ポーラ・コールとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
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ポーラ・コールPaula Cole | |
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基本情報 | |
生誕 | (1968-04-05) 1968年4月5日(53歳) |
出身地 | ![]() |
ジャンル | アダルト・コンテンポラリー, ロック, ポップス |
活動期間 | 1992年 - 現在 |
レーベル | イマーゴ/ワーナーコロムビアデッカ675 Recordings |
公式サイト | paulacole.com |
ポーラ・コール(Paula Cole、1968年4月5日 - )は、アメリカ合衆国の女性シンガーソングライター。
来歴
マサチューセッツ州ロックポート出身。高校を卒業の後、ボストンのバークリー音楽大学に進学。ジャズ・ヴォーカルの発声法を学び、ジャズ歌手を目指した。しかし、シンガーソングライターとなることを決意し、卒業後はサンフランシスコに移住し音楽活動を開始した。
1992年、ニューヨークで演奏中、イマーゴ・レコード社長のテリー・エリスの目に止まりプロとしての活動を開始した。1993年にはファーストアルバム『ハービンガー』が完成したが、イマーゴ・レコードの経営難により発売が見送られ、翌年の1994年にリリースされた。なお、リリースの直後、イマーゴ・レコードはBMGから契約を切られ、ワーナー・ブラザース・レコードの傘下となった。ファーストアルバムがリリースされるまでの期間に、ピーター・ガブリエルのシークレット・ワールド・ツアーにツアー・メンバーとして参加した(このツアーで来日を果たしている)。これを機に、彼女の存在に注目が集まるようになり、次第に世に出始めた。
セカンドアルバム『ディス・ファイア』からのシングルが大ヒットしたのを背景に、1997年、グラミー賞にて最優秀新人賞を受賞。
1999年にはポーラ・コール・バンド(PAULA COLE BAND)の名義でアルバム『アーメン』を発表した。バンドの構成は3人で、彼女(ボーカル)の他にバークリー音大時代の学友のケヴィン・バリー(Kevin Barry、ギター)とジェイ・ベルローズ(Jay Bellerose、ドラム)である。
2006年ベストアルバムをリリース後、イマーゴ・レコードからデッカ・レコードに移籍した。2007年にリリースされたアルバム『Courage』はデッカ移籍後のものである。
エピソード
日本では1998年にニコラス・ケイジとメグ・ライアンが主演した映画『シティ・オブ・エンジェル』の予告CMに彼女の曲「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ウェイト」が起用されたことが広く知られる契機となった。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『ハービンガー』 - Harbinger (1994年)
- 『ディス・ファイア』 - This Fire (1996年)
- 『アーメン』 - Amen (1999年)
- Courage (2007年)
- Ithaca (2010年)
- Raven (2013年)
- 7 (2015年)
- Ballads (2017年)
コンピレーション・アルバム
- Greatest Hits: Postcards from East Oceanside (2006年)
シングル
- 「オール・ザ・カウボーイズ・ゴーン」 - Where Have All the Cowboys Gone? (1997年)
- 「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ウェイト」 - I Don't Want to Wait (1997年)
- Me (1998年)
- I Believe in Love (1999年)
- Be Somebody (2000年)
- Amen (2000年)
- 14 (2007年)
- Comin' Down (2007年)
- Music in Me (2010年)
- Eloise (2013年)
- God Bless the Child (2017年)