被害者に好意を寄せられていたおじさん樋口である。二人は妹を疑似餌にして犯人を釣ろうとする。が、男と女があてもなく彷徨って巡り合うには、東京はあまりにも広い。どうにか当たりをつけて犯人に出会えそうな場所を周るが、半ば当てずっぽうである。つまり、彼らもまた推理らしい推理をしないのだ。

「なにそれ面白いの?」と、未読の方は思うかもしれない。私も読みながら「この小説のおもしろポイントってなんだ?」と思っていた。

まあ登場人物の目標と目標を達成するまでの道筋が示されているので、苦しまずに読み進められる程度には面白い。だが、この面白さはミステリーとしての面白さではなく、トレジャーハント的な面白さだ。特徴といえば、殺人で性的興奮を覚える異常な犯人の描写ぐらいか。

ところがである。

すべてがラストでひっくり返される。本当にラストのラストでひっくり返る。叙述トリックは終盤に明らかにされるものだが、終盤と言っても富士山でいえば8~9合目ぐらいで行うのがほとんどではないかと思うのだが、『殺戮にいたる病』は、まず叙述トリックの存在がほのめかされるのがラスト16Pぐらい。だが、その時点ではまだ何が起きたのか明確には分からない。ようやくすべてが明らかになるのはラスト2Pだ。最後の最後まで騙されただけに衝撃は大きい。富士山の頂上から見える景色が日本じゃない、みたいなそんな感じ。

しかも、認識がひっくり返ったこと自体が衝撃なのに、明らかになった事実によって今まで読んできたものが一層おぞましいものに思えてくる。それまでイケメンマザコンサイコパスが強姦殺人を繰り返してきたのだと思っていたのに、犯人はマザコンサイコパスおじさんだったなんて! 「イケメンだろうがおじさんだろうがどちらも等しく気色悪いだろうが!」と、お叱りの言葉を受けるかもしれないが……。険しい山肌を登ってきたと思ったら、登っていたのは巨大なおじさんの乳首だった、みたいな感じだ。

ここで原理原則に立ち戻ってみよう。ミステリーにおいて重要な三つの要素。

犯人と探偵は明らかだ。稔と樋口。両者の距離は近すぎず、遠すぎずといったところだ。面識はないし、どちらも都内に住んでいる。警察と同程度の距離感だ。あまり面白みはない。

では、無能な警察は? ちなみに、「無能な警察」とは、犯人でない者を犯人だと決めつけるキャラクターのことだ。だいたいこの役割を担わされるのが警察であるので私はこう呼んでいるが、必ずしも職業が警察である必要はない。同様に、「探偵」は職業探偵である必要などないし、警察であってもいい。

この点を考えることで、『殺戮にいたる病』の本当の姿が見えて来る。

『殺戮にいたる病』には、重要な登場人物がもう一人いる。雅子だ。彼女は自分の息子が犯人ではないかと疑っている。『殺戮にいたる病』という小説は、稔(犯人)・樋口(探偵)・雅子の三つの視点から語られる。

ここまで書けば明らかだろう。そう、雅子こそ、無能な警察なのである。彼女は自分の息子を犯人だと誤認する。

しかし、ここが一番のミソなのだが、読者は一周目ではそれに気付けない。なんなら雅子は探偵としての機能を果たしてさえいる。真実に唯一近付いているように見えるからだ。そうなると、犯人と探偵が同じ屋根の下に暮らしていることになる。これはハラハラする展開だ。なんせ犯人と探偵の距離が極端に近い。そう考えると、一周目の『殺戮にいたる病』が、倒叙ミステリ(稔パート&雅子パート)になぜか宝探し的な話(樋口パート)がくっついている小説として構成されていることが分かる。

さらに、実は探偵が樋口と雅子以外に別にいて、それが雅子の息子だったことも終盤で判明する。真実の関係性においても、犯人と探偵の距離は極めて近かったのだ。

こうなるともはや樋口とは何だったのかという感じがしてくる。ただ、彼がマスコミから容疑者として疑われる一幕が存在する。ここでマスコミは無能な警察として機能している。彼の存在は、無能な警察のダミーを呼び込む役割を果たしているのかもしれない。

話を整理しよう。端的に言えば、『殺戮にいたる病』は、下のような構造的変化を遂げる小説なのだ。

ポイントは、犯人が変わらない点だ。犯人が変わるのであれば、こういう変化は普通にありうる。「あいつが間違っていると思っていたけど、間違っていたのは俺の方だった……!」みたいな話だ。だが、「犯人は思っていたとおりだったけど、俺は間違っていて、あいつが正しかった」というのは通常は考えられない。それが『殺戮にいたる病』では起こっているのだ。

このような芸当を可能にする鍵が、倒叙×叙述トリックだ。世の中に叙述トリックが用いられた作品は数多かれど、このような使い方をした作品はたぶんそう多くない。名作として語り継がれるのも納得だ。

前回、前々回と、乃木坂46内の現在のパワーバランスを調べてみた。

では、同じ坂道シリーズである櫻坂46と日向坂46はどうだろうか?

日向坂46 全員表題曲参加から選抜制へ

まずは日向坂46について見ていこう。なお、今回、けやき坂46時代については考えないことにする。

まずは乃木坂46と同様に序列を確認してみる

日向坂46はこれまで11枚のシングルを発売している。センターを務めた回数は、小坂菜緒の5回が最多。その他では、加藤、金村、齋藤、上村、正源司が1回ずつセンターを務めている。

というわけで小坂菜緒の地位が圧倒的に高い。7thを最後にセンターから遠のいているが、これは本人の意向又は小阪への配慮によるものと思われる。

センターを除くフロントを務めた回数では、加藤が8回、齋藤が7回、金村が6回、佐々木美・丹生が4回、小坂・河田が3回、東村・上村が2回、佐々木久・松田・影山・柿崎が1回となっている。

というわけで、現役の1期生では加藤>佐々木美>東村>佐々木久、2期生では小阪>金村>丹生>河田>松田といった序列が見て取れる。

選抜制度が存在しなかった日向坂46

このように日向坂46においても序列はあるのだが、現時点において、これは些末な問題だ。

序列よりも重要なのは、日向坂には10枚目シングルまで選抜制度が存在しなかったということだ。万年3列目のメンバーはいるものの、全員が表題曲にメンバーとして参加することができていた。

それが可能であったのは、日向坂46の構成員が少なかったからだ。1期生と2期生の人数を合わせて21人程度で推移してきた。乃木坂の選抜メンバーとほぼ変わらない人数なので選抜制を導入する意味がない。もしかすると、選抜制を避けたいがために、新規加入メンバーの人数を調整してきた可能性もある。

4期生の加入と選抜制導入

ところが、日向坂46の1期生がけやき坂として活動し始めてから今年で8年目。そろそろ1期生の脱退を考慮する必要性がある。10枚目シングルに参加したメンバーは19人だが、ここから潮と齋藤が抜けるので、既存のメンバーは17人となる。今後も減っていくことが予想される。

構成員の減少に対応するため、11人の4期生が加入する。これにより一時的にグループの人数は28人になる。このぐらいの人数になると選抜制を導入せざるを得ないようだ。日向坂は11枚目シングルで初めて選抜制を採用することになる。

28人に対して、それまでと同じ21人程度の選抜とすると、非選抜メンバーが7人となり、バランスが悪い。というわけで、表題曲に参加するメンバーの人数は過去最少の16人となった。乃木坂の選抜が19人前後だから、選抜の人数だけなら日向坂の競争は乃木坂以上に厳しいものになっている(といっても、全体の人数が違うので単純に比較できないが)。

大所帯アイドルグループの選抜制度のあり方は世代交代と密接に関わっているようだ。

櫻坂46 苦心の櫻エイトから選抜制へ

櫻坂46はどうかというと、欅坂46から名前を改めて新体制となった時点でメンバーは26人。

もともと欅坂46であった頃は、21名のメンバーで構成され、やはり選抜制度は導入されなかった。わざわざ長濱ねるのためにけやき坂46を結成したのにもかかわらず、両グループ間でメンバーの入替えが行われることもなかった。乃木坂46が当初から選抜制度を軸に据えていたのとは対照的だ。

そして、やはり日向坂46と同じ道を歩むことになる。いや、歩もうとして歩めなかった、といった方が正確か。欅坂46に15名の2期生が加入すると、やはり選抜制を導入するほかない。ところが、初の選抜制を導入しようとした9thシングルを発売する前にグループが瓦解。櫻坂46への改名に至る。

そのような経緯があったため、櫻坂は選抜制を導入せざるを得ない人数を抱えながら、(少なくとも当面の間)選抜制を導入するわけにはいかないというアンビバレントに悩むことになる。

そこで運営が導き出した答えが、櫻エイトというシステムである。これは2列目までの8人を固定して3列目のメンバーのみを入れ替えた楽曲を3曲用意するという手法である。これにより、名目上は誰も選抜されることなく、なんらかの楽曲に参加できるということになる。

櫻エイトというハブを通じて、全メンバーが繋がるという仕組み。選抜とアンダーに分断しない仕組みだ。たしかにこれで分断は防ぐことができる。しかし、これは私見だが、メンバー間格差は選抜制を導入したとき以上に広がるのではなかろうか。なんせ櫻エイトは三つの楽曲で2列目以上で踊れるのにもかかわらず、非櫻エイトは一つの楽曲で3列目に入れるだけだ。アンダーの中でならセンターになれるかもしれない乃木坂46と必ず3列目にはなれるがセンター楽曲を持てる可能性の乏しい櫻坂46。どちらが良いかといえば微妙なところだ。しかも、これは櫻エイトにとっても負担が重い制度だ。

そのような問題意識によるものかは分からないが、櫻坂46は3thシングルで非櫻エイト(櫻坂46において「BACKS」という。)用の楽曲を作ることになる。

そして、総勢17名になった6thでは櫻エイトを廃止し、全員が表題曲『Start over!』に参加する。7thでは3期生が合流し、選抜制が導入されるに至る。

現在の櫻坂46は26名で、グループ始動時と同じ人数。櫻坂46の選抜は直近2作で14人。日向坂46より少ない。

アイドルグループのあり方を決定するもの

結局のところ、選抜制を拒否することで乃木坂46との差別化を図ろうとした2グループが、世代交代に伴い乃木坂化するに至ったというわけだ。なんだかんだ乃木坂46の仕組みが一番合理的ということなのかもしれない。

これまで当然のように世代交代を前提としてきたが、本来これは当たり前のことではない。某老舗男性アイドル事務所のグループは、メンバーの脱退に伴い新しいメンバーを補充するということはたぶん行っていない。グループ名は箱ではなく、メンバーの総称に過ぎないのだ。

では、なぜ乃木坂46などのグループは、メンバーの入替えのある箱として運用されているのか。理由は単純で、これらのグループが多人数で構成されているからだ。

AKBグループや坂道グループの設計思想の根底には「質より量」があるはずだ。韓流アイドルなどに比べればスキルで劣る人材も、多数揃えれば厚みが生まれ、多様な需要に対応することができる。逆にいえば、どれだけ優れた才能を持つ人材がいても、量の中に埋没させてしまうシステムとも言える。(埋没させまいとした結果が欅坂46かもしれない。)

「質より量」で設計されたグループにとって、量を維持することは死活問題である。ところが、多人数アイドルグループの構成員は、長く在籍しようとしない傾向にある。理由は分からないが、個性を売る仕事を望む人が自分の個性を埋没させてしまう組織に長居したいと思わないのは自然なことだろう。個性を売りたくない人がアイドルを続けないのは言うまでもない。多人数アイドルグループは、構成員の数を維持しなければならないのに、構成員が減り続ける宿命にあるといってよさそうだ。(そもそも女性アイドル自体が短命の傾向にあるが、PerfumeNegiccoももいろクローバーZなど、長期間活動しているアイドルはやはり人数が少ない。)

したがって、多人数グループは世代交代をせざるを得ない。スムーズに世代交代を行うためには余剰人員を確保しておく必要がある。この余剰人員を貯める場所はおそらく2パターンあり、一つは別の組織にストックしておく方法、もう一つは同じグループの中に所属させる方法。前者では、たとえばハロプロは事務所で採用活動を行い、合格者はハロプロ研修生となる。坂道グループは後者の方法を採用しており、これは選抜制を実施することとほぼ同義だ。

……という道筋で考えていけば、櫻坂46と日向坂46において選抜制が導入されたのは必然に思える。アイドルグループのあり方をまず第一に決定するのは、人数なのだ。

櫻坂と日向坂の今後

現状を確認しよう。各坂道グループの全体の人数と選抜人数は次のとおりだ。(休業中の者は除く。)

乃木坂46:32人中19人(57.6%)

櫻坂46:27人中14人(51.9%)

日向坂46:27人中16人(59.3%)

同じ坂道でも選抜の人数は最大5人も違うのだ。乃木坂の多さが際立つが、乃木坂はそれでも他に先駆けてオーディションを開始している。やはり規模の大きさを求める度合いは乃木坂が強い。

というか、櫻坂と日向坂の人数はこれだと心もとない。今はいいが、これ以上減ると選抜とアンダーの数を両方維持することが難しくなってくる。今週からメンバー募集が開始されたのも自然な流れだろう。

櫻坂と日向坂にとっては選抜制を維持できるかも課題だ。櫻坂はすでに3作を経ているから安定期に入っているかもしれないが、日向坂はまだ選抜制が導入されて1作目。選抜制が定着するにはまだまだ時間がかかる。

関係があるのかは分からないが、日向坂46は加藤・東村・丹生・濱岸の脱退が発表された。人気メンバーが一気に4人も抜けるというのはなかなか衝撃だ。次々回作から、日向坂46は23人体制となる。仮にアンダーを10名とすると、選抜は13名。正源司・小阪・金村・河田・佐々木久・松田・上村の7人は選抜確定だろうから、残る枠は6。これを16人で争うことになる。一時的に選抜制が解除される可能性もある。

では次回作はどうかといえば、仮に選抜16名アンダー11名とすると、おそらく正源司・小阪・金村・河田・佐々木久・松田・上村に加えて、加藤・東村・丹生もほぼ確定。やはり残る枠は6で、争いの厳しさは変わらない。アンダーの人数を十分に確保できなければ、上位メンが抜けても選抜の枠が減るだけで競争の激しさは緩和されないのだ。人気メンバーが減り、下位メンバーに与えられるチャンスが増えないのでは良いことが何もない。(少数選抜の方が良いパフォーマンスができるなら話は別だが。)やはり人員増は急務だ。

櫻坂も1期生はいつ全員いなくなってもおかしくない。別に抜けてもいいじゃんと思うかもしれないが、日向坂と同じ理屈で人員減は選抜枠の減少に繋がりうる。今の状況では、誰であろうといてくれるだけでありがたいのだ。

いずれにせよ、今後は櫻坂も日向坂も乃木坂並みの規模を目指していくことになるのではないだろうか。