読み方:がしゅう 自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。Weblio国語辞典では「我執」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

「我執」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

我執(がしゅう、आत्मग्राह、ātma-grāha、アートマ・グラーハ)は自分に対する執着で、仏教ではその克服が重要な課題とされる。すべての存在に実体(法我)があると考える「法執(中国語版)」(dharma-grāha ダルマ・グラーハ)と合わせて二執(中国語版)を構成する。

意識ある生きものを有情(うじょう)といい衆生(しゅじょう)というが、その主体として、恒常・不変の自我(人我 ātman)が実在すると考えて執着することを言う[1]。それぞれ二執を「人我見(我見)」・「法我見」ともいう。後述の「人無我」「法無我」に対している。

我執には、人に生れつきそなわっている「倶生」(くしょう)と、後天的に教えこまれたり、考え出したりする「分別」によるものとの2種がある。唯識では、8種の認識作用(8識)を想定しており、倶生は第7の末那識(まなしき、manas)に、分別は第6の意識(mano-vijñāna)に属するとしている。

脚注

注釈

出典

  1. ^ 「我執」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、Britannica Japan。

関連項目