スペイン辺境領とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
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9世紀初頭におけるスペイン辺境領
スペインの歴史 |
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先史時代(英語版) |
古代 イベリア人 タルテッソス紀元前4世紀第二次ポエニ戦争219-201 BC第一次ケルティベリア戦争181-179 BCルシタニア戦争155-140 BCヌマンティア戦争153-133 BCヒスパニア • ヒスパニア・タラコネンシス • ヒスパニア・バエティカ • ルシタニア |
中世 スエビ王国409-585西ゴート王国415-711アル=アンダルス711-1492ウマイヤ朝711-750後ウマイヤ朝756-1031タイファ諸王国1031-1492 • ムラービト朝1040-1147 • ムワッヒド朝1130-1269 • ナスル朝1232-1492レコンキスタ718-1492アストゥリアス王国718-925レオン王国910-1052カスティーリャ王国1035-1715アラゴン連合王国1137-1716 • スペイン辺境領795-987 • カタルーニャ君主国987-1716 • ナバラ王国824-1620 • アラゴン王国1035-1715 |
近世 カトリック両王1474-1504黄金世紀1492-1681アブスブルゴ朝1504-1700イベリア連合1580-1640ボルボン朝1700-現在 |
近代 半島戦争1808-1814 • ホセ1世の治世1808-1813 • 最高中央評議会1808-1810 • カディス・コルテス1810-1814フェルナンド7世の治世1814-1833 • 絶対主義の六年間1814-1820 • 自由主義の三年間1820-1823 • 忌むべき十年間1823-1833イサベル2世の治世(英語版)1833-1868 • カルリスタ戦争1833-1876 • 穏健派の十年間(英語版)1844-1854 • 進歩派の二年間(英語版)1854-1856 • 自由主義連合政府(英語版)1856-1863 • 1868年革命(スペイン語版)1868民主主義の六年間(英語版)1868-1874 • 臨時政府1868-1871 • アマデオ1世の治世(スペイン語版)1871-1873 • 第一共和政1873-1874王政復古1874-1931 • プリモ・デ・リベラの独裁(スペイン語版)1923-1930 |
現代 第二共和政1931-1939 • 改革主義の二年間(スペイン語版)1931-1933 • 暗い二年間(スペイン語版)1933-1936 • 人民戦線政府1936-1939 • スペイン内戦1936-1939フランコ体制1939-1975 • 第二次世界大戦1939-1945 • 亡命政府(英語版)1939-1977フアン・カルロス1世の治世(スペイン語版)1975-2014 • 民政移管(英語版)1975-1982フェリペ6世の治世(スペイン語版)2014-現在 |
テーマ別 スペイン帝国 大航海時代 アメリカ大陸の植民地化 |
スペイン ポータル 表話編 |
スペイン辺境領(スペインへんきょうりょう、スペイン語: Marca Hispánica、カタルーニャ語: Marca Hispànica)は、フランク王国のカール大帝によって設置された辺境領。
歴史
8世紀、フランク王国はイスラーム勢力(ウマイヤ朝)の侵入に悩まされるようになった。721年におけるトゥールーズの戦い、732年におけるトゥール・ポワティエ間の戦いなどがその代表として挙げられる。778年、カール大帝は自らピレネー山脈の南へと進軍し、イスラーム勢力の討伐を図ったが撤退を余儀なくされた(ロンスヴォーの戦い)。撤退後、イスラーム勢力の再侵入に備え、795年に辺境領を設置した。徐々に辺境伯領は勢力範囲を広げ、801年にはバルセロナを辺境領に加えた。
スペイン辺境領はパンプローナ、ハカ(アラゴン)、ソブラルベ、リバゴルサ、パリャース、ウルジェイ、サルダーニャ、アンプリアス、ルサリョー、ジローナ、ウゾーナ、バザルー、バルセロナなどの伯領から構成されていた[1]。824年にパンプローナで後のナバラ王国が起こり独立、同様にリバゴルサ、パリャースも884年に伯ラモンのもと辺境領から離脱した。ハカ(アラゴン)、ソブラルベ(およびリバゴルサ)は10世紀初頭以降ナバラ王が領した後、11世紀にアラゴン王国となった。また、9世紀末にバルセロナ家の祖ギフレ1世多毛伯は、バルセロナ伯の他にウルジェイ、サルダーニャ、ジローナ、ウゾーナ、バザルーの伯も兼ね、その後これらの伯領は主にバルセロナ家が領した。バルセロナを中心とするこれらの地域が987年にカタルーニャ君主国としてフランク王国より独立し、後にアラゴン王国とカタルーニャ君主国が連合してアラゴン連合王国が成立した。
また、ウルジェイ伯領から今日のアンドラ公国が成立した。
脚注
- ^ 関、p.200
参考文献
- 関 哲行 他 『世界歴史大系 スペイン史 1』 山川出版社、2008年