「これでいいんや」──日本人として初めて本国ブルーノートと契約したトランぺッター、黒田卓也。その揺るがぬ信念がジャズの未来を切り拓く (original) (raw)

今、ジャズが面白い。いや、一番面白い音楽だと言いたいくらい...ライフハッカー読者の諸兄諸姉にはジャズってまだ難解な音楽だと思われている方もいるかもしれませんが。もちろん、この20世紀を代表する音楽の伝統は今でも綿々とあるけれど、「かっこよくて、踊れて、浸れる音楽」として、現代のジャズは、これまでの愛好家以外の人をも惹き付ける大きな魅力を放つようになりました。

その一端は、グラミーを受賞した1978年生まれのロバート・グラスパーを筆頭に、ヒップホップやR&B、エレクトロニカなど、さまざまなジャンルの要素を自然に取り入れ、伝統と革新、大衆性と芸術性を兼ね備えた音楽を生み出す才能が次々と世に躍り出たことにあります。今のジャズは、コンテンポラリーミュージックとして大きなうねりをつくりつつあるのです。

その中心にあるのは、創立75周年のジャズの名門レーベル、ブルーノート・レコード。その本国、USブルーノートと日本人プレイヤーとして初めて契約するという快挙を成し遂げたのが、今回登場するトランぺッター、黒田卓也さんです。黒田さんは大学卒業後の2003年、ニューヨークのニュースクール大学ジャズ課に留学し、音楽に明け暮れる日々を送ります。在学中からニューヨークの有名クラブにも出演。卒業後はブルックリンを拠点にしながら、ジャズのみならずさまざまなジャンルで活動。これまで、日米両国のミュージシャンのアルバム制作にアレンジャーやプレイヤーとして参加しています。

そして、今年2014年、ブルーノート・レーベルから、メジャーデビューアルバムとなる「RISING SON」をリリース。このアルバムは、ヴォーカル・ジャズの歴史を塗り替えたと称されるホセ・ジェイムズのプロデュースによるものです。

21世紀のジャズ・ルネッサンス。その中に黒田さんはいます。そんな黒田さんに、セルフマネージメントや世界で戦う方法について訊いてきました。

ミュージシャンも一人のビジネスマン。でも、彼は成功に浮かれず、結果のために音楽をやるつもりはないと言い切ります。トランペット一つで世界に挑むサムライジャズメンのエナジー溢れる言葉(関西風味)をどうぞ。

伝統だけでなく「今をキャプチャー」し進化するジャズ

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── 黒田さんが通っていた、マンハッタンにあるニュースクール大学のジャズ科には、同時期にロバート・グラスパーやホセ・ジェイムズといった、現在メジャーな面々が学生として通っていたんですよね。どんな雰囲気だったんでしょう?

黒田:グラスパーは僕のちょうど1学年上で、年齢はホセの方が僕より上なんですけど、学年は1つ下でした。当時は特に一緒に何かをやっていたというわけではないんですが、振り返ると、皆、挑戦心があったなと思いますね。ジャズの学校なんで、昔からのシステムや伝統的なメソッドを4年間もしくは2年間、叩き込んで練習に明け暮れる。いわば、音楽の筋トレですよね、それを延々やって、みんな社会に出て、プロとしてそれまで培ってきたものを発揮していくわけです。ジャズの伝統、しきたりがある中で、「自分たちが良いと思うものをもっと取り入れていいんじゃないか」、そんな雰囲気で思い切って音楽をつくっているのが僕らの世代だと思います。

日本の歌舞伎じゃないですけど、ジャズってアメリカの伝統芸能なんです。でも、「自分たちがいいって思うものをやってもいいでしょ?」と追いかけているものを自然に表現しているのがグラスパーやホセたちなんですね。かつては、ハービー・ハンコックやマイルス・デイヴィスも常に革新的な音楽を作り、変遷を続けたけれど、唯一、僕らが違うのは、変遷していく中で「ひとつ終わったから次」というふうに順番通りにをやるんじゃなくて、「今」をキャプチャーして、自分がいいと思うものをやっていること。僕はそんな気がしますね。

音楽は現地で"食べてみて"初めて良さがわかる

── 50年代から70年代くらいまで、ジャズは、"帝王"マイルス・デイヴィスが時代を切り拓き、そして、80年代には、ウィントン・マルサリス(トランぺッター)ら、新しい伝統主義も現れ、2000年代くらいから、ヒップホップやR&Bなど、他のジャンルのコンテンポラリーな音楽を通過して、それらが血となり肉となった新しいジャズが生まれてきましたよね。でも、黒田さんはニューヨークに行くまで古いジャズしか聴いていなかったそうですね。

黒田:そうそう、ニューヨークに行くまで僕はジャズ一辺倒で、クリフォード・ブラウン(トランぺッター)、カウント・ベイシー(ジャズ・ピアニスト)をたくさん聞いてました。でも、向こうに行ってからは、アフリカン、教会、コンテンポラリーゴスペルとか、いろいろなものを聴くようになりましたね。

僕は元々出不精で、新しいものを自分からボンボンチェックできない質なんですけど、ニューヨークに住むと、それぞれの音楽のトップクラスがそこら中で演奏していて、生で感じることができる。それを食べてみて、初めてわかったという感じなんです。写真で食べ物を見ても味はわからないけど、食べたらわかるのと同じというか。

ブロンクスの教会に行き、コンテンポラリーゴスペルの最たるものに触れて、「これはかっこいいな」と思って、カーク・フランクリン(ゴスペルシンガー)を聴いたり。オルガンの音っていいなって、ソウルジャズ、オルガンジャズのバンドをすぐつくったり。ルー・ドナルドソン(サックス奏者)とか、ロニー・(リストン)・スミス(オルガン奏者)とか、ソウルジャズの音を聞き漁ってみたり。

さらに、デイブ・シャペルというコメディアンがすごく好きになって、彼のDVDを観ていると、ゲストでQティップ(ラッパー。ア・トライブ・コールド・クエストのメンバー)やクエストラブ(ザ・ルーツのドラマー)が出ていたり、シャペルが主催したブルックリンの「ブロック・パーティー」(サウンドシステムを導入した地域のお祭り)に行くと、フージーズ(ローリン・ヒルが在籍したヒップホップグループ)が出演したりしていて、「おぉ〜!!」みたいな。

でも、あそこにいたから好きになれたんですよね。おんなじものを故郷の兵庫県で聴いていても、「へえー」で終わってたと思うんです。匂いと味を直接感じられるニューヨークという現場にいたからこそ、今までの11年間でそれらを吸収できたというか、単純に大好きになっていったんですよね。

── 黒田さんは、以前、「ニューヨークは情報量が多い」とおっしゃっていましたね。さまざまな音楽に生で触れ、圧倒的な情報量に身を浸していく中で、ターニングポイントというのはありましたか?

黒田:突然何かが変わったということは1回もなくて、思い返してもターニングポイントがあったかどうかもわからないんですが、ニューヨークの空気を吸って、コミュニケーションして、演奏しながら、少しずつ変化していったんだろうなって思います。

たまに日本に帰ってきて日本のメンバーと演奏すると、人との会話のリズムが違ったり、演奏に関しても、同じ曲のパッセージに対してこっちでは反応が違ったり、といったことを感じるんです。それは、どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、「あ、そうか!やっぱり違うんだな」と思うだけなんですけどね。

あと、演奏に対するルールも違うような気がします。ニューヨークの全員と演ったわけじゃないですけど、自由というか、間違ってもいい、間違ったところから何かできるんじゃないか、という挑戦心がある。悪く言うと、ニューヨークのミュージシャンは無茶、無謀なんです。こっちの人の方が賢いですよ。だから、間違えないためのゴール設定は日本人の方が上手いのかもしれないですね。

日本人のメンタリティはニューヨークで好かれると思う

── 世界中から才能が集まる人種の坩堝であるニューヨークは、日々バトルのようなものだと思いますが、そこで日本人として戦うコツのようなものはありますか?

黒田:僕は日本人って、アメリカでは好かれると思うんです。すごく音楽的な話じゃないですが、まず、時間に遅れない。マメだし、まあ、静かじゃないですか。でも、実はそういうところは重要なんですよ。向こうの連中は言葉が巧みで、遅刻するにしてもエクスキューズがめっちゃ上手いんです(笑)。「昨日、犬が死んでさ」とか言うから、「かわいそ〜」とかみんな納得しちゃう。僕は「それ、関係ないんちゃうか?」みたいな。

だからこそ、実は日本人の真面目なところって重宝されると思いますね。僕は自分のバンドのリーダーでもあるんですが、練習の前にちゃんと予習してくれる人がいたら感動しますからね。向こうの連中は人の話、まったく聞いてこないヤツとかいるんで(苦笑)。「ここで曲かけてくれへん?」って現場で初めて音を聴くみたいな。でも、向こうの連中は予習しなくてもその場で覚えるのが異常に早いという面はあるんですけどね。

だから、僕が向こうで人のバンドに入っていた頃、自分の日本人っぽさがすごく役に立ったというか。これは日本人の性格なのか、僕の性格なのかわからないんですが、「迷惑かけたくない」って思うんです。

それと、英語がそこまで現地の人ほど上手くなくて、さっき言ったように上手な言い訳ができないからこそ、スタジオであれ、ライブであれ、とにかく音楽だけはちゃんと準備して、現場にいいものを持っていこう、そう思ってました。だから、そんな癖や心がけが身につきましたね。

Rising Son、黒田卓也

黒田卓也さんのブルーノート移籍1作目「ライジング・サン」。ジャズをベースにヒップホップ、アフロビート、ゴスペル、ファンク、ラテン、ソウルと、"メルティング・ポット"ニューヨークを体現するように多様な音楽がクロスオーバーした渾身の作品。

── ホセ・ジェイムズとの縁がきっかけになって、ブルーノートとの契約というサクセスストーリーにつながっていくわけですが、最初は、ホセからのプロデュースの誘いを断っていたそうですね。

黒田:そう、「ホンマか!?」という感じでした。すでに自主制作で何枚もアルバムを作っていたんで、「誰かをプロデューサーに立てることで何か変わるんか?」くらいの意識だったんです。それもあって「考えさせてくれ」と返事しておいて、「どうせ忘れるから」と思ってたんですね。でも、ホセが会う度に、「一緒にやろう!」と言ってくるんですよ。自分のことをこんなに信じてくれる人がいるなら、やってみようと思いましたね。

── ホセとはどんなやりとりをして曲をつくっていったんですか?

黒田:いやあ、僕は元々、彼のバンドメンバーだったんで、ツアーの移動の際、飛行機とか電車とか横に座ることも多くて。ホセに「どないや? 曲できたんか?」って言われて、僕が聴かせて「ふんふん」みたいなこと言われる感じ(笑)。

ホセからは「聴いている人の身体が自然に動く音をつくろう」とか「昔のCTIレコード(ジャズレーベル)のサウンドを今に持ってきたような感じに」って言われて。それを半分意識しながら、半分意識しないというか、自分でもそこまで変えることはできなかったんですが、ホセも気に入ってくれたんで、「これは行けるかな」って思いましたね。

コントロールできないものに振り回されない。結果をすぐに求めない

── 黒田さんにとって、アメリカ本国のブルーノートでアルバムを出すことは、夢どころか、自分の人生で起こると想像すらしてなかったことだったそうですね。でも、売れない頃から、「売れようが売れまいが、腹をくくって自分の信じる音楽をやっていくんだ」と決めたという黒田さんだからこそ、逆に手繰り寄せた成功だとも思うのですが、いかがですか?

黒田:周りの状況は変わっても、自分は変わらないでいたいですね。でも、現実的には、これまで以上に多くの人にライブを観られたり、アルバムのレビューを書かれたり、今日みたいに取材を受けたりするわけで、それって、自分ではコントロールできない渦中にいるということなんです。だから、今まで通りでいいところと、もしかしたら今まで以上の人が観ているので...でも変わらないですね。ま、多少は「ええ服、着たらいいんかな」と思ったこともありますけどね(笑)。

── スーツでビシッと決めるというのもジャズメンの伝統の一つですよね。

黒田:誰かが服をくれたら着ますけどね、自分じゃ買わないスから(笑)。今まではアルバムも自分でつくって、ツアーもやって、全部自分で責任を取ってやってきたわけです。今はそうはいかないところが唯一違うところですが、これから、もっとたくさんの人が僕の音楽から影響されるという状況になれば、もう僕の手を離れて進んでいくことも多い。だからこそ、音を出すということには常に本気で、腹をくくってやりたいと強く思いますね。ホント、音楽に関しては、後々後悔したくないので。

──ところで、ミュージシャンも音楽ビジネスというフィールドにおけるビジネスパーソンだと思うんですが、グローバルな市場で戦っていく上で必要だと考えるものは?

黒田:ブルーノートでアルバムを出してから言うのもすごく変な話なんですが、結果をすぐに求めないことじゃないでしょうか。海外でやるっていうのは国内より難しいことをやろうとしているわけだし、文化がまったく違いますからね。

よく「俺、明日からアメリカ行って、成功するまで帰ってこない」とか言って自分を追い込むヤツっているでしょ? でも、僕、それ怖いんですよ。失敗して帰ってきてもいいと思うんですよ。

── あはは。

黒田:僕は、そういう自分を追いつめるマインドって、実は効率的ではないんじゃないかって思うんです。結果を求めることで自分にプレッシャーをかけて、結果のために何でもやるっていうやり方もあると思うんですが、ビジネスじゃなくて、僕の場合は芸術だったんで、自分からコントロールしようと思ってできるものではなかった。僕が有名になるのも誰かが有名にしてくれるわけです。それをコントロールして結果を求めて芸術をやるって、少し不純というか、「有名になりたいから芸術がある」じゃ、逆でしょ、と。まず音楽を演る自分を大事にしないと、本末転倒になってしまう。

とは言いつつも、家賃も払わなあかんし、簡単には言えないんですけど、ゆっくりでもいいから、結果以外に人生のゴールをつくって、そこに向かっていくことが必要なんじゃないですか。

「自分が欲しいものは何なのか」を問い、「これでいいんや」と胸を張る

── 成功者と敗者のコントラストが強い音楽ビジネスに身を置く人間として、自分に言い聞かせるフレーズのようなものはありますか?

黒田:なんか、「これでいいんや」と言い聞かせることが多いですね。それも、妥協の「これでいいんや」じゃなくて、最後は自分で決めなあかんことがほとんどなわけです。自分の決定に対して自分が尊重できないことだったらダメだということですね。

ものすごく現実的な話ですが、おっしゃるように、ミュージシャンも1人のビジネスマンという意識は持たないといけません。インターネットが発達したおかげで、本国のブルーノートからもFacebookに情報を載せろ、とか言われて、「めんどくさいな」と思うこともありますし、インターネットなんかを見ると、もうそりゃ、みんな好き勝手に書いているじゃないですか。「めっちゃ嫌われてるやん!」みたいにセンシティブに傷ついたりするんこともあるんですが、言いたいこと言ってくれればいいんだと思ってはいます。

要は、自分がグラグラしていなければいいってことです。人の言葉にグラグラするのは「みんなは何が欲しいねん?」っていうことばかりに目が行っている状態で、結局は、「俺は何が欲しいねん?」って話でしょ。名声とか成功とかじゃなくて、自分が欲しいもののために力を尽くすだけのことで、結局、そこだと思いますね。

ジャズとは震え、聴くものに振動を与える音楽

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── 最後に、黒田さんが思い描くジャズ像とは、どんなイメージですか?

黒田:僕が聴き育ったジャズはアート・ブレイキー(ジャズ・ドラマー)とかで、1950年代頃の古いものが昔から好きだったんです。マイルス・デイヴィスですら聴くのに時間がかかったくらいで。

あの頃の演奏って、共通して言えるのはエナジーが強いということ。聞いているだけで演奏者が汗かいているのがわかるというか。細かいことじゃなくて、エナジー、熱さ、クールさとかを、思い切って表現する音楽がジャズじゃないですかね。

一方で、ジャズを聴くためには資格や知識がいると思っている人がいるのかもしれないとですが、僕は、ジャズって気軽に聴いていい音楽だとも思ってます。その裏地は、ミュージシャンが徹底的にこだわってつくっているんですけどね。そういう自由さを体現できる場所をつくって、「これがジャズか!」みたいなものがつくれたらいいなって思っていますね。

ジャズって、プレイヤーの「本気」が出る音楽なんです。上手く言葉にできないんですけど、「震えている」んです。演奏する人間も震えているし、聴くと振動しだすというか。ヒップホップとかコンテンポラリーな音楽が入ってきて、形はどんどん変わりつつも、ジャズの本気さ、熱さっていうのは変わらないって思います。

黒田卓也|Takuya Kuroda UNIVERSAL MUSIC JAPAN

(文・聞き手/米田智彦、写真/椿孝)