「希少な」ビザンツ帝国時代のモザイク碑文、エルサレム旧市街で発見 (original) (raw)

「希少な」ビザンツ帝国時代のモザイク碑文、エルサレム旧市街で発見

2017年8月24日 10:02 発信地:エルサレム/中東・アフリカ [中東・北アフリカ ]

【8月24日 AFP】イスラエルの考古学者チームは23日、ビザンツ(Byzantine)帝国のユスティニアヌス帝(Justinian)と正教会の高位聖職者の名前が記された1500年前のモザイク床の一部を公開した。

東エルサレム([East Jerusalem](/search?fulltext=East Jerusalem&category%5B%5D=AFPBB>記事&category%5B%5D=ワールドカップ&category%5B%5D=五輪))の城壁に囲まれた旧市街で行われた発掘調査を率いたダビド・ゲルマン([David Gellman](/search?fulltext=David Gellman&category%5B%5D=AFPBB>記事&category%5B%5D=ワールドカップ&category%5B%5D=五輪))氏によると、同地域では考古学的発見が数多くなされているが、このような碑文はほとんど見つかっていないという。AFPの取材に同氏は「当時の人々が直接残した文章や文字は比較的希少だ」と話した。

550~551年のものとされるこのギリシャ文字の碑文は、エルサレムのダマスカス門([Damascus Gate](/search?fulltext=Damascus Gate&category%5B%5D=AFPBB>記事&category%5B%5D=ワールドカップ&category%5B%5D=五輪))近くにあった巡礼者向けの宿泊所とみられる建物の建設を記念して記されたものだ。

この宿泊所を建てたとされる正教会のコンスタンティヌス(Constantine)司祭は、聖母マリア([Virgin Mary](/search?fulltext=Virgin Mary&category%5B%5D=AFPBB>記事&category%5B%5D=ワールドカップ&category%5B%5D=五輪))にささげられたネア教会([Nea Church](/search?fulltext=Nea Church&category%5B%5D=AFPBB>記事&category%5B%5D=ワールドカップ&category%5B%5D=五輪))の修道院長だった。ネア教会は、建造された543年当時、エルサレムで最大規模の教会だった。

ゲルマン氏によると、モザイクの碑文が記された長辺1.14メートルの長方形の一部床は「当時の教会や修道院がどのように機能していたかをわれわれに教えてくれる。極めて比類のないもの」だという。

ゲルマン氏はまた「この碑文から、エルサレムの大きな教会の長であったコンスタンティヌス司祭が、特定の教会の長だけにとどまらない存在であったことがうかがえる」と指摘した。

このモザイク碑文は、ゲルマン氏のチームが実施した所定の発掘調査で、路面から約1メートルの深さから非常に良い状態で発見された。同地では、通信ケーブルの敷設作業が予定されていたが、チームは作業員が到着する前に調査を行ったのだという。

「発掘作業を終えるまさに寸前に、数個のモザイク石があるのに気が付いた。これらの石は普通に見ると無地の白色だが、見る角度が違っていたので少し暗い色に見えた」とゲルマン氏。「その小さな隅の部分から砂を払ってみると、それが碑文自体の左下隅の部分であることが分かった」「その瞬間、極めて珍しい発見をしたことに気が付いた」と当時の状況を説明した。(c)AFP