第96回アカデミー賞 日本映画2部門受賞躍進だと「極偏りガオー」のホラを吹くマス共 全肯定の落とし穴 親分と子分の関係強化と日本植民地化の恐怖 (original) (raw)
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第96回アカデミー賞 日本映画2部門受賞躍進だと「極偏りガオー」のホラを吹くマス共 全肯定の落とし穴 親分と子分の関係強化と日本植民地化の恐怖
日本や日本人、日本のコンテンツが、外国で評価されることを手放しで喜んでいませんか?それは非常に危険です。
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日本史上初の3本のノミネート、日本映画2部門受賞の日本映画の躍進とかテレビマスコミは偏りが顔のホラ吹く、
これはアメリカ映画=ハリウッドのポリコレ化に過ぎないのではないか、今後もハリウッドはアジア圏などの外国人の起用が増える方向だという、これは事実上の14億人とされるインドを優遇する路線だろうか。
2023は中国人優遇、2024は日本人優遇、2025年はさらなるポリコレが進むのだろうか
日本映画や他のアジア圏の映画が、2020年からの国際長編映画賞(元外国語映画賞)以外にノミネートすることは、アメリカ映画が親分気取って日本映画がさらに義兄弟の盃を交わし、子分になった意味でもある。
たとえ優れていたとしても本来は関係ないのだ。他国のアメリカだからだ。
他国アメリカの視覚効果や長編アニメーション映画賞に日本映画が含まれていることさえ、アメリカ映画の衰退とポリコレ化の意味があります。
日本のテレビなど左翼マスコミ共は、日本映画3本がノミネートし、2本が国際長編映画賞(元外国語映画賞)以外で受賞したこの由々しきポリコレを全肯定、
日本映画2部門の受賞
<視覚効果賞>
『ゴジラ-1.0』
山崎貴
渋谷紀世子
高橋正紀
野島達司
*それぞれ初受賞
日本映画が弱いとされてきた部門、山崎貴は以前から日本のVFXの旗手の言われていた。「白組」は35名の少数精鋭、ハリウッドと大きく逆の低予算と少数精鋭を貫いて受賞,、生中継の冒頭のVTR内で、山崎貴は25歳の野島達司の功績と将来への期待を口にした。
<長編アニメーション賞>
『君たちはどう生きるか』
長編アニメーション賞受賞は、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』と受賞候補2分したともささやかれていた。
『君たちはどう生きるか』は、東京五輪の不祥事も記憶に新しい電通と博報堂の広告業界トップ2社が製作委員会として名を連ねている映画、これは映画そのものという意味だけでなく、電通(韓国や中国ともつながりの深い)と博報堂の広告業界トップ2社に賞を与えた。つまり日本の広告代理店にアメリカ(同時にハリウッド)がお墨付きを与えた意味でもあるのだ。日本人としても手放しで喜べない。
『君たちはどう生きるか』=博報堂の広告業界トップ2社が製作委員会
『君たちはどう生きるか』として名を連ねている記述があるリンク
「日本にお金が落ちるわけだから、何でもいいじゃないか」リベラルに全肯定的な意見のみ すでにマスメディアは死んだ
「日本にお金が落ちるわけだから、何でもいいじゃないか」と言いたげにリベラルに全肯定的な部分のみしか取り上げていない、すでに正常なマスメディアの役割を果たしていないのだ。
日本映画はそんなにアメリカにへこへこと頭を下げて、アメリカの子分になりたいのか、
例えでいえば、アメリカの次郎長親分(=江戸時代後期に日本一の侠客の親分と言われた清水次郎長、この題材は軽く100本以上の日本映画、数十度のテレビドラマが制作されて90年間近い国民的人気を博しました)に、日本の森の石松(次郎長のいちの子分ともいわれ、馬鹿真面目ゆえに親分の約束を守り過ぎてしまい、最期は無残に殺されてしまう映像化が多い)、それでいいのか、
馬鹿真面目ゆえ=日本w、日本は森の石松のように、無残に殺されてはいけない。日本は森の石松ではなく、やはり日本は次郎長を目指してほしいのだ。
テレビマスコミが、日本映画がアメリカのアカデミー賞にノミネートや受賞することを最大の評価にように伝えていることも良いこととも思えない。このポリコレが素晴らしいというのか、
日本映画が日本で評価されることが最大の評価ではないのか、もちろん特に実写の質といえば、現代の日本映画の多くがアメリカ映画ほど総合的に優れているとは言い難いのだが、別の国は、別の国だ。
アメリカと日本は同盟国でも違う国なのだ。これは文化も歴史も違う、もちろん映画もだ。同じ土壌で評価することそのものがおかしいのだ、違うことは悪いことでもなく、互いの存在を認め合う、たたえあうことでもあり、逆に良いことなのだが、この根本としてあるべき違いさえも許さないのがポリコレだ。
ポリコレが止まらずに、徐々に日本の文化や経済を破壊していき、国の境目を完全に無くせというのだろうか、これこそ、侵略、帝国主義の中国やロシアなどの思うつぼかもしれない。
これは多少は曲がった見方だが、マスコミが政府と組んで、今回の96回アカデミー賞の3部門ノミネートと2部門受賞を快挙のように取り上げる報道で、このようなさらなる外資の日本侵略の推進=(さらなる欧米化と日本人の精神の弱体化と、日本文化の破壊=日本がさらなる欧米の植民地化の推進)を肯定しているように思えた。
実は岸田政権はさらなる外国企業(大半は欧米)の日本国内の誘致を推進している現状がある。これは台湾などの半導体関連だけではなく、移民問題とも重なる由々しき事態ともいえる。制限をかけないと合理的に国内の外資(外国)が内資(日本)を食い荒らす。日本国内が合理的に外国の植民地になる日を迎えてしまう。
ハリウッド「お金欲しさのただのアジア映画忖度したいから、子分になれよ」を、日本「うんわかったよ、親分」を、日本映画の躍進だと全肯定のホラを吹いたNHKなどのポリコレ大推進の左翼マスコミ共に鉄槌を食らわせる必要がある。
少なくても、現実はマスコミの伝えた日本素晴らしいの全肯定はありえないのだ。
日本映画がアメリカの第96回アカデミー賞に入れてもらった立場、あくまでゲ・ス・トの立場であることを忘れてはならないように感じられた。
日本の文化や政治的意図も絡み合う、これが事実や実現に向かうとしたら、アカデミー賞は、映画から文化破壊を招き、日本国の行く末さえも左右してしまう非常に恐ろしいの場所である。
第96回アカデミー賞の3つ目(最後)の記事です。