ニッケイ新聞とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

ニッケイ新聞(ニッケイしんぶん、ポルトガル語: Jornal do Nikkey, _Jornal Nippak_)は、日本語およびポルトガル語で発行されていたブラジルの新聞。2021年12月18日付の発行を以って廃刊[1]

概要

発行元はサンパウロ市に本社を置くニッケイ新聞社[2]。日本語版は週5回の日刊紙[2]であり、ポルトガル語版は土曜日発行の週刊紙である。「パウリスタ新聞」(1947年1月創立)と「日伯毎日新聞」(1949年1月創立)が、1998年に合併・改名して創立された。平均8ページ。公称発行部数(紙印刷版)は約1万部[2]PDF版もある[2]。姉妹紙のJornal Nippakは週刊12ページのポルトガル語版。サンパウロ市の本社には日本語版編集部には20人弱[2]、ポルトガル語版には約2人[2]が勤務し、配送部門も含めた社員数は約60人[2]。南米およびブラジル各地に通信員がいる[2]ほか、日本には東京支社[2](支社長:輿石信男[2])がある[3]

日本語の読み書きが可能な日系人の減少に伴って経営が悪化し、実際の部数は公称(1万部)の半分以下になっていた[4]。さらに新型コロナウイルス感染症の影響で広告収入も激減したことで[5]、2021年10月29日、同年いっぱいで廃刊することを発表[4]。12月18日付で廃刊した[5][6]。以後、サンパウロで設立されたNPOが記者や購読契約を引き継ぎ、2022年1月に新たな日刊紙『ブラジル日報』を創刊した[4]

編集方針

を挙げている[2]

事業

イベント

出版

受賞歴

※いずれも海外日系新聞放送協会から

脚注

  1. ^ブラジル最後の邦字紙「ニッケイ新聞」廃刊 “負け組”元記者の思い”. 毎日新聞 (2021年12月16日). 2024年3月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j kニッケイ新聞社ご案内”. ニッケイ新聞社. 2018年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月2日閲覧。
  3. ^ “第6部(1)日伯の懸け橋 変貌する「もう一つの日本」”. MSN産経ニュース. (2011年11月28日). https://web.archive.org/web/20111201161017/http://sankei.jp.msn.com/world/news/111128/amr11112819070002-n5.htm 2012年8月26日閲覧。
  4. ^ a b c “ブラジル「ニッケイ新聞」が廃刊へ 唯一の邦字紙、新日刊紙が引き継ぎ”. 時事ドットコム (時事通信社). (2021年10月30日). https://web.archive.org/web/20211030112710/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021103000452&g=int 2021年10月30日閲覧。
  5. ^ a b “■社告■=本紙年内廃刊のお知らせ=ニッケイ新聞社長 高木ラウル”. ニッケイ新聞. (2021年11月18日). https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/211118-21colonia.html 2021年12月20日閲覧。
  6. ^ “■記者の目■さようなら、ニッケイ新聞!=日本語文化圏があるところに邦字紙”. ニッケイ新聞. (2021年12月18日). https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/211218-22colonia.html 2021年12月20日閲覧。
  7. ^ 移民の父=上塚翁の人生たどる=本紙連載「荒野の人」=百周年記念して出版=18日に出版記念会=能美尾さん=「移民想った温かい人」 ニッケイ新聞社 2007年10月9日閲覧
  8. ^ ““移民の父”の生涯描く=聖市=「ブラジル移民の創始者 水野龍」本紙が出版=息子、龍三郎さんも祝福に”. ニッケイ新聞. (2008年11月6日). オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160304073448/http://old.nikkeyshimbun.jp/081106-71colonia.html 2015年9月3日閲覧。
  9. ^ 2009年のアマゾン日本人移住80周年時の連載記事の単行本化。海外日系人協会日本人移住八十周年「アマゾン」 出版物のご案内 海外日系人協会

関連項目

外部リンク