マーク・ボラン年譜 (original) (raw)

1947年

9.30 イースト・ロンドンのハックスリー病院にて出生。本名、マーク・フェルド。父親はトラック運転手、2歳年上の兄がいた。

1955年 8歳

父親にドラム・キットを買ってもらう。

1956年 9歳

母親にギターを買ってもらう。

1959年 12歳

ウィリアム・セカンダリー・スクールの友人2人と、最初のバンド、スージ&ザ・フラフープスを結成。ベースを担当。

1961年 14歳

モッズのはしりを行き、テレビ局やコンサートのバックステージに出入りしながら、芸能界入りのチャンスを窺う。

「アバウト・タウン」という雑誌のファッション・ページのモデルを務めるようになる。学校はドロップ・アウト。

1962年 15歳

テレビ番組「ファイブ・オクロック・クラブ」の出演者で同い年のアレン・ウォーレンと一緒に暮らすようになる。

トビー・タイラーという芸名でアセテート盤を吹き込み、ポートレイトを添えてテレビ局などに売り込むが失敗。

1964年 17歳

俳優リッグス・オハラとパリに行き5か月間暮らす。この時に魔法使いに会ったという。

1965年 18歳

EMIのオーディションを受けるが不成功に終わる。その後デッカと契約。マーク・ボーランドという芸名をもらうが、自分でマーク・ボランに変える。

11.19 ファースト・シングル「ザ・ウィザード」発売。不発。

1966年 19歳

6月、セカンドシングル「ザ・サード・ディグリー」発売。不発。

人気テレビ番組『レディ・ステディ・ゴー』の出演時にジミ・ヘンドリクスのギターにショックを受ける。

デッカとの契約打ち切り。ヤードバーズのマネージャー、サイモン・ネピア・ベルに売り込み、サイモンのマネージメントを受けることになる。

1967年 20歳

パーロフォン/EMIと契約。サードシングル「ヒッピー・ガンボ」発売。

サイモンのマネージメントするジョンズ・チルドレンに加入。

「デズデモーナ」「Come and Play with me in the Garden」「GO GO GIRL」発表後、夏にはバンドを脱退。

6人組のエレクトリック・バンドを作るが失敗。メンバーの一人、ティーブ・トゥックとアコースティック・デュオ、ティラノザウルス・レックスを結成。

1968年 21歳

**トニー・ヴィスコンティ**と知り合いレコーディング。EMI系列のリーガル・ソノフォーンと契約。

4月、デビューシングル「Debora」発表。チャート30位台に上がる。

7月、デビューアルバム「My People Were Fair」チャート15位初登場。

ジューン・チャイルドと彼女のバンの中で同棲を始める。

彼は、自分がなにを欲しいのかよく知っていました。もし私と出会っていなかったとしても、きっと誰か他の女の人を見つけていたでしょう。彼は無意識のうちに人を惹きつけ、手助けや援助を得る強力な引力のようなものを持っているんです(ジューンのコメント)

10月、セカンドアルバム「Prophets, Seers & Sages: The Angels of the Ages」発表

1969年 22歳

3月、両親の住むウィンブルドンのロビン・ロス・スクールで子供たちにギターやボンゴを教えて収入を得る

5月、サードアルバムUnicornアンダーグラウンド・シーンのスターとなる。

6月、初のアメリカ・ツアー(ピンク・フロイドのサポート務める)。小さなアンプ1台を車に積んで、メンバー2名とジューン、ローディの4人だけの低予算ツアーだった。丁度ウッドストック・フェスティバルが開催されていたが、その同じ時刻にニューヨークのブッカー・ストリートの小さなクラブでギグをしていた。ツアー中、スティーブがドラッグ漬けでトラブル続出。スティーブと別れる。暗澹たる散々なツアーであった。

ロンドンに戻り、ミッキー・フィン新生ティラノザウルス・レックス結成。

彼は歌えないし、コンガもあまり上手ではない。でも美しく、見栄えがした

10月、エリック・クラプトンの家に滞在してエレクトリック・ギターを教わる。

1970年 23歳

1月、シングル「By the Light of a Magical Moon」発売

1.30 ジューン・チャイルドと正式に結婚。

3月、4枚目のアルバム「A Beard of Stars」発表

クイーン・エリザベス・ホールでのデビッド・ボウイのコンサートで前座を務め、親交を深める。ボウイのシングル「冷たい炎」のレコーディングに参加。

10月、T.REXと名前を変え、シングル「Ride a White Swan」発表。チャート2位のヒットとなり20週間チャートインを続ける。

12月、アルバム「T. Rex」発売。元タートルズのボーカリスト、ハワード・ケイランとマーク・ボルマンをレコーディングに加える。

1971年 24歳

ティーブ・カーリーがベースに加入

ドラマーのビル・リジェンド参加

2.5 クロイドン・フェア・フィールド・ホールでT.REXとしてのデビュー・ギグを行う。今までのイメージを打ち破り、ソリッド・ボディのエレクトリック・ギターに金ラメのスーツといういでたちで現われ、観衆の度肝を抜く。

2.19 シングル「Hot Love」リリース。初のナンバーワンとなり、3.20~4.24まで17週間チャートインし続ける。

僕らが5週間のヨーロッパ・ツアーのためにイギリスを離れる時1位だった『ホット・ラブ』が、帰国してもまだ1位だったんだ。正直かなり驚いたよ

4.24 ニューヨークで知り合ったというBarbara Nessimという女性と一緒に神秘家クリシュナムルティの講演を聞く。

「マークは利己的ではありませんでした。彼は繊細だと感じました。私たち二人ともそうでした。本当に魅力的だったのは、彼の言葉でした。彼の肉体は、私たちが話し始めてから、私にとってますます魅力的になりました。結局、私たちは本当に深いレベルでつながりました。つまり、一緒に寝たこともありましたが、それは性的なものではありませんでした。もっと精神的なものでした」Barbara Nessimによる回想

5月、アメリカ・ツアー(ハンブル・パイのサポート)

6月、シングル「Get It On」連続ナンバーワン・ヒットとなる

9月、アルバム「Electric Warrior(電気の武者) 発売、7週連続ナンバーワン。

ヨーロッパ、イギリスツアー。各地に熱狂を巻き起こし「Tレクスタシー」現象と呼ばれる。

1972年 25歳

1月、Tレックス・ワックス・カンパニー設立。レコード制作、楽曲の管理を自分で行う。

1.21 シングル「テレグラム・サム」リリース。2日間で50万枚を売る。

2月、アメリカツアー

カーネギー・ホールの通路でポール・サイモンのような男が踊ってたんだよ。あとでわかったんだけど、それはポール・サイモン本人だった。ポールはちゃんとチケットを買って来てくれた。うれしいね。彼はロックン・ロールな男だね

3.18 ウェンブリー・エンパイア・ホール(1万1000人収容)で昼夜2回コンサート。この模様がリンゴ・スターによって撮影され、映画「ボーン・トゥ・ブギー」となる。

5.5 シングル「Metal Guru」

7.23 アルバム「ザ・スライダー」発売。

8.30~9.4 フランス・ツアー

9.8 シングル「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」リリース

9.15~ 5週間にわたるアメリカ・ツアー

9.16 映画「ボーン・トゥ・ブギー」試写

11.26 初来日。プロモーターはユニバーサル、チケット料金は1500~3000円

11.28 日本武道館

11.29 愛知県立体育館

12.1 大阪府立体育館

12.1 シングル「イージーアクション/ボーン・トゥ・ブギー」リリース

12.3 赤坂溜池の東芝EMIスタジオで午後3時から夜中の1時半までレコーディング。滞在中に作った4曲の中から「STREET BACK」「ELECTRIC SLIM」「20th Century Boy」の3曲。

12.4 日本武道館で最終公演。公演前に地震(震度4)が起こり、「地面が割れる」とパニックになったボランは一時中止にすると言ったが、結局演奏するも早々に切り上げてアンコールにも応えず。

1973年 26歳

3.2 シングル「20thセンチュリー・ボーイ」 最高位3位

3.23 アルバム「タンクス」

6.1 シングル「ザ・グルーヴァ―」 最高位4位

6月、ギターにジャック・グリーンを加え、アメリカツアー。このツアー中にグロリア・ジョーンズに出会い、パット・ホールと共にコーラスに加える。

グロリア・ジョーンズと同棲開始。ジューンと別れる

10月、アメリカ・ツアー後に2度目の来日。既にブームは沈静化していた

11月、ドラマー、ビル・リジェンド脱退。

1974年 27歳

1月、自らを「ズィンク・アロイ」というヒーロー(日本で見た「仮面ライダー」から)に見立てたツアーを行う

この年、税金対策のためロスアンジェルスモンテカルロで暮らす

2.1 アルバム「ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー」発売

2.9 シングルTeenage Dream

7.15 シングル「ライト・オブ・ラブ」

ディノ・ダインズがキーボードに加わる

11月、アメリカ・ツアー

ティナ・ターナー「セクシー・アイダ」にギターで参加

1975年 28歳

2.16 トニー・ヴィスコンティと別れ、初のセルフ・プロデュース作「ブギ―のアイドル」発表するもチャートイン果たせず

ミッキー・フィン脱退

6月、テレビ番組「Today」のインタビュワーを始め、マイク・マンスフィールドの誘いで音楽番組「スーパー・ソニック」にもレギュラー出演する。

6.1 シングル「ニューヨーク・シティ発表

9.26 グロリアとの間に男児誕生。ローラン・シーモアと名付ける。

1976年 29歳

1.31 アルバム「銀河系よりの使者」発売

6.5 シングル「I Love To Boogie」久々のトップ20入り

11月、ミラー・アンダーソン、ハービー・フラワーズ、トニー・ニューマンらと新しいTレックス結成。イギリス・ツアーを行う。

1977年

2.11 アルバム「地下世界のダンディ」リリース。

3月、イギリス・ツアー。前座はダムドが務める。

グラナダTVのレギュラー番組「マーク」のホスト役を務め、7回分を収録。

ジャム、ブームタウン・ラッツ、ジェネレーションX、エディ&ザ・ホットロッズなどの多くのパンク・バンドが出演する。

9.9 「マーク」のためデビッド・ボウイとリハーサル(9.26オンエア)

9.16 早朝、ロンドン市内でグロリアの運転する「ミニ」(紫色のブリティッシュ・レイランド1275GT)が立木に激突。助手席に乗っていたマークは脳挫傷と出血多量のため死亡。衝撃のため全身の血管がズタズタに裂けていた。享年29歳。30歳の誕生日を迎える2週間前だった。

僕は30歳の誕生日を迎える前に死ぬと思う

9.20 ゴールダース・グリーン・クレアトリウムで葬儀が行われる。デビッド・ボウイロッド・スチュワート、トニー・ヴィスコンティらが参列。