読み方:かみかぜ【一】 神が吹き起こすという風のこと。Weblio国語辞典では「神風」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。">

「神風(カミカゼ)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書 (original) (raw)

神風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/04 13:27 UTC 版)

潮型掃海艇」の記事における「神風」の解説

神風型駆逐艦「神風」。1924年大正13年12月1日掃海艇類別横須賀防備隊第二掃海隊に編入1926年大正15年11月29日潮型掃海艇分類1927年昭和2年1月10日横須賀鎮守府第二掃海隊に編入1928年昭和3年4月1日除籍

※この「神風」の解説は、「潮型掃海艇」の解説の一部です。
「神風」を含む「潮型掃海艇」の記事については、「潮型掃海艇」の概要を参照ください。


神風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 14:33 UTC 版)

GALZOOアイランド」の記事における「神風」の解説

2周目以降隠しキャラ。袴を穿き弓を携えた古風な喋り方をする女の子モンスター

※この「神風」の解説は、「GALZOOアイランド」の解説の一部です。
「神風」を含む「GALZOOアイランド」の記事については、「GALZOOアイランド」の概要を参照ください。


神風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:06 UTC 版)

スワニー (護衛空母)」の記事における「神風」の解説

ところが、攻撃発進真っ最中であった7時40分、1時間前の6時30分にダバオ発進し北上していた、最初神風特別攻撃隊である菊水隊朝日隊および山桜隊が第77.4.1任務群に襲い掛かった。6機の零戦はただちに急降下突入してきたため、対空砲火打ち上げる暇も無かった。1機は攻撃隊を発進させたばかりサンティー命中別の1機はスワニーの上空で旋回始めたスワニー対空砲火はただちに応戦し被弾したこの日本機は、スワニー方向45度角度突っ込んでいったものの、これは命中しなかった。このスワニー対空砲火は、一時は他の護衛空母救った。サンガモン上空攻撃機会待っていた神風には、ただ1基の5インチ砲の射撃当たってこれを撃墜しペトロフ・ベイへの突入試みた神風に対して砲火浴びせてペトロフ・ベイ間一髪命中から免れた。 神風2機を撃墜したスワニーは8時4分頃、後方約2,500メートル上空旋回中の新たな神風を発見した。やがて、急降下突進してきたのでスワニー対空砲火浴びせかけた。神風は被弾して火を噴き、これを見たスワニー乗員落ちてゆく3機目の獲物喝采浴びせた。しかし、喝采浴びせかけられたこの神風は次の瞬間スワニー後部エレベーター前方飛行甲板命中して直径3メートルほどの穴を空け格納庫爆発しておよそ7.6メートル四方大きな穴を空けたスワニー火災こそすぐ消し止めたものの後部エレベーター使用不能となり、71名の戦死者82名の負傷者出した衛生班の将校であったウォルター・B・バーウェル中尉は、死傷者状況について、次のように報告した。 「衛生兵一人は、操舵室負傷しながらも『火災隔離されている前部にこそ、医療チーム必要だ』と報告してきた。私は彼とともに救急バッグモルヒネサルファ薬止血帯ワセリンおよび包帯入れ消火器抱えて火災をかわしつつ前方進んでいった。やがて、火災海水汲み上げて消火ホース消し止められつつあった。私たちは、いまだくすぶる士官区画戦闘情報センターおよび暗号解読室を通過して前部の舷外通路にたどり着いた前部にいた乗員のうち、外に出ていた者は爆発海中吹き飛ばされていた。しかし、その他の艦内にいた乗員は、その下の格納庫航空機から流出したガソリンによる火災半ば晒されていた。彼らの助かる唯一の方法海中飛び込む事であったが、脱出する前に脱出経路にも火の手回っていた。流出したガソリンは、我々が到着する時までには燃え尽きており、火は小さなものになっていた。しかし、デッキ隔壁火災によってひどく焼けただれ、下部にあった小火器用の弾薬庫からは、弾薬あちこち散らばっていた。2,3名の乗員パニック状態に陥っており、艦から飛び出しかねない状態だった。我々は、彼らを直ち拘束して沈静させた。やがて火は消し止められこれ以上犠牲者出ないとの保証見通し立った前部での負傷者多くはひどい火傷負っており、迅速な治療望まれるスワニーは2時間以内応急修理終え航空活動再開させることができた。第77.4.1任務群は、13時までにもう2回の航空攻撃受けたが、いずれも撃退した。この時までに、栗田艦隊は謎の退却北西向かっていた。第77.4.1任務群は第77.4.3任務群との会合のため、北東進んだ。 翌10月26日午後、第77.4.1任務群は神風特攻大和隊の波状攻撃受けたこのうち第三波空中警戒網を突破して第77.4.1任務上空到達した。この時、スワニーには対潜哨戒終えて着艦し、格納庫収容されつつあったアヴェンジャーエレベーター上にいた。12時40分ごろ、1機の神風はこのアヴェンジャー体当たりして大爆発起こしたスワニー操舵装置大部分破壊され艦内には再び火災発生格納庫にあった9機の航空機破壊された。直後ペトロフ・ベイ向かっていた別の神風は対空砲火被弾しつつ針路スワニー方に変え間もなく飛行甲板命中した火災はしばらく続いたが、最終的に鎮火した2日間でのスワニー戦死者107名を数え、160名が負傷した。なお、この大和隊の攻撃使われ零戦一部は、10月25日に第77.4.3任務群に突入した神風特攻敷島隊(関行男大尉)の直掩機西沢広義曹長ほか2名)が転用されたものだったスワニー10月28日コッソル水道立ち寄った後、11月1日マヌス島帰投した。その後本格的修理を受けるために11月6日にぜーアドラー湾を出港し西海岸向かった11月19日から20日にかけて真珠湾停泊し11月26日ピュージェット・サウンド海軍造船所到着スワニー修理1945年1月31日まで行われた

※この「神風」の解説は、「スワニー (護衛空母)」の解説の一部です。
「神風」を含む「スワニー (護衛空母)」の記事については、「スワニー (護衛空母)」の概要を参照ください。


神風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:04 UTC 版)

サンガモン (護衛空母)」の記事における「神風」の解説

5月4日、サンガモンは補給のため慶良間諸島到着補給は神風などの接近でしばしば中断されたものの、18時30分には終了して再び外洋向かって動き出した。しかし、間もなくサンガモンは47キロ先から神風が接近しつつある事を知った陸上戦闘機が迎撃して9機を撃墜。残る1機は19時ごろにサンガモンの左舷艦尾めがけて突入してきた。サンガモンは取舵急旋回しつつ対空砲火撃ち護衛艦艇の助け得て神風を撃墜。サンガモンの右舷からわずか7.6メートル離れた海面墜落した別の特攻機日本陸軍飛行105戦隊三式戦「飛燕」もしくは日本海軍17大義隊の零戦)は1925分、迎撃戦闘機哨戒網を突破して対空砲火避けるため一旦雲中入り1933分に雲から出てきたかと思えばサンガモンに真一文字に突っ込んで操舵室中央部命中爆弾艦内部で爆発し、サンガモンに多大な損害与えた。わずか15分の間に、格納庫操舵室初めとして艦のあちこちから制御不能なほどの火災発生し艦橋との音信途絶えることとなった。悪い事に、火災風に煽られてますます大きくなりつつあった。それでも、2015分までには消火手順整理され乗員大火災立ち向かう事となった。爆弾炸裂消防装置ダメージがあって水圧低かったものの、消火ガスボンベによって消火始まったまた、近在艦船もサンガモンの消火作業手伝うた集合してきた。その甲斐あって2230分までには鎮火する事ができた。通信も、近接した駆逐艦フラム (USS Fullam, DD-474) を介した通信および、艦内唯一使用可能だった航空機用超短波無線利用して23時20分頃までには回復した。サンガモンは11名の戦死者25名の行方不明者および21名の重傷者を出した生き残った乗員は、修羅場潜り抜け生き残れた事を祝ってアイスクリーム食べたまた、乗員一人は「わが艦の飛行甲板突き抜けたあの男は、私より立派だ。私には、あんなことはやれなかっただろう」と、サンガモンに命中した神風のパイロット称えた。サンガモンは仮修理のため慶良間諸島引き返した

※この「神風」の解説は、「サンガモン (護衛空母)」の解説の一部です。
「神風」を含む「サンガモン (護衛空母)」の記事については、「サンガモン (護衛空母)」の概要を参照ください。


神風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 01:38 UTC 版)

海と夕焼」の記事における「神風」の解説

そうした神風特攻隊への思い、何故〈神風は吹かなかつた〉のかの問い主題は、『海と夕焼』(1955年)で意識化され、金閣の美を燃やしてしまう『金閣寺』(1956年)を経て、〈などてすめろぎ人間となりたまひし〉と呪詛される「神の死」を主題とした『英霊の聲』(1966年)で顕現化されることになり、遺作豊饒の海』の第2巻奔馬』での神風連の乱挫折題材にまで繋がっていく。 われらはもはや神秘信じない。自ら神風となること、自ら神秘となることとは、さういふことだ。人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。その具現がわれらの死なのだ。 — 三島由紀夫英霊の聲三島にとって、〈人間至純の魂が、およそ人間として考えられるかぎりの至上行動精華示したにもかかはらず、神風は吹かなかつた〉ことは、〈行動言葉〉の同義性、つまり特攻隊の〈行動理念〉と、紀貫之の〈詩の理念〉の同義性を発見する契機でもあった。 力をつくして天地動かせなかつたのなら、天地を動かすといふ比喩的表現究極的形式としては、「力をも入れずして天地動かし」といふ詩の宣言のはうが、むしろその源泉をなしてゐるのではないか。このときから私の心の中で、特攻隊一篇の詩と化した。それはもつとも清冽な詩ではあるが、行動ではなくて言葉になつたのだ。(中略)「みやび」の裡に、文学固有のもつとも無力なものを要素とした力があり、私が言葉信じるとは、ふたたび古今集信じることであり、「力をも入れずして天地動かし」、以て詩的な神風の到来信じることなのであらう。 — 三島由紀夫古今集新古今集私的序説」 これは、特攻隊が〈行動〉という形でありながらも、純粋な言葉〉(表現であったということであり、〈言葉有効性には何らはらない次元の志〉を述べる『古今集』の序と相通じる一篇の詩〉だということ意味し、その〈究極無力の力〉〈究極の脆い優雅〉の中心的な文化、それを体現しているものが三島にとっての〈天皇〉だった。

※この「神風」の解説は、「海と夕焼」の解説の一部です。
「神風」を含む「海と夕焼」の記事については、「海と夕焼」の概要を参照ください。


神風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 14:09 UTC 版)

SD戦国伝 武神降臨編」の記事における「神風」の解説

神風号とも。上杉謙信頑駄無愛馬謙信合体し超人合身呼ばれる形態となる。

※この「神風」の解説は、「SD戦国伝 武神降臨編」の解説の一部です。
「神風」を含む「SD戦国伝 武神降臨編」の記事については、「SD戦国伝 武神降臨編」の概要を参照ください。


神風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:46 UTC 版)

セントルイス (軽巡洋艦)」の記事における「神風」の解説

次の10日間、セントルイススリガオ海峡中心に対空哨戒行った11月27日正午前、セントルイスらの部隊神風特別攻撃隊春日隊および陸軍特別攻撃隊八紘隊の攻撃受けたセントルイス最初の攻撃簡単な反撃のみでかわしつつ、味方飛行機空中援護求めた1130分、新手の神風が3手に別れて攻撃行い1138分に九九式艦爆認識された神風がセントルイス左舷側から突入し艦尾命中格納庫爆発して火災発生し、この攻撃で7名から10名の20ミリ機銃員が戦死する負傷した1139分には2機目の神風がセントルイス左舷真横向かって突入してきたが、セントルイス全速力でこれを避け、この神風は4番砲塔の上通り抜けセントルイスから91メートル離れた海中墜落した1146分の時点では味方援護未だ来ず1151分にはさらに2機の神風が燃えながらセントルイス向かってきた。1機目はセントルイスかすめて海中突っ込んだが、2機目は突入成功してセントルイス船腹装甲を6.1メートルわたって引き裂きセントルイス船体に無数の穴を開けた12時10分にも別の神風の攻撃受けたが、セントルイス後方370メートル地点撃墜された。10分後、セントルイスPTボートから雷撃機接近警告され攻撃回避して1機を撃墜した12時36分までにはセントルイスへの攻撃途絶え30分後には全ての火災消し止められ後片付け始まったセントルイス一連の攻撃15名が戦死し21名の重傷者と22名の軽傷者を出し重傷者のうちの1名は後に死亡した。翌28日セントルイスから負傷者運び出されセントルイスサンペドロ湾で仮修理の後11月30日出港してカリフォルニア向かい12月終わりごろに到着した

※この「神風」の解説は、「セントルイス (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「神風」を含む「セントルイス (軽巡洋艦)」の記事については、「セントルイス (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「神風」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ