三好達治とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
三好 達治(みよし たつじ) | |
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誕生 | 1900年8月23日![]() |
死没 | (1964-04-05) 1964年4月5日(63歳没)![]() |
墓地 | 本澄寺 |
職業 | 詩人・作詞家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | ![]() |
教育 | 学士(文学) |
最終学歴 | 東京帝国大学仏文科 |
ジャンル | 詩・短歌・翻訳・随筆 |
代表作 | 『測量船』(1930年)『駱駝の瘤にまたがつて』(1952年) |
主な受賞歴 | 日本芸術院賞(1953年)読売文学賞(1963年) |
影響を受けたもの 萩原朔太郎、 室生犀星 | |
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三好 達治(みよし たつじ、1900年(明治33年)8月23日 - 1964年(昭和39年)4月5日)は、日本の詩人、翻訳家、文芸評論家。室生犀星や萩原朔太郎など先達詩人からの影響を出立点とし、フランス近代詩と東洋の伝統詩の手法をそれぞれに取り入れ、現代詩における叙情性を知的かつ純粋に表現し独自の世界を開いた[1][2][3]。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。
大阪市西区で印刷業を営む家に、10人兄弟の長男として生まれた。幼少期より病弱で、読書に没頭。中学時代、句誌「ホトトギス」を愛読し、句作に没頭した。父の意向で陸軍士官学校に進んだが、脱走して放校となった。旧制三高から東大仏文科へ進んだ。三高時代から詩作を始め、梶井基次郎らと知己を得、のちに同人誌「青空」にも参加した。
詩誌「詩と詩論」「詩・現実」創刊を経て、第1詩集『測量船』(1930年)を刊行。1934年、詩誌「四季」を堀辰雄らと創刊、四季派と呼ばれる新詩人のグループを形成した。『南窗集』(1932年)、『閒花集』(1934年)などでは、自然な感情を4行の平易なことばでうたったが、『艸千里』(1939年)以後は文語の韻律による古典的詩境をつくりあげた。戦後の『駱駝の瘤にまたがって』(1952年)は、その詩業の到達点ともいえる。
詩のほかに、鑑賞文や随想集なども執筆した。1964年に急逝したが、三好達治を明治・大正・昭和3代の第1の詩宗という人もいる。[4]
経歴
1900年、大阪市西区西横堀町に父政吉・母タツの長男として生まれる。家業は印刷業を営んでいたがしだいに没落し、市内で転居を繰り返した。小学生の頃から病弱で神経衰弱に苦しみ学校は欠席がちであったが、図書館に通い高山樗牛、夏目漱石、徳冨蘆花などを耽読した。1914年、大阪府立市岡中学に入学。俳句に没頭したほか、雑誌『ホトトギス』を購読した。しかし学費が続かず、2年で中退。
1915年、学費が高く入学難関校だった大阪陸軍地方幼年学校に入校。後に二・二六事件の首謀者として死刑(銃殺)となる西田税と出会い、同志であり親友となる。陸軍中央幼年学校本科を経て1920年(大正9年)に陸軍士官学校に入校するも、翌年に北海道までに及ぶ大脱走をし退校処分となった。脱走の理由には諸説ある。このころ家業が破産、父親は失踪し、以後は大学卒業までの学資は叔母の藤井氏が請け負った[5]。
1922年(大正11年)、第三高等学校(現・京都大学総合人間学部)文科丙類(フランス語必修)に入学。同級の丸山薫、吉村正一郎、貝塚茂樹、桑原武夫らと知り合い、丸山の影響で詩作を始める。また、ニーチェやツルゲーネフを耽読する[6]。剣道部に所属し、三段まで上がる。
1923年、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』に魅了される。同年に刊行された『青猫』『蝶を夢む』にも心酔する。
1925年、第三高等学校卒業[7]後、東京帝国大学文学部仏文科に入学。同じ三高から同学部に進んだ淀野隆三から梶井基次郎(文学部英文科)を紹介され、梶井と中谷孝雄、外村茂の創刊した同人誌『青空』に16号から参加[8][9]、百田宗治らの激賞を受ける。それから百田の同人『椎の木』に推されて丸山と共に作品寄稿し、そこで阪本越郎や伊藤整と面識を持つ[6]。
1927年7月、梶井基次郎が転地療養していた伊豆湯ヶ島へ赴き梶井を見舞う。そこで川端康成、尾崎士郎、宇野千代、広津和郎、そして萩原朔太郎と知り合う。10月まで続いた湯ヶ島での作家間交流はさまざまなエピソードを生み、滞在していた作家たちや彼らの評伝など多くの著作物に書き残されることとなる。偶然湯本館を訪れていた広津和郎のギ・ド・モーパッサン「女の一生」の翻訳に力を貸した[_要出典_]。
10月、朔太郎の住む東京の馬込文士村の地に下宿し、詩誌『詩と詩論』創刊に携わる[10][11]。この頃、朔太郎の妹アイに会う。達治はアイに一目惚れし求婚するが、達治は27歳で東大仏文科を卒業したばかりの貧乏書生で、文士を生活無能力者とみなしていたアイの母の大反対にあう[10]。
1928年、朔太郎が『月に吠える』を再刊した版元のアルスに、朔太郎の口利きで就職をした達治はアイと婚約するが、ほどなく会社が解散したことにより職を失い、婚約も破談となる。絶望した達治は、シャルル・ボードレールの散文詩『巴里の憂鬱』全訳や、ファーブルの『昆虫記』の翻訳を始める。ここからの約10年間の翻訳は、2万枚に及んだ[10][12]。
1930年、第一詩集『測量船』を刊行。叙情的な作風で人気を博す。
1932年2月、喀血する。3月24日、盟友の梶井基次郎が死去。追悼詩『友を喪う』を『文藝春秋』5月号で発表。入院を機に、フランシス・ジャムや漢詩の手法を導入する[3]。6月に退院。8月、第二詩集『南窗集』を刊行。
1934年1月、佐藤智恵子(佐藤春夫の姪)と結婚。岸田國士が媒酌人を務めた。同年12月、長男が誕生。1937年6月、長女が誕生。(詳細は<#佐藤智恵子との結婚生活>を参照のこと)
太平洋戦争(大東亜戦争)が始まると達治は日本の勝利や日本の国家国民を賞賛称揚する「戦争詩」を複数制作し、『捷報いたる』『寒柝』『干戈永言』といった詩集にまとめて発表[13]。日本文学報国会から委嘱されて「決戦の秋は来れり」の作詞も手がける。
1942年、アイが再々婚した作詞家・佐藤惣之助が死去。それに伴い、1943年に達治は智恵子と離婚。1944年より福井県三国町(現・坂井市)でアイと暮らす。しかし翌1945年2月、アイが同棲開始から10ヶ月で東京へ逃げ帰り、別離する。(詳細は<#達治と萩原アイと『天上の花』>を参照のこと)
1953年 (昭和28年)に芸術院賞(『駱駝の瘤にまたがつて』、創元社)、1963年(昭和38年)に読売文学賞(『定本三好達治全詩集』、筑摩書房)を受賞。
1964年(昭和39年)、心筋梗塞に鬱血性肺炎を併発し、田園調布中央病院分院で死去。戒名は法治院平安日達居士[14]。弟の三好龍紳が住職を務めた大阪府高槻市の本澄寺に埋葬された。没後ほどなく、『三好達治全集』(全12巻、筑摩書房)の刊行が開始。
1964年、亡くなる5日前に書かれ絶筆となった詩「春の落葉」が雑誌『小説新潮』6月号で絶筆作として発表される。
1976年、十三回忌を記念し、本澄寺の境内の一角に遺族の手により三好達治記念館が建てられる。
2019年、福井県ふるさと文学館の学芸員が都内の達治の親族宅を訪ねた際に絶筆「春の落葉」の直筆原稿が見つかる。2020年、福井県が譲り受け、生誕120年に合わせ同文学館で展示される[15]。
評価
- 宇野千代は、他人から見える達治については「いつでも正気で端然としていて、節度を守っているよう」、達治の内面については「それと反対で、いつでも狂気で、節度を外し、惑溺するに任せていたのではないだろうか」とし、「その両面が、あの三好さんの高揚した詩になる」と分析した[16]。
- 中野孝次は達治を「俗にたいするはげしい嫌悪がある」が「それでいて決して世捨て人にならず」とし、「俗の中にいながら俗に泥(なず)まず心を碧落の高みに遊ばせることができるのが文人であろうけれど、三好達治は近代の詩人中最もそういう境地に遊ぶことのできた人であった」と評した[17]。
- 桑原武夫は戦後「三好達治君への手紙」という文章で、「自由をもたぬ日本人が戦争を歌ふとすれば、戦争は天変地異にほかならぬわけであり、自然詩となるのは当然である。(中略)したがつて君のみならず日本の詩人は、ヴィクトール・ユゴーのやうに、またアラゴンのやうに(「世界評論」にのつた嘉納君の断片訳をみたのみだが)戦争の内へ入つて、その悲惨と残忍を描きつゝ、なほかつそれらがより高きものの実現のためには不可避だとし、つまりその戦ひをよしとしてこれを歌ふことはできなかつた。」と評した[13]。
- 石原八束は「開戦当初の捷報がこの知識人一般をも狂わせたのである。達治の詩業にとってもこの詩集がその汚点となり無限の悔恨となったことは云うをまつまい」と指摘するとともに、軍隊経験のある達治が「国のために命を捧げている軍人」に対して「できるだけのことはしなければいけない、ということだったのではないでしょうか」と述べている[13]。だが、達治の「戦争詩」の一連は決して戦争への賛美ではない。「おんたまを故山に迎う」をはじめとする彼の詩を精読すれば、彼が国家主義者ではなく、亡くなった兵士ら一人ひとりへの敬意と追悼をうたう詩人であることは明らかだ。[_独自研究?_]
私生活
佐藤智恵子との結婚生活
- 桑原武夫は著書の中で、自身がフランス留学をしていた1937年からの2年間のうちに恐らく佐藤春夫と達治の関係が悪くなり、智恵子ともうまくいかなくなったとしている。そしてその頃の結婚生活について、「ある日、三好が縁側にすわって青空の白雲をながめている。すると奥さんが、もう月末はそこですよ、そんなにぼんやりしていないで、なにか書いたらどう、と言う。瞬間、三好の拳が智恵子さんの頭上にとぶのである」と記している[18]。
- 戦時中、長女の松子が達治の大声で目を覚ますと、灯火管制のため暗く灯された電燈の下で智恵子が叱られており、達治は「今夜は寝ないでよく考えてみなさい」と怒鳴っていた。それ以来松子の中で、達治は「こわい人」という印象が焼き付いてしまったという。松子の記憶にあるのはこの一回きりだったが、隣人の「おばさん」によると智恵子はよく怒鳴られていたとのことで、その理由を松子は「短気な父のわがままからのようであった」と振り返っている[19]。
達治と萩原アイと『天上の花』
- 萩原アイとの最初の出会いは1927年、達治27歳。翌年に婚約するも破棄となり、アイは佐藤惣之助と結婚。1934年に達治は佐藤智恵子と結婚し二児をもうけた。1942年に惣之助が死去したことにより達治は再びアイへ交際を求め、1944年5月18日に智恵子と協議離婚[20]。二児は智恵子が引き取った。同月30日よりアイと三国町で同棲を始めるが、翌年2月にはアイが逃げ出す形で別離した。結婚としての届出を行った記録は確認できず、岩波文庫の略年表には「同棲」と記されている[12]。
- 佐藤智恵子との協議離婚の際、達治に懇願された吉村正一郎と桑原武夫が法的な証人となった。しかしその直後に達治がアイと同棲を始めたことを、この二人は長い間知らなかった[12]。
- 達治の死後、アイとの同棲生活を題材にして、アイの姪(朔太郎の娘)の萩原葉子が小説『天上の花』(新潮社、1966年6月)を発表した。同書において、達治がアイ(作品内では「慶子」)を日常的に怒鳴ったり引っ叩いたり、時に流血し顔が腫れ上がるほど激しく殴打するなどのDVを行う描写がある。萩原は同書のあとがきで「フィクションである」「福井での生活は知るべくもない」とする一方で「叔母から話は聞いていた」「嘘や良い加減は三好さんの何より嫌っていたこと」「細部のデータはよく確かめた上で慎重にしたつもりである」とも記している。また、達治の門下生で終戦後に三国町に移住した則武三雄の著作物や、同じく門下生で達治とアイの生活の世話をし、後に『三好達治』[21]や『詩人三好達治―越前三国のころ』[22]を著した畠中哲夫の日記と話が大きな構想となったことも明かしている[23]。
- 桑原武夫は、アイが惣之助と結婚して以降「三好のはげしい思慕の対象であったが、」惣之助が死去したことで「三好はこの宿命的な恋にいわば突撃したようにみえる」とし、「その外的経過のおおよそは、萩原葉子の小説『天上の花』に、おそらくいささかの誇張をこめて描かれたとおりと思われる。その事実のせんさくの必要はないだろう。」と結論付けた上で、『花筐』がアイに捧げられた詩であったという石原八束の説を支持し、「それに人びとは気づかなかった。それほど三好の詩は抑制がきいている。あるいはエステティック・ディスタンスが保たれている。」と評価している[24]。
- アイが達治に従って三国町へ行ったのは、アイが相続できるのは家一軒のみとした裏切りのような惣之助の遺言に対するショックと、戦争の激化による食料の欠乏から、頼れるのは達治だけと考えたからであると『天上の花』文庫収録の作家案内(木谷喜美枝 著)では記載されている[25]。
- 朔太郎には妹が4人いて、郷土前橋では聞こえた美人だった。朔太郎より18歳下の末の妹・アイは、姉たちとは違って華やかなタイプの美女だがわがままで、23歳で2度の離婚を経験し、朔太郎夫婦の元で暮らしていた[10]。
戦後の生活
- 「東京都世田谷区代田一ノ三-三岩沢方に移り、終生そこを離れなかった」[26]。 (番地は旧番地)
- 世田谷区の自宅に萩原葉子が来訪し再会する。以降、萩原家に迫害されていた葉子に印税の半分がわたるように達治が奔走したというエピソードが『天上の花』及び『閉ざされた庭』(新潮社、1984年2月)に記されている。
作詞
- 三国町に居住した縁からのちに「福井県民歌」や福井県立大野高等学校校歌、福井県立三国高等学校校歌の作詞に関わった。この他、東京工業大学学歌、神奈川県立横須賀高等学校校歌、静岡県立浜名高等学校校歌、仙北市立角館中学校校歌、大和紡社歌等多数の歌の作詞に関わった。
- 達治が作詞した歌はほとんどが諸井三郎によって作曲されたものである。
人物
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- 陸軍幼年学校および士官学校に在籍した経歴もあり剣道に長け、三島由紀夫は「文壇最強」と称したという。
- 佐藤春夫とは仲が悪く、三好が佐藤の家の前で「バカヤロウ」と怒鳴り走り去るとすぐさま佐藤も三好の家の前へ行き「バカヤロウ」と怒鳴り返したとのエピソードも伝わる。ただお互い詩の才能は認めていた。
- 中谷孝雄は佐藤の弟子で三好達治の友人だったことから喧嘩の板挟みにされていた。佐藤が中谷に三好のことを聞いた時、佐藤が「自分のところには菊を寄越したよ。」と言ったエピソードがある。この言葉は当時流行っていた太平洋行進曲の歌詞とかけた洒落で仲直りをしたわけではない。
主な著書
十数冊の詩集の他に、詩歌の手引書として『詩を読む人のために』、随筆集『路傍の花』『月の十日』などがある。また中国文学者の吉川幸次郎共著『新唐詩選』(岩波新書 青版、初版1952年、後編を担当)は半世紀を越え、絶えず重版されている。
※「詩集」は、岩波文庫・新潮文庫・ハルキ文庫・新書版の思潮社「現代詩文庫」で刊行。
詩集
- 『測量船』(第一書房、1930年) のち講談社文芸文庫
- 『南窗集』(椎の木社、1932年)
- 『閒花集』(四季社、1934年)
- 『山果集』(四季社、1935年)
- 『大阿蘇』(1937年)
- 『霾』(合本詩集『春の岬』(創元社、1939年)所収)
- 『艸千里』(四季社、1939年)
- 『一點鐘』(創元社、1941年)
- 『捷報いたる』(スタイル社、1942年)
- 『覇旅十歳』(臼井書房、1942年)
- 『寒柝』(大阪創元社、1943年)
- 『朝菜集』(青磁社、1943年)
- 『花筐』(青磁社、1944年)
- 『干戈永言』(青磁社、1945年)
- 『春の旅人』(三好達治詩集頒布の会、1945年)
- 『故郷の花』(大阪創元社、1946年)
- 『砂の砦』(臼井書房、1946年)
- 『日光月光集』(高桐書院、1947年)
- 『駱駝の瘤にまたがつて』(創元社、1952年)
- 『定本 三好達治全詩集』(筑摩書房、1962年)(『捷報いたる』は削除)
歌集
- 『日まはり』(椎の木社、1934年)
随筆
- 『夜沈々』(白水社、1938年)
- 『風蕭々』(河出書房、1941年)
- 『屋上の鶏』(文体社、1943年)
- 『灯下言』(高桐書院、1947年)
- 『卓上の花』(創元社、1952年)
- 『路傍の秋』(筑摩書房、1958年)
- 『草上記』(新潮社、1963年)
- 『月の十日』(新潮社、1964年)、講談社文芸文庫、2003年
- 『三好達治随筆集』(岩波文庫、1990年) 中野孝次編
詩歌論
- 『諷詠十二月』(新潮社、1942年) のち新潮文庫・講談社学術文庫・講談社文芸文庫
- 『詩を読む人のために』(至文堂、1952年)、岩波文庫、1991年(解説杉本秀太郎)
- 『俳句鑑賞』(筑摩書房、1955年)
- 『萩原朔太郎』(筑摩書房、1963年)、講談社文芸文庫、2006年
伝記ほか
- 石原八束 『駱駝の瘤にまたがって 三好達治伝』(新潮社 1987年)
- 桑原武夫 『詩人の手紙 三好達治の友情』(筑摩書房 1982年)
- 『暮春記/魂の遍歴』 杉山平一編解説(作家の自伝95 日本図書センター)
派生関連作品
- 清家雪子『月に吠えらんねえ』月刊アフタヌーン 2013年~2019年 - 三好達治の作品から受けた印象をキャラクター化したミヨシくんという人物が主要人物として登場する
- 『天上の花』- 2022年公開の映画、原作は萩原葉子『天上の花 三好達治抄』、三好役は東出昌大、萩原朔太郎は吹越満、その妹アイ役(作品では萩原慶子名)は入山法子が演じる
関連項目
- 三好達治賞
- みくに龍翔館
- 萩原朔太郎 師
- 辰野隆 先生
- 鈴木信太郎 先生
- 梶井基次郎 友人
- 桑原武夫友人
- 坂口安吾 友人
- 井伏鱒二 友人
- 秦秀雄 友人
- フランス文学者
- アンドレ・ジッド 訳著
- フランシス・ジャム 訳著
- アナトール・フランス 訳著
- 自由詩 三好と「詩と詩論」について
- 将校志望を断念した日本の人物の一覧
- 小田原文学館
脚注
[脚注の使い方]
- ^ 精選版 日本国語大辞典
- ^ 大辞泉 小学館
- ^ a b 藤本寿彦著『周縁としてのモダニズム 日本現代史の底流』(2009年・双文社出版)
- ^ 石原八束 (2006). 駱駝の瘤にまたがって: 三好達治伝. 新潮社. p. 262. ISBN 9784103680017 この発言は、堀口大學のもの、「この邦第一級の詩人であり長老である堀口大學詩宗が、明治・大正・昭和の三代の第一の詩宗は三好であると云い、三好以前の、そして同時代のどの詩人も、三好に及ぶものは一人もいない。」
- ^ 日本近代文学会関西支部大阪近代文学事典編集委員会2005『大阪近代文学事典』「三好達治」の項参照
- ^ a b 三好達治「文學的青春傳」(群像 1951年5月号)。別巻 2000, pp. 199–206に所収
- ^ 『第三高等学校一覧 大正15年4月起大正16年3月止』第三高等学校、1926年7月、p.(名簿)156
- ^ 「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」(大谷 2002, pp. 137–161)
- ^ 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162–195)
- ^ a b c d 「第十章 冬蠅の恋――湯ヶ島その二」(大谷 2002, pp. 216–242)
- ^ 「第四部 第二章 帰阪」(柏倉 2010, pp. 367–376)
- ^ a b c 岩波文庫 三好達治詩集 略年譜
- ^ a b c 徳永光展「三好達治戦争詩の考察 (PDF) 」『福岡工業大学研究論集』Vol.49 No.2、2016年、pp.65 - 68
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)319頁
- ^ 詩人・三好達治の絶筆「春の落葉」 直筆原稿が東京都内で見つかる
- ^ 「天上の花の三好さん」宇野千代全集 第九巻
- ^ 三好達治随筆集、中野孝次編 解説より(1990年・岩波文庫)
- ^ 桑原武夫「詩人の手紙―三好達治の友情―」1965年・筑摩書房「昭和十二年」より
- ^ 「父とのつきあい--私の結婚式に千円の会費をもって出席してくれた亡父・三好達治」大畑松子、現代詩手帖2000年10月号特集 生誕百年・三好達治新発見
- ^ 『天上の花』によると、作成されたのは「養育費、教育費、生活費を仕送りする」という契約公正証書謄本
- ^ 花神社、1979年
- ^ 花神社、1984年
- ^ 前橋文学館図録『小説家萩原葉子 自分との出合い』p15
- ^ 岩波文庫 三好達治詩集 桑原武夫・大槻鉄男選 解説より
- ^ 講談社文芸文庫『天上の花』作家案内(木谷喜美枝 著)p200
- ^ 『三好達治詩集』巻末年譜より。(岩波文庫)ISBN 4003108213 C0129
参考文献
- 中外日報1992年12月11日
- 『梶井基次郎全集第3巻 書簡』筑摩書房、2000年1月。ISBN 978-4-48-070413-9。
- 『梶井基次郎全集別巻 回想の梶井基次郎』筑摩書房、2000年9月。ISBN 978-4480704146。
- 大谷晃一『評伝 梶井基次郎』(完本)沖積舎、2002年11月。ISBN 978-4806046813。 初本(河出書房新社)は1978年3月 NCID BN00241217。新装版は 1984年1月 NCID BN05506997。再・新装版は1989年4月 NCID BN03485353
- 柏倉康夫『評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ』左右社、2010年8月。ISBN 978-4903500300。
- 安西均「名のりの詩」三好達治全集 月報8
- 萩原葉子『天上の花』新潮社、1966年。講談社文芸文庫版は1996年。
- 萩原葉子『閉ざされた庭』新潮社、1984年。講談社文芸文庫版は1997年。
- 図録『小説家 萩原葉子ー自分との出合いー』前橋文学館、2000年。
外部リンク
- 三好 達治:作家別作品リスト - 青空文庫
- 本澄寺・三好達治記念館<ほんちょうじ・みよしたつじきねんかん>/高槻市観光協会公式サイト
- 妙三寺 三好達治の歌碑/三田市
- 三好達治詩碑(みよし たつじ・しひ) | 田野畑村
- 三好達治(1900-1964) - 日本詩人愛唱歌集 詩と音楽を愛する人のためのデータベース - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
表話編歴日本芸術院賞受賞者 |
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第一部(美術)日本画 1943: 島田墨仙 1948: 伊東深水 1951: 徳岡神泉 1953: 児玉希望 1954: 金島桂華 1955: 橋本明治 1956: 東山魁夷・山口華楊 1957: 杉山寧 1958: 森白甫・**菅楯彦**・望月春江 1959: 加藤栄三・森田沙伊 1960: 高山辰雄・池田遙邨・郷倉千靱 1961: **川崎小虎**・岩田正巳・矢野橋村・西山英雄 1962: **榊原紫峰**・小倉遊亀・三輪晁勢 1963: 奥田元宋・山田申吾 1964: 山本丘人 1965: 浜田観・麻田弁自 1966: 中村貞以・山本倉丘 1967: 上村松篁・佐藤太清 1968: 伊東万燿 1969: 三谷十糸子 1970: 寺島紫明 1971: 吉岡堅二 1972: 岩橋英遠 1973: 大山忠作 1974: 猪原大華 1975: 片岡球子 1976: 川本末雄 1977: 加藤東一 1978: 浦田正夫 1979: 松尾敏男 1980: 浜田台児 1981: 加倉井和夫 1982: 吉田善彦 1984: 福王寺法林 1985: 村山径 1986: 関主税 1987: 堂本元次 1988: 鈴木竹柏 1989: 佐藤圀夫 1990: 郷倉和子 1991: 稗田一穂 1992: 山岸純 1993: 岩沢重夫 1994: 白鳥映雪 1995: 上村淳之 1997: 中路融人 2000: 那波多目功一 2001: 福王寺一彦 2003: 岩倉寿 2004: 宇佐美江中 2005: 川崎春彦 2006: 福田千惠 2007: 土屋礼一 2008: 清水達三 2011: 山﨑隆夫 2013: 能島和明 2016: 後藤純男 2017: 西田俊英 2018: 田渕俊夫 2020: 村居正之 洋画 1942: 小磯良平 1943: 宮本三郎 1950: 鍋井克之 1951: **三宅克己**・寺内万治郎 1952: **白滝幾之助**・中山巍 1953: 石川寅治 1954: 小糸源太郎 1956: 鬼頭鍋三郎 1957: 鈴木千久馬・東郷青児 1958: 中野和高 1959: **木村荘八**・小山敬三・林武 1960: 大久保作次郎・鈴木信太郎 1961: 新道繁・田崎広助 1962: 耳野卯三郎 1963: 田村一男・中村琢二 1964: **中川紀元**・岡鹿之助 1965: 吉井淳二 1966: **池部鈞**・井手宣通 1967: 島村三七雄 1968: 佐竹徳・服部正一郎 1969: **黒田重太郎**・中村善策 1970: 小堀進・森田茂 1971: 高光一也 1972: 高田誠 1973: 野村守夫 1976: 岡田又三郎 1977: 伊藤清永 1979: 宮永岳彦 1980: 西山真一 1981: 楢原健三 1982: 菅野矢一 1984: 寺田竹雄 1985: 渡辺武夫 1986: 広瀬功 1988: 大内田茂士 1990: 鶴岡義雄 1991: 国領経郎 1992: 平松譲 1993: 藤本東一良 1994: 芝田米三 1995: 織田広喜 1996: 奥谷博 1997: 寺島竜一 1998: 中山忠彦 1999: 島田章三 2000: 庄司栄吉 2001: 絹谷幸二 2002: 清原啓一 2003: 塗師祥一郎 2004: 山本貞 2005: 寺坂公雄 2006: 村田省蔵 2007: 大津英敏 2008: 藤森兼明 2009: 藪野健 2010: 山本文彦 2012: 池口史子 2013: 佐藤哲 2015: 馬越陽子 2017: 根岸右司 2018: 湯山俊久 彫塑 1943: 古賀忠雄 1950: 吉田三郎 1952: 加藤顕清 1953: 沢田正広 1954: 清水多嘉示 1955: 橋本朝秀 1957: 雨宮治郎 1958: 松田尚之 1961: 堀進二 1963: 中川清・大内青圃 1966: 円鍔勝三・藤野舜正 1968: 北村治禧 1970: 昼間弘 1971: 水船六洲 1972: 富永直樹 1973: 進藤武松 1974: 木下繁 1975: 分部順治 1977: 淀井敏夫 1979: 三坂耿一郎 1980: 佐藤助雄 1981: 野々村一男 1982: 伊藤五百亀 1985: 小森邦夫 1986: 高橋剛 1987: 中村博直 1988: 中村晋也 1990: 雨宮敬子 1991: 長江録弥 1992: 柴田鋼造 1994: 吉田鎮雄 1996: 橋本堅太郎 1997: 雨宮淳 1998: 川崎普照 1999: 山田良定 2002: 蛭田二郎 2003: 澄川喜一 2004: 山本真輔 2005: 能島征二 2006: 市村緑郎 2007: 瀬戸剛 2008: 神戸峰男 2009: 宮瀬富之 2012: 吉野毅 2016: 山田朝彦 2019: 池川直 工芸 1943: 吉田源十郎 1950: 小場恒吉 1951: 岩田藤七 1952: 山鹿清華 1953: 香取正彦 1954: 沼田一雅 山崎覚太郎・楠部弥一 1955: **杉浦非水**・内藤春治 1956: **初代竜村平蔵**・六代目清水六兵衛・三井義夫 1957: 宮之原謙 1958: 山室百世 1959: 三代目井上良斎・大須賀喬 1960: 各務鑛三・岸本景春 1961: 佐治賢使・皆川月華 1962: 蓮田修吾郎・山脇洋二 1963: **河村蜻山**・番浦省吾・森野嘉光 1964: 辻光典 1965: 高橋節郎 1966: 帖佐美行 1967: 浅見隆三 1968: 北出塔次郎・安原喜明 1969: 般若侑弘 1970: 海野建夫 1971: 吉賀大眉 1973: 佐野猛夫 1980: 新開寛山 1981: 浅蔵五十吉 1982: 岩田久利 1983: 大久保婦久子 1984: 十三代目中里太郎右衛門 1985: 大樋年朗 1986: 折原久佐ヱ門 1988: 三谷吾一 1989: 藤田喬平 1990: 奥田小由女 1991: 青木竜山 1992: 永井鉄太郎 1993: 中井貞次 1994: 井波唯志 1996: 大塩正義 1997: 河合誓徳 1998: 今井政之 1999: 西本瑛泉 2000: 吉賀将夫 2001: 川尻一寛 2003: 大角勲 2004: 伊藤裕司 2006: 原益夫 2007: 森野泰明 2010: 武腰敏昭 2012: 宮田亮平 2013: 寺池静人 2016: 春山文典 2018: 三田村有純 2019: 並木恒延 書 1951: 川村驥山 1953: 辻本史邑 1955: 西川寧 1957: 鈴木翠軒 1960: **田中親美**・松本芳翠 1961: 安東聖空・二代中村蘭台 1962: 炭山南木 1963: 山崎節堂 1964: 松井如流 1965: 日比野五鳳 1966: 青山杉雨 1967: 金子鷗亭 1968: 村上三島 1969: 田中塊堂 1970: 桑田笹舟 1971: 大石隆子・金田心象 1972: 広津雲仙 1973: 宮本竹径 1976: 木村知石 1977: 殿村藍田 1978: 上条信山 1981: 小坂奇石 1983: 杉岡華邨 1984: 小林斗盦 1985: 古谷蒼韻 1986: 浅見筧洞 1987: 今井凌雪 1989: 浅香鉄心 1990: 伊藤鳳雲 1991: 近藤摂南 1992: 成瀬映山 1993: 尾崎邑鵬 1994: 栗原蘆水 1995: 高木聖鶴 1996: 榎倉香邨 1997: 甫田鵄川 1998: 松下芝堂 1999: 日比野光鳳 2000: 梅原清山 2001: 津金孝邦 2002: 桑田三舟 2003: 井茂圭洞 2004: 新井光風 2005: 黒野清宇 2006: 劉蒼居 2007: 池田桂鳳 2008: 杭迫柏樹 2009: 小山やす子 2010: 樽本樹邨 2011: 黒田賢一 2012: 星弘道 2017: 高木聖雨 2018: 土橋靖子 2019: 真神巍堂 建築 1950: 岸田日出刀 1952: 吉田五十八 1953: 村野藤吾 1957: 堀口捨己 1959: 中村順平 1961: 谷口吉郎 1962: 竹腰健造 1965: 前田健二郎 1966: 今井兼次 1967: 佐藤武夫 1968: 藤島亥治郎 1971: 海老原一郎 1974: 前川国男 1975: 吉村順三 1980: 白井晟一 1981: 大江宏 1982: 高橋靗一 1984: 芦原義信 1985: 西沢文隆 1987: 谷口吉生 1988: 池原義郎 1989: 内井昭蔵 1990: 阪田誠造 1991: 中村昌生 1992: 黒川紀章 1993: 安藤忠雄 1995: 柳沢孝彦 1996: 岡田新一 1999: 伊東豊雄 2000: 長谷川逸子 2001: 山本理顕 2003: 栗生明 2004: 宮本忠長 2006: 香山寿夫 2008: 鈴木了二 2010: 北川原温 2011: 古谷誠章 2013: 槇文彦 2015: 陶器二三雄 2020: 藤森照信 |
第二部(文芸)小説・戯曲 1950: 大仏次郎 1951: 小川未明 1952: 川端康成 1955: 坪田譲治 1956: 井伏鱒二 1957: 幸田文 1959: 井上靖 1960: 火野葦平 1961: 石川淳 1963: 獅子文六 1966: 中山義秀・永井竜男 1967: 伊藤整 1968: 網野菊 1969: 芹沢光治良 1972: **平林たい子**・宇野千代 1973: 庄野潤三 1975: 中里恒子 1976: **司馬遼太郎**・安岡章太郎 1977: 戸板康二・海音寺潮五郎 1979: **阿川弘之**・遠藤周作・吉行淳之介 1980: 田中千禾夫 1981: 島尾敏雄 1982: **芝木好子**・野口冨士男・小島信夫 1984: 河野多恵子 1986: 水上勉 1987: **三浦朱門**・吉村昭 1988: 八木義徳 1989: 阪田寛夫 1993: **曽野綾子**・石井桃子 1994: 竹西寛子 1995: 陳舜臣 1998: **大原富枝**・堀田善衛 1999: 加賀乙彦 2000: 小川国夫・黒井千次・日野啓三 2001: 伊藤桂一 2003: 津村節子 2004: **中野孝次**・富岡多恵子 2006: 辻井喬 2007: 三木卓 2009: 井上ひさし 2011: 山崎正和 2016: 辻原登 2017: 髙樹のぶ子 2019: 松浦寿輝 詩歌 1942: 高村光太郎・川田順 1948: 折口信夫 1949: 半田良平 1951: 尾山篤二郎 1953: 三好達治・土屋文明・服部担風 1958: 川路柳虹 1964: 水原秋桜子 1971: 富安風生 1977: 宮柊二 1980: 佐藤佐太郎 1981: 飯田竜太 1983: 木俣修 1984: **中村草田男**・中村汀女 1987: 山口誓子・上田三四二 1994: 那珂太郎 1995: **大岡信**・清岡卓行 1997: 森澄雄 1998: 岡野弘彦・田村隆一 1999: 伊藤信吉 2003: 馬場あき子・まど・みちお・金子兜太 2005: 前登志夫 2015: **吉増剛造**・鷹羽狩行 2016: 宇多喜代子 2019: 荒川洋治 評論・翻訳 1943: 野口米次郎 1950: 山内義雄 1951: 小林秀雄 1952: 日夏耿之介 1953: 石川欣一 1954: 小宮豊隆 1955: 鈴木信太郎 1956: 昇曙夢 1957: 折口信夫 1957: 和田芳恵 1958: 新関良三 1959: 吉田精一 1961: 河上徹太郎 1963: 福原麟太郎 1964: 亀井勝一郎 1966: 舟木重信・山本健吉 1967: **三宅周太郎**・中村光夫 1969: 高橋健二 1971: 唐木順三 1973: 中村白葉 1976: 江藤淳 1977: 平野謙 1981: 福田恒存 1981: 生島遼一 1982: 佐伯彰一 1984: 磯田光一 1986: 富士川英郎 1990: 新庄嘉章 1991: 佐藤朔 1997: 高橋英夫 2000: 河竹登志夫 2001: 菅野昭正 2002: 高階秀爾 2010: 粟津則雄 2012: 三浦雅士 2017: 渡辺保 2018: 芳賀徹 |
第三部(音楽・演劇・舞踊)能楽 1948: 野口兼資 1951: 観世華雪 1953: 桜間弓川 1954: 茂山弥五郎 1960: 近藤乾三 1961: 橋岡久太郎 1963: 後藤得三 1970: 六世野村万蔵 1975: 喜多実 1977: 三世茂山千作 1980: 宝生弥一 1983: 田中幾之助 1985: 梅若雅俊 1987: 四世野村万之丞 1988: 梅若恭行・観世元正 1990: 九世片山九郎右衛門・二世野村万作 1992: 八世観世銕之丞・宝生閑 1995: 二世金剛巌 1996: 二十二世金春惣右衛門 1999: 五十六世梅若六郎 2000: 粟谷菊生 2001: 近藤乾之助 2002: 関根祥六 2003: 友枝昭世 2005: 三世観世喜之 2006: 野村四郎 2007: 四世山本東次郎 2008: 一噌仙幸 2009: 九世観世銕之丞 2011: 山本孝 2013: 浅見真州 2014: 香川靖嗣 2015: 柿原崇志 2016: 高橋章 2017: 大槻文蔵 2019: 亀井忠雄 歌舞伎 1951: 三代目中村時蔵 1952: 二代目市川猿之助 1953: 三代目市川寿海 1954: 三代目阪東寿三郎 1956: 三代目市川左団次 1962: 六代目中村歌右衛門 1966: 七代目尾上梅幸・八代目坂東三津五郎 1969: 十七代目中村勘三郎 1970: 二代目中村鴈治郎 1972: 十三代目片岡仁左衛門 1974: 八代目松本幸四郎 1975: 七代目中村芝翫 1981: 四代目中村雀右衛門 1982: 三代目實川延若 1984: 十七代目市村羽左衛門 1985: 二代目中村吉右衛門 1986: 二代目中村扇雀 1987: 五代目中村富十郎・七代目尾上菊五郎 1988: 片岡孝夫 1989: 十二代目市川団十郎 1990: 八代目中村福助 1991: 九代目坂東三津五郎 1993: 五代目中村松江 1996: 二代目中村又五郎 1999: 五代目中村勘九郎 2001: 六代目沢村田之助 2005: 九代目中村福助 2006: 十代目坂東三津五郎 2007: 五代目中村翫雀 2008: 五代目中村時蔵・五代目中村芝雀 2011: 三代目中村橋之助 2016: 五代目中村歌六・**五代目坂東玉三郎** 2017: 四代目市川左團次 2018: 三代目中村扇雀 2020: 十代目松本幸四郎 2021: 片岡孝太郎 文楽 1944: 二代目豊竹古靱太夫 1950: 四代目鶴沢清六 1963: 八代目竹本綱大夫 1968: 二代目野沢喜左衛門 1972: 六代目鶴沢寛治 1976: 十代目竹沢弥七 1997: 三代目吉田簑助 1998: 七代目竹本住大夫 2003: 九代目竹本綱大夫 2009: 豊竹咲大夫 2010: 三代目桐竹勘十郎 2011: 五代目野沢錦糸 2012: 二代目鶴沢藤蔵 2013: 六代目鶴沢燕三 2014: 吉田玉女 2018: 鶴澤清介 邦楽 1948: 芝祐泰 1953: 三代目常磐津文字兵衛・初代中尾都山 1955: 山田抄太郎 1956: 三代目杵屋栄蔵 1957: 七代目芳村伊十郎 1959: 中能島欣一 1961: 十四代目杵屋六左衛門 1962: 安倍季巌 1968: 清元志寿太夫 1971: 五代目荻江露友 1972: 杵屋六一朗 1974: 中能島慶子 1980: 二代目上原真佐喜 1983: 三代目今藤長十郎 1987: 初代富山清琴 1990: 多忠麿 1991: 二代目青木鈴慕・清元栄三郎 1992: 三代目杵屋五三郎 1993: 四代目常磐津文字兵衛 1994: 山彦節子 1995: 山口五郎 1999: 十五代目杵屋喜三郎 2000: 東儀俊美 2002: 六代目山勢松韻 2002: 初代米川敏子 2003: **芝祐靖**・東音宮田哲男 2004: **鶴沢清治**・川瀬白秋・二代目富山清琴 2007: 唯是震一 2009: 七代目杵屋巳太郎・豊英秋 2010: 二代目今藤政太郎・五代目常磐津文字兵衛 2011: 二代目野坂操寿 2012: **山本邦山**・笠置侃一 2013: 二代目米川文子 2014: 小野功竜 2015: 十二代目都一中・二代目米川敏子 2017: 鳥羽屋里長 2020: 杵屋勝国 洋楽 1943: 井口基成 1948: 藤原義江 1961: 豊増昇 1965: 柳兼子 1966: 団伊玖磨 1967: 渡辺暁雄 1971: 園田高弘 1972: 小沢征爾 1975: 安川加寿子 1976: 朝比奈隆 1979: 江藤俊哉 1980: 武満徹 1986: 山田一雄 1989: 伊藤京子 1990: 三善晃 1991: 東敦子 1992: 若杉弘 1993: 堤剛 1994: 吉田雅夫 1996: 木村俊光 1999: 湯浅譲二 2002: 岩城宏之 2004: 前橋汀子 2005: 内田光子 2006: 畑中良輔 2007: 栗林義信 2009: 中村紘子 2010: 大野和士 2011: 栗山昌良 2013: 飯守泰次郎 2014: 野島稔 2017: 一柳慧 2019: 野平一郎 舞踊 1952: 四代目井上八千代 1957: 二代目花柳寿輔 1963: 六代目藤間勘十郎 1965: 四代目藤間勘右衛門 1966: 八代目坂東三津五郎 1967: 吾妻徳穂 1979: 藤間藤子 1985: 森下洋子 1988: 二代目花柳寿楽 1989: 藤間友章 1990: 三代目花柳寿輔 1991: 十代目西川扇蔵 1992: 花柳寿南海 1997: 七代目藤間勘十郎 1999: 五代目井上八千代 2000: 藤間蘭景 2001: 五代目花柳芳次郎 2002: 二代目尾上菊之丞 2004: 二代目吾妻徳弥 2008: 藤間藤太郎 2015: 山村友五郎 2016: 二代目中村梅弥 2018: 三代目花柳寿楽 2019: 宮城能鳳 2020: 藤間蘭黄 2021: 西川箕乃助 演劇 1948: 杉村春子 1950: 伊藤熹朔 1955: 花柳章太郎 1956: 初代水谷八重子 1959: 小津安二郎 1980: 六代目市川染五郎 |
太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
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芸術家 | MusicBrainz |
人物 | Trove(オーストラリア) 1 |
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