ミャンマー軍政下で獄中死100人以上 収容施設「無法地帯化」、不当逮捕した市民への暴力がエスカレート (original) (raw)

クーデターで民主化が軍政に逆戻りしたミャンマーでは、国軍に批判的な市民の不当な逮捕、拘束が今も連日伝えられる。現地の人権団体の調査では、昨年2月の政変以降、収容中の拷問で100人以上が死亡。「手配中の親族の身代わりに、子どもが人質として連行された」との報告もあり、人権侵害が支配と服従の常套(じょうとう)手段となっている。(バンコク・岩崎健太朗)

国軍系メディアは連日のように市民の逮捕を伝える。民主派が爆破計画に関与したと主張し、逮捕者を見せしめにする記事(一部画像処理)

国軍系メディアは連日のように市民の逮捕を伝える。民主派が爆破計画に関与したと主張し、逮捕者を見せしめにする記事(一部画像処理)

「軍靴で頭を蹴られ、たばこを顔や手に押しつけられた。袋をかぶせられ、集団に殴打され、爪をはがされそうになった」。現地の弾圧を記録する政治犯支援協会(AAPP)は釈放された市民への聞き取りや内通情報を基に、法手続きや施設実態を公表した。令状なしの逮捕や、取り調べでの暴力がエスカレートしていると告発する。

報告書によると、国軍は敵対勢力とみなす人物の摘発に「虚偽情報で不安をあおった」「テロ組織を支援した」などと基準が曖昧な扇動罪やテロ対策法を多用している。「目撃も物証もなく、警官の言い分だけで起訴された」との訴えが相次ぐ。多くの場合、容疑を告げられずに連行され、弁護士への連絡も遮られ、裁判で禁錮刑などが下されるという。拘束・収監中に家屋や土地、財産が没収されたケースも500件以上確認された。

取り調べ中の暴力は常態化。拷問は当局に都合のよい供述をするまで繰り返され、銃や電気ショック、革ひもなども使われる。追跡対象の所在を突き止めるため、家族が「人質」として連行されることもあり、300人以上が拘束された。西部の刑務所では、母親と連行された2歳児が病気治療を放置され亡くなった。

ミャンマーとタイの国境近くにある「政治犯支援協会」の拠点。手前は、多くの市民が拘束され、強権統治の象徴とされるヤンゴンのインセイン刑務所の模型=岩崎健太朗撮影

ミャンマーとタイの国境近くにある「政治犯支援協会」の拠点。手前は、多くの市民が拘束され、強権統治の象徴とされるヤンゴンのインセイン刑務所の模型=岩崎健太朗撮影

精神的、性的虐待も横行。トランスジェンダーの女性は「レイプ犯らと同じ房に収容された」。ある男子学生は「おまえを犯したいという兵士がいる」と脅された。取調室で、妻が夫の眼前で性的暴力を加えられた事例もあったという。

収容環境も劣悪で、粗末な食事だけでなく、飲み水や歯磨きなどもトイレの水しか使えない刑務所も。新型コロナウイルスが拡大した昨年、全国で集団感染が相次いだが、北部の刑務所では1200人の収監者に医師と看護師が1人ずつ配置されただけだった。

AAPPによると、クーデター以降に逮捕、拘束された市民は1万3000人を超える。今年3月には、市民組織に5000チャット(約340円)を寄付した2人の女子学生が、禁錮7年を言い渡された。

AAPPはミャンマー国境に近いタイを拠点に国内の協力者から情報を収集。共同代表のボーチー氏(57)も1990年代に計7年間収容され、半月近く理由もなく殴られ続けた。「逮捕や拘束は罪を罰するためでなく、抵抗への復讐(ふくしゅう)と服従が目的。こうした手法は少数民族地域でも行われてきた」と指摘する。

一方、国軍はAAPPを「根拠のない情報を広めている」として違法組織に認定した。ボーチー氏は「人権団体などに収容施設へのアクセスを認めず、無法地帯化している」と国際社会の関与を訴えている。