リプレイ:ロシアの野望(ゲーム「ディプロマシー」) (original) (raw)

今日は珍しく趣味の記事を書きます。ボードゲームの話です。最近読んでいるブログで「ディプロマシー」の話題がとりあげられていました。

第一次世界大戦を舞台にした このボードゲームの特徴はなんといっても、『最初の国決めの時以外、運の要素は一切無い』という、ハードボイルドなゲーム内容にあります。テクノロジーとか、ユニット毎の強さの違いみたいなものもなく、戦いは純粋に「地政学上の優位性と交渉力を活かして、戦力をどれほど集中できたか。」にかかっています。

ゲームで学ぶ経営戦略:ディプロマシー - 人と組織と、fukui's blog

そこでこのゲームのざっくりした解説と、私が前回プレイしたときのリプレイを書いてみます。

ボードゲームディプロマシー」とは?

ディプロマシーは20世紀初頭のヨーロッパを舞台にしたゲームです。プレイヤーはイギリス、ロシア、トルコらの指導者となり、陸海軍のコマ(ユニット)を動かしてヨーロッパ制覇を目指します。

このゲームにおいて「戦闘(バトル)」は非常に味気なくデザインされています。「戦闘は数が多い方が勝つ」、それだけなのです。少数の軍隊が多数に勝つ、ということは(このゲームでは)絶対にありません。

そのため戦闘の勝敗は、実際に戦うよりも前に「軍事戦略(ミリタリー・ストラテジー)」によって決まります。「軍隊をこう動かす」という全般的な戦略を構想し、兵力を集中して、数の優位を得ることが大事です。とはいえ軍事戦略を立てても、戦争には相手がいるので、自分の思うとおりにはいきません。我が兵力を集中すると敵も集中して、引き分けてしまいます。

そこで軍事戦略を実現するため、より上位の「国家戦略(ナショナル・ストラテジー)」が必要です。「わが国はこう進む」という方針を立て、それを実現していくのです。一国で戦って勝てない戦争も、他国と同盟して2国対1国に持ち込めば有利になります。そうできれば、これはもう勝ったも同然です。

従って「ディプロマシー」の盤上において、勝利を決めるものは一つです。それは勇者の奮闘ではなく、名将の采配でもありません。舌ひとつです。いかにして同盟国を増やし、敵の同盟国を減らすか。そのためにはあらゆる交渉が許されます。戦勝後の利益を約束し、あるいは自ら領土を譲り、はたまたそのように言っておいて騙す、裏切るということも可能です。

つまりは外交(ディプロマシー)のゲームなのです。

ロシアの場合

私が前回プレイしたのはロシアです。ゲームの開始時、他国に比べて1ユニット多い兵力を握っています。ではロシアが有利かといえばさにあらず。ロシアは領土が広く、西方と東方に兵力が分断されてしまいます。兵力を二分すると1正面辺りの兵力では他国に劣り、負けてしまいます。

そこでむやみに進軍するのではなく「西では少数で守り、東に集中する」などと何らかの軍事戦略を立てる必要があります。この戦略を有効にするため、西方のドイツと不可侵条約を結ぶといった外交で、西の脅威を取り除かねばなりません。そのためにはドイツが自国と不可侵を結ばざるをえないよう、より遠方のフランスにドイツを攻撃させる、といった外交が求められます。

私は当初「西のイギリス、ドイツとは不可侵を結び、東方に戦力を集中する」という方向で外交を始めました。ゲーム開始直後、さっそくロシアはイギリス・ドイツに不可侵を打診しました。係争地を分け合い、国境から互いに兵力を引き揚げるのです。この交渉はうまく行ったので、西方の安全はとりあえず確保できました。

条約は破るに限る。戦争は奇襲に限る。

続いて東方です。東方で勝つためにはトルコ・イタリア・オーストリアのうち、いずれか1国以上と同盟することが必要です。するとトルコから積極的な同盟の申し入れがありました。「ロシア・トルコ同盟でオーストリアに速攻をかけない?」というのです。これは「ジャガーノート」という作戦です。

ジャガーノート」の段取りを進めつつ、イタリアには同盟、オーストリアには不可侵条約を打診しておきます。イタリアからは「いずれ同盟したいんだけど」という憎からず思う返事です。オーストリアからは不可侵を受けると返事がありました。

そこで次のターン、いきなり不可侵条約を踏みにじってオーストリアに侵攻します。先ほど不可侵条約を結んでおいたおかげで、国境にオーストリア軍は不在です。あっさりと要地を占領することができました。オーストリアは激怒していますが、まもなく消滅する国の言い分を聞いて何になりましょうか?

東方ではロシア・トルコの優位が固まる一方、西方ではイギリス・フランス・ドイツが入り乱れて、容易に形成が定まりそうにありませんでした。このままいけば欧州の覇権をロシアが握ることも夢ではないでしょう。

速攻の失敗

ところが露土同盟の速攻に対し、イタリア・オーストリアが速やかに連携しました。イタリア、オーストリアともこのゲームになれたベテランと見えて、手堅い防御をみせました。対する露土は、トルコはともかく、ロシアこと私がまだこのゲームを1回しかプレイしたことのない初心者でした。そこで敵の防御を破れず、攻めあぐねました。

東方では露土の2国でオーストリアを素早く破るつもりが、イタリアの速やかな参戦によって2対2の膠着状態となりました。先手をとっただけ露土が有利ではあったので、じっくり攻め続ければ崩せる可能性は皆無ではありませんでした。しかし速攻の望みが消えたため、機会をとらえて大胆に戦略を改めないと、欧州制覇は望み薄です。

わがロシアはイタリア・オーストリア同盟を崩し、イタリアを味方につけようとしますが、なかなか果たせません。「イタリアがオーストリアと手を切るのが先だ」「いや、ロシアがトルコと手を切るのが先だ」でどうにもなりません。

他方、西でも膠着がおこっていました。英・仏・独の三国が互いに不信をいだきあい、2対1の構造が生まれなかったのです。そのためヨーロッパは東西双方で盤面が固まりました。

ドイツの崩壊と、数年後に迫った脅威

このまましばらく経つかと思いきや、西方で大変動が起こります。ドイツのプレイヤーが突如ゲームから離脱したのです。重大なマナー違反です。これを「ドイツは内戦に陥った」といいます。ドイツ軍は立往生となり、たちまち列国によって旧ドイツ領つかみ取り大会が開催されます。我がロシアも1都市をゲットしました。

しかしドイツ崩壊で最も有利にたったのはフランスです。海軍主体のイギリス、東方に戦力を集中しているロシアに比べ、多くの陸軍をドイツ領に送れるからです。数年中にドイツ領の併合を完了すれば、フランスは欧州最大国にのし上がるでしょう。

この事態はロシアにとって悪夢でした。数年後にはフランス陸軍が旧ドイツ領を越え、モスクワ手前まで押し寄せます。ロシア軍は東方に集中しているため、西方はほとんどがら空きなのです。つまりはフランスがドイツ領を併合し終えるよりも早く、東方で何らかの決着をつけなければ、ロシアの敗北は確定します。

裏切りから敗戦まで

この事態にあって我が同盟国トルコは「まあ、こっちはじっくり攻めましょう」などと言っています。しかし「じっくり攻める」時間はトルコにこそあれ、我がロシアには既に無いのです。露土の地勢の違いが「ドイツ崩壊」という現象への解釈の違いを生みました。

これはもう仕方が無い、私はトルコを裏切り、イタリアが露伊同盟案に乗ってくれることに賭けました。これで墺伊同盟が崩れなければそこでゲームオーバーですが、このまま膠着していてもフランスの東進によって不利になるばかりです。

結果的にこの裏切りは成功します。ロシアの裏切りを見たイタリアは、露伊同盟に乗ったのです。ロシアの支援を失ったトルコ軍は敗退し、また露伊に南北から挟撃されたオーストリアも領土を失います。

賭けに勝ったロシア軍は意気揚々とオーストリアの首都に入城しようとしますが…これは果たせませんでした。イタリアに阻まれたのです。滅亡寸前のオーストリアが、どうやってか、巧みな外交努力でイタリアとの同盟を復活させたのです。

この結果、ロシア軍は阻まれ、同盟を失ったトルコは滅亡しました。我がロシアは賭けに負けたのです。盟友トルコを裏切ったロシアは、乗り換えたイタリアに裏切られ、一人苦境に立たされました。そして西からは着々とフランスが進んできます。

待つことも戦略のうち

とりあえずオーストリア・イタリアと不利な条件で講和し、東方の戦争を終結させたものの、長年の戦争でほとんど領土を得られず、同盟国も失ったロシアに勝ち目はなくなったかと思われました。しかし私の考えでは、まだ逆転の目はあるはずです。何もしなければ良いのです。

トルコが滅亡し、東方で和平が成立した後、イタリア軍はどこへ進軍すればいいのでしょうか? 長年の苦闘のすえトルコを下し、オーストリアからも都市を奪って強大化したイタリアが全く動かないということはまず無い、と踏みました。イタリア海軍が進むべきは西方、フランスの地中海沿岸を襲う他にありません。

そうすればフランス軍は本土防衛、イタリア軍は対仏戦争に主力を投入することになります。そうすれば…と考え、我がロシアは数年のあいだ、軍主力を東方に置き続けました。「来ターンにはフランス方面に移動する予定」「やっぱり今年一年は様子をみたい」などと言いながら、誠実に講和条約を守って動きませんでした。

西方はほぼがら空きでしたが、仏軍は旧ドイツ領を併合の途中なので、しばしの時間はあったのです。こうして数年の間じっと我慢していると、イタリアはフランスと開戦し、マルセイユ沖で戦闘に入りました。

すれば東方の戦線からはイタリア軍が減少します。対する我がロシア軍は、講和締結以降ほとんど動きませんでした。待つことによって、イタリア軍は分散、ロシア軍は集中という状況が作られました。

南進と勝利

頃やよしとばかり、我がロシアは講和条約を無視し、ふたたび全力でオーストリア攻めを再開しました。すかさずイタリアに再びの同盟を申し入れます。

イタリアは講和条約を守っていたら、西の対仏で攻めあぐね、東の対露で守りあぐねるという、何とも中途半端な形勢に陥りました。このまま東西で戦っていては不利、さりとて仏と和平して、一度西地中海へ移動させた艦隊をまたまた東へ返すというのもタイムロスです。

このようなわけで第二次露伊同盟が成立しました。ロシア軍は怒涛の勢いで南進し、領土をもぎ取ります。そこで得た国力で西方のバルト海に海軍を増設すれば、弱体化したイギリス軍、対伊戦に主力をさかれたフランス軍に対しても防衛線を張れるでしょう。

しかしなおも予断は許さない……といったところで、各国の合意によってゲームは終了しました。第二位をキープしたいイタリアの外交に、ロシアが乗った結果の決着でした。我がロシアは領土数第一位でゲームを終え、逆転勝利しました。

反省とまとめ

こう振り返ってみれば、やはり実戦2回目の初心者だけあって、外交や行軍が下手であり、チャンスを逃すことが多かったです。うまく行軍していれば露土同盟での速攻を決められたでしょう。まともな外交交渉ができていれば、第一次露伊同盟をむざむざ崩壊させることはなかったでしょう。

また、最大の反省点は、遠くの国との外交を疎かにしたことです。ロシアはフランスと事実上同盟して、東西からヨーロッパ全体をコントロールすることができる立場にあります。にも関わらず、そういった壮大な外交ができませんでした。西方への積極的な構想を持たなかったので、ろくに交渉にならなかったのです。なのでこのリプレイでも西方外交の描写は省きました。

結果的に西方を制したフランスが押し寄せる前に決着できたので何とかなりましたが、これは全く幸運によるものでした。幸運のほかに何か勝因があるとすれば「西はがら空きにしてもいい、東に全力を投入して結果を出す」という大方針を貫徹できたため、東方での軍事的優位を作りやすかったことかなあと思います。

ただし勝利の仕方はあまりスマートではありませんでした。領土数が最大になった時点でのいわば「勝ち逃げ」的な勝利です。あまりマナーの良い勝ち方ではなく、同卓の皆々様、特にフランスプレーヤーには申し訳ないことをしました。リアルで忙しくなる都合もあって、投了案に乗ったのですが、できればあのままフランスと雌雄を戦って、欧州制覇を目指すべきだったと思います。

ディプロマシーMOE

なおディプロマシーボードゲームですが、数年前にCGIゲーム化されたため、インターネットでも遊ぶことができます。それがDiplomacy MOEです。また「はてな」にもディプロマシー部があって、ルール解説などが掲載されています。

ネットでやるMOEならば、比較的ながら手軽にプレイできます。短期戦ならば1ヶ月半もあればたいてい終わるでしょう。しかし盤の向こうに人間がいるゲームですので、くれぐれもマナー違反、例えば誹謗中傷や、途中抜けなどはせず、最後までベストを尽くして自国の運命をまっとうして頂きたいと思います。

オススメ文献

「孫子」の読み方 (日経ビジネス人文庫)

戦略の古典で有名なのは「孫子」です。たいへん役に立つ名著です。しかし古典を一人で読むのは難しいので、道理の分かった方の解説本をお読みになるのがよいと思います。例えばこれです。