読み方:るなーる[1864〜1910]フランスの小説家・劇作家のこと。Weblio国語辞典では「ジュール・ルナール」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

ジュール・ルナールとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

ジュール・ルナールJules Renard
ジュール・ルナール(1900年頃)
誕生 (1864-02-22) 1864年2月22日 フランスマイエンヌ県シャロン=デュ=メーヌ(フランス語版
死没 (1910-05-22) 1910年5月22日(46歳没) フランスパリ
墓地 シトリー=レ=ミーヌ(フランス語版)墓地(ニエーヴル県
職業 作家
言語 フランス語
ジャンル 小説戯曲
代表作 『にんじん』
主な受賞歴 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ
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ジュール・ルナール(Jules Renard、1864年2月22日 - 1910年5月22日)は、フランス小説家詩人劇作家。その小説『にんじん』は有名。簡素で日常的な言葉を使いつつも、鋭い観察力から様々な優れた作品が生み出された。

その生涯

1864年マイエンヌ県シャロン=デュ=メーヌ(フランス語版)に生まれる[1]。父親のフランソワ・ルナールは地元の役人であった。生後すぐにルナール一家の故郷であるレミーヌ村に戻る。17歳の時にパリに出て4区リセ・シャルルマーニュに入る。高等師範学校を目指すも、成績が振るわなかった上、文学や演劇、ジャーナリズムなどに興味を持ちはじめたため、進学を断念しパリで創作活動の道を進む。1886年に詩集『ばら』を自費出版[2]。中途に兵役期間をはさんで小説を書き始める。23歳の時に倉庫会社の書記になったが、すぐに解雇された。ガルブラン夫妻とこの頃に知りあい、夫妻は経済的に苦しかったルナールを支援した。1888年、24歳の時にマリー・モルノーと結婚。1889年に文芸雑誌『メルキュール・ド・フランス』(_Mercure de France_)の創刊に尽力、ここで多くの詩や物語、評論を載せて次第にルナールの知名度が上がってくる。やがて、多くの雑誌や新聞にも作品を投稿するようになり、他の作家との交流も始まる。1892年に『根なしかずら』を発表。ロートレックアナトール・フランスなどを知る。1894年に『ぶどう畑のぶどう作り』『にんじん』を発表。1895年にはショーモ村に古い農家を買い入れて「ラ・グロリエット荘」と命名、毎年春から秋までをここで過ごす[2]1896年に『博物誌』『愛人』をリリース。1897年には散文劇『別れもたのし』を上演。この劇は大成功を収め、一躍ルナールは一流作家の仲間入りを果たした。しかし、1897年には父親が病を苦に猟銃自殺を果たし衝撃を受けた。翌年に『別れもたのし』は出版された。やがて政治にも興味を持つようになり、社会主義的な傾向が現れる。1898年に『パンの日々』と『牧歌』を出版。

その後、父親が村長を務めていたシトリー村の村長になる。1900年レジオンドヌール勲章シュヴァリエを授与され[1]1907年にアカデミー・ゴンクールの会員に選出された[3]

1909年に『信心狂いの女』を発表するが、既に高血圧動脈硬化が激しく、健康は悪化の一途をたどっていた。1910年に動脈硬化症により死去。46歳だった。ニエーヴル県シトリー=レ=ミーヌ(フランス語版)墓地に埋葬された[4]

また、日々ルナールがつけていた日記が『ルナールの日記』として死後出版され、日記文学として認められている。

作品

翻訳

脚注

  1. ^ a b Françoise Pique. “Biographie” (フランス語). pour-jules-renard.fr. Pour Jules Renard. 2020年7月2日閲覧。
  2. ^ a b 百年文庫33 月. ポプラ社. (2010-10-12). pp. 166-168. ISBN 9784591119150
  3. ^ジュール・ルナール” (日本語). コトバンク. 2020年7月2日閲覧。
  4. ^CHITRY-LES-MINES (58) : cimetière” (フランス語). www.landrucimetieres.fr. Cimetières de France et d'ailleurs. 2020年7月2日閲覧。

外部リンク