自分が本気で取り組んでいないことに価値はないのか (original) (raw)

どうも。

昨日は料理人の友人たちとごはんをしてきましたー。
最後らへんで、
「最近どうよ?」
という話になったので、

この周辺に住んでいる皆さんは、表明できる「今自分が取り組んでいること」があってすごい。
自分も色々やりたいことがあるが、今はいったんは英語としているので、英語力が強い環境に改めて身を置こうかと思っている、

みたいな事を言ったら(あと、もっと命を懸けるような事をやってみたいとも言った)、

「環境とか関係なくない?」
「本当にやりたいことなら、周囲関係なく取り組めば良いのでは?」
「そもそもそれができないって事は、そこまで本気じゃないんじゃない?」
「本気で取り組んでいると、周囲にそれ関係の人って自然と集まって来るよ?」
「何か現状に満足していて、それ以外のオプションを求めているような感じがする」

モリテツ先生(@ただよび)が言っていたよーな事をリアルで言われてしまいましたよ…(もしくは「のだめカンタービレ」の千秋だな)。

えー。

ちょっとまって。
わたし今一応は取り組んではいるのですけれど。

海外が!美大が!とか言ってはいるが、
いったん、

とかぼんやり思っており、

でもじゃー一番やりたいことって何なの?的なことを言われて、
何かごちゃっと答えたと思うが(色々あるが絞りきれない的な…)、

それは本気じゃないんだよ(全部に対して?)、って言われると普通にしんどいのだが。

そいでそれに対して帰宅後のTwitterで自分自身に大量に呟いていたのだが,

という感覚って甘いですかね~。

その人は、この先ずっと料理人として生きるのだ、という強い意思を持っており(それ以外は切り捨てている感じがする)、そうゆう人からしたら、わたしなんて何もやっていないように見えるのかもしれないですが。

でもじっさい、ふらふらしたり、よろよろしたりさ、するじゃん!
選択肢が多い場合は特に。

とは言え、今まで周囲の人たちに甘やかされて来たのだなーと思ってはいる。

そいでも自分の事を肯定されると、やっぱり生きるのがラクになるし、以前関わったPMの人なんて、全肯定の仏のような人だったからなぁ。

たぶんそれら全部ひっくるめて、今の自分の処世術になっており、それは全然悪い事ではないと思ってはいるのだが。

と、うだうだ書いてしまってますが、

突如、モリテツ先生(@ただよび)と千秋に遭遇して、
いきなりぶっ飛ばされて、
言い訳しながら立ち上がりつつ、
さて、じゃあどうしようかね、と思っている状態ですね~。

何だかんだ言いつつ、大変に良い経験でしたよ(とても気落ちはしていますが…)。

※ちなみに「ただよび」とは、スマホ1つで大学受験を目指そう、をコンセプトに、優良授業動画を大量に発信しているチャンネルです。

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こちらが英語担当のモリテツ先生の、勉強に対する姿勢を話している動画。耳が痛いがやろう!という活力になる。

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