読み方:わこう13世紀から16世紀にかけて、朝鮮および中国大陸沿岸に出没し、略奪行為や密貿易を行った海賊集団に対する朝鮮・中国側の呼称のこと。Weblio国語辞典では「倭寇」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

「倭寇(ワコウ)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

倭寇

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海帝」の記事における「倭寇」の解説

主に13世紀から16世紀にかけて活動した日本海賊中国東南朝鮮半島沿岸部をたびたび荒らし、ひどく恐れられた。大きく前期後期とに分けられ後期の倭寇には中国系や朝鮮系の者がかなり多く、これらは「偽倭」(偽の倭寇)と呼ばれた

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倭寇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:22 UTC 版)

海賊」の記事における「倭寇」の解説

詳細は「倭寇」を参照 倭は日本のこと。14世紀16世紀二度の波に分かれて中国・朝鮮沿岸襲いそれぞれ前期倭寇後期倭寇という。前期日本人中心だったが、後期には明の海禁政策から逃れた中国人多くなり、日本人の他にポルトガル人なども含まれていた。

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倭寇

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日朝関係史」の記事における「倭寇」の解説

日本の南北朝時代から室町時代朝鮮高麗から朝鮮王朝にかけては倭寇と呼ばれる海上勢力活発になり、中国朝鮮半島沿岸海賊密貿易行った14世紀から15世紀にかけての倭寇は前期倭寇とも呼ばれる。倭寇の原因としては、各国治安悪化貿易政策あげられる日本鎌倉幕府の滅亡後は南北朝分裂応仁の乱などで政情が不安定であり、高麗では元軍による占領影響国内疲弊していた。このため両国では海域治安維持できなかった。中国では元のあとに建国された明が海禁政策行ったため、沿岸商人密貿易海賊行為手を出していた。倭寇は日本人朝鮮人、のちの16世紀には中国人ポルトガル人混在した。 「倭寇」という文字は、古く高句麗好太王碑見られる中世における倭寇と同様の用例は元の時代からであり、藤原定家は『明月記』で、松浦党高麗攻撃したために高麗恨みを買うことを憂慮している。『高麗史』には、忠定王時代に倭寇の襲撃始まったという記録があり、日本では観応の擾乱起きていた時代にあたる。倭寇が固城竹林巨済合浦などに侵入して高麗の崔禅らが迎撃しており、「倭寇の侵」の始まりとしている。前期倭寇拠点対馬壱岐松浦済州島舟山列島であり、襲撃した土地人間拉致して強制的に部下にする場合もあった。14世紀の倭寇は、米穀など必需品狙っており、次第大規模となって高麗首都開京付近に迫った経光の誘殺未遂事件による倭寇の活動活発化指摘されている。高麗では、倭寇の略奪から防ぐために政府倉庫内陸移して全羅道楊広道の沿岸は生活に適さない地域となった沿岸部荒廃して人口減少すると、倭寇は騎馬隊でさらに内陸へと侵攻して、高麗差別されていた水尺才人中にも倭寇に参加する者が出た

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倭寇

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日本とフィリピンの関係」の記事における「倭寇」の解説

1571年スペイン人調査報告によると、日本人海賊密貿易商人支配する植民地マニラカガヤン・バレー地方、コルディリェラ、リンガエンバターン、カタンドゥアネスにあったマニラの戦い (1574)カガヤンの戦い (1582)影響力低下したが、倭寇の貿易ネットワークフィリピン北部に及ぶ大規模なのだったイエズス会は倭寇を恐れており、1555年書かれ手紙の中で、ルイス・フロイスは、倭寇の一団から身を守るために、宣教師たち武器に頼らざるを得なかったことを語っている。 日本人によるフィリピン侵略恐れについて書かれ最古のものは1586年評議会メモリアルである。マニラでは日本人の倭寇が単なる略奪上の野心持っているかもしれない推測されており「彼らはほとんど毎年下山しルソン植民地にするつもりだと言われている」と警鐘鳴らしていた。

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倭寇

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イノセント・ヴィーナス」の記事における「倭寇」の解説

司馬 虎二(しば とらじ) 声 - 石川英郎 29歳海賊「倭寇」の頭領ロゴス出身海賊服の下に白装束死に装束)を纏い帯刀もしている。九州でのAUとの戦いでグラディエーター搭乗新造艦いしんの試験航行オブザーバーとして乗艦していたが、事故装ってファントム離脱するパワードスーツ着たに対して生身有利に戦えるほどの実力持ち主ゴンザ 声 - 平田広明 27歳海賊一人。高いハッキング技術を持つ。 ヒジン 声 - 朴璐美海賊姉御肌であり、サブリーダー的な立場司馬支えている。司馬からはなぜか「おりょう」と呼ばれている。

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倭寇

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高雄の歴史」の記事における「倭寇」の解説

明代の倭寇は活発に活動し林道乾の後、万暦年間水師三度台湾に倭寇討伐軍を派遣している(1574年1603年および1617年)。1603年万暦31年)には沈有容将軍派遣した際、従軍した陳第により『東番記』が表され高雄打狗嶼と初め記録し、また当時原住民の生活情況記録している。

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