読み方:やまもとしゅうごろう[1903〜1967]小説家のこと。Weblio国語辞典では「山本周五郎」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

山本周五郎とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

山本 周五郎(やまもと しゅうごろう)
『新刊展望』1963年9月1日号より
誕生 清水 三十六(しみず さとむ) (1903-06-22) 1903年6月22日 日本山梨県北都留郡初狩村(現:大月市初狩町下初狩)
死没 (1967-02-14) 1967年2月14日(63歳没) 日本神奈川県横浜市中区本牧間門51付近 旅館「間門園」別棟
墓地 鎌倉霊園[1]
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 横浜市立尋常西前小学校
活動期間 1926年 - 1967年
ジャンル 小説
代表作 樅ノ木は残った』(1954年 - 1958年)『赤ひげ診療譚』(1958年)『青べか物語』(1960年)『季節のない街』(1962年)『さぶ』(1963年)『ながい坂』(1964年 - 1966年)
デビュー作 『須磨寺附近』(1926年)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

(やまもと しゅうごろう、1903年明治36年)6月22日 - 1967年昭和42年)2月14日)は、日本小説家[2]。本名:(しみず さとむ)。質店の徒弟、雑誌記者などを経て文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説歴史小説を書いた[3]

経歴

1903年明治36年)6月22日山梨県北都留郡初狩村(現:大月市初狩町下初狩)に生まれる[4]。父は清水逸太郎、母は「とく」(旧姓・坂本)[4]。周五郎は長男(弟の潔、義妹の末子がある[5][4]。本籍地は北巨摩郡大草村(現:韮崎市大草町)で、周五郎は後に自らの出生地を同地と語っている[6]。実家は武田の遺臣で、北巨摩の大草村若尾(現:韮崎市大草町若尾)に帰農した御蔵奉行・清水大隅守政秀の後裔であろうとの言い伝えもある[5]

1907年(明治40年)、山梨県では8月21日から降り続いた大雨により明治40年の大水害が発生する。大水害では甲府盆地東部の笛吹川流域を中心に多大な被害を出し、郡内でも初狩村が壊滅的被害を受けた。周五郎の一家は大月駅前に転居していたため難を逃れるが、大水害で祖父の伊三郎、祖母の「さく」、叔父の粂次郎、叔母の「せき」を失っている[4]。大水害後、一家は東京府北豊島郡王子町豊島(現:東京都北区豊島)に転居する。

1910年(明治43年)、北豊島郡王子町豊島の豊川小学校に入学した[7]。8月10日、荒川が氾濫して住居が浸水する大被害を受ける。同年秋から神奈川県横浜市久保町(現・神奈川県横浜市西区久保町)に転居。西戸部小学校に転校した。翌年、学区の編成替えで横浜市立尋常西前小学校(現:横浜市立西前小学校)2年に転学した。この頃、父は繭の仲買を営んでいた。また、輸入用麻製真田紐の巻き取り、生糸の仲買、小口金融業、小料理店「甲子屋」の経営、三業組合書記などの職を転々とした[8]。4年生の時、担任の先生から小説家になれと励まされ、志望するようになった。以来、学校新聞の責任を命じられたり、6年生の時には、級友の作文・図画を集めて回覧雑誌を作ったりした。自分で雑誌の表紙を描き、扉絵には詩を付けたりした[8]

1916年(大正5年)、横浜市立尋常西前小学校卒業。卒業と同時に東京木挽町二丁目(現:銀座二丁目)にあった質店きねや(山本周五郎商店)[3]に徒弟として住み込む。しかし、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって山本周五郎商店も被災し、一旦解散となる。その後、豊橋神戸に転居。神戸では「夜の神戸社」へ編集記者として就職する[7]1924年(大正13年)、再び上京。帝国興信所(現:帝国データバンク)に入社、文書部に配属。その後、帝国興信所の子会社である会員雑誌『日本魂』(にっぽんこん[3])の編集記者となる[7]

1926年(大正15年・昭和元年)、『文藝春秋』4月号の懸賞に投じた『須磨寺附近』が掲載され文壇出世作となる[9]。なお、ペンネーム「山本周五郎」の由来として、『須磨寺附近』を発表する際に本人の住所「山本周五郎方清水三十六」と書いてあったものを見て、文藝春秋側が誤って山本周五郎を作者名として発表したという説があるが[注 1]、以前にも山本周五郎をペンネームとして使用していた形跡があり定かではない。しかしながら雇主であった店主の山本周五郎は、自らも洒落斎という雅号を持ち文芸に理解を持っていた。そのため、周五郎を文壇で自立するまで物心両面にわたり支援し、正則英語学校(現:正則学園高等学校)、大原簿記学校にも周五郎を通わせている。ペンネームにはそのことに対する深い感謝の念が込められていたと思われる。また「山本周五郎」以外には、俵屋宗八[注 2]、俵屋宗七、横西五郎、清水清、清水きよし、土生三、佐野喬吉、仁木繁吉、平田晴人、覆面作家、風々亭一迷、黒林騎士、折箸闌亭、酒井松花亭、参々亭五猿、甲野信三などを用いたことが知られている。

文壇デビューしたものの順風満帆とはいかず、原稿の掲載を断られ、山本周五郎商店からも援助を渋られるようになり、失恋もあって精神的にも経済的にも窮した。こうした時期、1928年(昭和3年)夏から翌年秋にかけての時期、当時は東京湾北岸の漁村だった浦安に暮らした。浦安時代は、同地をモデルにした『青べか物語』に結実するなど作品に大きな影響を与えている[3]。東京に移った後の1930年(昭和5年)、病気で入院した慶応義塾大学病院で知り合った看護師見習の土生きよえ(きよ江)と結婚した[3]

1931年(昭和6年)、文学仲間であった今井達夫に勧められ[3]東京の馬込東に転居。空想部落と称された馬込文士村の住人となる。それまでは博文館の『少年少女 譚海』を中心に少年探偵物冒険活劇を書いていた周五郎だったが[12]尾崎士郎鈴木彦次郎の両人の推輓で講談社の『キング』に時代小説を書くようになった[12]。当時の『キング』は発行部数140万部と雑誌界の首位にあった[注 3]。また講談社には時代小説を書くと決めていたらしく、山本周五郎のペンネームだけを使った[14]

1936年(昭和11年)、講談社から新進作家として扱われ、同社発行の『婦人倶楽部』『少年倶楽部』『講談倶楽部』『少女倶楽部』などのほとんどの雑誌に作品が掲載されるほどの売れっ子となった。また博文館も周五郎の「大人向け」作品を掲載するようになった。

太平洋戦争下の1942年(昭和17年)、『婦人倶楽部』で各藩の女性を扱う「日本婦道記」(6月から12月までの7回掲載)が企画された。周五郎は3話(「松の花」「梅咲きぬ」「箭竹」。全くの創作で架空の女性を描いている)担当し、残りの4話(いずれも実在の人物で、それなりの周知されている人物)は他の作家が担当した。なお、「日本婦道記」は『主婦之友』の「日本名婦伝」(吉川英治)に倣ったものだという[15]

1943年(昭和18年)、第17回直木賞に『日本婦道記』が選ばれるが辞退[注 4]。直木賞史上、授賞決定後としては唯一の辞退者となった[注 5]。辞退の理由として[注 6]、完全な仕事を目指した初版『小説 日本婦道記』出版の前であったこと、改稿以前の『婦人倶楽部』版が受賞対象になったことなどが挙げられる[19]。また、『主婦之友』の「日本名婦伝」の著者で、選考委員だった吉川英治の選評への反発の可能性も指摘されている[20]。なお、この頃、周五郎の年間執筆数の約6割 - 7割が講談社の雑誌に掲載され、その大半が『婦人倶楽部』の「日本婦道記」であった。この執筆が作家的飛躍に繋がったと考えられている[21]

米軍による日本本土空襲が激化すると、周五郎は隣組班長として妻子だけでなく住民の防空壕避難を指揮することもあった[3]終戦直前の1945年(昭和20年)5月に妻のきよえが亡くなると、本棚で棺桶をつくり弔った[3]

1948年(昭和23年)、旅館「間門園」(神奈川県横浜市中区本牧間門51付近)を仕事場とする[22]

1967年(昭和42年)2月14日7時10分[1]、間門園別棟で肝炎と心臓衰弱のため死去。享年65(満63歳)。墓所は神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園。戒名は恵光院周嶽文窓居士。

1988年(昭和63年)、功績を記念し、新潮社などにより山本周五郎賞が創設された[23]

年譜

作風

この節の加筆が望まれています。 (2021年3月)

周五郎は元々、純文学の作家を目指していた。しかし、デビュー後は劇作や童話、少女小説の執筆を主とし、1932年(昭和7年)に大衆色の強い講談社の雑誌『キング』に「だゝら團兵衛」を発表して以降は大人向けの大衆娯楽雑誌を作品活動の舞台とするようになる[27]。そのため、一般からは大衆小説の作家とみなされ、新進、中堅時代には純文学作家や批評家からはほとんど黙殺された[9]。だが周五郎は純文学と大衆文芸との区別を認めず[28]、「面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない」[29]という信念の下、最大多数の読者を対象とする小説を書き続けた[注 7]

周五郎研究家の竹添敦子は、純文学を志しながら少年少女や大衆向け雑誌が作品発表の場になっていることに葛藤を感じていた周五郎は、35歳頃を転機に「眞実の人間が書ければ『面白さ』は附いて来る」(『愛妻日記』昭和13年11月22日付)と達観するようになり、それは妻きよえの存在が大きかったと分析している[3]

作風は時代小説、特に市井に生きる庶民や名も無き流れ者を描いた作品で本領を示す。また、伊達騒動に材を求めた『樅ノ木は残った』や、由井正雪を主人公とした『正雪記』などの歴史小説にも優れた作品がある。

周五郎の小説に登場する人物は、辛酸を嘗め尽くし、志半ばで力尽きてしまうものが少なくないが、かれらに、生きる上でのヒントとなる、含蓄のある台詞を吐かせる、というのも周五郎の作風である。

そうした周五郎作品の特徴を『聖書』に準えたのは映画監督の篠田正浩。篠田は周五郎が庶民の哀感のようなところにスポットを当てたとする見方に対して「それは嘘です。あの人は庶民なんか信じていないでしょう。そういう読まれ方をされていることが口惜しかったのではないですか」とした上で周五郎作品に通底する「聖なるものといえる存在」を指摘。「むしろキリスト教的な人間の、この世に聖なるものがなかったら人間は存在する理由がない、という前提が山本周五郎にはある。聖なる心をいだいていながら、汚辱にまみれた世の中で、まるで見えていないものを発掘するんです。だから、観念小説ですね。どこにもリアリズムがない。もうほとんど空想小説といってもいいぐらいでしょう。聖書のように書いているんじゃないかな、物語をね」と独自の周五郎像を披露している[32]

またハードボイルド作家の生島治郎は『樅ノ木は残った』はハードボイルド・タッチの作品であるとした上で[33]、「山本周五郎自身、かなり海外の小説を読んでいるんじゃないかな。そういうテクニックを使っているということですよね」「おれは彼がチャンドラーを読んでたような気がする」とこれまた独自の周五郎像を披露している[34]。さらに生島は周五郎作品が通俗小説から脱皮して純文学作品に到達したという周五郎の文学観にも反するような評論がまかり通っていることに対して、「どう考えても、山本周五郎氏の作品は純文学ではあり得ない。私見によれば、上質な娯楽小説である」「上質な娯楽小説を書こうと努力している作者に対して『通俗小説から脱皮して』という評価は、純文学かぶれの半可通が讃め言葉と錯覚して口走った世迷言にすぎない」と断じている[35]

人物

逸話

主な作品

小説

全集

日記

関連書籍

翻案作品

映画

テレビドラマ

ほか多数

舞台

オペラ

漫画

落語

脚注

注釈

  1. ^ 例えば、池内紀は「問われるたびに山本周五郎はそんなふうに答えた」と書いている[10]
  2. ^ 最初期からのペンネームである。また山本周五郎に次ぐ位置づけである。このペンネームによる随筆等もある[11]
  3. ^ 『キング』は、「天皇制ナショナリズム、それも、モダニズムと立身出世・修養主義を加味した新しいナショナリズムを思想的主柱とし(中略)批判力に乏しい民衆を意のままにファシズムに動員した先導者、ファシズムへの地ならしをした極めて保守的なジャーナリズム」との評価もある[13]
  4. ^ 「直木三十五賞『辞退のこと』」が『文藝春秋』(昭和18年9月号)に掲載された。その前文は、「こんど直木賞に擬せられたそうで甚だ光栄でありますが、自分としてはどうも頂戴する気持ちになれませんので勝手ながら辞退させて貰いました。この賞の目的にはなにも知りませんけれども、もっと新しい人、新しい作品に当てられるのがよいのではないか、そういう気がします。新しいとだけでは漠然としすぎますが、とにかくいまの清新なものがほしいという感じは誰にもあると思う。局外者がこんなことを云うのはおせっかいに類するけれども、新人と新風とを紹介する点にこの種の賞の意味があるので、もちろん在来もそうであったとは思いますが、今後もなおそういうものが選ばれてゆくことを希望したいと思います」である[16]
  5. ^ 1940年(昭和3年)上半期の第11回芥川賞を高木卓が辞退して、世上騒然たる物議を醸し出している。両文学賞史上、受賞辞退はこの二名だけである[17]
  6. ^ 某評論家は、周五郎が辞退した理由を、当時の周五郎の「主要な作品発表の舞台は、おおむね博文館系の雑誌だったために、博文館への義理立てとでも云った心情から、文藝春秋の文学賞を遠慮したのではないか。そういう律儀な性格がとらしめた、一見、佶屈たる行動」と述べているらしい(木村久爾典『山本周五郎-馬込時代』(福武書店)の第12章「直木賞を蹴る」による)[18]
  7. ^朝日新聞』の担当記者として周五郎の信頼も厚かった木村久邇典は『随筆 小説の効用』(中央大学出版部)の解題で周五郎の文学観を次のように代弁している。「十年ほどまえ、一部の評論家からは、〝大衆文学芸術派〟などと、一種の敬遠とも受けとれる呼称で別格扱いにもされたが、著者は実作ひとすじによって、ぬき難い偏見の所有者たちをも説得しつづけてきた。著者においては文学には〝純〟も〝不純〟もなく〝大衆〟も〝少数〟もない。最大多数の庶民の側に立つよりよい文学の創造以外にはないのである」[30]。ただし、周五郎は『中島健蔵氏に問う―自省と批判―』で「最大多数の読者」[31]とは書いているものの、木村が書くように「最大多数の庶民」とは書いていない。
  8. ^ 「日本婦道記」を企画、命名したのは『婦人倶楽部』編集部。それが評判になって定着していった[39]。独立した作品を集めて単行本にしたもの。『日本婦道記』自体にも二種類ある。1943年(昭和18年)講談社(当時は大日本雄弁会講談社)版と1958年(昭和33年)新潮文庫版である。収録作品は同じでない。後者は周五郎自身が作品を選定しており、現在ではこれが底本とされている。竹添敦子は、女性を主人公にした周五郎の連作(シリーズもの)と捉えている[40]。底本とされている新潮文庫版には、「松の花」「梅咲きぬ」「節竹」「不断草」「藪の陰」「糸車」「尾花川」「桃の井戸」「墨丸」「萱笠」「風鈴」の11編が収められている[41]。現在は講談社・新潮社どちらからも31編全てを収めた完全版が出版されている。新潮文庫版の累計部数は100万部を超える[42]

出典

  1. ^ a b 清水 1988, p. 221.
  2. ^山本周五郎』 - コトバンク、『山本 周五郎』 - コトバンク、「山本周五郎」 - ジャパンナレッジ
  3. ^ a b c d e f g h i j 山本周五郎の日記をたどる/大衆小説の達人 35歳の分岐点『日本経済新聞』朝刊2021年10月3日9-11面
  4. ^ a b c d 山梨県立文学館 1998, p. 6.
  5. ^ a b 歴史読本 2012, p. 298.
  6. ^ 山梨県立文学館 1998, p. 8.
  7. ^ a b c山本周五郎 兵庫ゆかりの作家”. ネットミュージアム兵庫文学館. 2021年5月14日閲覧。
  8. ^ a b 歴史読本 2012, p. 299.
  9. ^ a b山本周五郎とは”. コトバンク. 2021年5月14日閲覧。
  10. ^ 池内紀『作家のへその緒』新潮社、2011年5月、205頁。ISBN 978-4-10-375506-7
  11. ^ 竹添 2015, p. 161.
  12. ^ a b 竹添 2015, p. 99.
  13. ^ 竹添 2015, p. 101.
  14. ^ 竹添 2015, p. 100.
  15. ^ 竹添 2015, p. 108.
  16. ^ 齋藤 2013, p. 280.
  17. ^ 齋藤 2013, p. 294.
  18. ^ 齋藤 2013, p. 296.
  19. ^ 竹添 2015, p. 151-152.
  20. ^ 竹添 2015, p. 152-153.
  21. ^ 竹添 2015, p. 103.
  22. ^ 本牧の文豪 山本周五郎 タウンニュース
  23. ^付録 山本周五郎賞受賞作候補作一覧”. 直木賞のすべて. 2021年5月14日閲覧。
  24. ^ 清水 1988, p. 8.
  25. ^ 清水 1988, p. カバー.
  26. ^ 清水 1988, p. 26.
  27. ^ 竹添 2015, p. 90-100.
  28. ^ 全エッセイ 1980, p. 30.
  29. ^ 全エッセイ 1980, p. 5.
  30. ^ 全エッセイ 1980, p. 349.
  31. ^ 全エッセイ 1980, p. 22.
  32. ^ 歴史読本 2012, p. 113-120.
  33. ^ 五木寛之『五木寛之雑学対談』講談社、1975年11月、103頁。
  34. ^ 生島治郎『生島治郎の誘導訊問 眠れる意識を狙撃せよ』双葉社、1974年11月、42-43頁。
  35. ^ 生島治郎『生島治郎自選傑作短篇集』読売新聞社、1976年11月、308-309頁。
  36. ^ 竹添 2015, p. 102.
  37. ^ 清水 1988, p. 85.
  38. ^ 清水 1988, p. 122.
  39. ^ 竹添 2015, p. 53.
  40. ^ 竹添 2015, p. 1.
  41. ^ 竹添 2015, p. 14.
  42. ^ 「生誕100年、山本周五郎は残った──現代人の琴線にふれる時代小説(文化)」『日本経済新聞』朝刊2003年6月21日付40頁
  43. ^ 竹添 2015, p. 92.
  44. ^大河ドラマ『樅(もみ)ノ木は残った』”. NHKアーカイブス. 2021年5月14日閲覧。
  45. ^金曜ドラマ『赤ひげ』”. NHKアーカイブス. 2021年5月14日閲覧。
  46. ^ 第1回松喬三昧「盗人松喬」余情豊かに(演芸評)日本経済新聞・関西タイムライン(2019年11月1日)

参考文献

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、**山本周五郎**に関連するカテゴリがあります。

第17回直木三十五賞
1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回)1930年代 第1回 川口松太郎鶴八鶴次郎』『風流深川唄』『明治一代女』 第2回 鷲尾雨工『吉野朝太平記』他 第3回 海音寺潮五郎『天正女合戦』『武道傳來記』 第4回 木々高太郎『人生の阿呆』他 第5回 該当作品なし 第6回 井伏鱒二ジョン萬次郎漂流記』他 第7回 橘外男『ナリン殿下への回想』 第8回 大池唯雄『兜首』『秋田口の兄弟』 第9回 該当作品なし 第10回 該当作品なし 1940年代 第11回 堤千代『小指』他/河内仙介『軍事郵便』 第12回 村上元三『上総風土記』他 第13回 木村荘十『雲南守備兵』 第14回 該当作品なし 第15回 該当作品なし 第16回 田岡典夫『強情いちご』他/神崎武雄『寛容』他 第17回 山本周五郎『日本婦道記』(受賞辞退) 第18回 森荘已池『山畠』『蛾と笹舟』 第19回 岡田誠三『ニューギニヤ山岳戦』 第20回 該当作品なし 第21回 富田常雄『面』『刺青』他 第22回 山田克郎『海の廃園』 1950年代 第23回 今日出海『天皇の帽子』/小山いと子『執行猶予』 第24回 檀一雄『長恨歌』『真説石川五右衛門』 第25回 源氏鶏太『英語屋さん』『颱風さん』『御苦労さん』 第26回 久生十蘭『鈴木主水』/柴田錬三郎『イエスの裔』 第27回 藤原審爾『罪な女』他 第28回 立野信之『叛乱』 第29回 該当作品なし 第30回 該当作品なし 第31回 有馬頼義『終身未決囚』 第32回 梅崎春生『ボロ家の春秋』/戸川幸夫『高安犬物語』 第33回 該当作品なし 第34回 新田次郎『強力伝』/邱永漢『香港』 第35回 南條範夫燈台鬼』/今官一『壁の花』 第36回 今東光『お吟さま』/穂積驚『勝烏』 第37回 江崎誠致『ルソンの谷間』 第38回 該当作品なし 第39回 山崎豊子花のれん』/榛葉英治『赤い雪』 第40回 城山三郎『総会屋錦城』/多岐川恭『落ちる』 第41回 渡辺喜恵子『馬淵川』/平岩弓枝『鏨師』 第42回 司馬遼太郎梟の城』/戸板康二『團十郎切腹事件』他
1960年代 - 1970年代(第43回 - 第82回)1960年代 第43回 池波正太郎『錯乱』 第44回 寺内大吉『はぐれ念仏』/黒岩重吾『背徳のメス』 第45回 水上勉雁の寺』 第46回 伊藤桂一『螢の河』 第47回 杉森久英『天才と狂人の間』 第48回 山口瞳江分利満氏の優雅な生活』/杉本苑子『孤愁の岸』 第49回 佐藤得二『女のいくさ』 第50回 安藤鶴夫『巷談本牧亭』/和田芳恵『塵の中』 第51回 該当作品なし 第52回 永井路子炎環』/安西篤子『張少子の話』 第53回 藤井重夫『虹』 第54回 新橋遊吉『八百長』/千葉治平『虜愁記』 第55回 立原正秋『白い罌粟』 第56回 五木寛之蒼ざめた馬を見よ』 第57回 生島治郎『追いつめる』 第58回 野坂昭如アメリカひじき』『火垂るの墓』/三好徹『聖少女』 第59回 該当作品なし 第60回 陳舜臣『青玉獅子香炉』/早乙女貢『僑人の檻』 第61回 佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』 第62回 該当作品なし 1970年代 第63回 結城昌治『軍旗はためく下に』/渡辺淳一『光と影』 第64回 豊田穣『長良川』 第65回 該当作品なし 第66回 該当作品なし 第67回 綱淵謙錠『斬』/井上ひさし『手鎖心中』 第68回 該当作品なし 第69回 長部日出雄『津軽世去れ節』『津軽じょんから節』/藤沢周平『暗殺の年輪』 第70回 該当作品なし 第71回 藤本義一『鬼の詩』 第72回 半村良『雨やどり』/井出孫六『アトラス伝説』 第73回 該当作品なし 第74回 佐木隆三復讐するは我にあり』 第75回 該当作品なし 第76回 三好京三子育てごっこ』 第77回 該当作品なし 第78回 該当作品なし 第79回 津本陽『深重の海』/色川武大『離婚』 第80回 宮尾登美子一絃の琴』/有明夏夫『大浪花諸人往来』 第81回 田中小実昌『浪曲師朝日丸の話』『ミミのこと』/阿刀田高『ナポレオン狂』 第82回 該当作品なし
1980年代 - 1990年代(第83回 - 第122回)1980年代 第83回 向田邦子『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』/志茂田景樹『黄色い牙』 第84回 中村正䡄『元首の謀叛』 第85回 青島幸男人間万事塞翁が丙午』 第86回 つかこうへい蒲田行進曲』/光岡明『機雷』 第87回 深田祐介『炎熱商人』/村松友視時代屋の女房』 第88回 該当作品なし 第89回 胡桃沢耕史黒パン俘虜記』 第90回 神吉拓郎『私生活』/高橋治『秘伝』 第91回 連城三紀彦『恋文』/難波利三『てんのじ村』 第92回 該当作品なし 第93回 山口洋子『演歌の虫』『老梅』 第94回 森田誠吾『魚河岸ものがたり』/林真理子『最終便に間に合えば』『京都まで』 第95回 皆川博子『恋紅』 第96回 逢坂剛カディスの赤い星』/常盤新平『遠いアメリカ』 第97回 白石一郎『海狼伝』/山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』 第98回 阿部牧郎『それぞれの終楽章』 第99回 西木正明『凍れる瞳』『端島の女』/景山民夫遠い海から来たCOO』 第100回 杉本章子『東京新大橋雨中図』/藤堂志津子『熟れてゆく夏』 第101回 ねじめ正一高円寺純情商店街』/笹倉明『遠い国からの殺人者』 第102回 星川清司『小伝抄』/原尞私が殺した少女』 1990年代 第103回 泡坂妻夫『蔭桔梗』 第104回 古川薫『漂泊者のアリア』 第105回 宮城谷昌光『夏姫春秋』/芦原すなお青春デンデケデケデケ』 第106回 高橋義夫『狼奉行』/高橋克彦『緋い記憶』 第107回 伊集院静『受け月』 第108回 出久根達郎『佃島ふたり書房』 第109回 髙村薫マークスの山』/北原亞以子『恋忘れ草』 第110回 佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』/大沢在昌新宿鮫 無間人形』 第111回 中村彰彦『二つの山河』/海老沢泰久『帰郷』 第112回 該当作品なし 第113回 赤瀬川隼『白球残映』 第114回 小池真理子』/藤原伊織テロリストのパラソル』 第115回 乃南アサ凍える牙』 第116回 坂東眞砂子『山妣』 第117回 篠田節子『女たちのジハード』/浅田次郎鉄道員(ぽっぽや)』 第118回 該当作品なし 第119回 車谷長吉赤目四十八瀧心中未遂』 第120回 宮部みゆき理由』 第121回 佐藤賢一王妃の離婚』/桐野夏生『柔らかな頬』 第122回 なかにし礼長崎ぶらぶら節
2000年代 - 2010年代(第123回 - 第162回)2000年代 第123回 船戸与一虹の谷の五月』/金城一紀GO』 第124回 山本文緒『プラナリア』/重松清ビタミンF』 第125回 藤田宜永『愛の領分』 第126回 山本一力『あかね空』/唯川恵肩ごしの恋人』 第127回 乙川優三郎『生きる』 第128回 該当作品なし 第129回 石田衣良4TEEN フォーティーン』/村山由佳星々の舟』 第130回 江國香織『号泣する準備はできていた』/京極夏彦後巷説百物語』 第131回 奥田英朗空中ブランコ』/熊谷達也邂逅の森』 第132回 角田光代対岸の彼女』 第133回 朱川湊人『花まんま』 第134回 東野圭吾容疑者Xの献身』 第135回 三浦しをんまほろ駅前多田便利軒』/森絵都風に舞いあがるビニールシート』 第136回 該当作品なし 第137回 松井今朝子吉原手引草』 第138回 桜庭一樹私の男』 第139回 井上荒野『切羽へ』 第140回 天童荒太悼む人』/山本兼一利休にたずねよ』 第141回 北村薫鷺と雪』 第142回 佐々木譲『廃墟に乞う』/白石一文『ほかならぬ人へ』 2010年代 第143回 中島京子小さいおうち』 第144回 木内昇『漂砂のうたう』/道尾秀介『月と蟹』 第145回 池井戸潤下町ロケット』 第146回 葉室麟蜩ノ記』 第147回 辻村深月鍵のない夢を見る』 第148回 朝井リョウ何者』/安部龍太郎等伯』 第149回 桜木紫乃ホテルローヤル』 第150回 朝井まかて『恋歌』/姫野カオルコ『昭和の犬』 第151回 黒川博行破門』 第152回 西加奈子『サラバ!』 第153回 東山彰良『流』 第154回 青山文平『つまをめとらば』 第155回 荻原浩海の見える理髪店』 第156回 恩田陸蜜蜂と遠雷』 第157回 佐藤正午月の満ち欠け』 第158回 門井慶喜銀河鉄道の父』 第159回 島本理生ファーストラヴ』 第160回 真藤順丈宝島』 第161回 大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』 第162回 川越宗一『熱源』
2020年代 - 2030年代(第163回 - )2020年代 第163回 馳星周少年と犬』 第164回 西條奈加心淋し川』 第165回 佐藤究『テスカトリポカ』/澤田瞳子『星落ちて、なお』 第166回 今村翔吾『塞王の楯』/米澤穂信黒牢城』 第167回 窪美澄『夜に星を放つ』 第168回 小川哲『地図と拳』/千早茜『しろがねの葉』 第169回 垣根涼介『極楽征夷大将軍』/永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』 第170回 河﨑秋子『ともぐい』/万城目学『八月の御所グラウンド』 第171回 一穂ミチ『ツミデミック』
カテゴリ