20インチ光電子増倍管開発ストーリー | 浜松ホトニクス (original) (raw)
20インチ径の光電子増倍管の試作は、昭和55年10月より行われた。中でも最大の難関はガラスバルブとステムの封止作業であった。これには当時、ガラス作業全般の指揮をとっていた、当社におけるガラス加工の第一人者があたることとなった。封止口が10インチ径で、硬く肉厚(4mm)のガラスバルブは通常のガスバーナーでは容易に加工できず、封止用として10連の水素ガスバーナーを使用し、さらに徐冷用に2台の大型バーナーを併用する大型ガラス旋盤を必要とした。
しかしこの封止による高熱はダイノードを酸化させ、ゲインの低下につながった。そのため徐冷時間を短く切り上げると、封止口の両側5cmの部分に歪みが生じて割れてしまうのである。そこでガラスバルブの厚さを4mmと薄く均一化することと、徐冷方法の改善によってこれを乗り切ったのだが、封止作業は内部の窒素ガス置換作業を含めて約1時間にも及んだ。
このバルブ材料として採用されたハリオ32は、堅牢で割れにくいという特性を持ち、大型管には最適なガラス素材である。しかし4mmの厚さで均一にガラスバルブを吹き上げることはまさに至難の業であった。ハリオ32のバルブ吹き上げ技術者は、その経験と努力の末にこれを解決して安定的な供給を可能にし、これによってコンスタントな生産が行えるようになった。
水圧に対する特性については、大型の耐圧試験機を設計して測定した結果、8気圧以上の圧力に耐えられることが判明した。また、輸送時の万が一の破損を考慮して光電子増倍管の爆縮具合も調査した。落下実験では、覆われたビニール袋によってガラス破片の飛散は防ぐことはできたが、爆縮の際の音は周囲にとどろいた。
ダイノードなどの電極類の重量は組み上げると2kgを超え、従来の光電子増倍管とは比較にならなかった。また、コスト削減のために電極に使用するステンレス板には、従来から使用されていた高価な電子管用非磁性ステンレスに代えて、家庭用流し台などに使われる廉価な汎用ステンレスを初めて採用した。ダイノードは75mm角の大型ベネシアン・ブラインドタイプ(*5)を用いた。これによって20インチ管を、非常に広角視野型の光電子増倍管とすることができたのである。
電極の支持には、7mm幅のステンレス板を使用した。さらに耐振性を向上させるために電極保持には大型の板バネを使用し、ステムはリード線上部をガラスリングで固定して強化を図った。また、ベネシアン・ブラインド型ダイノードは光の入射位置に対するアノード出力の均一性アップのため、すだれ状の電極をその中心から対称に配置する工夫がなされた。ダイノードへのアンチモン金属蒸着には、高感度化で実績のある技法が採用されて効果を上げた。このように、それまでに蓄積された数多くの高い製造技術が、この20インチ径光電子増倍管の開発のために集大成されたのである。
光電面の活性化作業は第6部門が担当した。当初、ガス抜きのために2日間かかってベーキングを行い、3日目に光電面をつくるという工程で臨んだが、何しろ20インチ径という巨大な光電子増倍管である。うまく光電面ができるかどうか、1本目の光電子増倍管が完成するまで不安な日々が続いた。しかもアンチモン蒸着などの作業は、すべて排気作業を行う者の目と勘に頼る以外に方法はなかった。また、従来の光電子増倍管はその取り付けから切り取りまで手に持って作業するが、20インチ管は光電子増倍管を固定したまま作業者がその周囲を動いて作業をするのである。作業者は防爆面がついたヘルメットを被り、踏み台を使って大型排気台のテーブルの上に乗り、取り付けから光電面の作成、切り取りまでを行った。
光電面製造過程の酸素放電の色も見ごたえがあり、またアンチモンを蒸着し、カリウムを反応させると一瞬にして見事に理想的な光電面の色合いに変わり、排気台を囲んだスタッフから歓声が上がった。まさに感激の瞬間である。排気台には初めて本格的に4インチ型油拡散ポンプを採用した。活性用の炉は上下に2分割された横型据置炉を使用したが、実際の生産用には光電子増倍管を立てて取り付けて縦型の電気炉を使った。光電子増倍管は保安のために金網で覆い、移動はクレーンで行った。
新しい光電子増倍管を開発する場合、光電面活性の条件がなかなかつかめず、何度も失敗を重ねながら追い込んでいくのが常であったが、この20インチ管は1本目から波長400ナノメートルの量子効率が目標の20%を超え、ゲインも2本目で100万倍を突破した。すでにこの時点で開発の大半を終えてしまったのである。当社における多くの試作開発の中でも、これだけの大型管球の開発がわずか数本を作ったのみで特性の目標を達成し、成功を収めたのは極めて異例のことである。
特性評価は大型の暗箱を製作し、これに分光器や発光ダイオードを取り付けて測定を行った。当初、アノードにおける感度の均一性が悪かったため、第1および第2ダイノードの形状や組み合わせを変更してこれを改善した。
東京大学からの当初の要求は特に時間特性に重点が置かれていたが、開発の後半になってエレクトロン(e)とミューオン(μ)(*6)を区別するためにシングル・フォトエレクトロンの分解能の向上を強く要請された。当時のベネシアン・ブラインド型ダイノードは収集効率が低かったために信号が小さく、この点では特性的に充分なものであるとは言えなかった。しかし、光電子増倍管を実際に使用する水温条件にまで冷却すると暗電流が低下してSN比(*7)が改善され、使用可能と判断された。尚、この2つの特性は、後年のさらに大規模な実験施設「スーパーカミオカンデ」で採用される20インチ径光電子増倍管の開発時に、大幅な改善をみることとなる。
昭和56年1月、試作管を東京大学に納入、翌2月に事実上の開発が終了した。試作管はわずか20本、試作に要した期間も5ヶ月という短いものであった。この試作管はR1449として登録され、2月25日、東京大学・高エネルギー物理学研究所より20インチ径光電子増倍管の開発完成が新聞発表された。
こうしてR1449の本格的な生産に着手した。生産は豊岡製作所において第7部門が担当し、約30名のメンバーでスタートした。
生産を開始した当初は歪みによるクラック(ひび割れ)やゲイン低下などの不良が発生してその対応に追われたが、 通算の良品率は70%と高い値であった。この生産は同年5月に完了した。
こうして昭和57年5月、岐阜県吉城郡神岡町の神岡鉱山の地中に設けられた東京大学宇宙線研究所の核子崩壊観測実験施設(カミオカンデ 【KAMIOKANDE; KAMIOKA Nucleon Decay Experiment】)へ、世界最大の20インチ径光電子増倍管1050本を完納した。地下1000メートルに設置された大水槽の内面には、壁にも床にも天井にもR1449が取り付けられた。そして1000個の大きな目が、陽子崩壊の瞬間を捕らえようと静かに睨み続けることになった。