四国八十八ヶ所 第7番札所 十楽寺 ~ビジネスホテル宿坊と愛染明王祀る愛の寺~ (original) (raw)

十楽寺

四国八十八ヶ所の第7番札所は、光明山こうみょうざん蓮華院れんげいん十楽寺じゅうらくじです。6番札所安楽寺から約1kmしか離れていませんが、少し山に近づいたところにあるお寺です。

十楽寺の巡礼情報

十楽寺は、四国八十八ヶ所の第7番札所となっています。6番札所以降、旧撫養街道を外れ、山の方に進んだところにあるお寺です。6番札所安楽寺に引き続き、こちらにも立派な宿坊があります。しかも、お寺自らビジネスホテルと名乗っておられるくらい、立派な宿坊を有しておられます。こちらも安楽寺と同じく、歩き遍路を始めた人が最初に泊まることが多い宿でもあります。

十楽寺の縁起

十楽寺の成立縁起は、十楽寺のホームページに記載されています。

jyuurakuji.com(2024.10.26閲覧)

それによりますと、四国を巡錫中の弘法大師がこの地に留まられた際、阿弥陀如来を感得し、太さが110cm以上あるご神木の楠に、国家安泰を記念して阿弥陀如来像を刻まれ、ご本尊として安置されたのがお寺の始まりとされます。

人間の持つ八苦(「生」「老」「病」「死」の四苦および「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」)を離れ、十の光明に輝く楽しみが得られるようにということで、寺号を光明山十楽寺とした、とされます。

例によって五来重さん*1の著作をひもといてみますと、次のように縁起について述べておられます。

江戸時代の初めの承応2年(1653)ごろに、悔焉坊という人が四国をめぐった『四国辺路日記』を見ますと、「十楽寺、是モ悉ク退転ス」とあるので、江戸時代の初めは一番から十番まで非常に衰えていたようです。

ここにつづく記述で、『四国徧礼霊場記』ではお寺の復興が進んでいることについて述べられ、また『四国辺路日記』について言及しておられます。

『四国辺路日記』のほうが古いので、「堂モ形斗ばかり」とあるように、形ばかりのお堂です。「本尊阿弥陀如来、御首斗在リ」と書いているので、首のところしかなかったようです。

徳島県のお寺は戦国時代、長宗我部元親によって攻められていますので、十楽寺も衰退していたようです。

五来さんはさらに『四国徧礼霊場記』の記述について、説明しておられます。

『四国徧礼霊場記』は「此寺来由きかず。弥陀を安じて十楽と云、蓋此尊を念じ奉る所、去此不遠にして、即楽邦なりとしめさんゆへとおぼゆ」と書いています。村のお堂だったと考えられますから、古い因縁や縁起があるわけではありません。『四国徧礼霊場記』はこのお寺について書くことがないので、ここからあまり遠くないところに楽邦(極楽)があるということを示すために十楽寺という寺の名前ができたのだろうと記しています。

十楽寺さんにとっては不名誉なことですが、『四国徧礼霊場記』はお寺の来歴について、かなり厳しく書いているようです。

十楽寺の見所

十楽寺の見所をご紹介します。

鐘楼門

※鐘楼門

竜宮造の山門で、鐘楼門でもあります。十楽寺のシンボルとして知られているそうで、遠くからでも目立ちます。

中門・遍照殿・愛染堂

※中門・遍照殿・愛染堂

※中門・遍照殿・愛染堂裏側

鐘楼門をくぐると正面に水子地蔵がありますが、左に進み右に折れると、中門です。中門は、正面から見ると遍照殿と書かれています。本堂側から中に入ることができ、上層部が愛染堂になっています。愛染明王はその字のとおり、「愛」の仏さまとして信仰されており、十楽寺はSNS等でも縁結びの寺としてアピールしておられます。

本堂

※本堂

ご本尊の阿弥陀如来像が祀られている本堂です。明治時代に本堂が再建されたとのことですが、現在の本堂は平成4(1992)年に落慶したそうです。なお、脇仏の勢至菩薩像と観音菩薩像は鎌倉時代の作とされます。

大師堂

※大師堂

本堂の左奥、本堂より高いレベルにある大師堂です。

十楽寺のご詠歌

ご詠歌とは、 四国八十八ヶ所の各霊場の特色を五・七・五・七・七の三十一文字で分かりやすく詠んだもので、民衆に各霊場の特色を分かりやすく教える意味合いがあります。

にんげんの はっくをはやく はなれなば

いたらんかたは くぼんじゅうらく

(人間の 八苦を早く 離れなば
到らん方は 九品十楽)

漢字表記は一般社団法人 四国八十八ヶ所霊場会のホームページ*2によります。

八苦、九品、十楽と数を重ねていますね。

八苦とは、縁起の項目でも説明したとおり、人間の持つ八苦のことです。「生」「老」「病」「死」の四苦および、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の八つの苦を指します。

九品とは、上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生の九つを指します。これは、浄土に生まれ変わる際の、九つのパターンを表しています*3

十楽とは、極楽の十楽のことを指します。恵心僧都源信の著作『往生要集』でも、浄土には十の楽しみがあるとされているそうです。五来重さん*4が詳しい説明を書いてくださっていますが、長くなるので省略します。項目だけ挙げておきましょう。

「聖衆来迎の楽」

「蓮華初開の楽」

「身相神通の楽」

「五妙境界の楽」

「快楽不退の楽」

「引接結縁の楽」

「聖衆倶会の楽」

「見仏聞法の楽」

「随心供仏の楽」

「増進仏道の楽」

ご詠歌は「にんげんの」と始まっていますが、漢文的に読めば「じんかんの」ですね。「にんげんの」であれば文字どおり「人間の八苦を早く離れたならば」となりますが、「じんかんの」と読めば、「人間社会の八苦を早く離れたならば」となります。私は後者の方がいいと思います。「人間社会の八苦を早く離れたならば、至るだろうところは、九品十楽の極楽浄土である」という意味でしょう。

十楽寺へのアクセス

十楽寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

jyuurakuji.com(2024.10.26閲覧)

公共交通機関

JR「徳島駅」から徳島バス「鍛冶屋原車庫」行に乗車、「東原」バス停下車、徒歩約25分(「徳島駅」から約1時間25分)。

お車

徳島自動車道「土成IC」から県道139号線を東に約5分。

駐車場あり。約20台。無料

十楽寺データ

ご本尊 :阿弥陀如来

宗派 :真言宗単立

霊場 :四国八十八ヶ所 第7番札所

所在地 :〒771-1509 徳島県阿波市土成町高尾字法教田58

電話番号:088-695-2150

宿坊 :あり

納経時間:8:00~17:00

拝観料 :無料

URL :https://jyuurakuji.com/

境内案内図

www.seichijunrei-shikokuhenro.jp(2024.10.26閲覧)

上記サイトの当該箇所に境内の案内図があります。

南坊の巡礼記「十楽寺」(2020.7.24)

11時40分ごろ安楽寺の駐車場を出発しました。県道139号線を西に進みます。安楽寺の少し西のところで、道が一部細くなっているところがありました。車同士のすれ違いは無理なレベルですね。

そこを通り抜け、さらに西に向かいます。安楽寺駐車場から850メートルほど進んだところに、右側、つまり北側にお寺の山門らしきものが見えました。

あれではないか?と思い、慌てて右にハンドルを切り、脇道に入りました。そのまま少し北に進むと、山門前に到着しました。

山門の左側が駐車場になっています。何台か停まっていました。

車を停めて山門に向かいます。もはや雨は止む気配がありません。カッパを着て、傘を差しました。境内は少しだけ高くなっているようで、山門から石段を昇ります。

山門は安楽寺につづき、エキゾチックな雰囲気です。かなり高さがあります。

山門をくぐると、正面には水子地蔵がありました。

いけませんね。何だか雨のときの水子地蔵は少し恐ろしさも感じます。何でしょうか、死の生々しさが感じられるというのでしょうか。そういう意味で、このお寺は印象深いお寺になりました。

山門から少し登ると、つづいてまた門がありました。中門ですね。すぐにくぐります。

境内は、少し広くなっていました。北側に本堂があります。3人組の熟年の兄妹?が、熱心にお勤めをしておられました。このお寺では、たまたま熱心な巡礼の方と重なりました。

大師堂は本堂よりも高いレベルにありました。まあ、そんなにたくさん石段があるわけではありません。

納経所は中門入って右側にありました。鉄筋コンクリート製だと思いますがとても立派な建物で、おそらく宿坊と本坊などが兼ねられているのだと思います。

納経所の担当はおばさんで、私が掛け軸を乾かしているとちょうど交代の時間だったのか、何か食べ物のお裾分けをしておられました。こういうのって田舎によく見られる光景ですよね。

この後、車に戻りましたが、もうそろそろ限界だなと考えていました。翌日は出勤ですし、あまり遅くなっても差し支えが出ます。また、雨によってもう心が折られてしまってました。

というわけで、これ以上のお遍路は今回は断念することにしました。少し徳島市内を車で散策し、帰ることにします。昼食は、焼そば専門店 突貫亭 佐古店でいただきました。13時を過ぎていたとはいえ、結構空いていたので良かったです。

食事の後、そのまま高速道路に乗り、茨木市の自宅まで戻りました。だいたい17時になるくらいだったでしょうか。

2020年7月23日、24日の2日間のお遍路は、結局7か寺どまりとなってしまいました。車遍路の割には、少なかったと思います。四国に着くまでの行きの道が驚異的に渋滞しており、1日目に3か寺しか打てなかったということと、2日目の雨によって気持ちがなえてしまったということが大きく響きました。

実はこの後の車遍路では、雨はほとんど降りませんでした。何でしょう、いわゆる洗礼というものだったのでしょうかね。

次は8月の夏休みに入ってから一気に43番まで打ちます。次回のレポートを楽しみにお待ちください。