オマー -人名の書き方・読み方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

この項目では、北アイルランドの都市について説明しています。人名の「オマー」については「ウマル」をご覧ください。
オマー 英語: Omagh スコットランド語: Omey[1][2] アイルランド語: an Ómaigh
ウェルカムサイン
オマー北アイルランドにおけるオマーの位置
人口 19,910人 (2001年国勢調査)
ティロン県
構成国 北アイルランド
イギリス
郵便地域 OMAGH
郵便番号 BT78, BT79
市外局番 028
警察 北アイルランド
消防 北アイルランド
救急医療 北アイルランド
欧州議会 北アイルランド
公式サイト 公式ウェブサイト
場所一覧 イギリス 北アイルランド 北緯54度35分 西経7度17分 / 北緯54.59度 西経7.29度 / 54.59; -7.29座標: 北緯54度35分 西経7度17分 / 北緯54.59度 西経7.29度 / 54.59; -7.29

オマー: Omagh、英語発音: [ˈəʊmə][3]ないし[ˈəʊmɑː])は、イギリス北アイルランドファーマナ・アンド・オマーの中心都市。ドランラフ川とカモウェン川がストラール川となる合流点に位置する。2001年の人口は1万9910人で、県内で最も多い。オマー郡議会と西部教育・図書館委員会の本部が置かれている。

歴史

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "オマー"ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年1月)

オマーはアイルランド・ゲール語で「前人未到の平原」を意味するアン・オーマイ (an Ómaigh) [4]を英語風にしたものである。792年ごろフランシスコ会が修道院を建て、1610年に町となった。1641年の反乱ではティロン県東部からの難民をかくまった。ボイン川の戦いが起きた1689年にはジェームズ2世ロンドンデリーへの道中に立ち寄ったため、ウィリアム3世の勢力から焼き討ちを受けた。

1768年にダンガノンに代わり、ティロン県の県都となった。1852年にデリー、1853年にエニスキレン、1861年にベルファストとの間に鉄道が開通。1881年には兵営が築かれ、1899年になるとティロン県立病院が開業した。同院ではいま、医療サービスを維持するためのキャンペーンが行われている。1957年にグレート・ノーザン鉄道委員会がオマー=エニスキレン線を[5]、1965年にはアルスター交通協会がポータダウン=オマー=デリー線を廃止した[6]ため、オマーを通る鉄道はなくなった。町内のセント・ルシア兵営も2007年8月1日をもって閉鎖された。

当地を訪ねたことのある人物にはエリザベス2世チャールズ3世ビル・クリントン(米大統領)とその妻ヒラリー・クリントンメアリー・マッカリース(アイルランド大統領)、トニー・ブレア(英首相)などが挙げられる。

事件

1998年8月15日、オマーは国際的にメディアの耳目を集めた。この日、リアルIRAが町内に仕掛けた自動車爆弾が炸裂し、女性と子どもを含む29人が死亡、100人以上がけがをした。

2011年4月にも自動車爆弾テロがあり、ロナン・ケア巡査が殉職した。事件から1ヵ月後に元IRA暫定派のグループが犯行声明を出した[7]

地理

地区

人口は2001年国勢調査の統計に基づく。

タウンランド

オマーはドランラフ教区のオマー・タウンランド(アイルランド独特の土地区画)に生まれた町である。時とともに、市街は下記のような郊外のタウンランドにも拡大していった。

気候

冬のあいだ、オマーでは降雪が当たり前となる。写真はストラール川

アイルランドの観測史上最低気温である-19.4℃を記録したことがある[8]。しばしば洪水に悩まされ、わけても1909年、1929年、1954年、1969年、1987年、1999年、最近では2007年6月12日のものは大洪水であった。その結果、ストラール川の堤防建設など、被害を最小限にする対策が講じられてきた。蛇行する川の両岸は開発に不向きなため、緑地帯や遊歩道、公園に整備されている。

人口統計

北アイルランド統計・調査エージェンシー (NISRA) は、オマーを大規模タウン型入植地に分類している。人口は1万9910人(2001年国勢調査)で、内訳は下記の通り。

人口の推移[9]

見どころ

観光名所

郊外のアルスター・アメリカン・フォーク・パークにはトマス・メロンの生家が保存されている。彼は1813年にこのコテージで生まれ、5歳でアメリカのペンシルベニア州に移民するまでを過ごした。トマスの息子が「鉄鋼のカーネギー、銀行のメロン」と言わしめたかのアンドリュー・メロンである。園内は1800年代のアイルランド人(とりわけアルスター)の移民の足跡を展示する野外博物館になっており、復活祭(イースター)、クリスマスアメリカ独立記念日ハロウィーンには大規模なイベントが行われる。毎年ブルーグラスの音楽祭も開かれる。2003年度の入場者数は12万7000人を数えた[10]

市街の北16kmの森のなかにはゴーティン・グレンズ森林公園があり、滝や湖の自然を楽しめる。

中心市街地には2007年、都市再開発事業の一環としてストラール芸術センターがオープンした。ストラール川とハイ街の中間にモダンな市民センターを建てることで、さびれた区域の活性化をはかるよい例である。

公園

子ども向けの公園が20箇所以上あり[11]、ほとんどが緑におおわれている。そのなかで最も大きいのは、市街近郊のグランジ公園である。蛇行するストラール川沿いにも、多数のオープンスペースが整備されている。オマー・レジャー・コンプレックスはグランジ公園近くの大きな市民公園で、11ヘクタールのグラウンドのほか娯楽施設、ボート競技のための池、人工芝の競技場、自転車道などがある。

ショッピング

県の中心部に位置するゆえ、デリーやレターケニーを出し抜き西アルスターの小売の中心地となっている。2000年からの4年間で8000万ポンド以上の資本が投資され、6万960平方メートルの土地が新たに小売関連の用地となった。主なショッピングセンターにはメイン・ストリート・モール、グレート・ノーザン・ロード・リテール・パーク、セダン通りのショウグラウンズ・リテール・パークが挙げられる。ハイ街にも小売店が連なる。

交通

往年の鉄道

鉄道は町はおろか、郡内にも通っていない。

1852年9月3日にアイルランド規格の1600mmのロンドンデリー・アンド・エニスキレン鉄道 (L&ER) が開通し[12]、1854年にエニスキレンまで延伸された[13]。1861年にはポータダウン・ダンガノン・アンド・オマー連絡鉄道 (PD&O) がオマーに到達[13]、後にポータダウンとデリーとをむすんだことで「ザ・デリー・ロード」の異名をとった[14]。グレート・ノーザン鉄道 (GNR) は1876年にPD&Oと合併し[15]、1883年にはL&ERと統合した[15]

1957年、北アイルランド政府はGNRのオマー=エニスキレン線を廃止[5]。残るGNRの路線は翌年にアルスター交通協会に委託され、1963年のいわゆる「ベンソン報告」を受けて「デリー・ロード」も1965年2月15日に廃線となった[12][16][17]。線路跡には後に道路が敷かれた。

幹線道路

教育

オマーにはすべてのレベルで幅広い分野の教育機関がある。ホスピタル街のカンプシー・ハウスには西部教育・図書館委員会の本部が置かれている。

初等学校

グラマースクール/中等学校

大学

メディア

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地元紙および地元誌

ローカルラジオ局

町内のマーケット街にQ101.2 FM Westという局があり、BBCラジオ・アルスターもオマーにスタジオを構えている。

2008年12月には4週間にわたって、コミュニティラジオ局の「ストラールFM」が試験放送を行った。番組の司会者や歴史家、サウス・ウェスト・カレッジの学生らが共同でプロデュースし、地元の耳より情報と音楽を組み合わせた番組を放送した。このプロジェクトは2009年度ソニー・ラジオ・アカデミー賞のコミュニティラジオ部門で銅賞を受賞した。

スポーツ

ゲーリック・ゲームズ

スポーツではゲーリック・ゲームズ、わけてもゲーリックフットボールの人気が高い[_要出典_]。町内にはヒーリー・パークを本拠地とするオマー・セント・エンダズと、クラナボーガンを本拠地とするドランラフ・サーズフィールズの2つのクラブがある。

ヒーリー・パークはゴーティン街にあるゲーリック体育協会 (GAA) の拠点スタジアム。収容人員は2万5000人ほどで[18][19]、照明灯を有する競技場としてはアルスター初である。ティロン県シニア・フットボール選手権大会の後半戦や県内のホームゲーム、それに他県のクラブ同士で中立的な競技場を要するゲームに使われる[20]

サッカー

2005年にオマー・タウンFCが消滅してから、サッカークラブは一つもない。

ラグビー

主に地元住民から成る、アマチュアチームのオマー・アカデミカルズがある。

ゆかりの人物

対外関係

姉妹都市・提携都市

国内

国外

脚注

  1. ^ 2006 annual report in Ulster-Scots – North/South Ministerial Council
  2. ^ Guide to Beaghmore stone circles – Ulster-Scots Department of the Environment.
  3. ^ G. M. Miller, BBC Pronouncing Dictionary of British Names (Oxford University Press, 1971), pg. 110
  4. ^ Placenames Database of Ireland
  5. ^ a b Baker, Michael H.C. (1972). Irish Railways since 1916. London: Ian Allan. pp. 153, 207. ISBN 0 7110 0282 7
  6. ^ Baker, 1972, pages 155, 209
  7. ^ Suzanne Breen (2011年4月22日). “Former Provos claim Kerr murder and vow more attacks”. Belfast Telegraph. http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/former-provos-claim-kerr-murder-and-vow-more-attacks-15146426.html 2011年4月26日閲覧。
  8. ^ Premier Irish Forestry Fund
  9. ^ World Gazeteer
  10. ^ Ulster American Folk Park
  11. ^ Omagh District Council
  12. ^ a bOmagh station”. Railscot – Irish Railways. 2007年11月22日閲覧。
  13. ^ a b Hajducki, S. Maxwell (1974). A Railway Atlas of Ireland. Newton Abbott: David & Charles. map 7. ISBN 0 7153 5167 2
  14. ^ FitzGerald, J.D. (1995). The Derry Road. Colourpoint Transport. Gortrush: Colourpoint Press. ISBN 1 898392 09 9
  15. ^ a b Hajducki, op. cit., page xiii
  16. ^ Hajducki, op. cit., map 39
  17. ^ Baker, op. cit., pages 155, 209
  18. ^World Stadiums”. 2011年3月7日閲覧。
  19. ^Healy Park, Omagh”. Ulster Colleges GAA. 2011年3月7日閲覧。
  20. ^ GAA
  21. ^ Patrick McAlinney - IMDb(英語)
  22. ^ Gerard McSorley - IMDb(英語)

外部リンク

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