2024年前半の旅行記(東京)、と、自分の人間性の成長について (original) (raw)

熊本に帰ってきてさらに人と会う経験を積んだ。

そうして学んだのは、人はそれほど凄いところばかりではなく、結果として凄い一面がうわべに出てしまうだけだということ。

うわべと中身を見比べるとそれほど人に嫉妬する必要はなく、悩みも特に長続きさせる必要がないと思った。

そうこうしながらいつの間にか年を越し、2024年に。

同僚の自分より年下の台湾人にあこがれて、この年は旅行をはじめた。

まず人吉に高速バスを使っていってみた。

行き返りの方法と楽しむためのプランを少し決めただけで、あとは人吉をぶらぶら散歩した。

これがよかった、雰囲気や初めてのカフェ巡りをスタートし、かわいい女性をみるためという欲望を原動力に変換することを学んだ。

次は東京、ただ一人で少し雪の残る東京を満喫した。

トーヨコ、渡し船、東京タワー、全て独りで行くことで一人の辛さと大事さ、無力感と全能感の相反する感性を受け取った。

あと尿路結石が取れた。

首相官邸近くに行って職質まがいの事を受けたり、霞が関の眠らない官僚の窓際の灯りを数えたりした。

皇居から東京駅まで歩く道中にウエディングフォトを撮影している団体を見つけ、なにか感傷に浸ったり、パパ活を観たり、渡し船に乗ったり。

横浜のそれなりの中華とマズい水を飲んだり、うんぶりさんにあってみたり、ラーメンを食べてみたり。

人としての具合がグンと高まった気がした。

次は阿蘇、草千里が浜に行って野焼きを観たり、一人でぜえぜえ息を切らしながら山を登ったり、一人でパキスタンカリーを食べてみたり、フランス人っぽいカップルとあいさつしてみたり。

それから同僚の人とも仲良くなって、山鹿のさんろくという秘境店に行ってみたりした。

ほぼ生の鶏レバーはこく、まろやかさのバランスが調和していて癖になるほどおいしかった。

天草の倉岳神社に行って必死になって登って絶景を見ながら改めて自分を客観視してみたり、イルカを遠目から双眼鏡で眺めてみたり。

海辺の生物を見てびっくりしてみたり。

そこからは自分の住んでいる土地、そして周辺の食を楽しむことを目標にしてみたり。

人がいう事を十分に聞いて、その通りにする。

そうすればたとえ自分が想像の付かなかった選択や結果が、絶対に出てくるものである。

自分が最善の選択を見つけられるならそれでいい、だがそうはいかない場面がある。

だから今までは変えられなかった自分がいる、これからは人のいう事ややることに対して積極的にチャレンジしていくことが、自分がどう生きたいのかという感情と思考に直結していくと感じている

出来ないと思う事、やりたいと思えないこともやる。

どう思うかはやってみてからしか分からない、挑戦しなければ一生結果が分からない。

人には寿命、限界がどうしてもあって、それはどうにも変えられない。

けれど試行回数が増えれば、大勢の人間が経験した者の一部分が自分の物になる。

たとえ失敗しても、それをどうとらえるかは自分次第である。

人は挑戦しなかった中で、それを最善の選択だと考えるかもしれない。

しかし自分はそれとは違う人間であった。

難しいことは難しいと思わない、出来ないと思う事は出来ないとは思わない。

ただ結果が悪くなるだけ、ただ継続が現実的ではないだけ。

経験は自分を作る。

今まで自分がなかった、私は今経験で自分があるような気がしている。

私は人を悪く言いたいわけではない、人を貶めたいわけではない。

ただ自由に生きたい、人がやらないようなことも多少はやってみたい。

自分の欲望を満たせば自分の人生は上手くいくことに気が付いた。

何をしたいか、何が出来るか、何が苦手か、何が好きか、どんな傾向があるか。

これが分からなくとも、少なくとも選択と思考の場面に直面すればおのずとわかる。

その時に自分が何を出来るか、それはただ、やるだけ。

人生は一度きりで、今の時間は今だけ、後悔は出来るが失敗は今しかできない。

自分には成功というものに縁がない、だが出来ることがあるとすればそれはただ、やるしかないという気持ちをもって生きるだけ。

それは自分の生きる信念になっていると思う。

この気づき、思いを大事にしたい。

自分はしょうもない人間で、人と比べても劣っているところがたくさんある。

1人で泣いても変わらない現実に直面すると、どうしようも出来ない自分がいるというのはどうしてもわかっている。

いつか失敗することもわかっている、何かを後悔してしまう事も確実にある。

出来ないことに嫌気がさして逃げ出したい気持ちが出来て、逃げることだってあることはわかっている。

けれど結局後悔しても何も意味が無い。

自分は意味のない人生を生きていて、人生というものについて考えていた。

そして人生なんてものには意味が無いことに気が付いた。

意味が無ければ自分が意味を考えなければなければいけない。

それは例えば休日にドライブして、コーヒーを飲んで気持ちを落ち着けることを人生の目標としてとらえたり。

毎日違う選択をして、昨日と自分が違う人間になったかを客観的に考えて、明日の自分が出来ることを考え続けたり。

なにか意味を自分で作り上げる、しくみが出来ればそれは自分の信念になる。

そういう考えは一周回るかもしれない、けどその時を考えて自分がどういう考えを持つか、今から考えてみるのも面白いかもしれない。

過去の事を振り返った時、昔は無味乾燥な思いでしかなかった。

今年できたことを振り返ると、どういう選択と行動をして、どういう思いになったか。

自分で自分が面白いことを出来た、ただうれしかった、そんな単純な思いが出来ている。

自分と付き合う事はたのしいことに、いま気が付き始めている。