小縣裕介とは - わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

おがた ゆうすけ小縣 裕介
プロフィール
愛称 ガッチ
出身地 日本 新潟県長岡市生まれ、兵庫県西宮市、同神戸市北区育ち
生年月日 (1971-09-29) 1971年9月29日(53歳)
最終学歴 関西学院大学経済学部
勤務局 朝日放送テレビ
職歴 ゼネラルアナウンサー(2017.2 - 2021.6)アナウンス部長待遇(2021.6 - )
活動期間 1994年 -
ジャンル ニュースキャスタースポーツ中継ラジオパーソナリティ
配偶者 武田和歌子(ABCアナウンサー)
公式サイト 小縣裕介のアナウンサープロフィール
出演番組・活動
出演中 おはようパーソナリティ小縣裕介ですスポーツ実況(主に野球・サッカー・ゴルフ)
出演経歴 NEWSゆう+ABCミュージックパラダイスおっちゃんラジオ(火曜パーソナリティ)小縣裕介のナイスじゃナイト!
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

小縣 裕介(おがた ゆうすけ、1971年9月29日 - )は、朝日放送テレビ[1](ABCテレビ)のアナウンサー

来歴

新潟県長岡市で出生した後に、実父の転勤に伴う兵庫県西宮市への移住を経て、神戸市北区で長らく生活していた(詳細後述)。このような事情から、神戸市北区を出身地に挙げている。

神戸市の北区で生活していた時期に、兵庫県立兵庫高等学校から関西学院大学経済学部へ進学。大学への在学中には、アルバイトとして、讀賣テレビ放送の神戸支局でカメラアシスタントを務めていた。

大学卒業後の1994年に、讀賣テレビと同じ在阪民放局の朝日放送(ABC:旧法人)へ入社した。実際には、アナウンサー試験の前にABC主催のアナウンス講習会へ参加したところ、講師陣(当時現役のスポーツアナウンサーだった太田元治など)から総合職向け採用試験の受験を勧められた。後に総合職で採用されることが内定したため、総合職向け試験の後に組まれていたアナウンサー試験も受けたものの、最終面接にまで残りながらアナウンサーとしての採用をいったん見送られた。この時のアナウンサー試験では男性2名の採用が内定。小縣も他の放送局(詳細不明)からアナウンサーとしての採用内定を伝えられていたが、清水次郎と共にABCへの入社が内定していた大学生が、後に内定を辞退した。ABCでは、以上の事態を受けて、正式入社後に営業部への配属を予定していた小縣をアナウンサーとして採用することを検討。最終面接の試験官で、面接時のフリートークの面白さを評価していた道上洋三安部憲幸(いずれも当時はアナウンス部の管理職)が小縣の採用を強く推薦したこともあって、結局は清水と揃ってアナウンサーとしての入社を認められた。

ABCへの入社後は、中原秀一郎西野義和[2](いずれも当時はアナウンサーとして在籍)の下で新人研修を受けた後に、清水と共にスポーツ中継の実況を任されてきた。スポーツ中継では、主に野球・サッカー・ゴルフを担当。その一方で、音楽番組やスポーツ情報番組を中心に、ラジオパーソナリティを長年務めてきた。

ラジオ番組では、『ABCミュージックパラダイス』(『ミューパラ』の愛称で知られる深夜の音楽番組)で、1995年の1月から13年以上にわたってパーソナリティを担当。同番組でのリスナー投票をきっかけに、ニックネームの「ガッチ」が放送で定着した。『ミューパラ』は降板後の2009年6月でレギュラー放送をいったん終了したものの、小縣は2021年10月改編での「再起動」(放送再開)に際しても、諸般の事情から同月13日(水曜日)に1日限定でパーソナリティを務めた。また、『F.C.オフサイドトーク』(サッカー情報番組)、『ガッチ The Music』(音楽番組)などのパーソナリティも歴任。日曜日午後のワイド番組『SUPER SUNDAY ガッチとジロー』では、「ジロー」こと清水とのコンビで生放送を進行していた。同番組の終了後も、清水が高校教諭への転身を視野に2016年6月にABCを退社するまで、スポーツアナウンサーとして野球中継やスポーツ関連番組で清水とたびたび共演している。

サッカーの取材歴も豊富で、1997年にはABCラジオのリポーターとして、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた1998 FIFAワールドカップのアジア第3代表決定戦(日本イラン戦)を取材。FIFAワールドカップでも、フランス1998年)・ドイツ2006年)の両大会にABCから取材リポーターとして派遣された。さらに、2022年のカタール大会では、ABEMAが東京からのオフチューブ方式で中継動画を配信する試合の一部(グループリーグの4試合)で実況を担当(詳細後述)。大会全試合の中継動画における日本国内向けのインターネット配信権を保有しているABEMAに対して、大株主の1つであるテレビ朝日系列局から一部のアナウンサーを配信限定の実況要員として派遣することに伴う措置で、ABCテレビからは同僚の高野純一も実況陣に名を連ねている。

2009年9月14日から2011年9月30日までは、ABCテレビ夕方のニュース番組『NEWSゆう+』に、2代目のメインキャスターとして出演していた。同番組のキャスター就任を機に野球中継の実況からいったん離れたものの、スポーツアナウンサーとしての活動は継続。2009年12月28日までは、毎週月曜日の同番組本番終了後に、生放送の『F.C.オフサイドトーク』にも出演していた。2010年にも、2010 FIFAワールドカップ期間中に『F.C.オフサイドトーク』の特別番組でパーソナリティ、『マイナビABC チャンピオンシップゴルフトーナメント』のテレビ中継(土・日曜日放送分)で実況をそれぞれ担当。同年9月から2011年3月までの『NEWSゆう+』では、同番組を放送しない週末に自らスポーツ選手へ取材した模様を、月曜日のコーナー「月曜ガッチスポーツ」で自ら報告していた。

その一方で、2011年度のナイターオフ期間には、ABCラジオで『おっちゃんラジオ』火曜日「小縣裕介のガッチ・ザ・グレイト」のパーソナリティを担当。2012年からは、清水と共にデスク業務へ就くかたわら、スポーツアナウンサーとしての活動を本格的に再開している。2015年1月9日には、椎間板ヘルニアで療養中の武田に代わって、『武田和歌子のぴたっと。』の全編でパーソナリティを務めた[3]

2015年度には、新人アナウンサーの研修を初めて担当(対象者は福井治人)。2017年2月1日付で、ゼネラルアナウンサーに昇格した。これを機に、スポーツ担当のゼネラルアナウンサーのうち、同年の誕生日で定年(60歳)に達する楠淳生が嘱託アナウンサーに移行した(楠は2018年3月31日付の退職を経てフリーアナウンサーへ転身)。

2020年度には、スポーツアナウンサーのデスク(勤務管理)業務を担当。2021年6月の定期人事異動で、ゼネラルアナウンサーより上位の役職であるアナウンス部長待遇へ昇進した。昇進後は、朝日放送テレビが新卒で採用したアナウンサーの研修や、テレビ朝日系列の他局で野球(主に全国高等学校野球選手権地方大会のローカル向け)中継に携わる(予定)のアナウンサー向け合同研修(選抜高等学校野球大会の期間中に朝日放送テレビで実施)で講師も務めている。

その一方で、ABCラジオでは2021年11月19日から、金曜日に『おはようパーソナリティ道上洋三です』のパーソナリティ代理を務めている。道上が2021年9月に脳梗塞を発症してから入院加療とリハビリに専念することに伴う措置だが、道上に復帰の目途が立っていないことから、同局では関係者による協議の末に『 - 道上洋三です』を2022年3月25日(金曜日)で終了させることを決定。翌週(3月28日)から後継番組として『おはようパーソナリティ小縣裕介です』が月 - 木曜日・『おはようパーソナリティ古川昌希です』が金曜日に編成されることに伴って、後輩アナウンサーの古川と共に「おはようパーソナリティ」の座を道上から正式に引き継いだ[4]。その一方で、「(パーソナリティとの)二刀流」と称して、同番組が放送されない金 - 日曜日から(週5日の勤務を基調に朝日放送テレビが設けている社内規定に沿って)1日をスポーツ中継の実況・リポートに充てている[5]

私生活では、2003年10月に武田和歌子(7歳年下の同僚アナウンサー)と結婚。結婚してからも、『武田和歌子のぴたっと。』シリーズ(ABCラジオ)などの番組で「夫婦共演」を何度も果たしている。

人物・家族

朝日放送では小縣が入社した旧法人時代に第2代の本社屋をABCセンター大阪市北区大淀南)内へ構えていたが、朝日放送グループホールディングス認定放送持株会社化によるテレビ・ラジオ放送事業の分社化(2018年4月1日)を経て、同年5月19日からグループの本社機能をほたるまち大阪市福島区)へ移している(ABCセンターは後に解体)。小縣によれば、祖母は1966年にABCセンターが建設されるまで、同センターの敷地に当たる地域で暮らしていたという。

実父は生命保険会社へ長らく勤務していて、日本国内で転勤を繰り返していた。新潟県長岡市へ赴任していた時期に、現地の病院で小縣が出生。小縣は家族と共に3歳まで長岡市内で暮らした後に、兵庫県西宮市内の社宅を経て、小学校時代から神戸市北区内の実家で生活を始めた。自身が手掛けた新人研修を経てスポーツアナウンサーとして活動している福井治人や、2024年9月30日までアナウンサーとして朝日放送テレビに在籍していた大野雄一郎(2020年入社)も神戸市北区(小縣の実家近くの地域)の出身で、小縣に続いて兵庫高校を卒業している。

朝日放送へ入社した1994年度には、ABCセンターへの通勤などとの兼ね合いで、神戸市中央区三宮付近に単身で生活。1995年1月17日は自身の公休日に当たっていたため、前日(16日)から北区内の実家に帰省していた。ところが、当日の早朝(5:46)に実家で阪神・淡路大震災へ遭遇。自身と共に実家で就寝していた両親・親族も全員無事で、自宅から固定電話でABCセンターへ連絡できる状況にもあったため、当時所有していた自身名義の乗用車で自宅からABCセンターへ向かった。もっとも、発災の影響による交通渋滞で大阪(ABCセンター)への到着が難しいことが神戸市内での運転中に判明したため、三宮に所在するABCの神戸支局へ急遽直行。入社1年目のアナウンサーでありながら、その日の午後から三日三晩にわたって、神戸支局を拠点に震災関連の取材や中継リポートを担当した。ちなみに、阪神・淡路大震災の検証に携わった溝上恵地震学者)は小縣に似た経歴の持ち主で、新潟県長岡市での出生を経て兵庫県神戸市内の県立高校(兵庫県立長田高等学校)を卒業している。

道上との縁は深く、2013年に他界した実父は、道上と同じく1943年に出生したという。また、前述したように、朝日放送への入社試験ではアナウンサーとして採用することを強く推薦。小縣は、入社から29年後に「おはようパーソナリティ」の座を古川と共に道上から引き継いだ。『おはようパーソナリティ小縣裕介です』のスタートに際しては、「我が家ではラジオから(平日に)毎朝『おはようパーソナリティ道上洋三です』が流れていて、その番組では元気なおっちゃん(阪神タイガースのファンであることを公言している道上)が(阪神が放送前日の試合に勝っていれば球団歌の)『六甲おろし』を歌っていた。その人(道上)が(朝日放送のアナウンサー試験で)周囲が反対する中(自分の採用を)強く推薦してくれたおかげで、(自分は)アナウンサーとしての第一声をその番組(『おはようパーソナリティ道上洋三です』)で果たせた」とのコメントを寄せている[6]

後輩アナウンサーの武田と結婚したきっかけは、(武田が入社した2001年時点のABCで2名のアナウンサーが分担していた)宿直勤務中の意気投合で、同姓(男性)であっても親友になれそうな武田の性格に惹かれたという。実際には「武田が野球中継でリポートや実況を担当していた時期から交際が自然に始まった」とのことで、2003年の結婚直後に阪神タイガースがセントラル・リーグで18年振りに優勝したことから、優勝の祝勝会では自身がラジオ・武田がテレビで中継リポートを分担していた。ちなみに、小縣の両親も社内結婚で、実母は実父より8歳年下とのことである。

特技・資格

10歳(小学校4年時)からサッカーを始めていて、中学校・兵庫高校への在学中には校内のサッカー部で活動[7]。練習の一環で取り組んでいたリフティングを最高で4,500回まで続けたことがあるほか、関西学院大学への入学直後にも、体育会のサッカー部へ籍を置いていた。

朝日放送への入社後は、神戸市内の社会人サッカーリーグに参加しているチーム(兵庫高校サッカー部のOBで組織)で、現在に至るまで休日にプレーを続けている[7]。『おはようパーソナリティ道上洋三です』では、パーソナリティ代理を務める前にも、サッカーの話題を扱う際に「朝日放送で最もサッカーに詳しい"ガッチ"」として電話で出演することがあった。前述したように、『おはようパーソナリティ小縣裕介です』を始めた2022年には、ABEMAから配信されるFIFAワールドカップの試合動画の一部で実況を担当。テレビ朝日の系列局から派遣された実況アナウンサーとしては最年長(当時51歳)だが、開催地(カタール)には派遣されず、同番組を放送しない(日本時間で)週末の試合を中心に東京のスタジオで実況に携わっていた。

その一方で、サッカー審判・スキューバダイビングアスリートフードマイスターのライセンス[7]、書道2段、英検2級の資格といった保有。本人によれば、スキューバダイビングを始めたのは関西学院大学への在学中からで、「部活動だけで学生生活を全うするのはもったいない」という理由でサッカー部を辞めたことがきっかけだったという。

趣味・嗜好

カレートマト[8] が大好物。武田と結婚するまでは、「夜のクラブ活動」に励んでいることを『TVスター名鑑』(東京ニュース通信社)などのアナウンサープロフィールで明記していた。結婚後も、ラジオの音楽・トーク番組でパーソナリティを任される際には、「三ノ宮の虎」と称して「夜のクラブ活動」でのエピソードを披露している。

ランニングが趣味であることも公言しているが、本人曰く「何事に対しても『折り返し』という意識を持ちたくない」とのことで、「自宅から5km以上の距離を走る時は(あらかじめ目的地を決めない)『行きっ放し』で、(スマートフォンに内蔵のアプリから)radikoを通じてラジオ番組を聴きながら行けるところまで行った後に、あえて電車で帰宅するようにしている」という[7]

『おはようパーソナリティ小縣裕介です』の担当を始めてからは、「エクストリームウォーク」(朝日新聞大阪本社が関西地方で定期的に開催している歩行距離50km以上のウォーキング大会)にも参加。柴田博(先輩アナウンサー)や朝日放送ラジオの番組リスナーが参加する独自イベントの開催に発展している[9]

出演番組

現在

テレビ

ラジオ

過去

テレビ

ラジオ

インターネット

主な実況実績

脚注

  1. ^ 2018年4月1日に旧・朝日放送(朝日放送グループホールディングス)の認定放送持株会社化に伴って、旧法人に在籍していたアナウンサーは、楠淳生を除いて朝日放送テレビへ自動的に転籍。
  2. ^ 小縣と同じ新潟県生まれ。
  3. ^ 和歌子の夫、ガッチです!!(『武田和歌子のぴたっと。』公式サイト内2015年1月19日付「ぴたっと。日記」)
  4. ^ おはパソ道上洋三アナの後任は小縣裕介、古川昌希の両アナ 去来川奈央が新たにアシスタント(『日刊スポーツ』2022年2月25日付記事)
  5. ^ ABCラジオ「おはようパーソナリティ」MCの小縣裕介アナ「道上大先輩の伝統受け継ぐ」 古川昌希アナ「阪神ファン見習いで」(『スポーツ報知』2022年3月23日付記事)
  6. ^ABCラジオ春の新番組のお知らせ』(プレスリリース)朝日放送ラジオ、2022年3月23日。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000212.000040629.html。2022年3月25日閲覧。
  7. ^ a b c d e f日刊スポーツ』(日刊スポーツ西日本大阪本社発行版)で2022年3月28日(『おはようパーソナリティ小縣裕介です』初日)発行分の25面に掲載された全面特集内でのインタビューより。
  8. ^ 『ABCラジオカレンダー2018』6月分より、同年のテーマ「たからもの」にちなみ、小縣がトマトを「たからもの」と紹介した。
  9. ^「おはパソ」小縣アナ×「タビラジ」柴田アナが50kmを歩いた記録!「音で聴く!エクストリームウォークEXTRA in 淡路島」6月9日(日)放送』(プレスリリース)朝日放送ラジオ、2024年6月7日。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000398.000040629.html。2024年10月14日閲覧。
  10. ^ “45年の歴史に幕 ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」”. デイリースポーツ. (2022年1月18日). https://www.daily.co.jp/gossip/2022/03/25/0015162518.shtml 2022年3月25日閲覧。
  11. ^ 実際には、高野純一以降の後輩アナウンサーが日替わりレギュラー扱いで担当するため、小縣および山下剛は不定期で出演。ちなみに2017年度最終回は、翌日の開幕戦ラジオ実況を控え東京ドームで取材していた小縣の電話出演だった。
  12. ^ 続けて「池をめぐりて」に相当する投稿を小川恵理子、「夜もすがら」に相当する投稿を桑原征平が読み上げ、出来上がったフレーズの面白さを競うというもの。
  13. ^第14回アナウンサー賞の受賞者が決まりました!”. 2017年4月9日閲覧。

外部リンク