アリ・サストロアミジョヨとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

インドネシア政治家アリ・サストロアミジョヨAli Sastroamidjojo
生年月日 1903年5月21日
出生地 オランダ領東インド 中部ジャワ州グラバグ(インドネシア語版
没年月日 (1976-03-13) 1976年3月13日(72歳没)
死没地 インドネシア ジャカルタ
出身校 ライデン大学
所属政党 インドネシア国民党
称号 インドネシア国家英雄
第10代首相国防大臣
内閣 第2次サストロアミジョヨ内閣(インドネシア語版
在任期間 1956年3月20日 - 1957年4月9日
大統領 スカルノ
第8代首相
内閣 第1次サストロアミジョヨ内閣(インドネシア語版
在任期間 1953年7月30日 - 1955年8月11日
大統領 スカルノ
第5代教育文化大臣(インドネシア語版
内閣 サラフィディン内閣ハッタ内閣
在任期間 1947年7月3日 - 1949年8月4日
大統領 スカルノ
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アリ・サストロアミジョヨ(Ali Sastroamidjojo、1903年5月21日 - 1976年3月13日)は、インドネシア外交官政治家

インドネシア首相、インドネシア国民党党首、国連大使、駐アメリカ大使、駐カナダ大使、駐メキシコ大使を歴任し、アジア・アフリカ会議では議長を務めた。

生涯

オランダ領東インド時代

北京空港で周恩来の出迎えを受けるサストロアミジョヨ(1955年)

1903年に中部ジャワ州グラバグ(インドネシア語版)の名門貴族の家に生まれる[1][2]。幼少期は農民の友人たちと同地で過ごしたが、サストロアミジョヨの両親は、彼を都市部の学校に通わせてヨーロッパ式の教育を受けさせた。サストロアミジョヨはヨーロッパ式の教育を受けるかたわらでジャワの教育も学んだが、両親はヨーロッパ式の教育に専念することを望んだ[2]

サストロアミジョヨはクイーン・ウィルヘルミナ学校を卒業してライデン大学に進学して法学を学び、法学博士号を取得している[3]。在学中は民族主義青年団体ジョン・ジャワ(インドネシア語版)、東インド協会(インドネシア語版)のメンバーとして活動したため、モハマッド・ハッタらと共に1927年に逮捕されている。帰国後は、ジョクジャカルタやスラバヤで弁護士活動を行いつつ、インドネシア国民党に入党して活動した[4]

インドネシア共和国時代

インドネシア国軍を閲兵するサストロアミジョヨ(1957年)

第二次世界大戦が終結してオランダから独立した後、サストロアミジョヨはスカルノ大統領内閣で情報通信副大臣、アミル・サラフディン(インドネシア語版)内閣と第1次ハッタ内閣(インドネシア語版)で教育文化大臣を務めた。また、ハーグ円卓会議ではインドネシア代表団の副代表を務め交渉に参加した。

その後は駐アメリカ大使、駐カナダ大使、駐メキシコ大使を歴任し、1951年12月19日には33万5,000ドルでワシントンD.C.に駐米インドネシア大使館(英語版)を購入している[5]。1953年と1957年の二度にわたり首相に就任し、第1次内閣ではインドネシア・中国二重国籍協定(インドネシア語版)の締結に尽力した。第2次内閣退陣後の1957年から1960年にかけて国連大使を務め、退任後は1966年までインドネシア国民党党首を務めた。1976年にジャカルタで死去した[6][7]

著作

サストロアミジョヨは政治家の他に作家としても活動し、国際関係と外交政策に関する著作を執筆している。著作として『国際法入門』(1971年)、『インドネシアの外交政策』(1972年)、『サストロアミジョヨの自伝』(1974年)、『オランダの4人のインドネシア学生』(1975年)が出版されている[8]

出典

  1. ^ Archives, Open. “Registration Heerenstraat (number 128) in Leiden (Netherlands)on December 12, 1923”. Open Archives the Netherlands. 9 May 2014閲覧。
  2. ^ a b Sastroamidjojo, Ali. “A Statesman's Journey”. The Global Review for International Affairs. 2 December 2013閲覧。
  3. ^ Otterspeer, W.. Leiden Oriental Connections: 1850 - 1940. Leiden University Press. https://books.google.com/books?id=dUv3dF7aDycC&pg=PA265 27 October 2013閲覧。
  4. ^ 土屋健治「アリ・サストロアミジョヨ」『新訂増補 東南アジアを知る事典』、平凡社、1999年、ISBN 4-582-12621-9
  5. ^ Indonesia, Embassy of. “Building”. Embassy of Indonesia. 9 May 2014閲覧。
  6. ^ Vickers, Adrian (2005). A History of Modern Indonesia. Cambridge University Press. p. 227. ISBN 0-521-83493-7. https://books.google.com/books?id=RWrm7tPzs1AC&printsec=frontcover#PPA226,M1
  7. ^ Setiawan, Hawé. “A Statesman's Journey”. Sundanese Corner. 12 January 2014閲覧。
  8. ^ Ricklefs, Merle Calvin (2001). A History of Modern Indonesia Since C. 1200 (3rd ed.). Stanford University Press. pp. 300, 305. ISBN 978-0-8047-4480-5. https://books.google.com/books?id=0GrWCmZoEBMC
公職
先代ブルハヌディン・ハラハップ(インドネシア語版)ウィロポ(インドネシア語版 ** 首相**第10代:1956年 - 1957年第8代:1953年 - 1955年 次代ジョエンダ・カルタウィジャヤ(インドネシア語版)ブルハヌディン・ハラハップ
先代ブルハヌディン・ハラハップ 国防大臣第10代:1956年 - 1957年 次代ジョエンダ・カルタウィジャヤ
先代ソエワンディ(インドネシア語版 教育文化大臣第5代:1947年 - 1949年 次代トゥンク・モハマッド・ハサン(インドネシア語版
外交職
先代スジャルウォ・チョンドロヌゴロ ** 国連大使 **1957年 - 1960年 次代スカルジョ・ウィロプラノト(インドネシア語版
先代新設 ** 駐米インドネシア大使 **初代:1950年 - 1953年 次代モカルト・ノトウィディジョ(インドネシア語版