漱石さんと蕪村くん (original) (raw)

改めて夏目漱石の「草枕」が良く、あのコンパクトでリズムが良くて、でも描写は十分って文章は漢文がポイントなんだろうと思い色々調べていたところ、漱石と与謝蕪村の関係について書かれている本「月は東に 蕪村の夢 漱石の幻」を見つけた。

月は東に: 蕪村の夢漱石の幻 (新潮文庫 も 11-6)

この本において「草枕」は、蕪村の俳句に詠われている情景をモチーフにしたような描写が頻繁に出てくる、蕪村俳諧を小説化した作品だと解説されている。さらには「草枕」以外にも、蕪村の俳句から着想を得たのではないかと考えられる漱石の作品がいくつか挙げられており、読めば読むほど漱石が蕪村に多大なる影響を受けていたように思えてくる。そして、そんな蕪村の影響は漱石の俳句により色濃く現れている(ほとんど真似をしていると思えるほどのものがいくつもある。習作ってやつ)。漱石の文体のポイントは漢詩なんだろうと大した根拠もなく、そして検証や勉強をしてみることもなく適当に考えていたけれど、この本を読んでいると漱石は蕪村の俳句に影響を受けていて、漱石のリズム感が良く歯切れの良い文章は確かに俳句っぽいかもしれないと、なんとなくで腑に落ちた気になった。特にp256から始まる『漱石五首』と題された章では、漱石が自身の文体について悩んでいたことが書かれていて、どうやら散文に俳句的な表現を落とし込もうとして苦心していたようだった。

自分は大して作品を読んだわけでもないのに、松尾芭蕉よりも与謝蕪村の俳句のほうが好きだと思っていて、この本でも芭蕉の俳句と蕪村の俳句が比較されていた。芭蕉が「世界の外に通じる俗世放棄の道」を目指したのに対して、蕪村は「世の中の美しいものを見つけ、その芸術性により現実世界で過ごす日々を明るくしよう」とする道を選んだ。自分が芭蕉の句から受け取る自我の強さというか、悟ってます感が苦手なのは、無理やりに求道的に世の中を見ようとしているからか、なんて思ったりもする。

「此道このみちや行人ゆくひとなしに秋の暮」と芭蕉は「一筋」を吟じた。だが、蕪村は「門もんを出いずれば我も行人ゆくひと秋のくれ」と詠む。
そう。これこそが、正真正銘の「第三の道」である。芭蕉が「此道や行人なしに」と誇らかに詠んだ秋の暮れ、蕪村も、ふと、わが家を立ち出てみる。むろん、そのまま求道の旅に出られるわけもない。けれど、一歩、門を出れば、自分もまた「行人」のように見立てられるではないか、というのだから。そして、ここから蕪村の世界が夢のように広がっていくのである。 p55

秋の暮れ、道の先に人の姿が見えない風景から、何となく寂しい気持ちを掬い取った芭蕉お得意の”さび”的な俳句よりも、たとえ目の前の道を誰も歩いていなかったとしても、「一歩、門を出れば、自分もまた「行人」のように見立てられるではないか」と考えられる蕪村の明るさ、朗らかさ、前向きで開けた感じが自分は好きなのかもしれない。ただ芭蕉と蕪村を比較したそんなことは、すでに正岡子規が「俳人蕪村」により詳しく書いてくれている。

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自分が感じる蕪村の明るさというものは、正岡子規が言うところの積極的美ってやつである(蕪村の積極的な美に対して、芭蕉のものは消極的な美である)。そして何より、自分が蕪村の俳句が良いと感じていたその理由は、蕪村の俳句が客観的美に優れたものであるからだと正岡子規の批評を読んで思う。客観的美を表現した俳句の味わいはほとんど絵画を眺めるようなもので、そんな蕪村の俳句には対象をありのままに淡々と詠んだものが多い。正岡子規が蕪村の絵画的な俳句として挙げているものの中でも、自分は

夕風や水青鷺あをさぎの脛はぎを打つ

が好きで、川の流れの中でじいっと立っているアオサギの姿を、風の通る河川敷の土手の上から見下ろすみたいな光景が想像できて良い。落ち着く。自然にものを見た結果詠われる蕪村の句、それは漱石の「草枕」の

住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかにいえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もわく。着想を紙に落とさぬとも摎鏘きゅうそうの音おんは胸裏に起こる。丹青たんせいは画架に向かって塗末とまつせんでも五彩の絢爛けんらんはおのずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収めえれば足る。

夏目漱石「草枕」

そのものの実践のように思える。とはいえ正岡子規は、芭蕉の俳句にも客観的美を詠ったものがあるとしていくつかその例を挙げており、その中には読んでみれば良いと思えるものもあり、自分はろくに芭蕉の俳句に触れずして偏見でものを語っていたんだと、分かっていたことでありながら反省した。それにしても「俳人蕪村」において正岡子規は、蕪村と比較して芭蕉をなかなかにこき下ろしている。まるで世の中で売れてはいるけれど、その良さが全く分からず過大評価に思えて気に入らねえんだわ、と言うかのように。

大学生くらいのころには、俳句よりも短歌のほうが、三十一文字と情報量が多いために書かれていることが分かりやすくて面白いと思っていたのだが、最近は俳句の風景を切り取って描写しているシンプルな感じが好みになってきた。俳句は短いから体言で止めるみたいな書き方が多く、短歌は文字数に余裕があるから連用形で言葉を繋ぐことが多い、そのキレの違い。そうは言いながらも、俳句を鑑賞していてもピンと来ないことも多く、自分は文章から映像を思い浮かべる能力が欠如している気がする。さらには俳句単体での鑑賞よりも、小説や随筆などの散文の中に引用されている俳句を鑑賞するほうが、理解ができるというか、意味が分かったような気になれる。国木田独歩の「武蔵野」の中で与謝蕪村の俳句が出てくるところなども、それを読んで良いなと思うのだけれど、それはその俳句に至るまでの独歩の風景描写のおかげのように思う。

日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁しむ、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放はなつているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落しそうである。突然また野に出る。君はその時、
山は暮れ野は黄昏たそがれの薄すすきかな
の名句を思いだすだろう。

国木田独歩「武蔵野」

この俳句の良さというか、書かれていることが分かった、解釈できたのは、その前に書かれている「日が落ちる……」の部分が言わば助走のように、補助線のようになっているからで、突然この句だけをポンと目の前に出されてみれば、それほど良いなあと思うことはなかったような気がする。それは大学生のころに短歌にハマっていた(というか穂村弘にハマっていた)ときも同じで、穂村弘の短歌を本人と山田航が解説する「世界中が夕焼け」という本を面白いなあと思いながら読んでいたのだが、それは短歌自体を純粋に楽しんでいたのではなく、むしろその後に控えた二人の解説を面白いと思って読んでいた節がある。多分、自分は俳句や短歌をそのままでは面白く感じられない程度の感受性で、俳句や短歌がなにかしらの文章に付属してある状態じゃないと楽しめない、楽しみにくい。穂村弘の「世界音痴」というエッセイの、各話の最後に短歌が一句引用されている形式が好きだったのも、エッセイの部分が短歌に物語というか意味を付け足してくれ、それにより一気に短歌の意味が理解しやすくなった気になったからだった。中には単体で鑑賞しても映像が浮かんでくるものもあるのだけれど、それは自分が見たことのある光景に近いものを読んでいる作品で(上に挙げた「夕風や水青鷺あをさぎの脛はぎを打つ」もそう)、結局自分は自分の経験や思い出をフッと蘇らせてくれるものにしか感動しないのかもしれないという、これまで何度も思ってきたことをまたここでも思った。