売る家は持ち合わせてないけれど (original) (raw)

今週のお題、特別お題に参加してみる。

タイトル通り、私は売る家は持ち合わせていないし、夫が「ウチは一生賃貸で」と言っている現状からは、きっと今後も縁のない話ではあるんだけど。

実家が売られたときのことを思い出したので、書き記してみようと思う。

私が生まれ育った実家は、もうない。

両親が『子供が独立したら建て替えるか、住み替える』という話はずっとしていた。

駐車場なし・庭木多めの実家は、

・子や孫がくるには不便

・木の剪定や草むしりが大変

だから。

また、実家周りは坂も多いので、

・バス停か駅までの距離が近いこと

も条件として、両親はのんびり構えつつ、家探しをしているようだった。

とはいえそう簡単に物件が見つかることはなく、当時単身赴任中の父が

「退職して単身赴任から帰ってきたら新しい家に住む、ってのが最高だね!」

と夢見がちなことを言って笑ってた。

そんな状況が変わったのは、

私の第2子出産のために手伝いで来てくれていた母が、ちょっと家帰るわ、と言ったあたり。

「アパートに戻るのが遅れる」と連絡が来たと思ったら、

「家買うことになったから走り回ってたわ!」との続報。

なんでも、都合良かった物件について、審査通らなかったご家族が出たから案内が来たらしい。

引っ越しが決まり、

当然旧居は売られる運びとなった。

帰省として向かった新居は、感覚的にはよそのおうち。

父母が住まう家とは思えないイマドキ風の家。まるでモデルルーム。

の中に、見慣れた古い家具がちらほらあるという違和感。

一方の旧居。

まずは建物ごとの売り出し。

でも築30年で価値はほぼないだろうとのこと。

その後は更地にしての売り出し、が予定された。

これが建屋を見る最後だろうと言われた帰省で、鍵を開けて中に入った。

数ヶ月住まわれなくなった家は、ずいぶん寂しそうだった。

玄関の引き戸は、思春期の兄が乱暴に扱うからガラスがしょっちゅうズレた。

イマドキより広めの玄関は、祖父母からのダンボールが届いても余裕があった。

作り付けの下駄箱の隙間は、年末の掃除でよく水槽から跳ねたドジョウが発見された。

階段途中の小窓からは、お隣の屋根裏に住み着いたスズメの巣が見えた。

廊下の温度計。

洗面所にかけた、古びた仕切りカーテン。

台所のリフォーム工事を、暗くなった夕方に眺めた記憶。

弱った飼い犬に、掃き出し窓からササミを与えたこと。

唯一の洋間が私の部屋になる前は、父がレコードやカセットテープでカラオケしてた。

夏はひんやりと心地いい、北の両親の寝室。

一時キノコが生えた兄の部屋(!!!)

必要な荷物だけ新居に取られ、まるで虚ろな旧居の写真を撮ることはなんだか憚られた。

それでも記憶は鮮やかだ。

撮り残すことのできない、記憶が脳に焼きついてる。

すべての部屋に、ありがとうと言った。

表札に触れた。温かかった。

最後は庭で。

思えばたくさんの植物と接した庭。

母が「〇〇でもらってきた」と雑多に植えるから、ほぼ森状態だったけど。

犬が走り回ったなぁ

縁側の下は夏に犬が掘って涼んでたなぁ

思い立って黒飴をアリの巣の脇に置いてみたこともあったなぁ(←!?

雑多な庭のほぼ真ん中には、もらいもので雑多に植えられたユズがあった。

土が合ったのか、ずいぶん大きく成長した。

そして最後を知るかのように、その冬はたくさんの実をつけた。

もちろん大量に持ち帰る。

ゆず湯に、おせち料理の柚子釜に、なますに。

ゆずの季節が終わる頃、

実家に工事車両が入った。

母から送られる写真や動画で見るそれは、あっという間に

『家だったモノ』へと変えていった。

その後、実家だった場所はぶじに売れ、新しい家族が、新しい家で、新しい生活を送っている。

帰省で近くを通るたびに、知らない屋根に視線が向く。

周りの住人は変わらない。

最後の挨拶に行った私に

「はつはるちゃん家族が住んでくれたらいいのに」

と隣家のおばさんが言ってくれた。

親切な人もいれば、困った人もいた。

困った人は、引っ越していったあとも、困った人として近所をざわつかせていた。

四半世紀生きた街だから、土地にも人にも愛着がある。

どうかあの場所の人たちが、健やかでいられますように。

庭で最後に採った柚子の実。

その種から育った柚子の木は、花はつけずとも、アゲハチョウを育てる住処となっている。

www.milestone0123.net

アゲハチョウの記事を書いてたら、実家のことを思い出し、そんなタイミングでのお題発見。

ご縁と思って長々書いちゃった。

途中テーマから逸れた感もある…笑

それでも、

両親にとっての旧居は、売られて無くなったあの家は、

私にとっての実家で。いつまでもあの家で。

未だに『実家』として夢に出るのはあの家で。

だからせめて、場所は変えず建て替えて欲しかった気持ちも、娘としてはある。

開けるのめんどくさい門扉も、ちょっと急な階段も、坂道だらけのご近所も、遠すぎる最寄りコンビニも、どうしたって愛おしい存在だ。

とはいえ、サッパリした顔で

「新しい家はいいな!」と笑い、

隣家のひとが同郷だの、向かいの家は孫と同級生だの

坂を上らずに済む新居で散歩していると聞くと、

これはこれで最善だったんだな、と安心もする。

一人目長女は里帰り出産だったので、あの家の、特に居間で過ごした写真が多く残っている。

産後も度々母子で遊びに行ったので、幼児に差しかかる頃は、庭で遊ぶ写真も残っている。

せめて記録が残っていてよかった。

両親にとっては3回目の家(すげぇな)

「次は無いだろうな。

…いや、絶対無いとも言い切れないなwww」

と冗談めかした父ですが。はてさて。

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