「発禁本」1300冊を集める図書館とは…国会図書館にもない蔵書も 「歴史の証人として希少」 (original) (raw)

東京タワーの足元、芝公園の一画にたたずむ小さな図書館に、明治期から戦時下にかけ国の検閲で処分を受けた大量の「発禁本」が保管されている。出版物に対する弾圧、取り締まりの実態を知る資料として、研究者も価値を高く評価する。戦後77年の夏、暗い時代の記憶を継承するための展示会が開かれている。(井上靖史)

明治期から戦時下にかけての言論弾圧で発売禁止や記述削除などの処分を受けた書籍=東京都港区の三康図書館で

明治期から戦時下にかけての言論弾圧で発売禁止や記述削除などの処分を受けた書籍=東京都港区の三康図書館で

前身から数えて今年で120年の歴史を刻む「三康(さんこう)図書館」(東京都港区)。玄関に展示コーナーを設け、発売頒布禁止や記述削除などの処分を受けた書籍や雑誌を並べている。

✕〇〇〇✕…。小林多喜二の代表作「蟹工船」の一部の文章が伏せ字になっている。「漁期が終わりそうになると、蟹缶詰の『献上品』を作る(中略)。石ころでも入れておけ!かまうもんか!」。これが元の文章だ。乗組員の過酷な労働環境や権利闘争を描いた「蟹工船」は段階的に削除する箇所が加えられた。複数の発禁本が、図書館にあるという。

所蔵する発禁本は、約1300冊。大正デモクラシーの流れに沿った進歩的な編集をした雑誌「改造」や、労働組合の闘争を描いた徳永直の「太陽のない街」、米作家ヘミングウェーの「武器よさらば」などの表紙や裏側には「禁閲覧」「除」と押印がある。担当司書の早川仁英(ひとえ)さんは「今ある当たり前を考えるきっかけにしたい」と話す。

ヘミングウェーの「武器よさらば」や、「赤旗の下に」などの閲覧禁止本が並ぶ書庫

ヘミングウェーの「武器よさらば」や、「赤旗の下に」などの閲覧禁止本が並ぶ書庫

三康図書館の前身の「大橋図書館」は、明治期を代表する出版社「博文館」が設立した。終戦直後、幹部が公職追放となり、大橋図書館も閉鎖となったが、1950年代に資料を引き継ぎ活動を再開した。残されている記録から、大橋図書館は40年に780冊、43年に400冊の発禁本を分類している。

◆金庫に隠して没収逃れる

業務日誌によると、特高や憲兵隊が頻繁に見回りに訪れ、44年8月には「329冊が没収された」とされる。だが、そのほかは司書らが金庫に隠したり、理由をつけて立ち入りを拒否したりして没収を免れてきたという。

図書館が発禁本を守り続けてきた理由について詳しい経緯は分かっていない。早川さんは「発禁の歴史の出来事を形として残して伝えようとしたのでは」と話している。

半世紀近く、発禁本について研究してきた元国立国会図書館長の大滝則忠さんによると、発禁となった書籍は推定で約1万3000冊。戦後に連合国軍総司令部(GHQ)が押収し、米国に渡ったものがデジタル化されて返却されたものが多い。「これだけの実物を集めた図書館は歴史の証人として希少」と話す。国会図書館にない発禁本も存在するという。

展示会「発禁本と閲覧禁止本」は9月2日まで。無料。発禁本は館内で閲覧可能。入館料大人100円、高校生、18歳未満は無料。平日のみ開館。問い合わせは図書館=電03(3431)6073=へ。

◆大逆事件を機に言論弾圧広がる

明治期から終戦までの言論弾圧では、出版法と新聞紙法に基づき、「社会秩序や風俗を乱す」などと国がみなせば発禁、削除、記事掲載差し止めなどの措置が取られた。こうした対応を受けた本をまとめて「発禁本」と呼ぶことも多い。

天皇暗殺を計画したとして、幸徳秋水ら多くの社会主義者が検挙された1910(明治43)年の「大逆事件」を機に、社会思想関係の文献が発禁となったり、対象は文学や芸術分野にも広がったりした。

近代出版史に詳しい浅岡邦雄・元中京大教授によると、戦時体制の統制が強まった40(昭和15)年以降、左翼書の一掃を旧内務省が強く号令。警察が大学などの図書館を巡回し、発禁本の提出を命じた。だが没収するまでの法的根拠はなく、提出しなかった図書館もあった。作品の一部の伏せ字は流通停止を恐れた出版社が自主的に行ったケースもある。