映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』あらすじと解説/内戦が勃発したアメリカをジャーナリストたちの陸路の旅を通して体感させるアレックス・ガーランドの最高傑作 (original) (raw)

連邦政府から19もの州が離脱した近未来のアメリカ。テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力”と政府軍の間で内戦が勃発、激しい武力衝突が繰り広げられていた。四人のジャーナリストは独裁的な大統領を取材するためにニューヨークからワシントンD.C.へと陸路の旅に出る。戦場と化した道を進む中、彼らは内戦の恐怖と狂気をまざまざと体験することになるが・・・。

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、『エクス・マキナ』(2015)、『MEN 同じ顔の男たち』(2022)などの作品で知られるイギリスの監督・脚本家のアレックス・ガーランドの長編第四作目だ。

(C)2023 Miller Avenue Rights LLC; IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved.

A24が、史上最高の製作費を投じた本作は、アメリカで封切られるや二週連続で全米第一位を獲得。同スタジオの最大のオープニング成績を記録した。日本では2024年10月4日に公開され週末動員ランキング初登場一位となり、実写洋画映画としては数年ぶりの快挙となった。

『ヴァージン・スーサイズ』(1999)や、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021)などのキルステン・ダンストが著名な戦場カメラマンに扮し、Netflixの人気ドラマシリーズ『ナルコス』(2015-17)で知られるワグネル・モウラが大統領にインタビューを目論む記者を、『ボーはおそれている』(2023)など多数の出演作で知られるスティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソンがベテラン記者を演じている。また、ソフィア・コッポラ監督の『プリシラ』(2023)でプリシラ・プレスリーを演じたケイリー・スピーニーが、新進写真家に扮している他、大統領役に『ダム・マネ―ウォール街を狙え!』(2023)やドラマ『FARGO/ファーゴ2』(2015)などのニック・オファーマンが扮している。

目次

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』作品情報

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2024年製作/109分/PG12/アメリカ映画/原題:Civil War

監督・脚本:アレックス・ガーランド、製作:アンドリュー・マクドナルド、アロン・ライヒ、グレゴリー・グッドマン 製作総指揮:ティモ・アルジランダー、エリーサ・アルバレス 撮影:ロブ・ハーディ プロダクションデザイン:キャティ・マクシー 衣装:メーガン・カスパーリク 編集:ジェイク・ロバーツ 音楽:ベン・ソールズベリー、ジェフ・バーロウ キャスティング:フランシーヌ・メイズラー

出演:キルステン・ダンスト、ワグネル・モウラ、ケイリー・スピーニー、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、ソノヤ・ミズノ、ニック・オファーマン、ジェシー・プレモンス

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』あらすじ

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分断の果てに内戦が勃発したアメリカ合衆国。テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力(WA)”と政府軍の間で激しい武力衝突が繰り広げられていた。

「国民の皆さん、我々は歴史的勝利に近づいている——」。就任 “3期目”に突入した大統領の演説を戦場カメラマンのリーはホテルの部屋のテレビで観ていた。

翌日、リーは記者のジョエルと共に、車を走らせ、警察隊と激しく衝突しているニューヨーク・ブロンクスの住民たちの取材にやって来た。

ひとりの若い女性が熱心にカメラのシャッターを切っている姿がリーの目に入った。衝突が激しくなり、倒れた彼女を観てリーは思わず駆け寄り、取材用のベストを渡してやる。

まだあどけなさを残した女性はリーを観て、自分の憧れが目の前にいることに興奮を隠せない様子だった。リーは伝説的な戦場カメラマンとして広く知られていた。女性はジェシーと名乗り、自分も戦場カメラマン志望だと語った。

その夜、リーとジョエルはベテラン記者のサミーと共に、ホテルのロビーで話し込んでいた。この後どうするのかというサミーの問いに、ジョエルは誰よりも早くワシントンD.C.に行き大統領に独占取材すると応えた。リーは大統領の写真を撮るという。

サミーは、今、政府軍側にジャーナリストが近づこうものなら皆、殺されてしまうぞと警告するが、ジョエルもリーも計画を変える気はなかった。サミーもまた前線であるシャーロッツビルに行く予定だった。彼はリーたちの車に同乗させてくれと持ち掛け、ふたりは渋々ながら承知する。

リーが部屋に帰ろうとしたとき、ジェシーがやって来た。彼女はプレスが良く集まるこのホテルにリーがいると踏んで、ベストを返しに来たのだ。だがリーは持っておいてと言い、防弾チョッキも揃えるようにアドバイスする。

翌朝、リーがホテルを出ると、車にジェシーの姿があった。リーはジェシーを危険な場所に連れて行くことに反対するが、サミーを乗せてもいいと言ったのは君だとジョエルに押し切られる。こうして四人のジャーナリストたちは、前線に向かって出発した。

大統領の威勢のよい演説とは裏腹に西部勢力はワシントンD.C.から200キロメートルの地点まで侵攻し、政府軍は敗色濃厚となっていた。

本来、ニューヨークからワシンントンD.C.まではそれほど遠い距離ではないのだが、軍事衝突の場所を避けて迂回していかなければならない。それでも道中、焼けこげ、乗り捨てられた大量の車が道をふさいでいる場所があり、苦労して通らなくてはならなかった。

ガソリンスタンドに通りかかり、給油することにしたが、スタンドの男たちは皆、武装していた。給油許可書がないと断られるが、紙幣価値が生きているカナダドルで支払うと提案すると彼らは首を縦に振った。その時、ジェシーが何か見えたと言い、歩み始めると一人の男が付いて来た。それに気づいたリーが後を追うと、そこには男が二人、拷問を受けたらしく血だらけになって吊るされていた。

銃を持った男はにやにやしながら、このふたりをどうして欲しい?と震えあがっているジェシーに尋ね、その様子を見ていたリーは男に二人の間に立つよう指示し、カメラを向けた。

車に戻ったジェシーは、何も出来なかった、カメラのことも忘れていたと猛省するが、リーは冷静に「自分を責めても意味がない。記録に徹することが大切」と述べるのだった。

翌日、リーたちは敵勢力と武力闘争をする民兵グループに密着。激しい撃ちあいが行われる中、ジェシーは反省を生かして、果敢に撮影に没頭する。

難民キャンプで一夜を明かしたあと、一行が通りかかった街は、内戦中とは思えない平和な光景が広がっていた。俄かに信じられず、まるでトワイライトゾーンのようだとジェシーは呟いた。

一軒の洋装店に入った一行は店番をしている女性に内戦のことは知っているのかと尋ねた。女性は「関わらないようにしている」とあっけらかんと答え、一行を驚かせる。しかし、サムはすぐに気が付いた。ビルの屋上には銃を構えて自衛する男たちがいることを。

D.C. まであと283キロ。通りがかった街は、クリスマスソングが響いているにも関わらず、もぬけのからになっているようだった。道路の真ん中に兵士らしき男がひとり、死んでいるのが見えた。

別の道を行くか迷うが、カメラの望遠レンズを使ってあたりを探っても何も見えない。少し進んでみようと車を動かすと、とたんに銃声が響き、あわてて車を急発進させ、建物の陰に隠れた。

そこには兵士が二人いて、向こう側にそびえる屋敷に銃を向けていた。優秀な狙撃兵がいると兵士は言い、相手は誰なんだ?と問うジョエルにわからないと答えた。相手が撃って来るからこちらも撃っているんだという彼ら。兵士たちは激しく撃ちあい、最終的に相手を撃ち殺した。

四人は再び車を走らせた。すると、猛スピードで追って来る車がいる。運転していたリーはサムに助言を求める。スピードを落として先に行かせるのがいい、という彼の言葉に従うが、追いついて来た車は通り過ぎず、並走し、いやな予感を皆に与える。しかし、それは記者仲間のトニーとボハイだった。

トニーは車が走っている最中、ふざけて窓から窓へと乗り移って来た。興奮したジェシーは自分も彼らの車に乗り移った。ボハイの運転する車はスピードをあげ、あっという間に見えなくなった。

リーがジェシーの身を案じていると、ボハイの車がドアを開けっぱなしで道端に停まっているのを発見する。用心深く車を進ませていくと、ジェシーとボハイが軍服を着ている男たちに捕まっているのが見えた。

このままではジェシーが殺されてしまう。サムは相手は政府軍でも西部勢力でもない、見られたくないことをしている奴らだ、危険すぎると忠告するが、足の悪い彼をのぞく3人は男たちのところに近づいて行った。

ジョエルは自分たちはロイターの記者で大学の新システムを取材に行くところだと男に語るが、男は関心を示さず、突然ボハイを撃ち殺した。命乞いに、「なぁ、同じアメリカ人じゃないか」とジョエルが語り掛けると、男は「どんなアメリカ人だ」と言い、ジョエルたちに出身地を言うよう促した。トニーが香港だと応えると、男は間髪入れずに彼を撃ち殺した。

サムの機転により、彼らはなんとかその場を脱出するが、サムは銃弾を受けていた・・・。

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』感想と解説

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映画は、「内戦」の状況を詳しく説明してくれないのだが、大統領が三期目だということや、FBIを解体したという台詞から、自ずと何が起こっているのか見えて来るように構成されている。

大統領の任期は憲法修正第22条で二期までと決まっており、三期目に突入するには憲法を改正しなくてはならない。また、FBIが機能しなくなったということは三権分立が崩れてしまったことを示している。つまり、この映画はファシズム政権が誕生してしまったアメリカ合衆国を舞台としているのだ。

独裁者である大統領に反旗を翻したのがテキサス州とカリフォルニア州による同盟軍・“西部勢力(Western Foces)”で、政府軍との間で全土に渡って激しい武力衝突が続いている。大統領はアメリカ国民に対して空爆も行っているらしい。

一見、突拍子もないように思えるが、社会の分断が日に日に顕著になっている今のアメリカ社会の状況を顧みれば決してありえない話ではない。現実と地続きともいえる臨場感が全編に渡って漂っている。また、分断はアメリカだけの話ではなく、決して他人事として観ることはできない。

よくアメリカの州に対して、赤い州、青い州という言い方をするけれど、それに従えばテキサスは共和党を支持する赤い州であり、カリフォルニアは民主党を支持する青い州だ。それゆえにこの二つの州が連合軍を形成していることに若干違和感を覚えてしまうのだが、このことに関しては、支持政党やイデオロギーを超えて同盟をむすぶほど、現在の政権がひどい政権であるということを端的に示しているといえるだろう。

と、同時に、本作の主題をぼやけさせないために、イデオロギー論争が起こることをあらかじめ封印する意図もあるだろう。

では本作の主題とは何だろうか。

本作の主役は、四人のジャーナリストだ。一人目はキルステン・ダンストが演じる著名な戦場フォトグラファーのリー・スミスだ。リーと言う名前は第二次世界大戦時に活躍した伝説的な女性戦場フォトグラファー、リー・ミラーを念頭に置いている。

彼女は記者のジョエル(ワグナー・モウラ)とコンビを組んでいて、誰よりも早く「D.C.」に行き、14か月もの間、一度もインタビューに応じて来なかった大統領に単独取材するつもりでいる。

当初は二人で行く予定だったが、諸々の事情で、ニューヨークタイムズにも寄稿するベテラン記者サミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)と新進フォトグラファーのジェシー(ケイリー・スピーニー)も同行することになった。

四人のジャーナリストたちは、ニューヨークを発ち、ワシントンD.C.までの1379キロの旅に出る。本来ならそれほど遠い距離ではないのだが、地上からしかいけず、戦地を避けて、ピッツバーグからウェストバージニア経由で進まなくてはいけない。

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本作はそうした四人の旅を描くロードムービーなのだ。そして彼らの旅の行程に伴い、私たち観客は、国が戦下にあるということはいったいどういうことなのかを彼らと共にまざまざと体現していくことになるのだ。

車の墓場と化したハイウェイ。ガソリンスタンドでの給油もままならず、そこでは公然とリンチが行われている。アメリカドルの価値はなくなり、カナダドルでのやり取りが行われる。激しい撃ちあいの中、次々と命が失われていく。スタジアムは難民キャンプに様変わりしている。狙撃してくる人物が誰かもわからないまま撃ちあいが続いている場所はクリスマスソングが流れているのに兵士と謎の狙撃手以外、街はもぬけの殻だ。またある時には、まったく戦争の気配も感じられない「トワイライドゾーン」のような街に出くわす(もっとも、そこにも実は戦争はやって来ているのだが)。狂ってしまったアメリカの姿が克明に描写され観る者の不安を掻き立てる。

終盤の市街戦に行くまでの行程の中で最も恐ろしい体験はジェシー・プレモンス扮する赤サングラスの謎の男たちとの遭遇だろう。

命乞いのためにジョエルが発した「同じアメリカ人だろ?」という言葉に赤サングラスの男は「どの種類のアメリカ人だ?」と返答する。彼は差別主義者であり、思いもしなかった行動に出てジャーナリストたちを震え上がらせる。この一連のシーンは身も凍るような恐ろしさだ。

当初この役に決定していた俳優が出演できなくなり、妻のキルステン・ダンストの演技の見学に来ていたジェシー・プレモンスが急遽、役を演じることになったという。彼ら、謎の兵士(?)たちがここで一体何をしていたのか、この数えきれないほどの遺体はどこから来たのか、それがまったくわからないことで恐ろしさが倍増する。

こうした道程の中、リーとの交流を経て、新米フォトグラファーのジェシーは一人前のフォトグラファーに成長していく。終盤、目的を失ったリーが戦場で身体が動かなくなっていくのに対して、ジェシーは果敢にカメラを構え、前進する。このジェシーの姿は、リーが彼女の年齢だった時の姿の反復でもある。ジェシーはジェシーであると共に、ジェシーはリーなのだ。私たちはジェシーの姿を見ながら、かつてのリーの姿を知ることになる。

ジェシーは憧れのリーを何度か被写体としてカメラに収めているが、それは期せずしてリーの記録として残ることになるだろう。映画の序盤のエピソードで自身の行動を責めるジェシーにリーは「自分を責めても意味がない。記録に徹することが大切」だと助言していたのだが、ジェシーはそれをやり遂げたとも言える。本作はジェシーの成長物語であると共に、新旧の世代交代を描いた物語とも言えるが、それ以上に深いものがここには存在する。

アレックス・ガーランドは結局のところ、ジャーナリストという存在を信じているのだ。国家の暴走とそれによって個人の自由が失われることに対する最後のディフェンスラインとしてのジャーナリストの姿を捉えている。

サミーが序盤に政府軍に近づけば即殺されると語ることからも、彼らジャーナリストは独裁政権にとって不都合な存在なのだ。写真とペンで、隠したい事実を公にし、様々な悪事を暴露する。嘘で固められた政府の公式発表を否定し、真実を淡々と突きつける。大半は金と権威でねじ込めたとしても、決して屈しないジャーナリストが存在する。

本作の主題はまさにここにある。

だが、アレックス・ガーランドはそれを正義の物語として描いていない。例えば、今から前線に向かうという段階で、ジョエルはアドレナリンが分泌して興奮を抑えきれないでいるし、死と隣り合わせの経験をしたあと、ジェシーはリーに「これほど恐怖を味わったことはこれまでない。でもこれほど生きているという歓びに駆られたことはない」と告白している。彼らは戦争に興奮し、歓びさえ感じていると解釈できるだろう。

そうした倫理的なグレーゾーンを映画は決して誤魔化すことなく描いている。そして、それはまた、映画そのものにも重なって行く。

例えば、銃弾を受けたサミーが車中、ゆっくりと息をひきとっていく過程において、攻撃を受けて燃え上がる森や街という車窓の風景を、飛び散る火花をスローモーションを使い、実に美しく描き切るのだ。戦争を美として描いているという誤解を受けることを承知の上で、美しさに魅入られたように表現している。

正しさを強調し、主張するのではなく、グレーゾーンまでを描くことが本作の誠実さでもある。人間とは複雑なものであり、芸術とは傲慢なものでもある。だが、リーが悲惨な戦場でシャッターを何度も何度も切り続けて来たのは、こうした悲劇を繰り返さないで欲しいという祖国への警告であったように、本作もまた、争いを起こそうとする国家や人間への警告たらんとして製作されたことは間違いない。

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