アイク&ティナ・ターナーとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

アイク&ティナ・ターナー
(1971年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス
ジャンル R&B[1]ポップ・ロック[1]ファンク[1]ソウル[1]ポップ・ソウル[1]ロックンロール[1]
活動期間 1960年 - 1976年
レーベル スーソニアワーナー・ブラザースケントローマケントモダンタンジェリンイネスフィルズポンペイブルー・サムミニットA&Mリバティユナイテッド・アーティスツ
旧メンバー アイク・ターナー ティナ・ターナー

アイク&ティナ・ターナー(Ike & Tina Turner)は、1960年代から1970年代にかけて活躍したアメリカポップソウルデュオアイク・ターナーティナ・ターナーの夫婦(後に離婚)のチーム。16年間にわたって、ロック、ソウル、ブルースファンクなど幅広い音楽を手がけた。グラミー賞を獲得した「プラウド・メアリー」のカバーが有名。

1991年ロックの殿堂入り。

グループ結成まで

1956年、16歳のアンナ・メイ・ブロック(後のティナ・ターナー)は、彼女の母親、姉妹と同居するために故郷テネシーからセントルイスに移住。アンナは彼女の姉妹と共に夜な夜なナイトクラブに通い詰め、そのうちのひとつでザ・キングス・オブ・リズム(The Kings of Rhythm)のメンバーとしてステージに立つアイクと出会う。バンドが聴衆をステージに上げて歌わせているのを見て彼女も果敢にステージに上がり、「アイ・ノウ・ユー・ラヴ・ミー・ベイビー」(_I Know You Love Me Baby_)をB.B.キングバージョンで歌い上げた。今も彼女のトレードマークとなっている、喉をきしませる独特の歌い方はアイクを感動させ、仲間内で「リトル・アン」と呼ばれていた少女はバンドのバッキング・シンガーとして雇い入れられた。

ある日、バンドのメインボーカリストがレコーディングに現れなかった際、アイクはアンナを抜擢。当時アイクとの子供を身ごもっていた妊娠8カ月のアンナは「ア・フール・イン・ラヴ」(_A Fool in Love_)を彼女のボーカルでレコーディングした。当初はその場限りのつもりであったアイクは、彼女のボーカルを聞いた後、アンナを前面に立ててプッシュしていくことを決め、彼女の芸名をティナに変えて、彼の姓であるターナーを付け加えティナ・ターナーを誕生させた(当時アイクはまだ別の女性と結婚していたが)。彼はグループ名もザ・キングス・オブ・リズムからアイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューに変えた。

スターダムへ

「ア・フール・イン・ラヴ」はアイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューのファーストシングルとして1960年冬にリリース。ビルボードのホットR&Bチャートの2位、アメリカン・ポップ・シングル・チャートの27位にまで達するヒットとなり、2人は一躍全米クラスの知名度を得る。翌1961年にリリースした、ローズマリー・マッコイ作のセカンド・シングル「イッツ・ゴナ・ワークアウト・ファイン」(_It's Gonna Work Out Fine_)は、前作に続きホットR&Bチャートの2位、アメリカン・ポップ・シングル・チャートの14位にまで上昇した(この曲にはバックグラウンド・ボーカルとして、一発屋のデュオミッキー&シルヴィアのミッキーが協力している)。 この曲で、2人のコンビは早くも初のグラミー賞ノミネートという快挙を成し遂げる。

1962年の3枚目のヒット「プア・フール」(_Poor Fool_)も38位まで上昇。しかしながら、彼らの人気を後押ししたのはチャートアクションのみならず、一連のエキサイティングなショウによるところも大きかった。彼らは『シンディグ!』(_Shindig!_)、『ハリウッド・ア・GoGo』、『アメリカン・バンド・スタンド』などのテレビ上にも積極的に露出し、ティーンエイジャーたちを熱狂させた。1960年代の半ばまでにアイク&ティナ・ターナー・レビューは国民的人気を獲得した。

1966年フィル・スペクターのフィリーズ・レコードと契約。「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」(_River Deep – Mountain High_)をレコーティング(アイクは録音に参加せず、ティナの単独レコーディング[注釈 1])。アメリカではBillboard Hot 100の88位までしか上がらずスペクターを失望させたが、イギリスで3位まで上昇する大ヒットとなり、これがきっかけとなってローリング・ストーンズの1966年と1969年のアメリカ・ツアーのサポートアクトに抜擢され、2人は国際的スターへの足がかりをつかむ。

1969年には、ブルース色の強い「オウタ・シーズン」(_Outta Season_)と、アルバート・キングのカバー「ザ・ハンター」(_The Hunter_)のリリースでより大きなチャートアクションを獲得。ティナはアルバム『ザ・ハンター』からの「ボールド・ソウル・シスター」(_Bold Soul Sister_)でグラミー賞ベストR&B女性ボーカルに2度目のノミネートを受ける。

1970年、『エド・サリヴァン・ショー』に出演、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカバー「プラウド・メアリー」と「ボールド・ソウル・シスター」を披露した。「プラウド・メアリー」は1971年春にシングルとしてリリースされ、ポップシングル・チャートで4位まで上昇し、アメリカのチャートにおける過去最高位を記録、1972年にグラミー賞を獲得した。

人気の衰退~解散

1975年頃には、アイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューの人気は色あせた。最初にアイクのバンドに加入してから17年後、ティナはソロ活動を開始し、「シェール・ショー」や「マイク・ダグラス ショー」などの番組に単独で出演した。同年、彼女はザ・フーのアルバムを基にケン・ラッセルが監督した映画トミーにアシッド・クイーンの役で出演して、素晴らしい歌と演技を披露した。

このころよりコカインを常用するアイクのティナに対するDVが深刻になり、彼はティナへのコントロールを保つために暴行を振るい続けるようになった[注釈 2]。ついにティナはダラスでのショーの直前にホテルから逃亡。1976年にグループは解散した。

その後ティナは離婚訴訟を起こし、2人は1978年に和解するまで法廷で争った。

ディスコグラフィ

アルバム

コンピレーションアルバム

シングル

注釈なきものはすべてティナのリード・ボーカル

Year Song U.S.100 U.S.R&B UK75 CAN100 DEU100 ITA50
1960 "A Fool in Love" 27 2 - - - -
1961 "I Idolize You" 83 5 - - - -
1961 "It's Gonna Work Out Fine" 14 2 - - - -
1962 "Poor Fool" 38 4 - - - -
1962 "Tra La La La La" 50 9 - - - -
1962 "You Shoulda Treated Me Right" 89 - - - - -
1964 "I Can't Believe What You Say (For Seeing What You Do)" 95 - - - - -
1965 "Goodbye So Long" - 32 - - - -
1966 "River Deep - Mountain High" 88 - 3 62 - -
1966 "Tell Her I'm Not Home" - 33 48 - - -
1966 "A Love Like Yours" - - 16 - - -
1968 "So Fine" - 50 - - - -
1969 "I'm Gonna Do All I Can (To Do Right By My Man)" 98 - - - - -
1969 "I've Been Loving You Too Long" 68 23 - 78 - -
1969 "The Hunter" 93 37 - - - -
1970 "Bold Soul Sister" 59 22 - 71 - -
1970 "Come Together" 57 21 - - - -
1970 "I Want To Take You Higher" 34 25 - 36 - -
1970 "Working Together" - 41 - - - -
1971 "I'm Yours (Use Me Anyway You Wanna)" - 47 - - - -
1971 "Ooh Poo Pah Doo" 60 31 - - - -
1971 "Proud Mary" 4 5 - 3 21 -
1972 "Up In Heah" 83 - - - - -
1973 "Early One Morning" - 47 - - - -
1973 "Nutbush City Limits" 22 11 4 - 2 5
1974 "Sexy Ida" 65 29 - - - 25
1974 "Sweet Rhode Island Red" - 43 - - 43 -
1975 "Baby Get It On" 88 31 - - - -

脚注

注釈

  1. ^ アイク・ターナーのスタジオでのコントロールを嫌ったスペクターが20,000ドルをアイクに支払う代わりにアイクはレコーディングには一切関与しないという極めて異例な契約が交わされた。
  2. ^ 後に、ティナは自伝_I, Tina_の中で、アイクがグループ活動の期間中ずっと、また16年の結婚生活の間中、彼女を監督するのに暴力を続けたと述べた。

出典

  1. ^ a b c d e f Huey, Steve. Ike & Tina Turner Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年9月16日閲覧。