四国八十八ヶ所 歩き遍路 45日目(2024.8.8) 満願への5日目 高野山を目指して (original) (raw)

「東京屋前」バス停

満願・お礼参りを目指す 四国八十八ヶ所歩き遍路の旅、最終章の2日目です! この日はいよいよ高野山の麓まで移動します。翌日に高野山登山を控え、力を溜めながら20km以上歩くわけですが、果たして無事に歩き切ったのか、満願への5日目のレポートです。

歩き遍路 45日目 満願への5日目 ホテルルートイン紀の川から「東京屋前」バス停まで

歩き遍路45日目、2024年8月8日(木)のレポートです。この日は岩出市内から高野山麓まで、約20km移動します。まずは、計画表と実行程表をご覧ください。

この日は紀の川市内のホテルルートイン紀の川から、橋本市内の「東京屋前」バス停まで歩きます。宿泊は、バスで移動した先のホテルルートイン橋本です。ルートインをはしごしている状態ですね。ただ、歩いていくとちょっと遠く、翌日の高野山登山のスタートが遅くなってしまい、差し障りが生じます。

朝は珍しくホテルのビュッフェでいただきました。最近はパン食を控えています。パンの方が好きなのですが、腸内環境が悪くなるらしいので、トイレが近くなっては困ります。

実際、四国では基本的に朝はコンビニパンを食べて過ごしていました。すると、1週間を過ぎたくらいから昼にどうしてもトイレに行きたくなることが増え、トイレを探して難渋する、ということがしばしばありました。幸い、人間としての尊厳を守り抜きましたが、四国歩き遍路で一番しんどかったのは、重い荷物でも、夏の陽射しでも、長い距離の歩きでも、山道の傾斜でもなく、トイレを我慢することだったように思います。

ということで、おかずは洋食中心でしたが、サラダをとり、ご飯とお味噌汁をよそって食卓につきました。6時半からオープンで、混雑すると言われていましたし、実際外にはオープン前から20人ほどの行列ができていましたが、スペースは広く、ゆったりと座れました。

ただ、結構ビュッフェあるあるだと思うのですが、私が最初のおかずをとった後、後ろのテーブルにあったサラダに移り、さらに脇のテーブルにあったご飯とお味噌汁へと移った時に、どうも順番を抜かしたと思われたような気がします。不機嫌な顔をしたおじさんがいたからです。朝でもともと機嫌が悪かったのかもしれませんが、ビュッフェでどう行動すべきか、というのは結構悩みの種ですよね。私は合理的な考え方なので、空いているところからどんどん行くべき、という考え方です。

ただ、1つだけ残念な点がありました。ヨーグルトがなかったのです。係の方にうかがうと、「今日はヨーグルトがないんです」とのことでした。日によってあったりなかったりするんですね。仕方がありません。コンビニでヨーグルトドリンクを飲むことにしましょう。確か、R1か何かを飲んだと思います。

朝食を食べ終わった後はトイレにこもり、しっかりと出発に備えます。目標は8時出発でしたが、ちょっと8時は過ぎたかもしれません。

ホテルルートインでも、チェックアウトはカードキーを箱に入れるだけでオッケーになっています。人件費を浮かすことができるでしょうが、まったくお金を払わずに出ていく人はいないのでしょうかね。私は前日の夕食もすでにフロントで支払っていましたので、カードキーをボックスに入れてチェックアウトを終えました。

さあ、出発です。

なお、「紀伊駅」から高野山麓までは、南海道をメインに、途中大和街道なども経由しながら目指すことにしています。

南海道に関しては、和歌山県公式観光サイトのホームページ「街道マップ」から、各歴史街道のマップがダウンロードできます。

www.wakayama-kanko.or.jp(2024.8.15閲覧)

ただ、熊野街道マップと比べると南海道マップは少し道が分かりにくく、また道標等もまったくないため、コースを正確に歩くのはかなり難しいと思います。私もかなりコースを外れてしまっています。この日のかなりの部分は大和街道を歩くことが多かったと思います。

ホテルルートイン紀の川からJR「粉河駅」まで

ホテルルートイン紀の川を8時10分ごろに出発し、JR「粉河駅」には9時47分に到着しました。Googleマップよりは8分ほど時間がかかっていますが、まあコンビニに寄ったり写真を撮ったり、道に迷ったりしていますから、妥当なペースでしょう。

8時10分ごろ、ホテルルートイン紀の川を出発しました。昨日と同じかは分かりませんが、高校生らしき女子部員の人たちがいたので、そそくさと歩きだします。見慣れない菅笠、金剛杖、しかも菅笠からはタオルがぶら下がっている状態ですから、若い女子に見られるのはちょっと気恥ずかしいのです。

またもや出発地点の写真を撮っていませんでした。5分弱歩いて撮った写真がこれです。

※ホテルルートイン紀の川付近の様子

国道24号線岩出バイパスは4車線道路です。その脇がこれですから、かなり田舎であることが分かります。

とりあえず、最初の目標はコンビニです。コンビニは、ホテルルートイン紀の川から1.6kmほど東に行ったところにあります。もう少しホテルから近いところにもありますが、通り道ではなく、遠回りになることから、東に進むしかなかったわけです。

10分ほど歩いていくと、遠くに小学校のような建物が見えてきました。

※小学校?

近づいてみると、どうやら紀の川市立こばと保育所だったようです。ここで8時26分でした。

※紀の川市こばと保育所

立派な保育所ですね。

ここからファミリーマート 打田上野店までは200メートルほどです。信号待ちもありましたが、8時半ごろにコンビニに到着しました。

ここでは、凍ったスポーツドリンク、麦茶、凍っていないスポーツドリンクと水を購入しました。あ、ヨーグルトドリンクも買いました。常連さんが多いのか、店長らしき人がお客さんと気さくに話しておられました。私に対しては、丁寧に接客してくださいました。非常に好感が持てます。

イートインコーナーもあり、そこで凍った飲み物や水はクーラーバッグに入れました。クーラーバッグに入れておくことで、水の冷たさを維持することができます。1時間か2時間に1回くらい、その水でタオルを濡らすのです。

8時36分ごろ、ファミリーマート 打田上野店を後にし、国道24号線を先に進みます。4車線の反対側には、MEGAドン・キホーテがありました。何か、この辺は以前よりもちょっと発展しているようにも見えます。

※MEGAドン・キホーテ 紀の川店

ここから1kmほど東へ国道を進みます。幸い、街路樹の木陰があるので比較的涼しく歩けていました。

国道24号線と県道62号泉佐野打田線が交わる、「烏子川橋東詰」交差点に出ました。8時46分になっています。

※「烏子川橋東詰」交差点から南方向を望む

何でしょう、新四国八十八ヶ所遊歩道なるものがあるようです。紀の川市のホームページ*1によると、江戸時代後期に作られたいわゆる写し霊場のようです。

この「烏子川橋東詰」交差点から600メートルほど進むと、国道が南東方向から北東方向へと向きを変え、また、4車線から2車線となります。のどかさに、より拍車がかかってきます。

しかし私はその100メートルほど手前のところで、左側の脇道に入りました。ここから大和街道に入ります。ここですでに8時53分でした。

※大和街道の道標

大和街道は岩出市の中心部までは紀の川の左岸を走っていますが、現在の岩出橋東側に渡し場があり、そこからは右岸を走っていきます。だいたい国道24号線に並行する形です。

※大和街道入ってすぐの風景

いいですねえ、味わいのある道です。

5分も歩かないうちに、飛び出し坊やの進化系が登場しました。

※じくぷる

寄贈が紀の川市フルーツ・ツーリズム推進協議会となっています。紀の川市は「荒川の桃」をはじめとして、フルーツ王国になっていますので、フルーツの妖精?が飛び出し坊やの代わりを務めているようです。「じくぷる」の「ぷる」は何のことやら分かりませんが、「じく」は「いちじく」の「じく」でしょう。

大和街道入口からじくぷるのところまでがだいたい350メートルでしょうか。その先、700メートルほど進んだところで、やはり街道沿いの邸宅は立派だなあと見とれていると、道を間違えてしまいました。

※街道を少し外れた邸宅

上の地点で9時2分でした。さらに上のお宅の前を通って、奥に進んでいきます。すると、果樹園か何かで農薬を散布しておられるおじさんがいらっしゃいました。道がまだ続いているのかと思い、「道はまだ続いていますか?」と尋ねると、わざわざ作業の手を止めて「行き止まりだよ。高野山に行くの?」と聞いてくださいました。私が「そうです。街道を歩いていたつもりだったのですが」と答えると、おじさんは「戻って突き当りを左。頑張ってね」と応援までしてくださいます。いい方ですね~。四国ならよくある光景かもしれませんが、和歌山でこのような機会に恵まれるとは。心が温まりました。

おじさんの言葉どおり、戻って左に曲がります。一応、後に続く方のために間違えやすい?ポイントとして分岐点の写真を撮っておきました。

※街道の分岐点

上の写真で上の方に進むと、立派な邸宅に続き、親切なおじさんの家になります。ここを右に行くべきだったんですね。ここで9時8分でしたので、5分ほどロスしたことになります。

大和街道に戻り、街道を進んでいきます。250メートルほどで八幡神社ですが、その途中で龍門山を写真に撮っていました。

※龍門山

山の稜線を見分ける能力の乏しい私ですが、龍門山だけは和歌山在住時からきちんと見分けることができていました。特徴的な形なんですよね。

9時12分、八幡神社に到着しました。

※八幡神社

いつもどおり、参拝はしません。先を急ぎます。

八幡神社のすぐ先に、仕出し お料理 寿司 櫻井というお店がありました。

※仕出し お料理 寿司 櫻井

そもそも今もお店をやっておられるかは分かりませんが、昔は旅館だったように思います。おそらく街道を旅する人が宿泊していたのでしょう。歴史を感じられますね。

八幡神社から歩くこと約550メートルで、T字路に出ました。9時19分です。

※T字路

T字路まで近づいてミラーを見ると、矢印シールが貼っています。これは……西国三十三所の遍路道のシールですね。

※ミラーに西国三十三所の遍路道シールがある

そうです、もう少し進むと西国三十三所第三番札所粉河寺になるのです。それゆえ、遍路道を示してくれているのでしょう。しかし、めったに見られないシールなので、テンションが上がります。

ここを右に曲がるとすぐに国道24号線に出ます。私は左に曲がりました。

曲がって少し進んだところに、出ました、飛び出し坊やの進化系、本日の第2号です。

※いちごっぷる

いちじくに続いて、いちごのようですね。通り過ぎてから撮影しており、写真上方は国道24号線に出ます。

T字路から100メートルほど北上すると、お地蔵さまの祠と道標が出てきました。9時21分になっています。

※道標と地蔵祠

※道標

割と読みやすいので、それほど古くないのかもしれません。「右 いせ かうや」となっていますので、右は伊勢や高野山への道、ということですね。左面は、「左 長田除厄観世音 このうゑへぬけみち」と書いてあるでしょうか。

奥に見える踏切を渡ると、すぐにJR「紀伊長田駅」、そして長田観音で知られる観音寺に出ます。

私は右に曲がりました。

大和街道を400メートルほど進みます。すると、国道24号線にぶち当たってしまいました。大和街道は、ここで国道24号線の南側に回るのです。

ただ、道標はこのまま国道24号線を進むように促しています。

※国道脇の道標

私は道標を無視して、国道南側に続いていく、いかにもな道へと入っていきます。時刻は9時30分でした。

※国道の南側に続く大和街道

以前はこちらに誘導する道標があったように思いますが、再開発の影響か、苦情が来たのか分かりませんが、現在はこちらに誘導されていません。

まあ、私は己の道を行くだけです。すぐ奥に、神社らしきものがありますね。

※風市森神社北西角

今、Googleマップで見ているかぎりでは、風市森神社というようですね。街道を外れて奥の方に行かないと参拝できないようです。当然、スルーですね。

この後ですが、そのまままっすぐ進んでいけば大丈夫です。しかし、私はまたもや道を間違えてしまいました。

※風市森神社北側

上の写真で奥に見える橋を渡り、直進しないといけないのですが、私は道なりに見える右の方に行ってしまいました。しばらく進み、Googleマップで正しいルートを確認し、戻ります。

正しい橋から100メートルほど進んだところにある橋を北向きに渡り、住宅の間の細い道を30メートルほど進んで、大和街道に合流しました。

※大和街道に戻ってきた

上が東に向かう大和街道で、右から戻ってきました。時刻は9時34分でしたから、ロスしたというほどでもないですね。

この合流地点から300メートル弱進んだところ、左手にこかわ道標なるものがありました。9時38分になっています。

※こかわ道標

光の加減もありますが、「右 いせ」と書いてある、その下が何と書いてあるか分からないですね。違う写真で確認すると、左面には「左 こかわでら」と書いてあるように思います。もしかすると昔はこの小川沿いを歩いていたのかもしれませんね。あるいは、道標が別のところにあったか、ですが。

こかわ道標から300メートルほど先に進みます。またT字路になります。ここにも道標があり、大和街道は右側、つまり南方向を指しています。9時42分でした。

※大和街道の道標 ここで大和街道と別れる

大和街道はここから南を指しますが、私はいったん大和街道を離れ、北を目指します。西国三十三所第三番札所粉河寺が近いため、遙拝していくためです。

北に折れて、150メートルほどで国道24号線にぶち当たりました。横断し、さらに北上します。

160メートルほどで、JR「粉河駅」の南側のロータリーに出ました。

※「粉河駅」南側ロータリー

写真では分かりにくいですが、バス停の右側に公衆トイレもあります。そんなにキレイではありませんでしたが、男性の小用にとっては充分です。

さらにバス停のベンチを利用して、タオルを濡らすことができました。冷水で濡らすと生き返るようです。すでに相当暑くなっていましたが、少し、人心地がつきました。

JR「粉河駅」からジョイフル 和歌山かつらぎ店まで

JR「粉河駅」を9時54分ごろに出発し、ジョイフル 和歌山かつらぎ店には11時40分までには到着していました。Googleマップよりも15分ほど長く時間がかかっています。やはり暑さにやられていたんですよね。

粉河寺を遙拝するため、「粉河駅」の北側に出ます。地下道がありました。

※「粉河駅」地下道

かわいらしい絵を書いてくれています。

駅の北側に出ますと、正面に道がまっすぐ続いています。これが粉河寺の参道ですね。

※「粉河駅」北側

※粉河寺への案内

「粉河寺縁起」に登場する童男大士の像ですね。900メートルだそうですから、参拝できなくはないですが、大門から本堂までも350メートル以上あります。きちんと参拝したら、1時間近くはかかりますので、今回の参拝は無理ですね。

では、先を急ぎましょう!

東に200メートル弱進むと、粉河橋です。橋を渡り、70メートルほど進むと県道7号荒見粉河線に出ました。ここで、右折して南下します。いったん国道24号線を目指します。

右折してすぐに粉河踏切を渡りました。9時58分でした。

※粉河踏切

踏切を渡って右折し、いったん国道24号線に合流することにしました。10時1分になっています。

※国道24号線が見える

国道24号線に出て、左折して東を目指します。わずか200メートルほど進み、また脇道に入ります。粉河郵便局のところを左に入り、国道を離れました。

さらに、曲がってからすぐのところを右に曲がります。

※粉河郵便局北側を右に入る

郵便局の外は、何人かの人が話しておられ、活気がありました。上の写真を右に入っていきます。

この後、セブンイレブンの北側など、450メートルほど進んでいきます。根来(淡路)高野大和分岐常夜燈・石道標というのが目印です。

そして、そこまでの間に例の飛び出し坊やの進化系が2つも現れました。

※きうぷる

※かきぷる

いったい何種類いるんだろうと思い調べてみると、全部で6種類いるようでした*2

根来(淡路)高野大和分岐常夜燈・石道標に到着したのは、10時11分でした。

※根来(淡路)高野大和分岐常夜燈・石道標

名称はGoogleマップに依りますが、字は「常夜燈」としか読めないですね。実は右下の一見何でもなさそうな石が道標のようです。

※道標?

かろうじて字が書いてあることだけが分かります。「き」と「の」らしきものが見えますので、もしかすると、西国三十三所第四番札所の槇尾寺まきのおでらが書かれているのかもしれません。

と言いますのも、400メートルほど進んだところの弘法大師永代常夜燈にもまきのおでらの名前が書いてあるからです。

※弘法大師永代常夜燈

「右 かうやみち」、「左 いせ まきのを寺(道?)」と書いているように思います。

こうなってくると、この辺は西国三十三所第四番札所の槇尾寺(施福寺)への古道があったわけですね。

ちなみに、ここから70メートルほど進んだところにお大師さんの井戸というのがあります。

※お大師さんの井戸

金属製のふたを開けて、柄杓で水をすくうのでしょう。説明板によると、みすぼらしいぼろぼろのお坊さんがこの地の庄屋に水を乞うたところ、庄屋は「鉄気かなけが多いけれども……」とお水を湯呑に入れて出してくれたそうです。そのお坊さんは鉄気の水ではお困りだろうと、錫杖でこの地を突いたところ、井戸が湧いたということです。

うん、こういう話、たくさん見てきました。全国どこへ行っても、弁慶が持ち上げた石だとか、弘法大師の井戸だとか、西行の桜だとかがありますよね。

すべてを疑うわけではありませんが、おそらく、最初はいちびりの人が冗談で「こうこうだ」と言ったものを、後の世代の人が真に受けてしまい、そういう伝説が作られていったように思います。

比叡山延暦寺西塔地域の常行堂・法華堂はにない堂とも呼ばれますが、弁慶が担いだからだと言われています。お堂を2つ担ぐ人間って、どんなんやねん、と思いますよね。

弘法大師永代常夜燈まで戻り、北東方向に進みます。140メートルほどで、名もなき踏切に出ました。JR和歌山線の北側に戻ります。ここで10時21分でした。

※名前が書いていない踏切

踏切を渡って50メートル弱で、地蔵堂と大和街道の道標が出てきました。Googleマップには地蔵堂と書いていますが、地蔵祠程度ですね。

※地蔵堂と大和街道の道標

私の定義では、お堂とは人が入れて中でお参りできる建物、祠とは人が入らずに外からお参りする建物です。

ここからまた東向きに進みます。奥に見える山は高野山なのかなあと思いながら、JR和歌山線と並行するのどかな道を歩きました。

※JR和歌山線と並行する街道

左側はみかん畑だったと思います。

先程の道標から1kmほど直進しました。すると、名手川にぶち当たります。名手川にかかる名手橋を渡りました。10時39分です。

※名手橋

名手というこの辺の地名を冠する橋が、この道で使われているということは、やはりこの道が旧街道だったことの証明ですね。

名手橋を渡ると、大和街道は北側に少しだけ折れます。20メートルばかりでしょうか。そこを右に曲がれば、東向きに街道が続いていきます。

※道標 大和方面は右上を指している

すぐ曲がるところは、白い割とキレイな家が建っていました。

※白い家

2軒つづきで、左右対称になっています。2世帯住宅か何かでしょうかね。割とキレイだったのですが、空き家のようでした。もったいないですね。

大和街道のこの先には、私も目印の一つにしていた旧名手宿本陣妹背家住宅が建っているはずです。そこを目当てにしばらく進んでいきました。

白い家のところを入って350メートルくらい進むと、立派な旧家が出てきました。10時46分になっています。

※名手宿本陣?

これかな?と思い、周りを少し回ってみたのですが、何の案内板も説明板もありません。あきらめて、先に進むことにしました。

立派な旧家から90メートルほどで、蛭子大神宮です。しかし、その手前のお宅がまた、戦前に建てられた旧郵便局とかにありそうな、いい雰囲気のお宅でした。これも保存すべき対象のように思います。

※モダンな雰囲気の旧宅

隣が蛭子大神宮です。

※蛭子大神宮

失礼ながら、大神宮はちょっと看板倒れのような気がします。本社か何かが近くにあるのでしょうかね。

蛭子大神宮から50メートルほどで、出ました、本物の旧名手宿本陣です。こちらはきちんと案内板などもありました。

※旧名手宿本陣南西角

※旧名手宿本陣

※旧名手宿本陣入口

入ってもよかったのですが、おばあさんがお二人、もう一つの入口のところで談笑しておられ、入るのがためらわれました。しかも建物側にいらっしゃったおばあさんの方が、「案内しましょうか」とおっしゃってくださったのですが、私はなるべく気配を消して歩いていきたいタイプなので、「急いでいるので、ありがとうございます」とお断りしてしまいました。不意に声をかけられると、弱いんですよね。スマートな返しができなくて困ります。

旧名手宿本陣妹背家住宅は国指定の史跡になっており、建物は重要文化財になっています。駐車場に、妹背家の末裔の方が紀の川市に文化財保存のために寄贈した、との説明板が経っていました。個人でこういう文化財を保護するのは大変ですからね。

旧名手宿本陣から100メートルほど進むと、こじゃれた橋が出てきました。10時52分になっています。

※小島橋

大正13年の建設のようです。少しモダンな、それでいて街道らしい橋ですよね。

小島橋を渡って600メートルほどで、また踏切です。この踏切も名もなき踏切ですね。すでに11時ちょうどでした。

※名前が書いていない踏切2

踏切を渡って350メートルほど進むと、国道480号線にぶち当たります。ここは、すぐ南側に国道480号線と国道24号線の分岐点、「穴伏」交差点があります。

※国道480号線にぶち当たる

右側に地蔵祠があり、また大和街道の道標もあります。

※国道480号線沿いの大和街道の道標

ここから国道480号線を100メートル少々北上します。すると、国道480号線と大和街道が分岐しています。

※国道480号線と大和街道の分岐点

この右側の標識ですが、ちょっと分かりにくいですね。

国道480号線はこのまま北上すれば、大阪府の和泉市に出ます。しかし、「国道480号」と書いてある標識は後ろに「国道24号線」の印も書いてあり、方向的には「高野山」や「橋本」を示しています。「国道480号」と書いてあるのが混乱のもとでしょうか。

一応、国道480号線と国道24号線はこの東側で一体化しているらしいですが、数字の小さい方が前面に出てくると思うので、この東側の国道は一般的に24号線と認識されていると思います。逆に国道480号線というと、ここから北上するルートを指す方がおそらく認識されていると思うのです。

私は高野山・橋本方面を目指していますので、この分岐を右に行きました。すると、すぐに妹背橋です。11時10分でした。

※妹背橋

妹背橋を渡ると、ついにかつらぎ町に入ります。

※妹背橋上 かつらぎ町に入る

上の写真で右上を走っているのが国道24号線です。橋を渡ってから100メートルほどで、国道24号線に合流しました。

ここからは、ジョイフル 和歌山かつらぎ店まで国道を歩くことにします。紀の川と並行して走っていますが、歩道は紀の川側にあるので、景色は素晴らしいです。

※紀の川沿いを歩く

写真で見るだけだとキレイだなあ、で済みますが、毎日熱中症警戒アラートが出ていますからね。くそ暑いですよ。

この辺の歩道は歩きやすかったのですが、ちょうど反対側で道路の整備をしておられる方々がいらっしゃいました。お一人は一所懸命草を刈り、もう一人がそれを入れる袋を持っていかれてるところでした。国道ですから、国土交通省の方々なのでしょうか。

「歩道も整備しておいてくださーい」と叫ぼうかと思いましたが、恥ずかしいのとおせっかいなので酒にませんでした。しかし、彼らの仕事ではないのか、歩きにくさに気づかないのか、案の定、この先の歩道では整備されていなかったところがありました。後ほど、写真をお見せしましょう。

途中、句碑がありました。隣には万葉歌碑があったようですが、なぜかそちらの写真は撮っていませんでした。

※句碑

「紀の川を 長い長いと 鳴く雲雀 柳童」と書かれています。寡聞にして柳童なる人がどなたか分かりません。宇崎竜童さんなら分かるんですが。

国道24号線は、見えないのですがJR「西笠田駅」付近で緩やかにカーブを描いています。カーブの最後の辺りでしょうか、道の駅 紀の川 万葉の里の案内板が出てきました。11時20分になっています。

※道の駅まであと1kmの案内板

昼食は、この道の駅のすぐ先にあるジョイフルでとる予定です。あと15分くらいでいけそうですね。

さらに7分ほど歩いて、何か面白い絵の描いてある建物が出てきました。

※謎の建物

どうやら国土交通省が管理する、窪谷川樋門というものの管理棟のようです。上の写真では分かりにくいですが、謎の「わかひめちゃん」というキャラクターが描かれています。一応、かつらぎ町商工会が定めているキャラクターのようです*3

さらに350メートルほど進んで、ようやく道の駅 紀の川 万葉の里に到着です。11時32分でした。

※道の駅 紀の川 万葉の里入口

ここにもレストランがあります。ここで食事をとることも考えたのですが、やっぱり四国を歩いていた時にお世話になったジョイフル、魅力的ですよね。

ジョイフルはおそらく土地代を抑えるためか、あまり都心部には店舗がありません。結構、田舎に多いチェーン店です。

ジョイフル 和歌山かつらぎ店までは200メートルも離れていません。お店の写真は撮っていませんでしたが、おそらく11時40分までには入ったと思います。

まだ12時前でしたので、席はかなり空いていました。好きな席に座るように案内されました。

メニューを見ると、どうやらスヌーピーとのコラボをやっているようです*4。とくにこだわりがあったわけではありませんが、がっつりとしたプレート、ライスなどは暑さでやられていて食べにくかったので、期間限定メニュー第2弾のルーシーの怒りんぼスパゲティアラビアータにしました。これにフライドポテトとドリンクバーのセットをつけます。担当した店員さんが新人さんだったようで、ちょっと手間取りましたが、無事に料理も運ばれてきました。

これ、後で気がついたのですが、ジョイフルもどうやらサイゼリヤ同様、自分のスマホで注文できたようです。そうすれば、彼を煩わせる必要はなかったですね。チェーンとはいえ、久しぶりに行くお店だったので、勝手が分かりませんでした。

さらに、これだけではカロリーが足りないように思い、単品でオセロアイスも頼みました。これは、チョコレートアイスとバニラアイスが盛りつけられているものになります。

これだけ食べても1,578円でしたから、安いですよね。ジョイフル、ナイスです。

しかも、コラボのおかげで何とスヌーピーのクリアファイルもいただけました。当たりくじが入っていたら、オリジナルマグカップももらえたそうで、荷物になるなあ~と思って開けると、さすがにそれは入っていませんでした。

※スヌーピーのクリアファイル

しばらく休憩し、トイレにも行っておきました。12時20分ごろ、出発です。

ジョイフル 和歌山かつらぎ店から「東京屋前」バス停まで

ジョイフル 和歌山かつらぎ店を12時20分ごろに出発し、「東京屋前」バス停に到着したのは14時57分でした。Googleマップより20分ほど時間がかかっています。まあ、Googleさんは暑さとか計算しませんからね。

12時20分ごろ、元気百倍になって出発します。まずは国道24号線を北側に渡ります。街道らしき道を行こうと思い、そこに入るつもりでしたが、曲がるべきところで曲がらず、直進していまいました。

※右折ポイント 直進してしまった

そのまま右折せずに北上すると、右側にバキュームカーの本拠地のようなところがありました。エンジンもかかっていましたが、それほど臭くないなと思い、通り過ぎようとしました。すると、最後の方でちょっと臭かったですね。

この後、道が間違っていることに気づき、もう一度臭いにおいを嗅ぎながら先程の右折ポイントに戻ってきました。3分ほどのロスです。

右に曲がってから350メートルほど進むと、小さな川か用水か分からないところを渡りました。ここで12時28分でした。

※用水?の橋

奥に見える茶色の屋根は牧場だそうです。

橋から230メートルほど進むと、道案内の標識が出ていました。12時31分です。

※通行止めの案内標識

一般車が通るには狭い道なのでしょうが、人間には関係ありません。しかし、ここは左に曲がり、道なりに県道125号那賀かつらぎ線に出ました。

県道に出たら左折し、30メートルほど北上して、バイパスになっている県道125号線の高架下をくぐります。この高架下に、大和街道の道標があります。

※県道125号線高架下の道標

高架下をくぐり、私は直進していきます。150メートルほどで、大きな楠が出てきました。Googleマップでは、十五社(じごせ)の楠と書いてあります。12時38分です。

※十五社の楠

かつらぎ町観光協会の説明板によれば、樹齢600年以上の近畿一の大樹だそうで、幹の周りは何と13.5メートル以上、和歌山県指定の天然記念物だそうです。なお、説明板を見るためには反対側に回らないといけません。

さすがに近畿一はスゴイですね。だからか、バイクの観光客らしき男性が1人いらっしゃいました。私はあくまで歩くことが目的なので、写真を撮っただけです。

街道を進むと、すぐに宝来戎神社です。12時40分になりました。

※宝来戎神社

ご由緒でも書いてあるのかと思って説明板らしきものを見ましたが、「明年(※令和6年のこと)より、戎丁講員の高齢化等に伴い宵戎十日戎のお礼吉兆福笹等の販売」ができません、といったようなことが書かれていました。どこも少子高齢化、限界集落化が進んでいます。

宝来戎神社から850メートルほど進むと、八風の湯に出ました。

※かつらぎ温泉 八風の湯

ここは懐かしいですね。昔は野半の里 蔵乃湯という名前でした。蔵乃湯時代には家内と何回か来たことがあります。おそらく業績悪化で八風の湯に売却したのでしょうが、値段がかなり高くなっていて、行ったのは1回だけでした。まあ、土日で700円ほど高くなっただけで、漫画が充実していたのですが、私の琴線には触れませんでした。

街道をさらに450メートルほど進むと、左手に公園が出てきました。ここで、タオルを水に濡らしましょう。すでに13時1分になっていました。

※佐野公園

炎天下の公園ですので、誰もいません。それが、私にとっては好都合です。頭に載せるタオルと、首に巻くタオルの両方を冷水で濡らしました。うーん、生き返りますね。

ここでマップを確認します。もう1箇所、見ておきたかった場所があるんですね。Googleマップでは佐野寺跡となっています。ここから、北に230メートルほどのところですね。

休憩も含めてですが、7分後、佐野寺跡に到着しました。

※佐野寺跡

思ったよりも何もないですね。紀伊国分寺跡よりも規模が圧倒的に小さいですし、それほど大したものではないかもしれません。

発掘されたと思われる礎石がいくつか残っています。説明板もありました。

※佐野寺跡説明板

和歌山県指定文化財で、史跡になっているようです。どうやら飛鳥時代後期に建立されたお寺らしく、かなり由緒があるお寺のようですが、いつ廃寺になったのかは分かりません。

ここで街道に戻ってもいいのですが、もう少しだけ足を延ばし、ここから東方にある元興寺に向かうことにしました。

そのまま東に向かい、用水にかかる橋を渡り、最初のT字路を左へ、次のT字路を右に曲がると、すぐに元興寺です。

※元興寺境内の様子

※元興寺入口

ここで13時15分になっていました。境内に弘法大師像が祀られていますので、高野山が近づいてきたことが実感されました。

この入口のところから100メートルほど東に進みます。すると、用水を渡る橋が出てきました。しかしここでは橋を渡らず、橋の手前の道を右に曲がり、200メートルほど南下しました。右手にカフェ ウガンダがあります。13時20分でした。

※カフェ ウガンダ

この前の道が街道だと思います。ここを私は左に曲がり、東に向かって街道の続きを歩くことにしました。

東に900メートルほど進みます。また、国道24号線に合流しました。ここからは、目的地まで国道24号線を歩いていくことになります。ここで、13時32分でした。

※「役場前」交差点

国道を歩き出して4分ほどで撮った写真です。今度こそ高野山でしょうか。

※高野山を望む

おそらく、国道を1kmほど歩いたところだと思いますが、お見せしたかったところの写真を載せます。

※国道の荒れた歩道

これですよ、これ。これを整備して欲しいんですよね。何とか通れるレベルですが、歩道はかなり占拠されてしまっています。おそらく、国土交通省の方は歩道を歩かないので気づかないのでしょう。

130メートルほど進んだところでしょうか、南側に旅館かつらぎというのが出てきました。もしかすると、ここも昔は街道筋の旅籠みたいなものだったのかもしれませんね。

※旅館かつらぎ

こういうところに泊まってから、高野山に登る方もいたのかもしれません。

旅館から150メートルほど進んだところ、北側にJR「妙寺駅」があります。13時50分でした。

※「妙寺駅」

「妙寺駅」前から400メートルほど東進します。右手に、おしゃれな店が出てきました。昨今は空前のアウトドアブーム、キャンプブームですが、ノースフェイスを前面に出したお店がこんなところにあるとは! 13時56分です。

※Orange

この Orange から500メートルほど進んだところに、ツルハドラッグ 妙寺店がありました。コンビニよりもドラッグストアの方がトイレが使いやすいですよね。人に会わずに使うことができますから。ここはトイレが店外だったので、余計に使いやすかったです。小用を済ませました。しかし、くそ暑いので、トイレの回数は非常に少ないです。

ツルハドラッグから250メートルほど進んだところ、「病院前」交差点の手前に、死んだバス停がありました。今は、使われていないようです。しかし、屋根もあり、決して汚いわけではありません。ここでタオルを濡らさせてもらいました。

さあ、ここからはラストスパートですね。

バス停跡から550メートルほど進みました。和田石材店というのがありました。そこで、ガラスに映る私の姿を写真に撮ってみました。14時24分でした。

※和田石材店

まったく誰だか分かりませんね。おそらく周囲から見たら、不審者以外の何者でもないでしょう。四国ではお遍路さんで通用したのですが。

国道を700メートルほどさらに東進します。また橋が出てきました。14時33分です。

※嵯峨谷橋

ここで、懐かしい文字を目にしました。紀北青少年の家ですね。前々任校に勤めていた際は、2泊3日の新入生合宿でここに5回も行きました。最近、お会いした元同僚の方のお話では、老朽化がとりわけひどいようで、ムカデなどの虫も出ることから、利用を止めようという話が出ているそうです。

14時34分、ついに橋本市に入ります。

※橋本市に入る

ついに橋本市ですね。和歌山市から出発して、岩出市、紀の川市、かつらぎ町を経由して、ようやく橋本市に入ってきました。本日はこの橋本市に宿泊します。

この後はそんなに写真を撮っていませんでした。

橋を渡ってから東に1.1kmほど歩いていくと、マツゲン 高野口店の前に出ました。時刻は14時54分になっていました。懐かしいですね、マツゲン。和歌山在住時はよく利用していました。

マツゲン前から東へ200メートルほど歩き、14時57分、ようやく本日の目的地「東京屋前」バス停に到着しました。

※「東京屋前」バス停時刻表

この日は15時29分発のバスに乗ることになっています。1日5本しかないバスです。これに乗り遅れると、次は18時発でしたから、間に合って良かったです。

歩きを終えて

東京屋というのは、どうやら葬儀屋さんのようです。敷地に入り、外側にも自動販売機がありましたが、ベンチがなかったので、ここで休むことはあきらめました。マツゲンまで戻ります。

マツゲンで休憩していると、何と一人のおじさん、私と同じくらいかちょっと上くらいの年齢の方が、ソルティライチというペットボトルの飲み物を差し入れしてくださいました。いわゆるお接待ですね。ありがたいです。さすが高野山の麓、この地にもお接待文化はあったんですね。今回は納め札を持参していなかったので、お礼だけ申し上げました。

この後、ほぼ時間どおりに来た橋本市コミュニティバスに乗りこみました。運転手さんにホテルルートイン橋本のところで降りる旨をお伝えすると、文字どおりその名前のバス停があるので、そこで降りてください、という案内でした。

バスに乗っていると、まあまあの距離を進んでいることが分かります。これは歩くと大変でしたね。Googleマップで測ると、4.6kmもあります。1時間以上追加で歩かないといけなかった、ということですからね。

15時37分ごろ、「ルートイン橋本前」バス停に到着しました。ちょっとだけ、ホテルルートイン橋本を通り過ぎています。信号を渡り、ホテルを目指します。その前に、翌日乗るバス停を確認しておきました。

※「ルートイン橋本前」バス停

翌日は、7時15分発のバスですね。

すぐにホテルルートイン橋本にチェックインし、部屋に入ります。今回は2階で、しかもツインの部屋でした。ラッキーです。

時間も早かったので、1度お風呂に入っておくことにしました。それであわせて考えると、洗濯も先にやってしまえばいいわけです。ただし、ここのホテルでは、洗剤をフロントで買う必要がありました。50円だったか、100円だったかと思います。

というわけで、すぐに大浴場に向かいます。この時間ですので、貸し切りでした。その後、すぐに洗濯を始めます。18時過ぎには終わる計算でした。なお、ランドリーは、大浴場の脱衣場に併設されています。

その後、洗濯が終わってから乾燥機に放り込むために脱衣場に入ると、部活生らしき大学生くらいの若者が大勢いました。洗濯機がこれだけしかないのかとか、お金がどうとか、文句を言っていました。危なかったです。早めに動いていたので、私の洗濯には影響しませんでしたが、もし夕食後に洗濯を始めていたとしたら、混雑していて就寝時間が遅くなったかもしれません。四国でも、しばしばそういうことがありました。

だいたい、そういうケースで遅くなる理由は、洗濯終了後も取りに来ない人が多いからなんですよね。後から使う人のことも考えて、早め早めに取りに来て欲しいものです。私は、必ず5分以上前には様子を見に行っていました。

無事に洗濯が終わり、食事にしようと思いました。また、翌朝の食事は6時45分からでしたので、7時15分発のバスに間に合わせることができません。そうすると、コンビニで朝食を買う必要がありました。どっちにしろ、外に出た方が良さそうです。

ということで、道路の反対側にある餃子の王将 橋本店に行くことにしました。スシローもありましたが、生ものを食べてお腹を壊してはいけません。

ラーメンと半チャーハン、そして餃子3個のセットでしたが、追加で餃子を3個プラスしました。私はこういうところでは、ラーメンとチャーハンと餃子のすべてを食べたいのです。それでも、1,389円でした。ジョイフルより安いです。さすがです。

ここからコンビニに向かいます。フロントスタッフの方のお話では、東に750メートルほど進んだところにあるセブンイレブン 橋本東家店に行くよりも、西に300メートルほどのところにあるウェルシア橋本市脇店に行く人の方が多いそうですが、おにぎりやヨーグルトなどの品揃えを考えると、やはりセブンイレブンの方が良さそうです。幸いにも、体力はかなり回復していたので、セブンイレブンを目指しました。

しかし、思っていたよりも遠かったですね。実はホテルのフロントで自転車を借りることができたので、借りるべきだったと後悔しました。宿についた段階では24kmくらいしか歩いていなかったのですが、その後かなり上積みしてしまいました。

それでも、思っていたとおりの品々は手に入りました。おにぎり3個、夜用の水、翌朝用の水、ヨーグルト、サラダを購入しました。1,354円使っています。

この後はホテルに戻り、結局また汗をかいたので2回目の大浴場を利用しました。

実はこの日、16時43分に宮崎県日向灘沖を震源とする地震が発生し、気象庁から南海トラフ地震臨時情報が発令されました。何しろ日本国民全員が初めての経験であり、和歌山県をはじめとする危険エリアに立ち入るのは大丈夫なのかという心配がありました。しかし、気象庁の会見で避難経路を確認したうえであれば海水浴をしても良い、というお話があったことから、翌日の高野山登りもこの段階では決行することにしました。

ただ、翌朝のニュース等、情報を確認してから最終決定ですね。というわけで、この日は早めの21時過ぎに就寝しました。

歩き 遍路振り返りデータ

歩き遍路のためにデータを振り返っておきます。なお、飲食費はここでは振り返りません。人によって飲食費は変わると思いますので。私は500mlのペットボトルを7~8本くらい飲んでいましたので、飲み物代だけでも1日に1,000円近くかかっていたと思います。

札所情報

札所:なし

納経代:0円

大師納経代:0円

宿情報

ホテルルートイン橋本

スタンダードシングル(禁煙)(※実際にはツインルーム利用)

宿泊費:8,600円

室内に冷蔵庫・バス・トイレあり

WiFiあり

大浴場あり

洗濯機・乾燥機あり(4台?)

洗濯代200円、乾燥代200円(30分100円) 洗剤代100円?

アクセス:橋本市コミュニティバス「ルートイン橋本前」停留所から徒歩1分

コンビニ:徒歩11分

ルートイン紀の川よりは古いが、問題はない。コインランドリーが少なく、洗剤代が別途かかるのはちょっとよろしくないか。ツインルームを使わせてもらえたのがラッキーだった

バス情報

行き:なし

帰り:橋本市コミュニティバス「東京屋前」~「ルートイン橋本前」200円

距離と歩数

ASUS VivoWatch BP(HC-A04)

カロリー:1,888kcal

距離 :27.4km

歩数 :39,657歩