不定調性論で読む「20世紀の和声法」5-同書の参考曲一覧4- (original) (raw)

前回

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前回に続き、参考曲の抜粋です。

ピアノ編曲と書いてある作品は、声楽とピアノの作品や複数のピアノ編曲の場合なども含めてあるそうです。

p129

ポリコードの起りは、二重、三重の低続音にさかのぼりうるもので、それらにおいては低続音に対する経過和音との関係関係から生ずる経過的和声が複調(Bitonality)のヒントにもなっている。

ポリハーモニー(Polyharmony-多和声)はめったに多調的になることはない。多調はその構造を作り上げる和音ユニットが個々の調を固執する場合のみ成立するものである。

二つの調の和音を使った事実だけで「これはポリトーナリティだ」と主張することがあります。

しかし、本当に工夫されていないと、二つの調性を実感しながら聞くことは人間は困難ですし、「複調だ」「多調だ」と感じる前に、不定調ですね、と思ってしまうものです。

もちろんこれは私が複調を正確に認知類別できないから、不定としか感じられない、という意味だけでなく、調的存在や概念自体で考えない、的な意味もありつつです。

複調というのは、そもそもその人が、調的システムを重んじたい人か、全く破壊したい人か、どっちの気質に近いのかによって表現や感じ方が変わります。

私は不定調性の人ですから、調の合体は不定調性であり、より自然な音状態である、と感じます。

演歌とブルースが混じったような音楽なら、どっちかに寄せた方が聞きやすいものです。

そして混沌を表現したいなら、現代では、クラスターや、無調、のやり方がすでに確立されているので、どれかにふってくれた方が聞きやすさがあります。

ポリコード(Polychord-多和音-)=異なった和声領域に属する2個以上の和音の同一的な組み合わせ

ペダルトーンの上に展開される種々の和音が複調性を持つが、音楽的に成り立っている、というような状況から展開された技法です。

基本は自然倍音(管楽器などで自然に生まれてしまう倍音のこと)の積み重ねが持つ機能性が重んじられます。低音に置かれた音が発する自然倍音に近い音が高音にあると、よりその和音は響く、という感覚を人は得ます。

低音にcがあるなら、

c,d,e,f#,g,a#,b

などの音が多いほど、共鳴感を感じる、というわけです。

またUSTのところでも触れましたが、二つの三和音を並べるときは、下記の1のように三和音をしっかり分けて配置することで、より認識しやすくなります。

しかし複雑な和音は、低音部は広く、高音に長三和音

g3

e3

c3

g2

c2

と言ったスプレッドヴォイシングにした方が、よく響き、馴染むと言うトレードオフの関係にもあります。

より不協和で斬新な響きを持たせるため、低音部の狭い和音などが用いられ始めた。その際に和音の混合、二つの調から拝借した和音の積み重ねなども行われ、ポリコードの文化が生まれます。スプレッドヴォイシングの元祖は自然倍音列です。

またp135に下記のような心象図があります。

抽象的和音は、こうしたイメージが自分で作れることが、その和音を自分が使えるかどうかの目安になってゆきます。

また和音という存在は、こうした区分けのしやすさ、イメージの個別化に独特の自由度があります。これがメロディやリズムなどとは比較にならない方法論化の可能性の高さを示していると感じます。

ポリコード、2個の三和音ユニット

バルトーク 弦楽四重奏曲第5番 87頁

ピーター ラシーン フリッカー ピアノ協奏曲作品第19番 40頁

ロイ ハリス ひとり言と踊り-ビオラとピアノのため 7頁

アイヴス ピアノソナタ第2番 65頁 2 3 4

オネゲル 交響曲第5番 1頁

ルーセル バッカスとアリアーヌ 57頁

ウィリアム シューマン 弦楽のための交響曲 8頁

ストラヴィンスキー 道楽者のなりゆき(The Rake's Progress) 195頁

さらに三つ以上の三和音が組み合わさった曲も当然あります。

ポリコード、3個以上のユニット

オネゲル 世界の叫び(Cris du Monde)ピアノ編曲 9頁

アイヴス ピアノソナタ第2番 26頁

メシアン 二台のピアノのためのアーメンの幻想(Visions de L'Amen) 2頁

ミヨー 五つの交響曲(小オーケストラ) 52頁

ハンフリー サール 交響曲第二番 38頁

ポリコード、混合ユニット

バルトーク バイオリンとピアノのためのソナタ第2番 29頁

ベルグ ヴォツェック 71頁

コープランド ピアノ幻想曲 5-6頁

ヒンデミット ピアノソナタ第2番 12頁

イベール 喜遊曲(Divertissement) 52頁

レオン キルヒナー バイオリンとピアノのための二重奏曲 9頁

マルセル ミハイロビッチ 交響組曲一弦 62頁

ミヨー コエフォール(Les Choéphores) 41頁

シェーンベルク 深き淵より 23頁

ストラヴィンスキー 三楽章のための交響曲 11頁

エルンスト トッホ えんどう豆の上の王女様 26頁

これらの楽曲における複雑な合成和音は、不定調性論での和声単位作曲やマザーメロディの和音づけ的に組み立ててトレーニングしていくと、それらしい作品ができます。

複合和声

引用します。

ndlsearch.ndl.go.jp

調的機能などに縛られない別のシステムで組まれた和音などです。下記は音程構造が鏡像化しています。

<1>

下記は、和音構造自体がセクションとなり、長音程と短音程の組み合わせのように協和感音程を持つ和音集合と、不協和音程を持つ和音集合で組まれています。

<2>

現代では、こうした和音を商用音楽で使うとするなら、情報化社会を活用して、現実社会を抽象化した音表現の具現化的に用いる感じでしょうか。

<1>の和音なら、人間の表裏を描いた、とか社会への明と暗の反響を描いた、とか。

<2>の和音なら汚れた世界の中の純粋さ、清廉な世界の中の汚濁、みたいな。

そういうことをSNSでシェしないと、"変な響き"が、どういう意味を持っているのか分かりづらいと思います。

また逆にそれぞれの和音テクニックを四度和音やクラスターのように、大体こういう感じの響きになる、みたいな常識を植え付けていく必要があります。しかし和音数が多いと、響きも混迷を極めるのでなかなか和音の性格を一つの印象で括るのは難しいでしょう。それなら、普通のテンションコードで良いという時もあるでしょうし、肘でピアノ弾いたクラスターでいいや、という発想にもなります。これはどういう響きを作るか、という理知的な欲求と、どんなふうに表現したいか、という体の欲望が色々入り乱れます。その人の性格にもよります。

だから二晩考えて作ったクラスターと、肘で叩きつけたクラスターが同じ響きを持っていてその制作コストはおんなじなんです。それまでどう生きてきたか、ですから。それが表現行動に反映されるのであって、手っ取り早く肘で打とう、と考えてもその人はもっと別なことにとんでもない時間をかけていたりするものです。使う12音は決まっていますから、そこに「心象」を丁寧に使わないと、全部同じ12音に聞こえてしまいます。同じ12音だ、と聞くことは音楽文化の精神ではないし、日本男児は皆同じ顔に見える、というくらいつまらない価値観になります。

時系列情報で現実を処理できていない証拠です。

何でもかんでも価値を置け、と言っているのではなく、朝食を二時間かけてる作る人の人生も、走りならがら10秒チャージする人生もどちらも人生模様として受け入れ、理解して、また自分を謳歌しよう、という話です。

さまざまな現代音楽の方法論は、その選択肢を増やしてくれているわけです。

現代的和音は、手が混んでいる割に使いにくい一面があると同時に、これから先の未来の解釈でまだまだ使えそうな可能性もあります。

今後AIと同居する次世代が作る独自論の開発に期待です。

複合和声

三度、四度、二度などの音程が混合、同時的組み合わせで和音として用いた曲

イースレィ ブラックウッド 交響曲第1番 48頁

ブーレーズ ピアノソナタ第2番 3頁

ブリテン ねじの回転 174,181頁

カーター 弦楽四重奏曲 第1番 29頁

アイヴス ピアノソナタ第2番 42頁 2 3 4

シェーンベルク ピアノ曲作品第33番 a 2頁

ウィリアム シューマン 交響曲第6番 1,49頁

ニコス スカルコータス(Nikos Skalkottas) 弦楽のための小組曲 10頁

カールハインツ ストックハウゼン コントラプンクト 83頁

ストラヴィンスキー 春の祭典 83頁

ヴァレーズ オクタンドル(Octandre) 11頁

ウェーベルン カンタータ 作品第29番 1頁

投影作法

このように対照的な音程や拡張によって音世界をシステマチックに構成する方法です。

上方倍音列に対しての下方倍音列などもこうした形態を持っていると言えます。

シンメトリックに和声や旋律を配置している楽曲

バルトーク オーケストラのための協奏曲 1頁

ブロムダール 室内協奏曲 ピアノ編曲 17頁

コープランド ヴィーデブスク(Vitebsk)(バイオリン チェロとピアノ) 2頁

ダラピッコラ アンナリベラの音楽手帳 9頁

ハルトマン 木管、ピアノ、打楽器のための協奏曲 32-33頁

ミヨー コエフォール ピアノ編曲 10、76頁

パーシケッティ 第六ピアノソナタ 18頁

ジョージ ロックバーグ バイオリンとピアノのためのコンチェルタンテ 13頁

ジェラルド ストロラング 鏡

タンスマン 小組曲 7頁

ヴィレッジ ピアノソナチネ 19頁

ポリリズム

バーバー ヴァネッサ ピアノ編曲 72頁

コープランド 交響曲第1番 20頁

アイヴス 交響曲 第3番26-27頁

シェーンベルク 弦楽三重奏曲 作品第45番 13頁

シューラー 弦楽四重奏曲 第1番 27頁

スクリャービン 第10ピアノソナタ 2頁

ストックハウゼン 速度(Zeitmass)第5番 21頁

ペダル音作例

フォス 死の寓話(A Parable of Death) ピアノ編曲 40頁

ヒンデミット バイオリンとピアノのためのC調のソナタ 21頁

コダーイ ミサ ブレヴィス(Missa Brevis) 45頁

シェーンベルク ピアノのための組曲 作品第25番 10-12頁

ウィリアム シューマン ニューイングランド三枚画 2-4頁

ストラヴィンスキー ペルセフォーヌ ピアノ編曲 43-45頁

ウォールトン ビオラ協奏曲 ピアノ編曲43頁

明確な無調作品

ベルグ ヴォツェック

オネゲル パシフィック231

アイヴス イースキュラスとソフォクレスー19の歌曲よりー

ラクルス ピアノのための"招魂"(Evocation)

シェーンベルク 月に浮かれた(憑かれた)ピエロ

自由な音列作法で書かれた作品

コープランド ピアノ幻想曲

ダグピッコラ とらわれ人

ファイン 弦楽四重奏曲 第1番

リーガー 交響曲第3番

ロックバーグ 弦楽四重奏曲第1番

セッションズ 交響曲第二番

ストラヴィンスキー アゴン(Agon)

ファルティン ヴァーレン(Fartein Valen) ミケランジェロのソネット(Sonetto di Michelangelo)

時期が過ぎると、リンク切れや、もっと良い楽譜動画が見つけられるかもしれません。随時英語版で作曲家名と作品名をご自身で検索してください。

拙論は、これらの音楽系統の大河の流れを経た上で現代においてフラットになったビートルズ的不定調性感覚から導かれる調性世界のリセットされ庶民的音楽論から論じた新しい無調世界への入り口を書いています。

本来学術的な探究は、同書におけるような近代から現代における調性が希薄になるさまざまな作曲システムの流れが前提になることを提示しないと話になりません。同書のような研鑽こそ「正しい不定調性論」であると思います。

そこで述べられている源流の大河の流れが全て把握できれば、不定調性論はその一部に過ぎないことがわかると思います。

現代人が必死に考えている幾つかのことはこれらの著書の中ですでにいくつも解決されています。一冊でもそうした名著の力を知ると、勉強に対する姿勢も変わってきます。無駄な悩みのいくつかは勉強で解消できます。

SNSを見ていると「へーそこで悩んでるんだ、本読んだらいいのに」と思う内容がたくさんあります。今現代思想がどこにきているのか、をちゃんと把握しておかないと二世代前に解決した悩みに苦しむ幻肢痛みたいな苦しみ苛まされます。

感性で音楽をやると決めたら、勉強は人一倍してください。

論理的にやる方が楽です。歴史的な正しさに頼って逃げられるからです。

対称的に独自論で生きる、という無謀な生き方もあります。価値は人に奪われ、責任と恥だけ押し付けられる生き方です。でも身の丈がわかり、自分がやりたいこともわかります。あとはあなたの性格で選んでください。

今回はたまたまご依頼もあって同書を事例にしましたが、現代のインターネット力を駆使して、再度読み解いてみてはいかがでしょうか。