「パワハラ体質」 (original) (raw)
「バカは死んでも治らない」という言葉を聞いた事がある。
とても言葉としては美しいものではないが、核心を突く言葉でもある。
馬鹿にもいろんな馬鹿があるようだが、一端の大人でも、標題の言葉をそのまま被せたくなるような、どうしようもなく大馬鹿者も存在している。
底意地が悪く、妙にプライドが高かったり、必要以上に格好つけたり、逆恨みしたり、全てを真逆に捉えたりと、どんなに言い聞かせても、聞く耳を持たぬ人間は多い。
或る人が呟いていた。「あの人は遠目では格好良くスラッとしているけれども、よく見ると、鼻の下は笑ってるが、目はギョロギョロして、人を信用しない眼をしてますよね。」と。
聞けば、全く聞く耳も持たず、持論を検証せずして、正論と勘違いして突っ走る。社内スタッフを「お前」と呼び付け、自分の手柄ばかりに執着していると言う。まるで、学生時代のクラブ活動の延長線である。
また、或る人が言う。「あの人は偉そうにしているが、大して読み書きもできないのに、難しい言葉を間違って遣うらしい。困ったもんだよ。」と。
更に、或る人が言う。「あの人は、右が正解と分かっていても、他人が右にしていると、左にと難癖をつけるらしい。へそ曲がりなのかな!」と。
些細なことを大事件のように受け止めたり、立派な仕事をしている人間に対して難癖をつけながら、水面下ではこそっり真似をするという。
昔の人たちが受け継いできた「馬鹿は死ななきゃ治らない」と「馬鹿は死んでも治らない」と揶揄されぬよう気をつけておかねばならないが、上述のように揶揄されている人への処方箋はただ一つ存在する。
それは、自然体にて身の丈を知り、真摯で平身低頭な人間になる努力をすれば、全てが解決することになる。それに気付かぬから、「馬鹿はなんとか」と言われてしまうのである。
実に簡単なことだが、そこに馬鹿の原因がある訳だ。
信頼の関係はおかげさま。お互いさまで成り立つ。人さまから信頼を得ようと思えば、先ずその前に自分の方から信頼を寄せなければならない。相手にもよるし、自身の人品骨柄もあって長い時間の辛抱と誠意が要る。そうそう一朝一夕にしてつくれるものではない。
自分が相手の立場になって考えれば自ずと分かることだが、これが備わった人は多くない。その理屈は百も承知なのだが実際にできるかどうかとなるとむずかしい。
「この俺が俺が」と我を張っているうちはまだまだだ。それには先ずよく自分を知り、そして相手をよく知ることから始まる。人というのは人のことは細部までよく見えるものだが、いざ自分のことになると盲目になるものだ。人には厳しいが自分には甘いのだ。
勝手なことを言いたい放題言う奴に限って、その言動に責任をとった奴はいまだかって
見たためしがない。何様のつもりか知らないが事訳もよく分からないくせに浅はかにも図に乗ってしゃしゃりでてくる奴にいたってはもはや救いようがない。こういうバカは身近にゴロゴロといる。
バカは死ななきゃ治らないというが、ほんとうのところはバカは死んでも治らない、延々と際限なくあの世へと引きずっていく。
バカと利口の差はその尺度によってはいろいろあろうが、バカは自分のことを棚に上げて他人のせいにする。
利口は、今日あるのは身近な人をはじめ多くの人からのおかげだと感謝し、うまく行かなかったら自分の身から出たサビと考える。
バカは人さまから大なり小なりお世話になっていながら、バカ故に分からず、感謝の気持ちなどというものは露だにもない。バチ当たりなのだ。
要は自分のおかれた立場をよく弁えることだ。前後の事訳を知らずして不用意な言動は慎まなければならない。とりわけ無責任な生半可な情報の提供はどれほど事実を歪め人を傷つけてしまうことか。憎むべき犯罪に等しい。また恨みに根が生えると、陰に陽に攻撃を仕掛けてくるのも人間の性状なのだ。まいた種は自分で刈り取らなければならない。