張り込み日記(1958年) 「犯罪捜査」刑事を追え<一枚のものがたり>写真家・渡部雄吉さん (original) (raw)

張り込み日記<1958年>

張り込み日記<1958年>

二〇〇四年春、東京・神保町。ロンドンの古書バイヤー、タイタス・ボーダー(58)は、立ち寄った古書店でモノクロ写真の束に目を留めた。二〇×二五センチほどの大きさで、二人の刑事を中心とする犯罪捜査の場面が写っている。フィルム・ノワール(暗黒映画)のようだが、生々しい。店主は不在で、店員が「映画のスチル写真かもしれません」と言った。

翌日店に戻ったボーダーは百二十枚すべてを購入。フジフイルムの古い緑色の箱に入った写真がロンドンに届いた。「すべてのプリントに、言葉を超えたエネルギーがありました」。聞き込みから捜査会議、鑑識の様子まで撮っている。被写体に俳優らしさがなく、実際の捜査の場面だと確信した。木村伊兵衛や土門拳など日本の戦後の写真家の写真を長年扱ってきたボーダーだが、渡部雄吉(わたべゆうきち)の名は知らなかった。なぜ犯罪捜査の場面を撮れたのか、どのようにして撮ったのか。そんな疑問を残したまま〇九年、コレクターにプリントを売却した。

写真家・渡部雄吉さん

写真家・渡部雄吉さん

これらをもとにフランスの出版社から写真集が出版されるのは、その二年後のことだ。撮影から半世紀以上を経て「犯罪捜査」と名付けられた写真集はベストセラーとなった。熱心なファンが多く、英国のファッションデザイナー、ポール・スミス(75)は生涯のベスト10の一冊に挙げている。

「主役」の二人の刑事は誰なのか。判明のきっかけは一二年、ノンフィクション作家の野地秩嘉(つねよし)(65)が取材先のパリで、写真集を編んだグザビエ・バラルの書店を訪れたことだった。野地は収録された写真や編集の良さ、工芸品のような装丁やデザインの素晴らしさを知り、旧知の元警察庁長官国松孝次(たかじ)(84)らにプレゼントしようと三冊を買って帰った。

その一冊を手にした国松は「宮口精二似のベテラン刑事と小林薫似の若手刑事のコンビ」について、昔を知る人に聞けば誰だか分かるかもしれないと、当時の警視庁刑事部長吉田尚正(なおまさ)(61)に写真集を託す。

元警察官向田眞利(むかいだまさとし)(77)の巣鴨の自宅に一本の電話が入ったのは、それからまもなくのことだった。応対した妻の京子(72)に「捜査一課長の龍(一文)です」と名乗り、「向田力(つとむ)さんをご存じですか。一度確認にお伺いしたい」と言った。

力は眞利の父だった。渡部の写真には、自宅でくつろぐ力の近くに中学生の眞利も写っている。だが、写真を撮られた記憶はまったくない。早速ネット通販で写真集を購入すると、父の刑事の顔があった。「目の鋭さに驚きました。仕事、仕事で家族旅行も行けませんでしたが、しっかり仕事をしてたんだなと」

一方、同じころ日本版の出版も動きだす。「犯罪捜査」を購入した写真コレクター斉藤篤(46)は、渡部の遺族と会い、千枚ほどのネガを入手。都内で写真展を開催するとともに、自ら出版社roshin booksを立ち上げ「張り込み日記」を出した。さらに、茨城県警に問い合わせ、若い方の刑事が緑川勝美であることも突き止めた。緑川は当時健在で、斉藤に撮影の背景を詳しく語った。

二人の刑事が追っていたのは、一九五八年に水戸市で発覚した「千波(せんば)湖バラバラ殺人事件」の犯人だった。被害者が墨田区の男性と判明し、警視庁との合同捜査が行われた。この捜査を雑誌「日本」のグラビアに掲載するため、渡部が二十日間密着取材していた。

事件は最終的に山口県出身の男が、他人に成り済ますために殺害したことが判明。男は三年間に養父母ら計四人を殺しており、六五年に死刑が執行された。

刑事一筋の向田は、かつて捜査一課三羽がらすの一人と呼ばれたという。渡部と同じ山形の出身。剣道六段で、大の相撲ファン。酒を飲まない代わりに踊りが得意で、日本舞踊の名取だった。定年後は踊りの道を究めようとしていたが、肝硬変のため逝った。まだ五十八歳の若さだった。

そんな父の働き盛りの日の姿が、知らないうちに世界を駆け巡っていた。眞利は時折墓前を訪れ、亡き父に語りかける。「おやじ、すごいな」 (敬称略)

一枚の写真の背後には、時に思いもかけないドラマや、忘れることのできない思い出が隠れています。一線で活躍する写真家から名もなき市井の人々まで、さまざまな人が印画紙に刻んだ「一枚のものがたり」をひもといていきます。 (第2、第5土曜日に掲載します。次回は7月9日です)**連載はこちらから**

文・加古陽治