ウィーン学団とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
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ウィーン‐がくだん【ウィーン学団】
読み方:うぃーんがくだん
1920年代後半に哲学者シュリックを中心としてウィーンで結成された、主に社会科学者・自然科学者などの一団。形而上学の解消や哲学の科学化を目ざし、実証主義と記号論理学を結びつけ論理実証主義の進展に寄与、また分析哲学が生じるきっかけをつくった。
ウィーン学団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 20:54 UTC 版)
ウィーン学団(ウィーンがくだん、ドイツ語: Wiener Kreis、英語: Vienna Circle)とは、ウィーン大学の哲学教授モーリッツ・シュリックを中心とする科学者、哲学者のグループである。論理実証主義を標榜した。
[続きの解説]
「ウィーン学団」の続きの解説一覧
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ウィーン学団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 16:45 UTC 版)
「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」の記事における「ウィーン学団」の解説
ウィトゲンシュタインがまだ小学校教師として悪戦苦闘していた頃、学会では『論理哲学論考』が話題の的となっていたが、特にウィーン学団の名で知られる研究サークルでは、出版直後の1922年にハンス・ハーンが『論考』をゼミのテキストに用いてからというもの、『論考』を主題とした講演を行なったり、メンバー同士で1行ずつ検討を加えながら輪読したりするなど、並々ならぬ関心を寄せていた。 ウィーン学団とは、第一次世界大戦の前後から、ウィーン大学の若手の学者たちが、エルンスト・マッハやバートランド・ラッセル、ダフィット・ヒルベルト、アルベルト・アインシュタインなどの画期的な研究成果に刺激を受けて、作ったサークルを母体とする研究グループである。その中心となったのは、モーリッツ・シュリックやルドルフ・カルナップ、フリードリヒ・ヴァイスマンらであり、やがてハーバート・ファイグル、フィリップ・フランク(Philipp Frank)、クルト・ゲーデル、ハンス・ハーン、ヴィクトール・クラフト(Victor Kraft)、カール・メンガー、オットー・ノイラートなど錚々たるメンバーを擁することとなるこのサークルは、1929年にウィーン学団を名乗るようになる。ウィーン学団は、論理実証主義を標榜し、形而上学を脱却して科学的世界観を打ち立てようとの志を抱いていた。そして、そのためには論理学と科学、とりわけ数学の基礎に関する徹底的な再検証が必要であると考えて、ラッセルやフレーゲの仕事を熱心に研究していたのである。そんな矢先に現れた『論考』は、彼らにとって『聖書』のようなものとさえなった。 シュリックは、1924年に「自分は『論考』の重要さと正確さを確信しており、そこに述べられている思想を世に知らしめることを心底から望んでいる」との手紙を当時プフベルクにいたウィトゲンシュタインに書き送り、何とか面会したいという意向を伝えた。ウィトゲンシュタインは、快い返事を出したが、両者の都合がつかなかったために、シュリックが実際にストーンボロー邸に滞在していたウィトゲンシュタインのもとを訪れるのは、1927年2月のこととなった。ウィトゲンシュタインは、すぐにシュリックが理解力もあり人格も高潔な優れた人物であることに気付き、それ以後たびたび会合をもって議論を交わすようになった。 シュリックは、ウィトゲンシュタイン本人をウィーン学団に引き入れようとしていたがこれは叶わなかった。それどころか、当初ウィトゲンシュタインは、学団の討論会に顔を出すことすら拒絶した。何度かの会合を経た後に、ようやくシュリックはウィトゲンシュタインから「学団の討論会とは別のところで、ごく少数の気の合いそうなメンバーとだけなら会ってもよい」との返事を引き出すことに成功する。選ばれたのは、カルナップ、ワイスマン、ファイグルらであった。シュリックは、それまでにウィトゲンシュタインと接して得た経験から、いつも学団で交わされているような哲学談義をウィトゲンシュタインが望んでいないことを理解していた。そのため、他のメンバーにはなるべくこちらから議論をもちかけるのではなく、ウィトゲンシュタインに自発的に語らせるよう厳命した。すると、ウィトゲンシュタインは、彼らに対して「自分はもう哲学には関心がないのだ」と強調したり、突然ラビンドラナート・タゴールの詩(その神秘思想は論理実証主義の対極にある)を朗読するなどしてカルナップらを驚愕させた。一方、ウィトゲンシュタインも、シュリックらとの議論を通して、彼らが『論考』を根本的に誤解していることに気付き、ときには議論をまったく拒絶した。 こうした会合がしばらく続いたが、やがてウィトゲンシュタインは、カルナップとファイグルに対しては、方法論や関心事だけでなく、気質的にも相容れないものがあると感じて、距離を置くようになる。こうして、ウィトゲンシュタインとウィーン学団との交流は、シュリックとワイスマンの二人に限られてしまうが、この二人とは後に『ウィトゲンシュタインとウィーン学団』として記録がまとめられるほどの対話を重ねており、ワイスマンとは共著を出版する計画まで立てていた。しかし、ウィトゲンシュタインのケンブリッジ復帰後(次節参照)の1936年に、シュリックがウィーン大学構内で反ユダヤ主義者の学生に射殺されると、それきりウィトゲンシュタインとウィーン学団との交流は、一切断ち切られてしまう。 このウィーン学団との関係がまだ友好的に保たれていた1928年3月、ウィーンでオランダの数学者ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワーが「数学・科学・言語」という題で直観主義 (数学の哲学)に関する講演を行なった。ワイスマンとファイグルは、嫌がるウィトゲンシュタインを何とか説得して、この講演に出席させることに成功した。講演終了後、3人は近くの喫茶店へ入って数時間を過ごした。そのとき、突如ウィトゲンシュタインが哲学について雄弁に語りはじめた。そのときウィトゲンシュタインが語ったのは、後期の彼の思想の萌芽ともいえるものであり、「おそらくこれを契機としてウィトゲンシュタインは再び哲学者になったのだ」とファイグルは述べている。また、ウィトゲンシュタインは、同じ頃にケンブリッジの若い哲学者であり『論考』の英訳者でもあるフランク・ラムゼイとも会って議論を重ねており、それを通じて次第に『論考』には重大な誤りがあるのではないかと考えるようになったことも哲学への関心を取り戻すきっかけとなっている。 ウィトゲンシュタインは、哲学研究に再び取り組む意思を固め、ストーンボロー邸の完成した1928年秋から、ケインズと手紙のやり取りを通してイギリスへ行く手筈を立て、1929年1月18日にケインズの客として16年ぶりにケンブリッジ大学へ足を踏み入れた。その日、ウィトゲンシュタインを出迎えたケインズは妻に宛てた手紙にこう書いた。 さて、神が到着した。5時15分の電車でやって来た神に私は会った。 — Well, God has arrived. I met him on the 5.15 train.
※この「ウィーン学団」の解説は、「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」の解説の一部です。
「ウィーン学団」を含む「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」の記事については、「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」の概要を参照ください。
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