「客観的(きゃっかんてき)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)
読み方:きゃっかんてき
「客観的」とは、当事者でない第三者の観点から物事を見て判断するさま、または、第三者が妥当と判断できるだけの根拠があるさま、を意味する表現である。もっぱら「主観的」と対比される。
「客観的」には「事実や世論などの第三者の観点を基準とする」「個人の立場・感情・解釈・経験・嗜好といった主観に依拠する要因を一切排除する」という意味合いが含まれる。
主観的な判断は、人それぞれであるため、人によって意見が分かれたり利害が対立したりすることも多い。公平性が重視される協議の場や、学問などの普遍性が重視される分野においては、情報や判断が客観的であることが大前提として求められる。
客観的な情報や判断は、公平、普遍的、あるいは、常識的である。ただし個人が本質的な意味における「客観」を行うことは不可能であり、ただ「できるだけ主観を排除して客観を心がける」ことが可能であるにすぎない。
「客観的」の意味をわかりやすく言うと
要するに「客観的」とは、自分や特定の個人の事情や意見にとらわれず、「周りの人がどう判断するか」あるいは「周りの人も同じように判断できるか」という観点で物事を捉える、ということである。
個人の感想・印象・好き嫌いは「主観的な判断」である。「何も事情を知らない周りの多くの人はこう感じるだろう」という物の見方は「客観的な判断」である。計測して得られた数値は「客観的なデータ」である。
「客観的」の語源・由来
「客観(的)」という言葉は、文明開化を経て西欧から伝来した概念の訳語として考案された「和製漢語」である。おそらく英語の object (ドイツ語の Objekt)の訳語であろう。
漢字の「客」は「主」の対義語としての意味を持つ。「主」は「自己そのもの」であり、働きかける主体である。「客」は「主体の外側」にあるものを意味する字として対比できる。
「客観的」の類語
「客観的」の類語は、文脈にもよるが、「公平」「平等」「中立的」「俯瞰的」「第三者的」などの表現が挙げられる。
「公平」や「平等」「中立的」は、偏りがない、差別がない、えこひいきしない、という意味のある表現である。つまり「誰かに肩入れしたくなるような主観を排除した判断」という意味で「客観的」の言い換え表現として使える。
「俯瞰的」は、「広い視野を持って(巨視的に)物事を捉えるさま」を形容する表現である。広い視野を持つということは、個人の(主観的な)視野を超えて第三者の観点で物事を捉えるということであり、おのずから客観的な性質を帯びる。
「客観的」の対義語
「主観的」は「主観に基づいているさま」を意味する語であり、「当事者個人の感情や経験などに基づく判断や考え方」を形容する言葉である。主観的な情報は、「他の誰か(客観的な第三者)」や「事実やデータ(客観的な情報)」とは食い違うこともある。
「客観的」の対義語である「主観的」が、「主観にしか立脚できず客観視できない」という状況であるならば、「視野狭窄的」とも表現しうる。この場合「視野狭窄的」は「客観的」の対義語として位置づけられる。
「客観的」を含む熟語・言い回し
「客観的に(~する)」
「客観的に」とは、「個人の好みとは無関係に、誰から見ても納得できるような形で(行う)」、という意味で用いられる表現である。
「自分を客観的に見る」
「自分を客観的に見る」とは、自分の好みや考え方をできるだけ遠ざけて、できるだけ第三者の目線で、冷静に自分の性格・能力・傾向などを観察・分析するということである。認知心理学における「メタ認知」の分かりやすい言い方として用いられることも多い。
自分を客観的に見る能力がある程度あると、自己評価と周りの評価とのギャップに気づいたり、自らの長所・短所・改善できる点を発見できたり、自己を適切に抑制できたり、といった点につながりやすく、自己肯定感の向上や社会との協調の円滑化が図りやすくなる。