読み方:あいづわかまつし会津若松 のこと。Weblio国語辞典では「会津若松市」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

会津若松市(アイズワカマツシ)とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

あいづわかまつし 会津若松市
会津若松城
会津若松市旗1927年4月26日制定 会津若松市章1927年4月26日制定
日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
市町村コード 07202-8
法人番号 9000020072028
面積 382.97km2(境界未定部分あり)
総人口 110,987[編集]推計人口、2025年1月1日)
人口密度 290人/km2
隣接自治体 郡山市喜多方市耶麻郡猪苗代町磐梯町河沼郡会津坂下町湯川村岩瀬郡天栄村南会津郡下郷町大沼郡会津美里町
市の木 アカマツ
市の花 タチアオイ
市の鳥 カッコウ
会津若松市役所
市長 [編集]室井照平
所在地 965-8601福島県会津若松市東栄町3番46号北緯37度29分41秒 東経139度55分47秒 / 北緯37.49483度 東経139.92975度 / 37.49483; 139.92975座標: 北緯37度29分41秒 東経139度55分47秒 / 北緯37.49483度 東経139.92975度 / 37.49483; 139.92975会津若松市役所本庁舎(2022年5月)市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト
■ ― 市 / ■ ― 町・村
地理院地図 Google Bing GeoHack MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
表示ウィキプロジェクト

会津若松市(あいづわかまつし)は、福島県会津地方東部にある。会津地方の中心都市である。計量特定市に指定されている。1899年明治32年)に市制施行。

県内では、郡山市いわき市福島市に次いで4番目に人口が多い。

概要

会津若松市の在る会津盆地は、盆地床が「**あいづだいら (会津平)**」とも呼ばれ、他に喜多方坂下などがある。また、会津盆地から北の飯豊山地を越えると山形県米沢米沢盆地)、東は猪苗代を経て奥羽山脈を越えると中通り地方の郡山 (郡山盆地)、西には野沢などを経て越後山脈を越えると新潟県下越地方新潟市越後平野)が位置しており、各地とは磐越自動車道国道JR磐越西線などによって結ばれ、観光を通じてそれぞれの都市との交流も活発である。会津盆地の南には会津高原と呼ばれる山間地が広がっており、尾瀬などの観光地が点在している。市域の西側を阿賀川が流れているほか、市の東側は猪苗代湖に面している。

江戸時代には会津藩(会津松平氏)23万石の城下町として盛えた[1]。毎年300万人近くの観光客が訪れ、鶴ヶ城飯盛山などの「武家文化・歴史観光」、市街地を中心とした歴史的建造物や飲食店、資料館などの「まちなか観光」、東山温泉芦ノ牧温泉などの「温泉観光」、猪苗代湖西岸などの「自然観光」を柱としている[1]。また、こづゆなどの文化的な特色、赤べこなどに代表される伝統工芸などでも知られる。

会津若松市は2013年(平成25年)2月にスマートシティを施政方針に掲げ[2]、平成30年情報通信月間総務大臣表彰を受けた[3]。スマートシティの先進事例として、2022年(令和4年)6月にデジタル田園都市国家構想推進交付金 Type3に採択され、デジタルサービスの実装を目指している[2]

地理

会津若松市中心部周辺の空中写真。2018年6月14日撮影の60枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

位置

会津若松市は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市で、市街地は会津盆地の南東部に位置する。市域全体では、市街地の南に広がる広大な山地も市域に含まれ、最南端は芦ノ牧温泉などのある大戸岳周辺まで市域に収める。東側は猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町郡山市と接する。北、西は喜多方市など、会津盆地内の市町村と隣接する。

東西に国道49号磐越自動車道JR磐越西線が通っており、南北も国道121号などの道路、会津鉄道会津線などによって周辺地域と結ばれている。これらの会津地方の東西を結ぶ道路と南北を結ぶ道路は会津若松市で交差しており、鉄道でもJR磐越西線、只見線、会津鉄道会津線が集まる会津地方の交通の要衝になっている。

地形

市域の北部、西部、中心部周辺は会津盆地の南東部にあたり、市街地商業地住宅地などのほか、水田が広がる。また、市の南部から北部に阿賀川が流れており、市域東部、南部からは湯川溷川(不動川)、古川などが流れる。市の東部は猪苗代湖に面しているほか、市の南部には山地が広がる。

湖沼

人口

1920年の国勢調査開始移行、1930年代にかけて人口は減少しているがその後は増加に転じ、1990年代まで増加を続けていた。

年齢別人口分布

会津若松市と全国の年齢別人口分布(2005年) 会津若松市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 会津若松市■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性■赤色 ― 女性
会津若松市(に相当する地域)の人口の推移 1970年(昭和45年) 120,839人 1975年(昭和50年) 124,722人 1980年(昭和55年) 130,883人 1985年(昭和60年) 134,912人 1990年(平成2年) 136,336人 1995年(平成7年) 137,065人 2000年(平成12年) 135,415人 2005年(平成17年) 131,389人 2010年(平成22年) 126,220人 2015年(平成27年) 124,062人 2020年(令和2年) 117,376人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体

気候

寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、豪雪地帯に指定されている。年間平均降雪量は328cm程度と、会津地方では少ないほうである。

若松特別地域気象観測所(標高212m、会津若松市材木町)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 13.1 (55.6) 20.2 (68.4) 23.5 (74.3) 30.5 (86.9) 35.6 (96.1) 36.4 (97.5) 37.3 (99.1) 38.5 (101.3) 37.1 (98.8) 31.3 (88.3) 25.7 (78.3) 20.9 (69.6) 38.5 (101.3)
平均最高気温 °C (°F) 2.9 (37.2) 4.0 (39.2) 8.9 (48) 16.6 (61.9) 22.7 (72.9) 26.0 (78.8) 29.2 (84.6) 30.8 (87.4) 26.1 (79) 19.5 (67.1) 12.2 (54) 5.7 (42.3) 17.1 (62.8)
日平均気温 °C (°F) −0.3 (31.5) 0.1 (32.2) 3.7 (38.7) 10.1 (50.2) 16.2 (61.2) 20.5 (68.9) 24.0 (75.2) 25.2 (77.4) 20.8 (69.4) 14.1 (57.4) 7.4 (45.3) 2.2 (36) 12.0 (53.6)
平均最低気温 °C (°F) −3.4 (25.9) −3.5 (25.7) −0.7 (30.7) 4.3 (39.7) 10.3 (50.5) 15.9 (60.6) 20.1 (68.2) 20.8 (69.4) 16.6 (61.9) 9.8 (49.6) 3.3 (37.9) −0.9 (30.4) 7.7 (45.9)
最低気温記録 °C (°F) −14.4 (6.1) −15.2 (4.6) −11.9 (10.6) −4.6 (23.7) −1.2 (29.8) 6.9 (44.4) 9.1 (48.4) 10.3 (50.5) 4.8 (40.6) −1.5 (29.3) −5.9 (21.4) −14.4 (6.1) −15.2 (4.6)
降水量 mm (inch) 102.4 (4.031) 69.2 (2.724) 77.5 (3.051) 63.1 (2.484) 75.8 (2.984) 108.6 (4.276) 196.4 (7.732) 139.1 (5.476) 124.0 (4.882) 112.6 (4.433) 75.5 (2.972) 108.7 (4.28) 1,253 (49.331)
降雪量 cm (inch) 121 (47.6) 90 (35.4) 41 (16.1) 3 (1.2) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 1 (0.4) 72 (28.3) 328 (129.1)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 19.0 16.1 16.6 12.0 11.4 12.2 15.2 12.6 12.4 12.4 15.1 18.3 173.2
平均降雪日数 (≥1 cm) 19.1 16.3 7.7 0.6 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.3 10.1 54.2
% 湿度 82 79 74 67 67 73 79 77 79 80 83 84 77
平均月間日照時間 78.0 99.0 144.0 172.0 201.2 165.3 156.9 195.1 141.8 122.1 89.1 67.1 1,631.6
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1953年-現在)[4][5]

歴史

江戸時代まで

市内一箕町にある大塚山古墳は4世紀後半に造営されたものである。出土品の三角縁神獣鏡は畿内で鋳造されたものと同一と推定されている。

都市としての会津若松市の起源は、1384年至徳元年)の、蘆名直盛による黒川城(若松城)築城に遡る。以降、城下町「黒川」は、戦国大名蘆名氏の領国支配の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていった。

若松城の加藤家入若期、保科家入若期、享保期を示した加藤長四郎の作品、1920年(大正9年)

1589年天正17年)、伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が蘆名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地とした。しかし翌1590年(天正18年)、豊臣秀吉奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封した。氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。7層の天守(現存する5層の復元天守は寛永年間に改築されたものを元にしている)を有するこの城は、氏郷の幼名にちなみ、また蒲生家の舞鶴の家紋にちなんで鶴ヶ城と名付けられ、また築城と同時に城下町の開発も実施した。具体的には、旧領の日野、松阪の商人の招聘、定期市の開設、楽市・楽座の導入、手工業の奨励等により、江戸時代の会津藩の発展の礎を築いた[6][7]。 氏郷の死後、上杉景勝が入封するが、関ヶ原の戦い徳川家康に敵対して敗れ、米沢へ移封となった。その後、蒲生秀行加藤嘉明などの領主を経て、1643年徳川秀忠の子保科正之が入封して会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として栄えた。

幕末から太平洋戦争まで

1862年文久2年)、会津藩松平容保京都守護職に任ぜられ、尊王攘夷志士の取り締まりや京都治安維持を担ったが、長州藩を筆頭とする倒幕派(後に明治政府軍となる)の恨みを買うことになった。1868年慶応4年)に戊辰戦争が勃発すると、会津藩は攻撃の対象とされた(会津戦争)。明治政府軍は若松城下にまで侵攻し、白虎隊の自刃などの悲劇が起きた。 市街地は、1866年(慶応2年)の大火で数千戸の規模で焼失しており[8]、戦火も重なり城下町の大半が灰燼に帰した。

戊辰戦争で攻撃を受けた若松城(1868年)

戊辰戦争で敗れた結果、会津若松は明治政府の直轄地となり、民政局が設置された。翌1869年に民政局が廃止されて若松県が設置され、県庁は最初、大町の融通寺に、次に旧若松城本丸に置かれた。明治4年7月14日(1871年8月29日)の全国的な廃藩置県により、引き続き若松県が設置され、会津若松は若松県の県庁所在地となった。しかし、1876年(明治9年)8月21日には若松県、福島県(1876年以前)、磐前県の3県が合併されて現在の福島県が成立し、これ以降は福島県に入れられている。

1889年、北会津郡若松町となり、1899年、県内初の市制施行により「若松市」となった。この年の人口は3万0,488人であった。1890年に私立会津中学校が開校。後に県立に移管され福島県立会津中学校となり、現在の福島県立会津高等学校に至る。1899年(明治32年)7月15日、岩越線(現在の磐越西線)が若松駅(現在の会津若松駅1917年(大正6年)4月21日に改称)まで開通する。磐越西線は1914年(大正3年)11月1日新津まで全通した。

1908年日露戦争に伴って新設された第13師団歩兵第65連隊が若松に置かれ、現在の会津若松市立第二中学校の敷地が衛戍地とされた。同連隊は1925年宇垣軍縮に伴って廃止され、代わって第2師団歩兵第29連隊仙台から移動する。その後、1937年日中戦争を契機に歩兵第65連隊も復活した。歩兵第65連隊は南京攻略戦などに参加。歩兵第29連隊はガダルカナル島の戦いに投入され大きな損害を受けている。

1930年(昭和5年)頃の若松市街。白木屋漆器店発行。

1902年(明治35年)1月1日開業の会津電力株式会社により電力の供給が開始されたほか、1929年(昭和4年)4月1日には水道給水が開始された。また、1934年(昭和9年)3月5日の東京への電話開通など、この時期には近代化が進む。また、1932年(昭和7年)10月19日御薬園(会津松平氏庭園)、1934年(昭和9年)12月28日には若松城址が国の史跡に指定されたほか、1937年(昭和12年)4月1日には現在の市役所庁舎が完成している。

太平洋戦争後

太平洋戦争では会津若松は空襲を免れた。1945年(昭和20年)9月23日 - 市内にアメリカ軍2000人が進駐[9]1946年(昭和21年)には、神明通りが開通、1947年(昭和22年)には会津若松商工会議所の設立が認可。同年、市内に昭和天皇の戦後巡幸[10]1953年(昭和28年)10月3日には会津まつりが開催されるなど、戦後復興を遂げていく。

1955年(昭和30年)には周辺の7村を編入し、この時に市名を「若松市」から現在の「会津若松市」に変更した。市名の変更は、福岡県若松市1914年(大正3年)市制。現在の北九州市若松区)との混同の回避を目的として行われたもので、先に市制を敷いた市が改名した、唯一の例である。改名前には、電信・電話・郵便等において両市が混同されることが多く、郵便物にいたっては日平均50通、多い日では100通もの誤配があったという(『町村合併の記録』福島県総務部地方課 (1958) )。福岡県の若松市は、1963年(昭和38年)2月10日門司市小倉市戸畑市八幡市と合併されて北九州市となったため、福岡県の「若松市」は消滅したが、会津若松市はその後も「会津」を頭に付けた市名のまま現在に至っている。

1961年(昭和36年)頃の会津若松市街。塔文社発行。

1961年(昭和36年)には人口が10万人を突破し、1965年(昭和40年)から住居表示実施により、順次、旧町名が新町名に変更される。また、1965年(昭和40年)9月17日には鶴ヶ城の天守閣再建工事が落成する。1989年(平成元年)には会津若松市観光公社が設立され、観光業も発展していく。

その後は1993年(平成5年)4月14日には会津大学が開校し、1992年(平成4年)10月29日会津若松ICを含む区間が開通していた磐越自動車道1997年(平成9年)10月1日に全線(いわき - 新潟)開通し、交通網の充実が図られた。

2011年(平成23年)3月12日福島第一原子力発電所事故により、原発所在地である大熊町の町役場の機能が会津若松に移転した(大熊町役場会津若松出張所)。

行政区域の変遷

住居表示後に消滅した町名

1965年(昭和40年)から住居表示実施により、順次、旧町名が現在の新町名に変更されていった。旧町名のうち、1877年(明治10年)までに成立していた町で、1889年(明治22年)に北会津郡若松町として合併した町を列記する。

大町竪町、大町一之町、大町ニ之町、大町ニ之竪、大町三之町、大町原之町、大町三四之竪、大町四之町、大町名子屋町、道場小路町、原之町、紺屋町、甲賀町、馬場上一之町、馬場下一之町、馬場一之竪町、馬場上ニ之町、馬場下二之町、馬場二之竪町、馬場上三之町、馬場下三之町、馬場三之竪町、馬場上四之町、馬場下四之町、馬場四之竪町、馬場上五之町、馬場下五之町、馬場名子屋町、大工町、博労町、上四之町、本六日町、上一之町、上六日町、上二之町、下野伏町、上五之町、行人町、中六日町、上野伏町、屋敷町、本郷町、竪三日町、寺町、東名子屋町、五軒町、横三日町、鳥居町、槻木町、阿弥陀町、愛宕町、浄光寺町、台之町、南横町、天寧寺町、徒之町、滝沢町、千石町、蚕養町、桂林寺町、老町、赤井町、諏訪四ツ谷、当麻町、当麻中町、善久町、針屋町、川原町、材木町、融通寺町、七日町、北小路町、西名子屋町、針屋名子屋町、上大和町、中大和町、下大和町、後之分町、栄町字郭内、栄町字栄町一丁目、栄町字栄町二丁目、栄町字新栄町、栄町字栄町三丁目、栄町字栄町四丁目、栄町字本三之丁、栄町字本一之丁、栄町字融通寺町口、栄町字川原町口、栄町字米代二之丁、栄町字米代四之丁、栄町字十八蔵、栄町字割場、栄町字追手前、栄町字塀内、栄町字本二之丁上、栄町字天寧寺町口、栄町字宝積寺通、栄町字内小田垣、栄町字鶴ヶ城、新横町、片柳町、南町

地域

なお、会津若松市では公式の町名はすべて「まち」と読み、「ちょう」は使用しない。

その他の地域

行政

市長

歴代市長

(旧若松町長) 海老名季昌
初代 秋山清八 1899年7月26日 - 1902年3月26日
2代 齋藤庸 1902年5月15日 - 1903年9月23日
3代 佐治幸平 1903年11月26日 - 1906年9月15日
4代 松本時正 1906年10月15日 - 1912年10月10日
5代 小野木源次郎 1912年12月25日 - 1914年6月18日
6代 秋山清八 1914年7月29日 - 1915年5月7日
7,8代 松本時正 1915年6月21日 - 1922年5月15日
9代 松江豊寿 1922年12月27日 - 1925年11月12日
10代 佐藤佐吉 1926年7月28日 - 1926年11月28日
11代 穴澤義弘 1927年2月16日 - 1931年2月15日
12代 佐藤佐吉 1931年6月29日 - 1933年6月27日
13代 須藤素 1933年10月7日 - 1934年12月6日
14代 佐瀬剛 1935年2月22日 - 1939年2月21日
15代 鈴木寅彦 1939年5月1日 - 1941年9月18日
16代 高山輝義 1942年7月1日 - 1945年11月5日
17代 江花静 1945年12月11日 - 1947年4月4日
18代 小日山武夫 1947年4月15日 - 1948年2月14日
19代 横山武 1948年3月28日 - 1952年3月27日
20代 村井八郎 1952年3月28日 - 1956年3月27日
21-23代 横山武 1956年3月28日 - 1968年3月27日
24-26代 高瀬喜左衛門 1968年3月28日 - 1980年3月27日
27代 桜木幸次 1980年3月28日 - 1983年5月9日
28代 猪俣良記 1983年6月26日 - 1987年6月25日
29代 早川広中 1987年6月26日 - 1991年6月25日
30-31代 山内日出夫 1991年6月26日 - 1999年3月31日
32-34代 菅家一郎 1999年4月25日 - 2011年8月6日
35-37代 室井照平 2011年8月7日 -

市役所・市民センター

会津若松市役所本庁舎旧館(1937年竣工)

1937年に供用を開始した。2017年からの7次総合計画において、本庁舎旧館保存活用計画及び庁舎整備行動計画が立案された。(現在改築中)

2008年5月28日に、フリーかつオープンソースオフィスソフトOpenOffice.org」を会津若松市役所に全庁的に導入することを発表した[13]。これは、福島県内市町村では初めてとなるものである。その後、2012年2月にMicrosoft Officeとの互換性が高いことやバージョンアップが活発であることを理由にOpenOffice.orgの派生ソフトウェアである「LibreOffice」へ移行した[14]

設計:古市徹雄/古市徹雄都市建築研究所、福島県建築文化賞優秀賞受賞作品

市役所の組織

一部事務組合等

国の機関

裁判所

福島県庁の機関

これらは、いずれも会津若松合同庁舎内にある。

大熊町役場の機関

議会

市議会

会派名 議席数 議員名
市民クラブ 11 平田久美、柾谷奈津子、小倉孝太郎、髙橋義人、清川雅史、石田典男、中川廣文、長谷川純一、小畑匠、大竹俊哉、戸川稔朗
フォーラム会津 5 笹内直幸、内海基、長郷潤一郎、古川雄一、渡部認
公明党 3 大島智子、奥脇康夫、大山亨子
創風あいづ 3 吉田恵三、村澤智、横山淳
立憲連合 3 丸山さよ子、松崎新、高梨浩
(2人以下の会派) 3 原田俊広(日本共産党会津若松市議団)成田芳雄(夢クラブ)譲矢隆(社会民主党・市民連合)

※2024年1月24日現在。

福島県議会

氏名 会派名 当選回数 備考
水野さち子 日本維新・無所属の会 3 党籍は無所属
佐藤義憲 自由民主党福島県議会議員会 3
佐藤郁雄 自由民主党福島県議会議員会 2
宮下雅志 県民連合議員会 5 党籍は立憲民主党

※2024年1月24日現在。

衆議院

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
小熊慎司 53 立憲民主党 76,683票
比当 菅家一郎 66 自由民主党 73,784票

対外関係

国内の姉妹都市・友好都市

国外の姉妹都市・友好都市

友好都市提携の申し入れを拒否した経過のある都市

災害時相互応援協定都市

経済

中心市街地のメインストリートは中央通り神明通りなどがある。神明通りは商店街であり、このメインストリートを軸に中小の商店が列んでいる。しかし、全国規模の郊外型大型店の相次ぐ進出により、市街地中心部では空き店舗が目立つようになった。そのような中で、中心市街地のひとつである七日町通りでは、市からの補助金制度を作り古い街並みの保存や復旧に取り組むことで、新たな観光資源としての町づくりを行なっている。

(以下の生産額は、すべて2006年度のもの)

第一次産業

市域北部、西部などには水田が広がっており、稲作が盛んである。

第二次産業

第三次産業

会津若松市内の主な百貨店・複合商業施設・大型ショッピングセンター

スーパーマーケットは、神明通りに本社があるリオン・ドールをはじめ、ヨークベニマルコープあいづ、コンビニエンスストアはセブン-イレブンをはじめ、ファミリーマートローソンが出店している[17]。かつては百貨店(中合会津店)が存在したが、2010年2月28日で閉店している。

金融機関

郵便

学校

日本初のコンピュータ理工系大学、会津大学

大学・短期大学

高等学校

公立

私立通信制

中学校

公立

私立

小学校

市立

私立

義務教育学校

特別支援学校

大熊町立学校

福島第一原子力発電所事故のために市内に設立された大熊町立学校の分校。

施設

福島県立博物館

図書館

ホール

會津稽古堂

博物館

(福島県の歴史、自然、民俗など)

医療機関

メディア

テレビ局

ラジオ局

コミュニティ情報誌

交通

会津若松駅

当地は会津盆地の交通の中心でもあり、陸奥国の南の要衝であった。

鉄道

東日本旅客鉄道(JR東日本)

会津鉄道

代表駅である会津若松駅は、市街地の北部に設置されている。

バス

市内で運転されるバス、ハイカラさん

路線バスは、市内では会津乗合自動車(会津バス)グループ1社のみにより運行されており、会津若松駅前には路線バスのバスターミナルがある。そのほか観光客などに向けたバスとして、会津若松駅、七日町鶴ヶ城御薬園東山温泉飯盛山などを結ぶまちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)が運行されている。2023年12月より市内において実証運行されていたリクエスト型最適経路バス「MyRideどこでもバス」が2025年2月1日からは本格運行に移行した[18]

高速バス路線

磐越自動車道沿線

福島駅・仙台空港・仙台駅方面

東京方面

タクシー

会津若松市拠点の主なタクシー会社

空港

市内に空港は無い。 会津若松市から利用される空港

道路

高速道路

国道

主要地方道

一般県道

道路通称名

詳しくは福島県内の通りを参照されたし。

文化

会津秋祭りで賑わう神明通り

会津若松のソースカツ丼

起き上がり小法師

会津若松は長い歴史と風土から伝統ある文化を持ち、現在では会津若松の観光産業をも担っている。

祭事

食文化

名産品

会津若松を舞台とした作品

観光

2006年特急あいづ

旧滝沢本陣

御薬園

蚕養国神社

会津若松市は、その歴史的経緯、文化的特色から観光業が盛んで、多くの観光客が訪れる。2005年以降、会津ディスティネーションキャンペーンなどの観光キャンペーンが行われており、新宿駅上野駅からJR東北本線磐越西線などを経由する直通の特急列車"あいづ"号を運行するなどしている。

観光地

温泉

寺院

神社

人物

著名な出身者

歴史上の人物

政治・行政・司法

外交官

軍事

学術・教育・文芸

経済

芸能

マスコミ・言論界

スポーツ

その他

縁の有る人物

脚注

  1. ^ a b 観光の概要(会津若松市)2024年9月22日閲覧。
  2. ^ a b スマートシティ会津若松共創会議について(会津若松市)2024年9月22日閲覧。
  3. ^ 平成30年度「電波の日・情報通信月間」記念中央式典における表彰 - 平成30年5月29日、総務省
  4. ^平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年4月閲覧。
  5. ^観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年4月閲覧。
  6. ^ 『福島県史』
  7. ^ 野口『シリーズ藩物語、会津藩』、P15
  8. ^ 池田正一郎『日本災変通志』新人物往来社、2004年12月15日、717頁。ISBN 4-404-03190-4
  9. ^ 日置英剛『年表 太平洋戦争全史』国書刊行会、2005年10月31日、764頁。ISBN 978-4-336-04719-9
  10. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、424頁。ISBN 978-4-487-74410-7
  11. ^ 『日本の歴代市長』(第一巻)「秋山清八」
  12. ^学校の沿革”. 福島県立会津高等学校. 2017年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月20日閲覧。
  13. ^無償オフィスソフトウェアの全庁導入について』(PDF)(プレスリリース)会津若松市総務部情報政策課、2008年5月28日。http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/_files/00036078/20080528_openoffice_1.pdf
  14. ^ 高橋信頼 (2012年2月20日). “会津若松市がOpenOffice.orgからLibreOfficeに移行”. ITpro. 2012年2月20日閲覧。
  15. ^会津オリンパス株式会社”. 2018年7月8日閲覧。
  16. ^内視鏡リーディングカンパニーとして盤石な体制構築〜世界最先端技術を備えた「会津オリンパス」拡張』(プレスリリース)オリンパス、2007年8月8日。http://www.olympus.co.jp/jp/news/2007b/nr070808aizuj.cfm
  17. ^ 2013年から2022年までは、市内にミニストップも出店していた。
  18. ^ 【2月1日】MyRideどこでもバス本格運行における変更点について
  19. ^保志総一朗のアニメキャラ・最新情報まとめ”. アニメイトタイムズ. 2020年10月31日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、**会津若松市**に関連するカテゴリがあります。

会津坂下町 湯川村 喜多方市 磐梯町 猪苗代町
会津美里町 (猪苗代湖)
会津若松市
下郷町 天栄村 郡山市