感想『ガールズバンドクライ』 同期する映像も、解像度の高い音楽も、構造美な脚本も、このアニメに全部、全部、ぶちこめ! (original) (raw)

ゴールデンウィークが明けた頃だったか。YouTubeで偶然目に入った動画をなんの気なしに再生し、度肝を抜かれた。

なんだこれは。バンドを題材としたアニメのライブシーンらしいが、世の中にはこんな映像が存在するのかと。本邦のTVアニメでこのカメラワークが成立するということは、つまりモーションキャプチャーで動きを撮っていると思われるが、それにしても演出がえぐすぎないか。楽器の質感、ディテールもどうだ。照明に照らされて舞う埃にはもはや執念すら感じる……。

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何度か繰り返して観ると、その作り込みや凝りように舌を巻くばかり。

この手の映像が陥りがちな「観客がゾンビのようなコピペに見える」ことはなく、むしろスマホを思い思いにかざして録画しているのがイマドキではっとさせられる。前奏で背中を見せ腕を突き上げるボーカルの女の子が、足元のアップで観客側に振り向く。ドラムの横にパソコンが置いてあるから、これでベース等の他の音を鳴らしているのが分かる。加えて、ドラムを叩きながら視線がタムやシンバルに細かく配られる臨場感。曲がぐっと盛り上がってサビに突入すると、一気にカメラが引き視界がぼやける。刹那、ピントが合うと爆上げ状態のフロア。心底楽しそうにヘドバンするボーカルとギター、そしてラオウを幻視する最後の決めポーズ。なんだこりゃ。すごい。ボーカルの女の子、小柄な印象なのになんでこんな全体的に「武」のオーラなの。

それが、アニメ『ガールズバンドクライ』との出会いだった。調べてみるとU-NEXTで配信しているとのことで、放送分を一気に観てしまった。お、面白い。これは面白いぞ。そこからはリアタイで追う。放送が金曜の24時半、そして配信(またの名を地方民救済措置)が夜中1時解禁なので、最初は土曜にゆっくり起きて観ていた。が、いつしか我慢できなくなった。まずは土曜の早起きから始まった。5時に起きて配信を観た。4時に起きてU-NEXTを開いた。なんのことはない、もう四捨五入したらアラフォーだ。朝が早いのは慣れている。しかし、本気で待ちきれなくなると夜更かしして1時まで起きるようになった。なんてこったい。そこからSNSで感想を追ったりしてると平気で2時か3時になるんだぞ馬鹿野郎。かくして、久しぶりに私の睡眠時間を害してくれた作品であった。

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熊本から上京してきた主人公・井芹仁菜が、傾倒するガールズバンド・ダイヤモンドダストの元ボーカル・河原木桃香と出会う。紆余曲折を経て、ドラムの安和すばる、キーボードの海老塚智、ベースのルパと、5人組のトゲナシトゲアリを結成。それぞれの過去や抱える課題を補完し合いながら、いつしか武道館という目標を睨んでいくメンバーたち。新ボーカルを迎えメジャーデビューしたダイヤモンドダストをライバル視しつつ、出演したフェスで爪痕を残すことに成功。しかし、その先に続く音楽で食べていく道は、共存共栄、足の引っ張り合い、本音と建て前が入り混じる世界で……。

何より私の琴線に爪痕を残したのは、先にも触れたライブシーンである。この感動を語るのに、遠回りして『THE FIRST SLAM DUNK』の話をしたい。

井上雄彦が『リアル』にてスラムダンクのアニメをやや揶揄するようなシーンを描いたのが、強烈に印象に残っていた。今になって、いわゆるアニメ的な演出や誇張がバスケットボールの “リアル” を損ねてしまっていたのでは、と思うところである。原作者自ら監督した『THE FIRST SLAM DUNK』は徹底的なモーションキャプチャーで動きを撮り、それを土台にアニメーションを起こしている。つまり、シュートを決めて「よっしゃ!点が入った!」とキメたくなるシーンで既に相手チームの選手はコートの反対側に駆け出していたり、パスを貰う味方がその前のカットで事前に回り込んでいたりと、ハッタリやトメが効かない無慈悲なリアルタイム性が試合を支配していたのだ。この、あらゆるキャラクターが常に動き回り、カットやアングルが切り替わってもそのモーションが同期され連続していく様子が、井上雄彦が追求したかった「バスケットボールのアニメ」なのかもしれない。だからこそ、手に汗握る臨場感がそこにある。試合そのものが目の前で起きている不可逆な戦いだと肌に伝わってくる。

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『ガールズバンドクライ』のライブシーンに覚えたのは、これらの「リアルタイム性」「臨場感」「不可逆」などの感覚だ。作画によるカット毎の美しさや精密さ、それらがぬるっと動くことによる脳汁の分泌とは違う土俵の、同期された動きが醸すリアルタイム性。パフォーマンスで歩き回り腕を振り上げるボーカルの動きが、カットやアングルが切り替わっても常に連続していく。さながら、複数カメラで捉え編集された本物のライブ映像ではないか。画面の端に映るドラムも、観客に遮られ見切れるベースも、よく見るとしっかり曲に合わせた動きをしている。脳が、「本当に叩いている」「本当に弾いている」と認識してしまう。アニメーションの映像に対して。

この、どこか認識がバグるような感覚に、私はかなり早い段階で取り憑かれてしまった。加えて、特撮ヒーローで喩えれば「変身シーン」「アクションシーン」にあたるこれらのライブ映像を、『ガールズバンドクライ』はきっちり必殺技として使いこなしていく。変身シーンを盛り上げるためには、その変身に至るキャラクターの動機が魅力的でなければならない。アクションシーンはただ戦うだけに非ず、日常シーンにおける感情や緩急がその動きに活きてこそ映える。もし変身しない回が続くのであれば、焦らしと引き換えに大きく見せ場を設けるべきである。必殺技を必殺技たらしめるには作劇の交通整理が欠かせない訳だが、本作はそこに極めて自覚的であった。

そんな魅惑のライブシーンに欠かせないのが劇中バンド・トゲナシトゲアリの楽曲だが、これは音楽プロデュースを担当した玉井健二のインタビューに読み応えがある。

ーーメンバーが決まる前から楽曲制作を進めていたそうですが、トゲナシトゲアリは葛藤やネガティブな要素、シリアスな空気を纏っている楽曲が特徴ですが、この方向性はどの時点で決まったのでしょうか。

玉井:まず『ガールズバンドクライ』のストーリーのプロットが上がって、(夕莉が演じる)河原木桃香のキャラクターが見えてくる。出身地や年齢、パーソナリティなどの設定を現実の世界に落とし込んだときに、「彼女くらいの年齢のギタリストがどういった人生を歩んできたのか」と自分の中でプロファイリングするんです。彼女は2000年代初頭のバンドサウンドとボカロ曲に触発されているはずで、人間が歌えないような譜割りの曲をバンドでやろうとする。今はそういったバンドもたくさんいますが、おそらくその走りに引っかかるぐらいの年齢でギターや作曲を始めた。そういった段階を踏んでいく中で、聴く音楽も変わってくる。ギターを弾き始めたときに聴く音楽はギターが軸になるでしょうし、作曲を始める頃にはクリエイター視点で音楽を聴くようになる。それぞれ、「だいたいこれくらいの年代かな」と当てはめながら、「iPhoneで出会える曲の中で反応したであろう曲はこのあたりかな」と、年代だけでかなり絞れるわけです。その中で、ひとつ特徴としてあるのが「BPMが高速である」ということと、こういった音楽遍歴を経てきた人は「マスに満遍なくウケそうで安易に聴こえるポップさを回避するだろう」ということ。そこを踏まえて、最初に「名もなき何もかも」を作ったんです。

玉井健二、『ガールズバンドクライ』の隠れテーマは打倒K-POP? プロジェクトを越えた、世界で勝てるバンドの可能性 - Real Sound|リアルサウンド

こういったプロファイリングを踏まえて楽曲を聴くと、その解像度の高さというか、「ありそう」なニュアンスにより感銘を受ける。安易なポップさを回避しつつもキーボードの洒落っ気が印象的な『名もなき何もかも』。変拍子の緩急とサビの早口で捲し立てる『雑踏、僕らの街』。言葉遊びとライミングを高速BPMに乗せて疾走する『空白とカタルシス』。確かに「ボカロ以降」の楽曲だし、それでいて「バンドサウンドらしさ」が担保されている。実在しないものを再現したかのような手触りだ。

名もなき何もかも

名もなき何もかも

雑踏、僕らの街

雑踏、僕らの街

空白とカタルシス

空白とカタルシス

また面白いのが、このプロファイリングや解像度の高さは、トゲナシトゲアリの楽曲だけに収まっていない。後にメンバーに加入する智とルパのユニット「beni-shouga」は、配信活動で名を挙げプロの誘いもあったと劇中で描写されたが、聴いてみると完全に「YOASOBI以降」の音作りである。どう聴いても確信犯(誤用)だ。また、桃香が脱退した後のダイヤモンドダストはアイドル企画バンドに路線変更したとされているが、「大手レーベルがインディーズで人気のガールズバンドをデビューさせた際に歌わせそうなキラキラ&ゴリゴリのロック」の編曲があまりにそれすぎて笑ってしまう。原曲『空の箱』に『ETERNAL FLAME』なんてクソみたいなタイトル(褒めている)を付けちゃう辺りも最高なおふざけだ。

心象的フラクタル

心象的フラクタル

ETERNAL FLAME 〜空の箱〜

あと音楽的な演出で触れておきたいのが、ライブシーンではしっかり「リリースした楽曲とは違う音源」を使用している点である。冒頭で映像に触れた『視界の隅 朽ちる音』でいくと、仁菜が初のライブハウスで緊張しているのか、ブレスを含め音の最後を切るようなやや拙い歌い方になっている。桃香のコーラスもボリュームが大きいし、言うまでもなく反響を加味したエフェクトも効いている。そして最も変態的なのは、リリース音源とは異なりギターが向かって左にパンしてあるのだ。つまり「観客から観たギタリストが演奏している側」だ。ここまでやるか……!

さて。そんな凝りに凝られた映像や音楽の数々だが、その必殺技はきっちり組まれたストーリーの上でこそ真価を発揮する。『メガミマガジン』掲載の平山プロデューサーのインタビューによると、オリンピック後の景気が悪くなる世の中において、若い人たちの力になれるような作品を目指したという。平たく言えば、「観れば元気が貰えるアニメ」だ。そして、そのど真ん中をきっちり駆け抜けてくれたように感じる。メンバー間のギスギスとか、喧嘩とか、それらが時にあったとしてもただの課程に過ぎない。重要なのはED時の「観心地」なのだ。

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主人公・井芹仁菜は、度々「私は間違ってない」と自問自答する。シーンによっては相手を罵倒するような起伏もあったとはいえ、彼女は根本的なところで「相手を打ち負かしてやろう」とか「ムカつく奴をこらしめてやろう」とは思っていない。徹頭徹尾、「自分が間違ってない」ことを叫び、その信念を貫くことを前提に行動を起こす。劇中でも幾度と「正論モンスター」といじられたが、彼女ほど正論に殉じて真っ直ぐに生きられたらどれだけ美しいか。どれだけ楽しいか。世間知らずで若いからこそ体現できるその生き方は、壮年の自分にとって驚くほど眩しい。

しかしながら、そんな一歩間違えれば自己中心的で傍迷惑な主人公を、花田十輝脚本はものの見事に「なんだかんだで好感度が高い女」に仕上げていく。この脚本の妙、テクニックには天晴である。シーリングライトを振り回し通行人を襲い、飲食店で店員に中指を立て、居酒屋で他の客の目も気にせず大声で喧嘩し水をかけ、ライブのMCで「予備校を辞める」と言い放ち観客ごと場を凍らせる女の好感度が、なんだかんだで高い!?

そういう意味でいくと、作中で仁菜の行動を「ロックだ」と評するくだりは、私はあまり要らなかったかなと感じている(キャラクター同士の一種のコミュニケーションであることは踏まえつつ)。「ロックに生きる」という形容が持つ反骨精神や反体制のイメージは、私が受け取った井芹仁菜の生き方とは似て非なるものだからだ。彼女が持つ信念のようなもの、それを実行し貫こうとするモーションが結果的に反骨に映る構造であり、彼女自身が体制に反したい熱を宿している訳ではない。

あまりに既存の「ロックに生きる」に捕われると、仲間を得て、愛せる街を知り、父親と和解し、友人の本音を悟った仁菜は、まるで “弱体化” したようにも映る。棘が抜けたように見える。しかし、そうではないのだ。11話、『空白とカタルシス』を歌う彼女から伝わる通り、井芹仁菜は「自身が体験した鬱屈した感情をエミュレートし歌にぶちこむ」そのスキルを会得したのである。父親や友人との関係が修復されたとしても、それでも、「あの時に感じた黒い感情」が消えて無くなる訳じゃあない。だからこそ、それを音楽という形で出力する。このコントロールを、マインドネスを、イズムを、彼女は見つけたのだ。旧ダイヤモンドダストの『空の箱』を起点に駆け抜けた全13話で、根本的な「私は間違ってない」を一切悔い改めることなく、それでも彼女が成長したように感じられる要因は、まさにここにある。音楽が、そしてそれを共に奏でられる仲間が、彼女の生き方の芯になったのだ。

だからこそ、最終話で事務所を退所する流れも、実のところ「ロックに生きる」の文脈ではない。破天荒で型破りなそれでもない。「私は間違ってない」を貫くために恩義のある事務所に筋を通す、そんな任侠にも近い彼女たちの「仁義」だ。

若さの産物という前提があったとしても。それでも、井芹仁菜の生き方は観ていてとても元気を貰える。自分の信念通りに正論を振りかざし、それを貫くための鍛錬を惜しまない。熱中できることと出会い、そこに感情と魂をぶつけるスキルを習得していく。そして、だからこそ、感情をろ過した先で実生活と改めて向き合うことができる。現実と、そして折り合いを、静かに確かに学んでいく。嗚呼、あるいは自分もこんなふうに生きてみたかったな、と。意識・無意識に関わらず、多くの視聴者がそんな羨望を抱いたのではなかろうか。

シナリオ面でいくと、そういった井芹仁菜の求心力のある造形を筆頭に、1クールの構造美に極めて優れていた。「桃香とダイヤモンドダストのメンバーは道を違えてどういう関係性にあるのか」「仁菜とヒナの間に何があったのか」等々を、目配せしつつ引っ張りここぞのタイミングでアンロックする絶妙な構成。メンバー個々の過去を現メンバーが補完する正道な組み立ても、前述の通りライブシーンでちょうど爆発するよう計算されている。台詞で説明しすぎることなく、ちょっとした表情とやり取りで受け手に文脈を汲ませる上品さ。仁菜と桃香の魂のカップリングとも言えるヘビィな関係性。勝ち負けは大事だけど実は勝ち負けじゃない、これは「生き方の話」だという、『スティール・ボール・ラン』ばりの爽やかな敗北を描く最終話も良い後味だ。

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「観たことのない展開」「ハッタリの効いたシナリオ」ではなく、どちらかといえば「分かりやすいお話の筋」、それを動かすキャラクターという構造それ自体で造っていく。だからこそ土台が厚く感じられるし、強さを覚える。どこかどっしりしている。泥臭く過去を乗り越えようとする5話、ビンタの切り札が天才的な8話、ライブシーンで語り尽くす11話と、俗に言う「神回」が何度も訪れる。この幸せよ。

映像、音楽、脚本。更には、本企画を出発点としてグルーヴを増していくリアルのトゲナシトゲアリも、およそ全てのセクションが「しっかりしている」し、「ちゃんとしている」。美点にも弱点にも自覚的で、総合力で攻めるクレバーさがあり、何よりも「良いコンテンツ」を造ろうという意志の下に各セクションが見事に機能した、ように感じられる。ある種の博打であるオリジナルアニメにこれだけのリソースや情熱が注ぎ込まれたことに、一介の社会人として敬意を表するばかりである。

とても久しぶりに、1クールのアニメを高い熱を持って追いかける機会に恵まれた。いやはや、心底楽しかった。もちろんBlu-rayも購入した。続編を望む気持ちもあるが、一方で、1クールの起承転結やテーマの消化があまりに綺麗で、この美しい構造に何かを付け足して良いものかと逡巡してしまう。現状、本コンテンツにハマりすぎており、キャスト陣の配信イベントやウェブラジオをほぼ欠かさず追いかける日々を送っているが、それはそれとして心の中に井芹仁菜を(適度に)棲まわせながら生きていきたいものである。

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— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2024年5月14日

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