ユニオン・アソシエーションとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/24 17:03 UTC 版)
「1884年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ユニオン・アソシエーション」の解説
前年の12月12日にユニオン・アソシエーションが創設され、この新設のリーグはたちまちナショナルリーグとアメリカンアソシェーションの選手に猛烈に働きかけて約50名の選手が参加したが、その後選手の多くが中途で翻意し、またシーズンが始まってからも古巣に戻る選手が出て、ユニオン・アソシエーションはこの年限りでわずか1年で解散した。ただユニオン・アソシエーションの動きは、既存の2つのリーグに混乱をもたらした。 この新しい動きへの対抗策としてアメリカン・アソシエーションは球団数を増やし、前年の8チームから12チームになったが、結果は全球団が赤字となった。またシーズン当初に首都ワシントンではユニオン・アソシエーションにも、アメリカン・アソシエーションにも「ワシントン・ナショナルズ」という同名の球団が複数併存する事態となって、アメリカン・アソシエーションのワシントン・ナショナルズはシーズン途中で解散したため、リッチモンド・バージニアンズが交代して加盟し、シーズン後半の試合を行ったため、この年のアメリカン・アソシエーションは13球団となった。 一方ナショナルリーグではクリーブランド・ブルースが主力投手のジム・マコーミック、ヒュー・デイリー、中心打者のフレッド・ダンラップをユニオン・アソシエーションの各チームに取られ、クリーブランド・ブルースは弱体化してこの年に35勝77敗で勝率.329の成績となり、チームは解散を余儀なくされた。しかも解散に追い込んだユニオン・アソシエーション会長でありセントルイス・マルーンズのオーナーでもあったヘンリー・ルーカスは、抜け目なくここに目をつけて、クリーブランド・ブルースのフランチャイズ権をセントルイス・マルーンズが買い取り、翌年にユニオン・アソシエーションの公式試合を中止して協会を解散させ、自身はナショナルリーグに加盟することで苦境を乗り切った。 ただし、このセントルイスにナショナルリーグの球団がフランチャイズを置くことは、実は前年秋にナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションとマイナーリーグのノースウェスタンリーグとの三者協定でそれぞれのリーグの地域権を尊重する、という1項目に明らかに違反するものであった。ところが、被害を受けたはずのアメリカン・アソシエーション にも問題が起こっていた。弱体化して解散したクリーブランド・ブルースの選手たちを、この1884年に加盟したばかりのブルックリン・アトランティックス(後のドジャース)が球団を買収した形でアトランティックスに入団させたことが、同じ前年秋の協定で選手間の移動について当該リーグと10日以内に協議をするとの1項目にも明らかに違反した行動であった。当然ナショナルリーグはアメリカン・アソシエーションに当該球団のブルックリン・アトランティックスの除名を要求した。そして、この同時に起こった両方のリーグの問題は政治的な取引の材料となって、双方ともに不問に付す決着となった。
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