高知東生の壮絶半生 “父”は「有名な任侠」実母は愛人で自殺 (original) (raw)
前妻の高島礼子
高知にとって、これが母子らしい最初で最後の時間だった。数日後、母は自ら車を運転し、なぜか切羽詰まった様子で寮に押しかけてきた。
「いますぐ進路を決めてって言うんです。任侠の世界だけは絶対にダメと言うので、じゃあ、普通に就職するよと言ったら安堵した様子でした。別れ際、“ねえ、私、きれいかな?”って聞いてきたから、“アホなこと聞くな”って返したんです。母はそのとき、涙を流しながら笑ってた。あの顔は、いまでも忘れられません」
その1時間後、母は車でトンネルの入り口に突っ込み、自ら命を絶った──。高知17才、母41才の暑い夏の夜だった。
「昔から黒塗りの車の後部座席に座っていた母が、いつからか自分で運転するようになっていた。装飾品も減っていたとは思ったけど、やっぱり直接聞くことはなかったですね。
亡くなったときは、事故だと思っていた。でも発見されたときはまだ息があって、第一発見者に“息子に、ごめんって伝えて…”と言ったそうです。後日、母の遺品から期限切れ間近の生命保険の書類が見つかった。自殺でした」
母の死後、父親だと思っていた任侠の親分とは血のつながりがなく、実父は別の人物だったと知らされた。
「実の親父も任侠の世界の人で、母はその人の愛人でもあったんです。“親父のくせに何してんだよ”って怒りをぶつけたくて、実の父親に会いに行ったこともあるんです。行ってみたらでっかい家で、広い庭に大きな犬と親父がいた。ただ、自分と同じ年齢くらいの息子の姿もあって、幸せそうに“家族”でなんかやっていた。それを見たら、何も言う気がなくなっちゃって…引き返した。高知で暮らすことが苦しくなってしまい、出ることにしたんです」
※女性セブン2020年4月23日号