京響定期で、阪哲朗による想像を越えたドボ8に遭遇する (original) (raw)
今日は京都に向かう
翌朝は7時ごろに上の階がドタバタし始めたせいで目が覚める。安ホテルの宿命でとにかく遮音が悪いのがこのホテルの難点だ(ホテル側は対策として耳栓を配布している)。
さて今日の予定であるが、京都まで長駆するつもり。目的は京都市響の定期演奏会だが、その前に嵐山の福田美術館に立ち寄るつもり。とりあえず荷物をまとめると朝食を摂ってから京都に向かうことにする。
朝食に立ち寄ったのは前回も利用した「ラ・ミア・カーサ」。モーニングを注文する。なかなかのボリューム。
ラ・ミア・カーサ
ボリュームのあるモーニング
朝食を終えると動物園前から阪急で嵐山に向かうことにする。淡路で乗り換えるとやけに雅な特急がやってくる。どうやら阪急が観光客向けに新調した観光特急の模様。淡路の後は高槻まですっ飛ばして桂まで直行というのがいかにも観光特急。乗客もあからさまなインバウンドが多い。
やけに雅な観光特急
内部は和のテイスト
桂駅で嵐山線に乗り換えると、終点の嵐山駅へ。観光客がゾロゾロと渡月橋方面に向かうのについていく感じ。私の目的地は渡月橋を渡ったすぐ先にある。
桂駅に到着
「福田どうぶつえん(後期)」福田美術館で10/1まで
嵐山の福田美術館
福田美術館が所蔵する動物画を展示した展覧会の展示作を大幅に入れ替えての後期。
今回は後期になる
前期では大橋翠石の虎の絵から始まったが、後期は同じく大橋翆石のライオンの絵からである。相変わらず、なぜネコ科を描かせるとこんなに上手いのやら。ちなみに二階展示室には、同じく翠石が描いた猫の絵も展示されている。やっぱりネコ科にこだわりがあるんだろうか。
大橋翠石「獣王図」
大橋翠石「遊猫之図」
大橋翠石「仔猫之図」
前期には与謝蕪村の「猫っぽいトラ(実際に猫をモデルに描いている)があったが、後期は建部凌岱の「もろに猫をモデルに描いたトラ」が登場。解説によるとトラは昼行性なので瞳は丸くて三日月形になることはないのだとか。瞳が三日月形をしている時点で、モデルが猫なのが丸わかりとのこと。実際にやっぱり虎というよりはどうしても猫っぽい絵ではある。
建部凌岱「虎図」
動物を描いているものの、動物画ではなくて歴史画であるのが菊池契月の「松明牛」。いわゆる倶利伽羅峠の戦いの一場面を描いているもの。
菊池契月「松明牛」は実は歴史画
また呉春の「草屋洗馬図」は馬のいる山村の風景というところ。
呉春「草屋洗馬図」
馬の絵で印象深いのは野沢如洋の「駿馬図」。まさに馬が躍動する力強い絵画である。ちなみに野沢如洋は青森出身で馬の絵が得意だったことから「馬の如洋」と言われていたとか。
野沢如洋「駿馬図」右隻
同じく左隻
これ以外では木島櫻谷の猪の絵や、下村観山のやけに品の良い鹿の絵などもある。
木島櫻谷「野猪之図」
下村観山「雨の春日」
なお大橋翠石については「何も描けるのは虎だけではない」と言わんばかりに鹿の絵と猿の絵も登場。全く何でこんなに動物画が巧みなんだろうと驚くところ。
大橋翠石「瑞祥」
大橋翠石「渓山双猿之図」
前期には応挙のモフ図に対して、微妙にかわいくない若冲の犬の絵があったが、芦雪の犬は流石に応挙の弟子だけあって、モフ図の系譜を引く。
明らかに応挙のモフ図の系譜に連なる長沢芦雪の「猫と仔犬」
以上、再び動物画を楽しんだ次第である。それにしても竹内栖鳳の獅子の絵や関雪の馬が出てこなかったのは少々寂しい。
美術館の見学を終えると移動。相変わらず嵐山は外国人観光客が異常に多く、またそれを見込んだボッタクリ店ばかりなので、昼食を摂るのに使えるような店は全くない。こういうところはさっさと撤退するに限る。嵐電と地下鉄を乗り継ぐとホールのある北山まで移動してしまう。
混雑する嵐山から嵐電で移動
とは言うものの、北山界隈もそんなに店があるわけではない。ダメ元で覗いた「東洋亭」は相変わらず待ち時間85分などと言うふざけた状況なのでパス、とんかつは先週行ったし、ラーメンなんか欲しい気分でもない。結局は何の工夫もないままに「そば料理よしむら」に入店する。
北山の「そば料理よしむら」
ここも毎度の事ながら昼食時は待ち客がいる。ただ洋食よりはそばの方が回転は早めなのが救い。10分ほど待ってから席に案内される。ここは丼類はあまり美味しくないという記憶もあったことから、「そばづくし膳(1780円)」を注文する。
そばづくし膳
10割そばに田舎そば、とろろそばがセットになったそばオンリー膳である。純粋にそばを楽しむために汁だけでなく塩までついているそばマニア向けだが、私はそこまでのそば通ではないし、それに最近は味覚もかなり鈍っている。もっともここのそばについては、以前から特にそばの香りを感じたことがないのだが・・・。
京都コンサートホールへ
昼食を終えるとホールへ。場内はまずまずの入りである。例によって私は3階席正面(1階席の美味しい辺りは年間会員に押さえられてしまっており、セレクト会員の私にはこのぐらいの席しか取れない)。日曜会員を廃止してフライデーナイトを設定した改革は、やっぱり私個人にとっては完全に改悪(フライデーナイトにお得感が全くない上に、土曜がメインになったことで大フィルとの日程被りが増えた)。
3階席正面から
京都市交響楽団 第693回定期演奏会
[指揮]阪 哲朗
ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 作品88
ブラームス:ハンガリー舞曲集から、
第1番、第4番、第5番、第6番、第7番、第10番
ドヴォルザーク:チェコ組曲 ニ長調 作品39
阪哲朗によるスラブ系プログラム。
まず一曲目はドボ8ことドボルザークの交響曲第8番。この曲は「ドボルザークの田園交響曲」という呼び名もあるぐらい、ボヘミアの田園風景を連想させるようなのどかさのある曲である。実際のチェコフィルの公演では、最初の一音から目の前にボヘミアの平原が広がったのを明瞭に覚えている。
しかし阪の演奏には驚かされた。最初の一音から明確に方向性が異なる。やけに仰々しく聞こえるその音色には田園ののどかさは皆目ない。つまりは田園交響曲ではない第8番が始まったのである。
もう曲の雰囲気自体が「えっ?これがドボ8?!」と思うぐらいに全く異なる。非常にドラマチックでロマンチックな演奏であり、この曲がこんなにも渦巻くような劇的内容を秘めていたとは今まで考えたこともなった。阪の演奏は謂わばオペラの一編のようなものであり、非常に起伏のある演劇的なものである。例えば第4楽章冒頭のトランペットの斉奏などは、通常はボヘミアの平原に響き渡る牧童のホルンのようなイメージがあるが、阪の演奏では堂々たる騎士の入場という趣がある。そしてその後は村祭りのドンチャン騒ぎというイメージではなく、円卓の騎士による正義の戦いという趣になる。そしてそのまま堂々たる大団円である。
正直、唖然としてしまった。こんなドボ8を聴いたのは初めてである。クラシックでは指揮者の解釈で曲が一変してしまうことは普通にあるが、ここまで変化するとは・・・。もうこうなったら評価としては、これはあり得ないかありかということだけになってしまうのだが、私の感想は「あり」。チェコフィルなどの伝統的なアプローチとは全く異なるドボ8を提示してことで非常に興味深いものがある。
後半はまずはブラームスの通俗的人気曲。元々受け狙いのやや下卑たところもある曲であるが、それを非常に振幅の大きい表現をとってくる。いかにも舞踏曲というイメージそのままだが、人によっては下品と感じるかもしれない。実際にここでは京響の高尚にして完璧なアンサンブルをあえて捨てて、それよりもノリを優先している空気がある。だから前半のドボ8とは全く異なる音色を京響が出している。
後半二曲目がチェコ組曲。これはまた先程と音色が変わり、やや高尚さが復活する。そうなると前面に出てくるのが京響のアンサンブルの美しさである。その美しさを中心に曲をまとめてきたという印象である。
まあとにかく最初のドボ8に度肝を抜かれた。正直なところ阪哲朗に特にこれという印象を持ってなかったのだが、なかなかどうして侮れない指揮者であるようだ。
コンサートを終えると地下鉄と阪急を乗り継いでホテルに戻ってくる。それにしても疲れた。ホテルに戻る前に夕食を摂ろうと新世界界隈をうろついたが、大興寿司の前はインバウンド客で大行列だし、うどんの松屋にさえ行列がある状態。串カツを食う気も起こらないし、とにかくインバウンド客が多すぎて鬱陶しく、結局はどこにも入店出来ずに戻ってきてしまう。馬鹿らしいし、もう面倒臭くなって来たので、ホテル近くのたこ焼き屋「てこや」で豚玉(500円)を購入、結局はこれが夕食に。
ホテル近くの「てこや」
500円の豚玉
とりあえずの夕食を腹に入れるとグッタリ。結局は何とか起き上がって風呂に繰り出すのが精一杯で、この日はろくに何もできないまま寝てしまう。