カナダの先住民寄宿学校の実態The reality of “boarding schools” in Canada (original) (raw)

https://www.nekoyamanga.com/entry/2023/12/23/Yukon_University_in_Canada%2C_First_Nation_Trauma_Healing_Education_program_things

以前、私がこの講義を受けた時に、カナダ先住民のご年配の方々が、幼い頃に寄宿学校の大人たちから受けた虐待の心の傷で今も苦しんでいる事は学んだのですが、一体具体的にどんな虐待を受け、何がそこまで何十年も人のメンタルを壊しているのかが具体的には検討がつかず、腑に落ちなかった。それもある程度仕方のないことで、被害者がおぞましい被害の事実を他者に伝えるのは、相当心の負担が大きいことだし、被害を受けていない第三者がその忌わしい性加害行為を言葉にして人に伝えるのは、特に女性の場合、かなり難しいのであろうなと思う。

今回、被害者の方が具体的に語ってくださって、よく理解できた。本当におぞましい内容の事ですが、これはよく知らないといけないなと思いました。

カナダ東部オンタリオ州にある小さな町、ブラントフォードに、モホーク寄宿学校があった建物が残る。ここが、先住民の子どもたちへの「虐待」の場だった。

モホーク寄宿学校は、1828年から1970年までカトリック教会によって運営されていた、カナダで最も古く、長期間にわたり開校していた学校のひとつ。20近い先住民族出身の約1万5000人の子どもが暮らしたという。

Mohawk Institute Residential School - Wikipedia

「 8歳のときだった。自宅と祖母の家との間の道を弟と歩いていると、突然、黒い車が近づいてきた。車内にいた男たちから乗るよう誘われたが、何度も断った。だが「アイスクリームを買ってあげるから」と言われ、幼い二人は車に乗った。アイスをもらったあと、家に帰ることができると思っていた。ところが、車は家とは反対の方向に進んでいった。途中、眠りに落ちて、目が覚めたときには、全く見たことのない場所にいた。そこが、自宅から100キロ以上離れたモホーク寄宿学校だった。しばらくして、私たちは、誘拐されたんだと気づいた。」モホーク寄宿学校にいた、多くの子どもたちが自宅から拉致された。

「自分の番号は53番でした。彼らは、何かをやらせたい、納屋かどこかで作業をさせたければ、番号で呼んだ」

「そこは教育の場ではなく、農作業と暴力の場所でした。罰は教育のためではなく、ただ私たちを壊すことが目的でした。」

「暴行は毎日でした。生徒の集団の中から何人かを選んで連れて行き、大きなベルトで殴っていました。どこに当たるかは気にしていませんでした」

「常に空腹で、ゴミ捨て場に行き、ゴミのなかから焦げたサンドイッチを拾ってよく食べた。飢え死にしそうだった。」
「一度、脱走したがすぐに捕まり、罰として何度も激しく鞭打ちされた。」

「9歳のとき、何度か会話をしていたという教職員の男から「ボイラー室を見に行こう」と誘われた。室内に入ると、石炭で湯を沸かすというボイラーの仕組みを説明された。そして男は、バドさんを壁に押しつけた。性的暴行は、この1回だけではなかった。ある夜、ベッドで寝ていると、身体に重みを感じたという。そこにいたのは、面識のない職員の男だった。その後も、同じことが十数回、繰り返されたという。レイプの経験については「恥ずかしさ」から誰にも報告できなかった。初めて語ることができたのは、バドさんが50歳を過ぎてからだった。弟も、性的暴行を受けたことを数年前に初めて告白したという。」

「バドさんも、長い間、アルコール依存症に悩まされた。虐待や性的暴行の記憶を「ごまかす」ために、酒に頼っていた。」

「彼らは、言語、勇気、立ち上がる意志など、多くのものを私から奪った。彼らは銃を撃つこともなく、全てをやったのです」

モホーク寄宿学校の元生徒、ダイアン・ヒルさん(66)は、元生徒のなかで最も若い世代。(1956年くらい生まれか)7歳の時に、この寄宿学校に連れて来られた。膝下まであった長い三つ編みを、到着後強制的に切られた。さらに固いタワシで身体を洗われすごく痛かった。その後、ベッドで横になり泣いていると、部屋のドアが開いた。ダイアンさんは「誰かが慰めにきてくれたんだ」と期待したが、入ってきたのは、見知らぬ職員の女性。

「彼女は、私から布団を奪いました。突然、顔を殴られて、白い星みたいなものが見えて、鼻血が出ました。それまで殴られたことがなかったので、何が起こったのかわからなかった。大人は殴らない、という世界から私は来ました。でも殴られ、足首を掴まれ、ベッドから引きずり下ろされました。7歳の子どもだった私は、ショックで反応できませんでした。床に叩きつけられ、殴る蹴るの暴行が始まりました。ベッドの下に潜り込もうとしたら、髪を掴まれ、引きずり出されて、また殴られ、叩かれ…。『泣くな、泣くな、泣くな』と言われたんです。『泣くな、絶対に泣くな 』って 。それが、ここでの最初の夜でした。翌朝に見ると、毛布やシーツが血だらけでした」

「シリアルが動いていて、なんだと思ったらウジ虫が入っていて、床に吐き出したら職員に殴られ、床に吐いたものを食べさせられた。女の子たちはスプーンで一度、口に入れてから、歯を使って虫を取りだして、テーブルの下に押し込んでいた。」

カナダ当局の発表によると、これまでに4000人から6000人の先住民の子どもが行方不明とされている。(2022/8/14)

以下、英語のWikiより。

「スタッフは地下に捕獲された逃亡者を収容するために刑務所の独房を建てた。それは暗いクローゼットに似ていて、子供たちはしばしば何日もそこに入れられた。」

「1940年から1945年までモホーク寄宿所にいたローナは、おねしょでショック治療を受けた。「彼らはバッテリーモーターというかガジェットを私の手に置き、けいれんさせた。それは体の端から端まで通り抜けるようだった。彼らはそれを約3回行った。」

「 地下のボイラー室で性加害が行なわれるのはボイラーの騒音で悲鳴が聞こえないから。」

カナダの先住民の子供達専用の寄宿舎一覧List of Indian residential schools in Canada - Wikipedia

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