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アチェッラAcerra
行政
イタリア
カンパニア
県/大都市 ナポリ
CAP(郵便番号) 80011
市外局番 081
ISTATコード 063001
識別コード A024
分離集落 Gaudello, Pezzalunga
隣接コムーネ <#隣接コムーネ>参照
地震分類 zona 2 (sismicità media)
気候分類 zona C, 1011 GG
公式サイト リンク
人口
人口 59,910 [1] 人 (2018-01-01)
人口密度 1,107.8 人/km2
文化
住民の呼称 acerrani
守護聖人 San Cuono e figlio
祝祭日 5月29日
地理
座標 北緯40度57分0秒 東経14度22分0秒 / 北緯40.95000度 東経14.36667度 / 40.95000; 14.36667座標: 北緯40度57分0秒 東経14度22分0秒 / 北緯40.95000度 東経14.36667度 / 40.95000; 14.36667
標高 28 (19 - 54)[2] m
面積 54.08 [3] km2
アチェッラの位置
ナポリ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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アチェッラ (イタリア語: Acerra) は、イタリア共和国カンパニア州ナポリ県にある都市であり、その周辺地域を含む人口約6万人の基礎自治体コムーネ)。

地理

位置・広がり

ナポリ県北部に位置するコムーネで、市域の北はカゼルタ県との県境となっている。ナポリ中心部からは北東へ13km、カゼルタから南南東へ14kmの距離にある[4]

歴史

アチェッラは、この地方で最も古い都市のひとつである。おそらくはオスキ人(英語版)によって、Akeru の名で建設された(ラテン語: Acerrae)。

アチェッラは紀元前216年ハンニバルによって破壊された。紀元前210年に再建されている。

同盟市戦争中の紀元前90年には、ローマ側がこの都市を拠点とした[5]

826年、ロンバルド人はこの地に城を築いたが、この城はのちにナポリ公ボーノ (it:Bono di Napoli) によって破壊された。881年にはサラセン人によって略奪を受けた。のちにこの地はノルマン人の所有に帰し、公爵領の首府となった。ナポリ王国の一部として、領主はアキーノ家(Aquino)、オリーリア家(Origlia)、オルシーニ・デル・バルツォ家(Orsini del Balzo)と移り変わり、1496年以後1812年まではカルデナス家(Cardenas)の封土であった。

1927年まで、この都市はテッラ・ディ・ラヴォロ県 (Terra di Lavoro) に属していた。

社会

環境問題

アチェッラ、マリリアーノ、ノーラ一帯では、不法な廃棄物処理によって深刻な健康被害が出ており、「死の三角地帯」(Triangolo della morte) という不名誉な称号を得ている[6]。これは1980年代頃から当地の犯罪組織カモッラが有害廃棄物の不法投棄や焼却に関わった影響で、周辺地域ではがん患者などが増加している[6]

交通

鉄道

RFI旧イタリア国鉄

なお、RFIのアチェッラ駅からは、FIATの工場とを結ぶ工業線 (it:Raccordo industriale di Acerra) が出ている。

チルクムヴェスヴィアーナ鉄道

道路

アウトストラーダ

市域北東部をアウトストラーダ A30(イタリア語版)が通過する。このほか、市域の西側(カイヴァーノアフラゴーラ)を走るアウトストラーダ A1、市域の南側(ポミリアーノ・ダルコなど)を走るアウトストラーダ A16に囲まれている。アチェッラ市街地南西方のA1上に「アフラゴーラ・アチェッラ・ジャンクション」があり(所在地はアフラゴーラ市域)、高規格国道SS162NCと交差している。

国道

文化・観光

アチェッラ大聖堂(Cattedrale di Acerra)

アチェッラ大聖堂 (Acerra Cathedral) は、もともとヘラクレスを祀っていた神殿の上に建設されたもので、19世紀に再建された。17世紀のバロック様式の絵画をおさめており、司教館を併設する。

コルプス・ドミニ教会(Chiesa Corpus Domini)

16世紀の建設

マリア・サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会(Chiesa di Maria SS. Annunziata)

15世紀の建設。12世紀につくられた受難像や、15世紀に描かれた受胎告知像(伝デッロ・デッリ作 (Dello di Niccolò Delli) )がある。

サン・ピエトロ教会(Chiesa di san Pietro)

16-17世紀。

領主館 (Castello dei Conti di Acerra)

スエッスラ遺跡

スエッスラ(英語版)の考古遺跡は、町の郊外(40°59'23.47"N 14°23'53.41"E)にある。『ローマ建国史』によれば、紀元前4世紀共和政ローマサムニウムが争った、第一次サムニウム戦争中のスエッスラの戦いの舞台となった。

人物

著名な出身者

脚注

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2018 by sex and marital status” (英語). 2019年2月2日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Napoli (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2016年4月19日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Napoli (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2016年4月19日閲覧。
  4. ^地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年4月19日閲覧。
  5. ^ Canby, Courtlandt. The Encyclopedia of Historic Places. (New York: Facts of File Publicantions, 1984) p. 6
  6. ^ a b伊ナポリのごみ不法投棄、健康被害深刻 「死の三角地帯」”. AFP (2013年11月24日). 2016年4月20日閲覧。

外部リンク

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