伝兵衛(でんべえ)の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
この項目では、ロシアを訪れた日本人漂流民について説明しています。「伝兵衛」とも呼ばれる江戸時代の和算家については「橋本正数」をご覧ください。 |
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伝兵衛の署名した文書
伝兵衛(でんべえ、1670年? - 1714年?)は、江戸時代中期の漂流者。記録に残る中では最初にロシアを訪れた日本人漂流民で、ロシアで日本語を教えた最初の日本人とされる[1]。
生涯
大坂谷町の質屋の息子だった伝兵衛は、1696年、海路で江戸に向かう途中嵐に遭い、漂流の後カムチャツカ半島に漂着したが現地民に捕えられる。1697年にロシア人ウラジーミル・アトラソフ(ロシア語: Владимир Васильевич Атласов、英語ラテン翻字: Vladimir Atlasov)の探検隊に発見された。その後、ロシア帝国のモスクワに連れて行かれ、ピョートル1世に謁見した。さらに、ロシアにおける最初の日本語教師となった。また日本人初の正教徒となった[2]。
脚注
- ^ "でんべえ【伝兵衛】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-01-15)
- ^ みなもと太郎の漫画作品『風雲児たち』の中で、ピョートル1世は日本との交易を模索しており、日本語の通訳を欲していたため、その育成のために伝兵衛を日本へ帰国させるのを阻止するという理由で、当時キリスト教は日本では禁教となっていたので、帰国できないよう洗礼を受けさせ正教徒にしたのではないかと描かれている。
関連項目
外部リンク
- 伝兵衛友の会(大阪市)、生田美智子(大阪外語大教授) (2002年3月23日). "『ロシアへ渡った日本人漂流民』シンポジウムレポート内、『日露文化交流に大きな位置』". 石巻若宮丸漂流民の会. 2016年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月22日閲覧。