「倭寇(ワコウ)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
倭寇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 04:54 UTC 版)
主に13世紀から16世紀にかけて活動した日本の海賊。中国東南と朝鮮半島の沿岸部をたびたび荒らし、ひどく恐れられた。大きく前期と後期とに分けられ、後期の倭寇には中国系や朝鮮系の者がかなり多く、これらは「偽倭」(偽の倭寇)と呼ばれた。
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倭寇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:22 UTC 版)
詳細は「倭寇」を参照 倭は日本のこと。14世紀、16世紀の二度の波に分かれて中国・朝鮮の沿岸を襲い、それぞれ前期倭寇、後期倭寇という。前期は日本人が中心だったが、後期には明の海禁政策から逃れた中国人が多くなり、日本人の他にポルトガル人なども含まれていた。
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倭寇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
日本の南北朝時代から室町時代、朝鮮の高麗から朝鮮王朝にかけては倭寇と呼ばれる海上勢力が活発になり、中国や朝鮮半島の沿岸で海賊や密貿易を行った。14世紀から15世紀にかけての倭寇は前期倭寇とも呼ばれる。倭寇の原因としては、各国の治安悪化や貿易政策があげられる。日本は鎌倉幕府の滅亡後は南北朝の分裂や応仁の乱などで政情が不安定であり、高麗では元軍による占領の影響で国内が疲弊していた。このため両国では海域の治安を維持できなかった。中国では元のあとに建国された明が海禁政策を行ったため、沿岸の商人が密貿易や海賊行為に手を出していた。倭寇は日本人、朝鮮人、のちの16世紀には中国人やポルトガル人も混在した。 「倭寇」という文字は、古くは高句麗の好太王碑に見られる。中世における倭寇と同様の用例は元の時代からであり、藤原定家は『明月記』で、松浦党が高麗を攻撃したために高麗の恨みを買うことを憂慮している。『高麗史』には、忠定王の時代に倭寇の襲撃が始まったという記録があり、日本では観応の擾乱が起きていた時代にあたる。倭寇が固城・竹林・巨済・合浦などに侵入して高麗の崔禅らが迎撃しており、「倭寇の侵」の始まりとしている。前期倭寇の拠点は対馬、壱岐、松浦、済州島、舟山列島であり、襲撃した土地の人間を拉致して強制的に部下にする場合もあった。14世紀の倭寇は、米穀など必需品を狙っており、次第に大規模となって高麗の首都開京付近に迫った。藤経光の誘殺未遂事件による倭寇の活動の活発化も指摘されている。高麗では、倭寇の略奪から防ぐために政府の倉庫を内陸へ移して、全羅道や楊広道の沿岸は生活に適さない地域となった。沿岸部が荒廃して人口が減少すると、倭寇は騎馬隊でさらに内陸へと侵攻して、高麗で差別されていた水尺や才人の中にも倭寇に参加する者が出た。
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倭寇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:09 UTC 版)
「日本とフィリピンの関係」の記事における「倭寇」の解説
1571年のスペイン人の調査報告によると、日本人の海賊、密貿易商人が支配する植民地はマニラ、カガヤン・バレー地方、コルディリェラ、リンガエン、バターン、カタンドゥアネスにあった。マニラの戦い (1574)、カガヤンの戦い (1582)で影響力は低下したが、倭寇の貿易ネットワークはフィリピン北部に及ぶ大規模なものだった。イエズス会は倭寇を恐れており、1555年に書かれた手紙の中で、ルイス・フロイスは、倭寇の一団から身を守るために、宣教師たちが武器に頼らざるを得なかったことを語っている。 日本人によるフィリピン侵略の恐れについて書かれた最古のものは1586年の評議会メモリアルである。マニラでは日本人の倭寇が単なる略奪以上の野心を持っているかもしれないと推測されており「彼らはほとんど毎年下山しルソンを植民地にするつもりだと言われている」と警鐘を鳴らしていた。
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倭寇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 15:50 UTC 版)
「イノセント・ヴィーナス」の記事における「倭寇」の解説
司馬 虎二(しば とらじ) 声 - 石川英郎 29歳。海賊「倭寇」の頭領。ロゴス出身。海賊服の下に白装束(死に装束)を纏い、帯刀もしている。九州でのAUとの戦いではグラディエーターに搭乗。新造艦いしんの試験航行にオブザーバーとして乗艦していたが、事故を装ってファントムを離脱する。パワードスーツを着た丈に対して、生身で有利に戦えるほどの実力の持ち主。 ゴンザ 声 - 平田広明 27歳。海賊の一人。高いハッキング技術を持つ。 ヒジン 声 - 朴璐美 女海賊。姉御肌であり、サブリーダー的な立場で司馬を支えている。司馬からはなぜか「おりょう」と呼ばれている。
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倭寇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 03:07 UTC 版)
明代の倭寇は活発に活動し、林道乾の後、万暦年間に水師は三度台湾に倭寇討伐軍を派遣している(1574年、1603年および1617年)。1603年(万暦31年)には沈有容将軍を派遣した際、従軍した陳第により『東番記』が表され、高雄を打狗嶼と初めて記録し、また当時の原住民の生活情況を記録している。
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