ピート・マラビッチとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

ピート・マラビッチ_Pete Maravich_

ジャズ時代のマラビッチ (1977年)
故人
愛称 Pistol Pete
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 1947年6月22日
没年月日 (1988-01-05) 1988年1月5日(40歳没)
出身地 ペンシルベニア州アリクイパ
死没地 カリフォルニア州パサデナ
身長(現役時) 196cm (6 ft 5 in)
体重(現役時) 89kg (196 lb)
キャリア情報
高校 D・W・ダニエル高等学校(英語版)ブロートン・マグネット高等学校(英語版)エドワーズ・ミリタリー・インスティテュート (ノースカロライナ州サレムバーグ)
大学 LSU
NBAドラフト 1970年 / 1巡目 / 全体3位[1]
アトランタ・ホークスから指名
プロ選手期間 1970年–1980年
ポジション SG
背番号歴 44, 7
永久欠番 ジャズ 7 ペリカンズ 7 ホークス 44
経歴
19701974 アトランタ・ホークス
19741980 ニューオーリンズ / ユタ・ジャズ
1980 ボストン・セルティックス
受賞歴
NBAオールスター (1973, 1974, 1977-1979) 2× オールNBAファーストチーム (1976, 1977) 2× オールNBAセカンドチーム (1973, 1978) NBAオールルーキー・ファーストチーム (1971) NBA得点王 (1977) NBA50周年記念オールタイムチーム NBA75周年記念オールタイムチーム No. 44 アトランタ・ホークス永久欠番 No. 7 ユタ・ジャズ永久欠番 No. 7 ニューオーリンズ・ペリカンズ永久欠番全米カレッジ年間最優秀選手賞 (1969, 1970) オールアメリカン・コンセンサスファーストチーム (1968–1970) 3× SEC年間最優秀選手 (1968–1970) 3× NCAAシーズン得点王 (1968–1970) NCAAディビジョンI歴代最多得点 No. 23 LSUタイガース永久欠番 パレード誌オールアメリカン・ファーストチーム (1965)
通算成績
得点数 15,948 (24.2 ppg)
リバウンド数 2,747 (4.2 rpg)
アシスト数 3,563 (5.4 apg)
Stats Basketball-Reference.com
Stats NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年)

ピーター・プレス・マラビッチ (Peter Press Maravich, 1947年6月22日 - 1988年1月5日) は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州アリクイパ出身の元プロバスケットボール選手。NBAアトランタ・ホークスニューオーリンズ・ジャズなどでプレーし、創造的なドリブルやパス、得点の技術において際立った存在であった。カレッジ・バスケットボール時代はLSUタイガースで活躍し、父であるプレス・マラビッチヘッドコーチのもとでプレーしていた。また、NCAAディビジョンIの歴代最多得点保持者であり、今も破られないであろう、通算3,667得点、1試合平均44.2得点という記録を残している。愛称は「ピストル・ピート[1]1987年に殿堂入り。

少年期

父のプレス・マラビッチことピーター・マラビッチ・シニアは元プロバスケットボール選手でNBL、BAAで1945年から1947年までプレーし[2]、のちに大学でバスケットボールチームの監督を務める人物だった。ピート・マラビッチは7歳の頃から父にバスケットボールの手ほどきを受け、日々何時間も練習に取り組んだ。ピート・マラビッチは3ヶ所の高校に通ったが、試合では一試合平均30得点以上をあげる選手になっていた。

カレッジ時代

1966年、父はルイジアナ州立大学でバスケットボールの監督を務めることになり、息子のピート・マラビッチも同大学に入学した。当時の規則では1年生が公式戦に出場することは認められていなかったので、マラビッチは1年生のみのチームでプレーした。17試合の出場で、マラビッチは平均43.6得点[1]、7.3アシスト、10.4リバウンドという記録を残した。

翌年、2年生に上がったマラビッチは父が指揮するチームで公式戦に出場するようになり、平均得点43.8、平均アシスト4、平均リバウンド7.5という成績をあげた。3年生、4年生時の平均得点は44点を超え、4年間の平均得点は44.2である。4年生の時にはジェームズ・ネイスミス賞を受賞した。

公式戦で残した通算3,667得点は現在でもNCAA記録である。他にも、4年間の平均得点 (44.2)、フィールドゴール成功数 (1,387) と試投数 (3,166)、1シーズンの総得点(1970年の1,381)など[1]の他、フリースローに関する記録も持っている。

NCAA キャリアスタッツ

略称説明
GP 出場試合数 GS 先発出場試合数 MPG 平均出場時間
FG% フィールドゴール成功率 3P% スリーポイント成功率 FT% フリースロー成功率
RPG 平均リバウンド APG 平均アシスト SPG 平均スティール
BPG 平均ブロック TO 平均ターンオーバー PPG 平均得点
太字 キャリアハイ * リーグリーダー 優勝シーズン
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1966–67[3] ルイジアナ州立大学 19 ... ... .452 ... .833 10.4 ... ... ... 43.6
1967–68 ルイジアナ州立大学 26 ... ... .423 ... .811 7.5 4.0 ... ... 43.8
1968–69 ルイジアナ州立大学 26 ... ... .444 ... .746 6.5 4.9 ... ... 44.2
1969–70 ルイジアナ州立大学 31 ... ... .447 ... .773 5.3 6.2 ... ... 44.5
Career[4][5] 83 ... ... .438 ... .775 6.5 5.1 ... ... 44.2

プロ時代

マラビッチは1970年のNBAドラフトボブ・レイニアルディ・トムジャノビッチに続いて、アトランタ・ホークスより全体3位で指名された。同時にABAカロライナ・クーガーズからも誘いを受けたが、マラビッチはホークスに入団した。クーガーズからは200万ドル、ホークスからは190万ドルの契約を提示されており、これは当時としてはかなり高額な契約だったことからチームのベテラン選手からは歓迎されていなかった[1]

マラビッチはABAに移ったジョー・コールドウェルの代わりとして1年目から活躍し、リーグ9位の平均23.2得点をあげオールルーキーファーストチーム入りした。チームはボルチモア・ブレッツに次いでセントラル・ディビジョン2位となりプレーオフ準決勝でニューヨーク・ニックスに敗れた[1]ルー・ハドソンウォルト・ベラミーが活躍した翌シーズンは19試合に欠場、2年目のジンクスで平均19.3得点と成績を落としたがボストン・セルティックスとのプレーオフでは平均27.7得点をあげた[1]。3年目のシーズンには平均26.1得点(リーグ5位)、6.9アシスト(リーグ6位)と復調、オールスターゲーム初出場を果たし、シーズン終了後にはオールNBAセカンドチームに選ばれた。チームは46勝36敗と勝ち越した。プレーオフで平均26.2得点をあげたが、またしてもボストン・セルティックスに敗れた[1]

続く1973-74シーズン、バッファロー・ブレーブスボブ・マカドゥーに次いでリーグ2位の平均27.7点をあげた。この年2度目のオールスター出場を果たし、22分間の出場で15得点をあげた[1]

1974年にNBAの新たなチームとしてニューオーリンズ・ジャズが設立され、ジャズは地元の大学で活躍したマラビッチをトレードによって獲得した。ジャズでの1年目となった1974-1975シーズン、マラビッチは生涯最低のフィールドゴール成功率41.9%を残し、平均得点も21.5に落ちた。チームもNBAワーストの23勝59敗に終わった[1]。翌シーズンは故障がちで62試合に出場し平均25.9得点(マカドゥー、カリーム・アブドゥル=ジャバーに次ぐリーグ3位)、自己最高のフィールドゴール成功率45.9%の成績をあげて初のオールNBAファーストチームに選ばれた[1]

1976-77シーズンには73試合に出場、31.1得点をあげ、リーグの得点王を獲得、オールNBAファーストチームに選ばれた。1977年2月25日のニューヨーク・ニックス戦では68得点をあげた[1]

1977-78シーズン、マラビッチは膝の怪我とバクテリア感染に見舞われ、32試合に欠場、平均27.0得点をあげた[1]。続くシーズンには怪我の影響で49試合の出場にとどまり[1]、ベンチで過ごす時間も多くなった。

1979年にジャズはユタ州ソルトレイクシティに移転した。このシーズンにジャズはエイドリアン・ダントリーを獲得し、マラビッチの出場時間はさらに減少した[1]。マラビッチはシーズンが始まってから2ヶ月余りが過ぎた1980年1月17日、契約を解消されボストン・セルティックスと契約した[1]。セルティックスでも十分な出場時間を得られず、シーズンが終わるとマラビッチは引退した。

プレースタイルと業績

少年時代のマラビッチは既に両脚の間を通すドリブル、背後でのドリブル、ノールックパスなどを会得しており、大学に入る頃には人目を引く派手なプレースタイルで人気を集めていた。マラビッチはトリッキーなドリブルやパスを高いレベルで行い、後年のマジック・ジョンソンジェイソン・ウィリアムズの先駆けのような選手だった。

マラビッチは得点能力も高かった。数人をかわしてゴールに切り込むドリブル技術だけでなく、長距離のシュートにも長けていた。多くの得点記録を残した頃の大学バスケットボールではまだスリーポイントシュートがなかったが、マラビッチは今日ならばスリーポイントシュートになるほどの距離からもしばしば得点した。

マラビッチに対しては、個人的な能力や業績は素晴らしいがチームを勝たせる選手ではないという批判が常にあった。彼自身が主力選手だったホークス時代やジャズ時代でチームが勝ち越したのはホークス時代の1シーズンのみであり、プレーオフに出場できたのは新人の年から3年間、それも全て1回戦敗退だった。最後にボストン・セルティックスで過ごしたシーズンにセルティックスはリーグ最高勝率を記録し、プレーオフでは地区決勝まで進んだが、マラビッチの貢献は限定的なものだった。

1976年1977年にオールNBAファーストチーム入り。オールスターには5度選出された。1986年にバスケットボール殿堂に推戴され、翌年殿堂入り[1]1996年にはリーグの「50年間の50人の偉大な選手」に選ばれた[1]。10年間に渡るプロ時代で通算得点は15,948点、生涯平均得点は24.2点。

背番号7はニューオーリンズ・ジャズの後継であるユタ・ジャズ永久欠番になっている。ニューオーリンズ・ホーネッツはマラビッチの死後ニューオーリンズに移転したチームだが、ホーネッツは地元で活躍したマラビッチを讃え背番号7を永久欠番にしている。

練習熱心でも知られ、「練習に全力で取り組まない人はゲームで全力を出せない」と語っていた[6]

NBAキャリアスタッツ

略称説明
GP 出場試合数 GS 先発出場試合数 MPG 平均出場時間
FG% フィールドゴール成功率 3P% スリーポイント成功率 FT% フリースロー成功率
RPG 平均リバウンド APG 平均アシスト SPG 平均スティール
BPG 平均ブロック TO 平均ターンオーバー PPG 平均得点
太字 キャリアハイ * リーグリーダー 優勝シーズン

レギュラーシーズン

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1970–71 ATL 81 ... 36.1 .458 ... .800 3.7 4.4 ... ... 23.2
1971–72 ATL 66 ... 34.9 .427 ... .811 3.9 6.0 ... ... 19.3
1972–73 ATL 79 ... 39.1 .441 ... .800 4.4 6.9 ... ... 26.1
1973–74 ATL 76 ... 38.2 .457 ... .826 4.9 5.2 1.5 .2 27.7
1974–75 NOJ 79 ... 36.1 .419 ... .811 5.3 6.2 1.5 .2 21.5
1975–76 NOJ 62 ... 38.3 .459 ... .811 4.8 5.4 1.4 .4 25.9
1976–77 NOJ 73 ... 41.7 .433 ... .835 5.1 5.4 1.2 .3 31.1
1977–78 NOJ 50 ... 40.8 .444 ... .870 3.6 6.7 2.0 .2 27.0
1978–79 NOJ 49 ... 37.2 .421 ... .841 2.5 5.0 1.2 .4 22.6
1979–80 UTA 17 ... 30.7 .412 .636 .820 2.4 3.2 .9 .2 17.1
1979–80 BOS 26 4 17.0 .494 .750 .909 1.5 1.1 .3 .1 11.5
通算 658 ... 37.0 .441 .667 .820 4.2 5.4 1.4 .3 24.2
オールスター 4 4 19.8 .409 ... .778 2.0 3.8 1.0 0.0 10.8

プレーオフ

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1971 ATL 5 ... 39.8 .377 ... .692 5.2 4.8 ... ... 22.0
1972 ATL 6 ... 36.5 .446 ... .817 5.3 4.7 ... ... 27.7
1973 ATL 6 ... 39.0 .419 ... .794 4.8 6.7 ... ... 26.2
1980 BOS 9 ... 11.6 .490 .333 .667 .9 .7 .3 .0 6.0
通算[5] 26 ... 29.1 .423 .333 .784 3.6 3.8 ... ... 18.7

キャリアハイ

40得点ゲーム

マラビッチはレギュラーシーズンでは、50得点以上を6回、40得点以上を35回達成している。プレーオフでのキャリアハイは37得点。

得点 対戦相手 ホーム/アウェイ 日付 シーズン FGM FGA FTM FTA
68 New York Knicks Home 000000001977-02-25-00001977年2月25日 1976–77 26 43 16 19
51 Kansas City Kings Home 000000001976-12-14-00001976年12月14日 1976–77 18 38 15 18
51 Phoenix Suns Away 000000001977-03-18-00001977年3月18日 1976–77 21 34 9
50 Philadelphia 76ers Home 000000001972-01-16-00001972年1月16日 1971–72 18 29 14
50 Cleveland Cavaliers Home 000000001972-02-05-00001972年2月5日 1971–72 20 27 10
50 Washington Bullets Home 000000001976-12-26-00001976年12月26日 1976–77 23 39 4
49 (OT) Golden State Warriors Away 000000001976-02-10-00001976年2月10日 1975–76 18 36 13
47 Atlanta Hawks Away 000000001975-02-08-00001975年2月8日 1974–75 18 37 11
46 Los Angeles Lakers Away 000000001977-03-20-00001977年3月20日 1976–77 19 38 8
45 Phoenix Suns Home 000000001972-11-18-00001972年11月18日 1972–73 15 15 18
45 (2 OT) New York Knicks Home 000000001975-10-26-00001975年10月26日 1975–76 11 23 26
45 Denver Nuggets Home 000000001977-04-10-00001977年4月10日 1976–77 13 19 22
44 Cincinnati Royals Away 000000001971-03-13-00001971年3月13日 1970–71 18 27 8
44 Philadelphia 76ers Home 000000001972-11-04-00001972年11月4日 1972–73 14 16 22
44 Boston Celtics Home 000000001977-01-18-00001977年1月18日 1976–77 17 10
44 (OT) Kansas City Kings Home 000000001977-03-25-00001977年3月25日 1976–77 19 40 6
43 Boston Celtics Home 000000001976-11-02-00001976年11月2日 1976–77 17 9
43 Houston Rockets Home 000000001977-02-06-00001977年2月6日 1976–77 17 9
42 Philadelphia 76ers Home 000000001972-12-23-00001972年12月23日 1972–73 15 12
42 Buffalo Braves Home 000000001973-11-28-00001973年11月28日 1973–74 12 18 18
42 Seattle SuperSonics Home 000000001975-01-17-00001975年1月17日 1974–75 16 10
42 Cleveland Cavaliers Away 000000001977-12-27-00001977年12月27日 1977–78 17 8
41 Buffalo Braves Away 000000001971-01-18-00001971年1月18日 1970–71 13 15 19
41 Golden State Warriors Away 000000001973-10-27-00001973年10月27日 1973–74 17 7
41 Cleveland Cavaliers Home 000000001976-11-21-00001976年11月21日 1976–77 16 9
41 Cleveland Cavaliers Home 000000001977-04-01-00001977年4月1日 1976–77 17 7
41 New Jersey Nets Away 000000001977-10-21-00001977年10月21日 1977–78 12 17 18
41 Kansas City Kings Home 000000001977-11-27-00001977年11月27日 1977–78 19 34 3
41 San Antonio Spurs Home 000000001978-11-10-00001978年11月10日 1978–79
40 New York Knicks Away 000000001970-11-24-00001970年11月24日 1970–71 17 6
40 Phoenix Suns Away 000000001973-02-16-00001973年2月16日 1972–73 15 10
40 Buffalo Braves Home 000000001975-01-19-00001975年1月19日 1974–75 17 6
40 Chicago Bulls Away 000000001976-03-13-00001976年3月13日 1975–76 14 12
40 San Antonio Spurs Home 000000001977-02-27-00001977年2月27日 1976–77 11 18 20
40 Los Angeles Lakers Home 000000001977-12-13-00001977年12月13日 1977–78 19 35 2

トップアシストゲーム

アシスト 対戦相手 ホーム/アウェイ 日付
18 (OT) Detroit Pistons Home 000000001973-01-16-00001973年1月16日
17 Seattle SuperSonics Home 000000001975-01-17-00001975年1月17日
15 Seattle SuperSonics Home 000000001977-01-17-00001977年1月17日
15 Buffalo Braves Home 000000001978-01-31-00001978年1月31日

レギュラーシーズン

スタッツ 最高 対戦相手 日付
フィールドゴール成功数 26 vs. New York Knicks 000000001977-02-25-00001977年2月25日
フィールドゴール試投数 43 vs. New York Knicks 000000001977-02-25-00001977年2月25日
フリースロー全て成功 18–18 vs. Buffalo Braves 000000001973-11-28-00001973年11月28日
フリースロー全て成功 15–15 at Milwaukee Bucks 000000001972-01-23-00001972年1月23日
フリースロー全て成功 17–18 at New Jersey Nets 000000001977-10-21-00001977年10月21日
フリースロー成功数 23 (2 OT) vs. New York Knicks 000000001975-10-26-00001975年10月26日
フリースロー試投数 26 (2 OT) vs. New York Knicks 000000001975-10-26-00001975年10月26日
リバウンド 15

引退後

プロバスケットボールから離れたマラビッチは失意に沈んだが、ヒンドゥー教ヨガUFO菜食主義自然食主義などに生きる方策を求めた末、キリスト教に傾倒するようになった。各地の教会を訪れる傍ら、バスケットボールのキャンプにも現れ指導を行った。自らが出演しバスケットボールの技術を解説するビデオも作られた。

1988年1月、カリフォルニア州パサデナでバスケットボールをしている最中に心臓発作に襲われ死去した。40歳だった。同年、当時のルイジアナ州知事の計らいでルイジアナ州立大学の体育館を改名する条例案が通過し、体育館は「ピート・マラビッチ・アセンブリー・センター」となった。

1996年にNBAが「50人の偉大な選手」を選出した時、50人の中で故人となっていたのはマラビッチだけだった。 この表彰式の際、亡き父の代わりに出席したマラビッチの子供達に対して、マジック・ジョンソンは「君達のお父さんこそ、本物のオリジナルだった」と声をかけた。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p qPete Maravich”. NBA.com. 2002年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月25日閲覧。
  2. ^Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
  3. ^ At this time, freshmen did not play on the varsity team and these stats do not count in the NCAA record books.
  4. ^ Pete Maravich, LSU Sports. Retrieved March 19, 2010.
  5. ^ a b Pete Maravich, basketball-reference.com. Retrieved March 19, 2010.
  6. ^ 中山恵『スーパスターに学ぶバスケットボール』株式会社ナツメ社、2003年、206ページ、ISBN 4-8163-3437-8

外部リンク

関連項目
ネイスミス男子カレッジ最優秀選手賞 1969: アルシンダー 1970: マラビッチ 1971: カー 1972: ウォルトン 1973: ウォルトン 1974: ウォルトン 1975: トンプソン 1976: メイ 1977: M. ジョンソン 1978: リー 1979: バード 1980: アグワイア 1981: サンプソン 1982: サンプソン 1983: サンプソン 1984: ジョーダン 1985: ユーイング 1986: ドーキンス 1987: D. ロビンソン 1988: マニング 1989: フェリー 1990: シモンズ 1991: L. ジョンソン 1992: レイトナー 1993: チーニー 1994: G. ロビンソン 1995: スミス 1996: キャンビー 1997: ダンカン 1998: ジェイミソン 1999: ブランド 2000: マーティン 2001: バティエ 2002: ウィリアムス 2003: フォード 2004: ネルソン 2005: ボーガット 2006: レディック 2007: デュラント 2008: ハンズブロー 2009: グリフィン 2010: ターナー 2011: フレデッテ 2012: デイビス 2013: バーク 2014: マクダーモット 2015: カミンスキー 2016: ヒールド 2017: メイソン3世 2018: ブランソン 2019: ウィリアムソン 2020: トッピン 2021: ガーザ 2022: シブエ 2023: イディー オスカー・ロバートソン賞 受賞者 1959: ロバートソン 1960: ロバートソン 1961: ルーカス 1962: ルーカス 1963: ヘイマン 1964: ハザード 1965: ブラッドリー 1966: ラッセル 1967: アルシンダー 1968: アルシンダー 1969: マラビッチ 1970: マラビッチ 1971: ウィックス 1972: ウォルトン 1973: ウォルトン 1974: ウォルトン 1975: トンプソン 1976: ダントリー 1977: ジョンソン 1978: フォード 1979: バード 1980: アグワイア 1981: サンプソン 1982: サンプソン 1983: サンプソン 1984: ジョーダン 1985: マリン 1986: ベリー 1987: D・ロビンソン 1988: ホーキンズ 1989: フェリー 1990: シモンズ 1991: ジョンソン 1992: レイトナー 1993: チーニー 1994: G・ロビンソン 1995: オバノン 1996: キャンビー 1997: ダンカン 1998: ジェイミソン 1999: ブランド 2000: マーティン 2001: バティエ 2002: ウィリアムス 2003: ウェスト 2004: ネルソン 2005: ボーガット 2006: モリソン & レディック 2007: デュラント 2008: ハンズブロー 2009: グリフィン 2010: ターナー 2011: フレデッテ 2012: デイビス 2013: バーク 2014: マクダーモット 2015: カミンスキー 2016: ヒールド 2017: メイソン3世 2018: ブランソン 2019: ウィリアムソン 2020: トッピン 2021: ガーザ 2022: シブエ 2023: イディー NBAシーズン得点王/通算得点数1940年代 1946-47 ジョー・ファルクス 1947-48 マックス・ザスロフスキー 1948-49 ジョージ・マイカン 1949-50 ジョージ・マイカン② 1950年代 1950-51 ジョージ・マイカン③ 1951-52 ポール・アリジン 1952-53 ニール・ジョンストン 1953-54 ニール・ジョンストン② 1954-55 ニール・ジョンストン③ 1955-56 ボブ・ペティット 1956-57 ポール・アリジン 1957-58 ジョージ・ヤードリー 1958-59 ボブ・ペティット② 1959-60 ウィルト・チェンバレン 1960年代 1960-61 ウィルト・チェンバレン② 1961-62 ウィルト・チェンバレン③ 1962-63 ウィルト・チェンバレン④ 1963-64 ウィルト・チェンバレン⑤ 1964-65 ウィルト・チェンバレン⑥ 1965-66 ウィルト・チェンバレン⑦ 1966-67 リック・バリー 1967-68 デイブ・ビン 1968-69 エルヴィン・ヘイズ 1969-70 ジェリー・ウェスト 1970年代 1970-71 ルー・アルシンダー 1971-72 カリーム・アブドゥル=ジャバー② 1972-73 ネイト・アーチボルド 1973-74 ボブ・マカドゥー 1974-75 ボブ・マカドゥー② 1975-76 ボブ・マカドゥー③ 1976-77 ピート・マラビッチ 1977-78 ジョージ・ガービン 1978-79 ジョージ・ガービン② 1979-80 ジョージ・ガービン③ 1980年代 1980-81 エイドリアン・ダントリー 1981-82 ジョージ・ガービン④ 1982-83 アレックス・イングリッシュ 1983-84 エイドリアン・ダントリー② 1984-85 バーナード・キング 1985-86 ドミニク・ウィルキンス 1986-87 マイケル・ジョーダン 1987-88 マイケル・ジョーダン② 1988-89 マイケル・ジョーダン③ 1989-90 マイケル・ジョーダン④ 1990年代 1990-91 マイケル・ジョーダン⑤ 1991-92 マイケル・ジョーダン⑥ 1992-93 マイケル・ジョーダン⑦ 1993-94 デビッド・ロビンソン 1994-95 シャキール・オニール 1995-96 マイケル・ジョーダン⑧ 1996-97 マイケル・ジョーダン⑨ 1997-98 マイケル・ジョーダン⑩ 1998-99 アレン・アイバーソン 1999-00 シャキール・オニール 2000年代 2000-01 アレン・アイバーソン② 2001-02 アレン・アイバーソン③ 2002-03 トレイシー・マグレディ 2003-04 トレイシー・マグレディ② 2004-05 アレン・アイバーソン④ 2005-06 コービー・ブライアント 2006-07 コービー・ブライアント② 2007-08 レブロン・ジェームズ 2008-09 ドウェイン・ウェイド 2009-10 ケビン・デュラント 2010年代 2010-11 ケビン・デュラント② 2011-12 ケビン・デュラント③ 2012-13 カーメロ・アンソニー 2013-14 ケビン・デュラント④ 2014-15 ラッセル・ウェストブルック 2015-16 ステフィン・カリー 2016-17 ラッセル・ウェストブルック② 2017-18 ジェームズ・ハーデン 2018-19 ジェームズ・ハーデン② 2019-20 ジェームズ・ハーデン③ 2020年代 2020-21 ステフィン・カリー② 2021-22 ジョエル・エンビード 2022-23 ジョエル・エンビード② 歴代ベスト20 レブロン・ジェームズ:38,652カリーム・アブドゥル=ジャバー:38,387 ③カール・マローン:36,928 ④コービー・ブライアント:33,643 ⑤マイケル・ジョーダン:32,292 ⑥ダーク・ノヴィツキー:31,560 ⑦ウィルト・チェンバレン:31,419 ⑧シャキール・オニール:28,596 ⑨カーメロ・アンソニー:28,289 ⑩モーゼス・マローン:27,409 ⑪エルヴィン・ヘイズ:27,313 ⑫アキーム・オラジュワン:26,946 ケビン・デュラント:26,892オスカー・ロバートソン:26,710 ⑮ドミニク・ウィルキンス:26,668 16ティム・ダンカン:26,496 ⑰ポール・ピアース:26,397 ⑱ジョン・ハブリチェック:26,395 ⑲ケビン・ガーネット:26,071 ⑳ヴィンス・カーター:25,728 プレーオフ歴代ベスト20 レブロン・ジェームズ:8,032マイケル・ジョーダン:5,987 ③カリーム・アブドゥル=ジャバー:5,762 ④コービー・ブライアント:5,640 ⑤シャキール・オニール:5,250 ⑥ティム・ダンカン:5,172 ケビン・デュラント:4,878カール・マローン:4,761 ⑨ジェリー・ウェスト:4,457 ⑩トニー・パーカー:4,045 ステフィン・カリー:3,966ドウェイン・ウェイド:3,954 ⑬ラリー・バード:3,897 ⑭ジョン・ハブリチェック:3,776 ⑮アキーム・オラジュワン:3,755 ⑯マジック・ジョンソン:3,701 ⑰ダーク・ノヴィツキー:3,663 ⑱スコッティ・ピッペン:3,642 ジェームズ・ハーデン:3,637エルジン・ベイラー:3,623 NBA50周年記念オールタイムチーム カリーム・アブドゥル=ジャバー ネイト・アーチボルド ポール・アリジン チャールズ・バークレー リック・バリー エルジン・ベイラー デイブ・ビン ラリー・バード ウィルト・チェンバレン ボブ・クージー デイブ・コーウェンス ビリー・カニンガム デイブ・ディバッシャー クライド・ドレクスラー ジュリアス・アービング パトリック・ユーイング ウォルト・フレイジャー ジョージ・ガービン ハル・グリア ジョン・ハブリチェック エルヴィン・ヘイズ マジック・ジョンソン サム・ジョーンズ マイケル・ジョーダン ジェリー・ルーカス カール・マローン モーゼス・マローン ピート・マラビッチ ケビン・マクヘイル ジョージ・マイカン アール・モンロー アキーム・オラジュワン シャキール・オニール ロバート・パリッシュ ボブ・ペティット スコッティ・ピッペン ウィリス・リード オスカー・ロバートソン デビッド・ロビンソン ビル・ラッセル ドルフ・シェイズ ビル・シャーマン ジョン・ストックトン アイザイア・トーマス ネイト・サーモンド ウェス・アンセルド ビル・ウォルトン ジェリー・ウェスト レニー・ウィルケンズ ジェームズ・ウォージー NBA75周年記念チーム カリーム・アブドゥル=ジャバーKareem Abdul-Jabbarレイ・アレンRay Allenヤニス・アデトクンボGiannis Antetokounmpoカーメロ・アンソニーCarmelo Anthonyネイト・アーチボルドNate Archibaldポール・アリジンPaul Arizinチャールズ・バークレーCharles Barkleyリック・バリーRick Barryエルジン・ベイラーElgin Baylorデイブ・ビンDave Bingラリー・バードLarry Birdコービー・ブライアントKobe Bryantウィルト・チェンバレンWilt Chamberlainボブ・クージーBob Cousyデイブ・コーウェンスDave Cowensビリー・カニンガムBilly Cunninghamステフィン・カリーStephen Curryアンソニー・デイビスAnthony Davisデイブ・ディバッシャーDave Debusschereクライド・ドレクスラーClyde Drexlerティム・ダンカンTim Duncanケビン・デュラントKevin Durantジュリアス・アービングJulius Ervingパトリック・ユーイングPatrick Ewingウォルト・フレイジャーWalt Frazierケビン・ガーネットKevin Garnettジョージ・ガービンGeorge Gervinハル・グリアHal Greerジェームズ・ハーデンJames Hardenジョン・ハブリチェックJohn Havlicekエルヴィン・ヘイズElvin Hayesアレン・アイバーソンAllen Iverson) レブロン・ジェームズLebron Jamesマジック・ジョンソンMagic Johnsonサム・ジョーンズSam Jonesマイケル・ジョーダンMichael Jordanジェイソン・キッドJason Kiddカワイ・レナードKawhi Leonardデイミアン・リラードDamian Lillardジェリー・ルーカスJerry Lucasモーゼス・マローンMoses Maloneカール・マローンKarl Malone) ピート・マラビッチ(Pete Maravichボブ・マカドゥーBob Mcadooケビン・マクヘイルKevin Mchaleジョージ・マイカンGeorge Mikanレジー・ミラーReggie Millerアール・モンローEarl Monroeスティーブ・ナッシュSteve Nashダーク・ノヴィツキーDirk Nowitzkiシャキール・オニールShaquille O'Nealアキーム・オラジュワンHakeem Olajuwonロバート・パリッシュRobert Parishクリス・ポールChris Paulゲイリー・ペイトンGary Paytonボブ・ペティットBob Pettitポール・ピアースPaul Pierceスコッティ・ピッペンScottie Pippenウィリス・リードWillis Reedオスカー・ロバートソンOscar Robertsonデビッド・ロビンソンDavid Robinsonデニス・ロッドマンDennis Rodmanビル・ラッセルBill Russellドルフ・シェイズDolph Schayesビル・シャーマンBill Sharmanジョン・ストックトンJohn Stocktonアイザイア・トーマスIsiah Thomasネイト・サーモンドNate Thurmondウェス・アンセルドWes Unseldドウェイン・ウェイドDwyane Wadeビル・ウォルトンBill Waltonジェリー・ウェストJerry Westラッセル・ウェストブルックRussell Westbrookレニー・ウィルケンズLenny Wilkensドミニク・ウィルキンスDominique Wilkinsジェームズ・ウォージーJames Worthyアトランタ・ホークス 設立 : 1946年 旧称 : バッファロー・バイソンズ (1946年)、トライシティーズ・ブラックホークス (1946–1951)、ミルウォーキー・ホークス (1951年-1955年)、セントルイス・ホークス (1955年-1968年) 本拠地 : **ジョージア州アトランタ**フランチャイズ 歴史 歴代在籍選手 歴代ヘッドコーチ 各シーズン 現シーズン アリーナ バッファロー・メモリアル・オーディトリアム(英語版) ウォートン・フィールドハウス(英語版) ミルウォーキー・アリーナ(英語版キール・オーディトリアム セントルイス・アリーナ(英語版) アレクサンダー・メモリアル・コロシアム(英語版オムニ・コロシアム レイクフロント・アリーナ(英語版ジョージア・ドーム ステートファーム・アリーナ 球団関係者 オーナー アンソニー・レスラー(英語版ジェイミー・ガーツ グラント・ヒル サラ・ブレイクリー(英語版) ジェシー・イッツラー(英語版) スティーブン・プライス(英語版) リック・シュナール(英語版) 球団社長 トラビス・シュレンク ジェネラルマネージャー トラビス・シュレンク(英語版) ヘッドコーチ ネイト・マクミラン Gリーグ提携チーム カレッジパーク・スカイホークス 永久欠番 9 21 23 44 55 59 NBAチャンピオン 1958年 文化・伝承 ヒューマン・ハイライト・フィルム ピストル・ピート Life as We Know It カテゴリ