上野村(ウエノソン)はどこ? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

うえのむら 上野村
不二洞
上野村旗 上野村章
日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
多野郡
市町村コード 10366-7
法人番号 8000020103667
面積 181.85km2
総人口 993[編集]推計人口、2025年1月1日)
人口密度 5.46人/km2
隣接自治体 多野郡神流町甘楽郡南牧村埼玉県秩父市秩父郡小鹿野町長野県南佐久郡佐久穂町川上村南相木村北相木村
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上野村役場
村長 [編集]黒澤八郎
所在地 370-1614群馬県多野郡上野村大字川和11番地北緯36度04分59秒 東経138度46分38秒 / 北緯36.08319度 東経138.77731度 / 36.08319; 138.77731座標: 北緯36度04分59秒 東経138度46分38秒 / 北緯36.08319度 東経138.77731度 / 36.08319; 138.77731
外部リンク 公式ウェブサイト
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上野村(うえのむら)は、群馬県の南西部(最南端)に位置する、多野郡に存在する。群馬県で最も人口の少ない自治体かつ(平成27年6月1日現在)[1]関東地方の島嶼部(伊豆諸島小笠原諸島)を除いた最も人口の少ない自治体である。

概要

かつての上野(こうずけ)国にあるが、当村の読みは「こうずけ」でなく「うえの」である。2003年平成15年)4月1日に、中里村神流町に合併してからは、群馬県内で最も人口の少ない地方公共団体となった。人口密度が群馬県内の市町村の中で最も低く、可住地面積割合の7.0%も、群馬県内で最も低い。

日本国政府が推進した「平成の大合併」に対して「合併しない宣言」を出した(他に福島県東白川郡矢祭町宮城県黒川郡富谷町(現富谷市)が同様の宣言を出している)。山間にある過疎地域であるが、2005年上野ダム東京電力神流川発電所が完成し、固定資産税の税収が増加したのに伴い、2006年(平成18年)度から2012年(平成24年)度まで地方交付税の不交付自治体となった[2](ダム完成前の2005年(平成17年)時点の財政力指数は「0.20」と、かなり脆弱な財政だったが、ダム完成後の2007年(平成19年)には、一気に1.27にまで上がり、県内一の高さを誇るようになった。2008年(平成20年)には更に1.73に上昇した[1])。

村域南部には、1985年昭和60年)8月12日に発生した日本航空123便墜落事故の現場である御巣鷹の尾根高天原山)があり、事故当時は上野村消防団が人家のない地域の捜索・救助活動に当たった。当時は無名だった尾根を「御巣鷹の尾根」と命名したのは、元村長の黒澤丈夫である。また村内の楢原地区には、納骨堂や事故に関する展示施設を有する「慰霊の園」がある。

地理

関東地方の市町村では、東京都の島嶼部を除くと最も人口が少なく、唯一1000人を割っている。 群馬県南西部の山間に位置する村落長野県埼玉県と境を接する。村は森林セラピー基地に認定されている。父母トンネルをはさんで、東側に乙母(おとも)、野栗沢(のぐりさわ)、新羽(にっぱ)、勝山(かつやま)、川和(かわわ)、西側に乙父(おっち)、楢原(ならはら)の各大字がある。

歴史

人口

上野村と全国の年齢別人口分布(2005年) 上野村の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 上野村■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性■赤色 ― 女性
上野村(に相当する地域)の人口の推移 1970年(昭和45年) 2,996人 1975年(昭和50年) 2,581人 1980年(昭和55年) 2,309人 1985年(昭和60年) 1,968人 1990年(平成2年) 1,711人 1995年(平成7年) 1,586人 2000年(平成12年) 2,285人 2005年(平成17年) 1,535人 2010年(平成22年) 1,306人 2015年(平成27年) 1,230人 2020年(令和2年) 1,128人
総務省統計局 国勢調査より

交通

湯の沢トンネル

道の駅上野

村内を鉄道路線は走っていない。最寄り駅は、上信電鉄上信線下仁田駅で、乗合タクシーが利用できる。

路線バス

神流川沿いに多野郡内の下流・関東平野にある旧・新町(現・高崎市の飛地)を結ぶ路線が基幹的路線となっている他、山を越えた北方向の甘楽郡下仁田町へ直行する乗合タクシー路線がある。県外路線はない。

道路

一般国道

群馬県道

林道

道の駅

観光地

上野スカイブリッジ

奥神流湖

行事

乃久里神社は上野村新羽字野栗にある野栗集落の鎮守祭神弟橘姫[11]。その昔、姫の一行が神流川を渡ろうとした時、川が急に増水したため姫が裾をからげたところ、陰毛が見えてしまい、慌てて、抱きかかえていた75柱の御子神を川に流してしまった[11]。以来、この御子神のために川瀬で祭を行うようになったのがお川瀬下げ神事の起源と伝わる[11]。また、江戸時代の慶長の頃、新羽の神流川が氾濫した際、橋に33尋(約60m)の長い毛が流れ着き、巫女などに占わせたところ野栗権現が流した陰毛であるとのことから、ありがたく祀り、以降毎年祭礼の際には神輿のあとにこの毛を箱に入れて持ち歩いたという伝説がある[12]。なお、平将門の弟平将平の一族を弔う神社を「野栗」といい、上野(群馬)と武蔵(埼玉)の国境を流れる神流川流域には野栗伝説が今も残る[13]

行政・立法

県議会

議員名 会派名 備考
金沢充隆 つる舞う 党籍は無所属
(神田和生) (自由民主党) 任期途中で議員辞職

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
群馬県第4区(上野村、高崎市〈旧高崎市・新町吉井町〉、藤岡市神流町 福田達夫 自由民主党 5 選挙区

教育

医療

警察

消防

姉妹都市

健康づくりにおける相互応援協定都市

出身有名人

元村長、10期連続無投票当選。元全国町村会会長。元大日本帝国海軍少佐。「平成の大合併」に対して、「経済効率一辺倒で、面積や国土を軽んじている」と批判した。また、日本航空123便墜落事故の対応に尽力した。

ゆかりの有名人

脚注

  1. ^ 行政視察のご案内上野村役場
  2. ^ 平成25年度普通交付税不交付団体一覧表
  3. ^ 上野村 管轄沿革『多野郡誌』(多野郡教育会, 1910)
  4. ^ 『秩父事件佐久戦争: 民衆大学』銀河書房, 1984, p177
  5. ^ 野栗大水災の事『群馬県多野郡誌』(群馬県多野郡教育会, 1927), p892
  6. ^ 上野村に春の訪れ 不二洞弥生祭りYoutube上野村公式チャンネル、2015/03/30
  7. ^ みんなで楽しいひと時 乙父のおひながゆYoutube上野村公式チャンネル、2016/04/19
  8. ^ 伝統受け継ぎ 厳かに 乙父神社 例大祭Youtube上野村公式チャンネル、2016/04/19
  9. ^ 平成26年 中正寺の火渡りYoutube上野村公式チャンネル、2014/05/20
  10. ^ 神流川のお川瀬下げ神事公益財団法人 群馬県教育文化事業団
  11. ^ a b c 乃久里神社のお川瀬下げ神事と小麦団子洞口正史、植物と人々の博物館
  12. ^ 長サ二十丈余りの陰毛が流れつく『物語日本猟奇史 江戸時代篇』 富岡直方 三陽書院 昭和10
  13. ^ 平将平の故跡/5止 「野栗明神」伝承の謎 /埼玉毎日新聞 2019/8/31
  14. ^議員の紹介 勤続年数・年齢順 - 群馬県議会(令和5年4月30日現在)”. www.pref.gunma.jp. 群馬県. 2023年4月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク